第1話 宇佐見千影は優等生……?

 梅雨入りする前の五月二十五日水曜日。

 四時間目の授業が終わって昼休みになったばかりのころ、

廊下の壁に中間テストの順位表が貼り出されようとしていた。


 順位表は、この有栖山ありすやま学院高等学校に古くから残る風習の一つ。

 ひと学年約二百四十名——そのうち上位五十名の氏名と、全教科の合計点数(実技教科は除く)が定期テスト、実力テストごとに貼り出される。


 ちょっとしたイベントのようなもので、すでに三十人ほどの生徒が集まっていた。


 そのとき咲人は、今か今かと待ち構える生徒の波に揉まれながら、いかにも眠そうな顔で突っ立っていた。

 体育のあとの国語総合はキツすぎる。

 おまけにこの人混みで酸欠になりそうだ。

 もったいぶらずに早くしてほしい。


 あくびをしながら待っていると、順位表の前にいた橘冬子たちばなふゆこが周囲に睨みをきかせた。


「撮影禁止! SNS等にアップするのも禁止だ!」


 橘は咲人のクラスの担当ではないが、数学科で生徒指導担当の教員である。

 職務熱心で厳しい美人教師で、一部の生徒たちのあいだでは、ピンヒールで踏まれたい(?)とひそかに言われている


——あくまで、一部の生徒たちの願望である。


「では、順位表を開く!」


 いよいよ順位表が開かれた。


 五十位、四十九位、四十八位——と、後ろから順に一位へと進んでいく。


 すると、ざわめきが廊下の先まで響きわたった。


 その声に呼ばれたかのように、教室からぞろぞろと生徒たちが出てきて、いよいよ大混雑になる。

橘やほかの教師たちが先ほどの注意を繰り返すが、大勢の声にかき消されていた。


 喧騒の中、順位表を見終わった咲人は、あくびにも似た安堵のため息を吐いた。


(八位か……ま、とりあえず十位以内、八位なら上々だ)


 結果がわかれば長居は無用。さっさと学食へ向かい始めると——



「高屋敷くん、ちょっといいですか?」



 聞き覚えのある少女の声が響いた。

 いちおうは顔見知りなので、咲人は驚かずに振り向く。


 が、思わずひやりとした。


 ——宇佐見千影。この有栖山学院ではちょっとした有名人だ。


 べつの中学出身だが、中三のとき同じ塾に通っていたので面識はそれなりにある。

 そのころから美少女だと咲人は思っていたが、高校に入ってさらに磨きがかかり、一年の中でも特に目立つ存在になっていた。

 容姿はおそらく学年一ではないだろうか。


 学年一ついでに言えば、彼女は首席合格者でもある。

 今回の中間テストも学年一位だったことは、先ほど順位表で確認済みだ。


 美貌と頭脳——。


 どちらも秀でている彼女に、咲人も興味がないわけではない。

 クラスがべつべつになったことは残念だが、同じ外部生同士で仲良くなりたいとも思っていた。


 その宇佐見千影が、なぜか鋭い目つきで睨んでくる。


 俺はなにかやらかしたのだろうか。怒られるようなことはなにもしちゃいないがと、咲人は思った。

 怒りながらゆっくりと近づいてきた。美人が怒るとなかなか迫力がある。


 とりあえず、咲人はわずかに微笑んで軽く右手を上げた。


「こんにちは、宇佐見さん」

「こんにちは……じゃないです!」

「お、おう……なんでプリプリしてるの?」

「プ、プリプリなんてしてません……!」


 プリプリしている人がプリプリしていないとプリプリしながら言う感じだった。


「じゃあプリ……じゃなくて、どうしたの?」

「どうしたの、はこちらのセリフです! なんですか、あの順位表の結果は⁉」


 と、宇佐見は不機嫌そうな顔で腰に手を当てた。学年八位に不満があるのだろうか。



「なんですかって、八位だったよ? 宇佐見さんは一位だったね。おめでとう」



 咲人は微笑を崩さずに落ち着き払った調子で言うが、宇佐見はまたプリプリと怒る。


「おめでとうじゃないです!」

「えっ? 一位なのにおめでたくないの?」

「わ、私の話ではありません!」


 宇佐見は逆三角形に吊り上がった目で咲人の目を見る。

 咲人もじっと見つめ返した。

 彼女の言いたいことはなんだろう。

 なぜ怒っているのだろうか。


 空白のひとときのあとで、宇佐見は短いため息を吐いた。


「……どうしてですか?」

 怒りが失われ、どこか残念そうな感じに聞こえた。


「……? なにが?」

 宇佐見は表情を凛々しく引き締め直した。



「……どうして、本気を出さなかったんですか?」


 完全に虚をつかれ、咲人は戸惑った。



「あの……本気、というのは?」

「あなたの本当の実力です」

「えぇっと……つまり?」


「その気になれば一位になれたはずなのに、その気にならなかったのはどうしてですか? もしかしてわざと? わざと手を抜いたんですか?」


 宇佐見の口調は疑問を投げかけながらも、明らかに咎めている風だった。


「手を抜いたって、言っている意味がよくわからないんだけど……」


 と、咲人はポケットに手を突っ込んで苦笑いを浮かべた。

 宇佐見はそれ以上追及せず、黙ったまま咲人の目を覗き込む。

 今度は咲人が視線を逸らす番だった。


「いや、これでも頑張ったほうなんだけど、問題数が多くて……けっきょく時間切れ」


「……時間切れ?」


「ああ、有栖山学院の洗礼を受けたって感じさ。やっぱり中学とは違うね」


 咲人は肩をすくめてみせたが、宇佐見は訝しむような目で見つめてくる。ここはきちんとコミュニケーションを取るべきか——


「そうだ!」

「……? な、なんですか?」

「唐揚げ定食」

「え? 唐揚げ定食……?」


 宇佐見は一瞬で気の抜けた顔になった。


「今日の学食の日替わりランチ。これがかなり絶品なんだ」

「それが、なんです……?」

「よかったら一緒に行かないか? 奢るけど?」


 と、咲人は屈託のない笑顔を向けた。途端に宇佐見の顔が真っ赤になる。

 もじもじと身体を揺らしながら、リボンで括っている横髪を指で撫で始めた。


「私、お弁当があるので、その……高屋敷くんとご飯に行くのは、興味はあるんですが……あってですね……」


 急に彼女の様子が変わったことに、咲人は違和感を覚えた。


 どうして照れているのだろうか。というよりも、さっきまで怒っていなかったか。


「えっと、学食は嫌かな?」

「そうではなく、カップルなら二人でランチというのも有りだと思うんですが……」


 そういう視点はなかった。咲人は顎に手を当てる。


「なるほど……宇佐見さんを学食に誘うにはカップルにならないとダメってことか……」


 ポツリと呟くと、なぜか宇佐見は慌て出した。


「えぇっ!? それは、つまり、アレですか!?」

「……アレ?」

「だから、その……た、高屋敷くんは私とカップルになりたいという意志があるということですかっ!?」


 咲人はずり落ちそうになった。


「あー違う違う……条件というか、ハードルが高いなぁと思って。カップルにならないと学食に誘うのは無しってことだろ?」


 冷静に返すと、彼女はさらに真っ赤になって怒り出す。


「だ、男女でランチとは、そういうものなんですっ!」

「そ、そういうものなのかぁ……」


 咲人は理解にひどく苦しんだ。ただ、言わんとしていることはなんとなく理解できる。


 男女が二人きりで親しくランチを食べていたら、当人たちの関係性はどうあれ、他人の目にはカップルに映ってしまう可能性があると言いたいのだろう。


(べつに気にしなければいいのに……)


 いったんはそう思ったが、咲人はもう一度考え直した。

 たしかに、学食で二人きりは目立つし、カップルに見られるリスクもある。

 それも宇佐見千影ならなおさら目立つだろう。

 変な噂を立てられたくないし、『出る杭は打たれる』を自戒にしている咲人の望むところではない。

 やはり誘うべきではなかったか。


「宇佐見さんは、周りに誤解されたくないんだね?」

「それはそうですが……たしかに恋愛漫画だと周りに誤解されたままカップルになるパターンもありますので……」

「いきなり誘ってごめんね」

「あ、でもでも! それもやぶさかではないと言いますかー……へ? ごめん?」

「じゃあ、また機会があったら誘うよ——」


 と、咲人は宇佐見に背を向けた。


 軽率すぎたかもしれない。宇佐見に限らず、こういうことはきちんと順序立てて、段階を踏んでいかないといけないのだろう。

 一足飛びに食事に誘うのではなく、まずは気軽に話せる関係になってから。


 そう考えを改めて咲人が歩き始めると——


「ちょっと待ってくだ……——きゃあっ!」


 咲人は宇佐見の悲鳴に驚いて振り返り、

「おっ——」と口を開いた。


 なぜか彼女はバランスを崩して、前のめりに倒れそうになっている。

 慌てて胸で受け止めると、彼女の左耳から横顔がトンと胸の中心に当たった。


「——っと! ……ふぅ〜、危なかった。……宇佐見さん、大丈夫?」

「は、はいぃー……」

「……? どうしたの?」

「あの、えぇっと……背中を押されて……」


 宇佐見の背後を見ると、順位表に群がる生徒たちの背中が見えた。おそらく無自覚に彼女にぶつかってしまったのだろう。


 が、そこで咲人は急速に状況を理解した。思いがけず、左手は彼女の腰に、右手は頭に伸びて、正面から抱きしめる格好になっていたのだ。


 胸で宇佐見の体温を感じる。指通りのいいさらさらの髪から、ふわりと女の子特有の甘い香りがすると、心臓が激しく脈打った。


 宇佐見が自分で立てるとわかると、咲人はすぐに離れた。



「じゃ、じゃあ、気をつけてっ!」

「は……はいぃ〜……」



 顔を紅潮させて立ち尽くす宇佐見を置いて、咲人は足早に立ち去った。


       * * *


(宇佐見さんか……)

 学食で唐揚げの衣をつつきながら、咲人は先刻あったことを思い返していた。


 アクシデントとはいえ、彼女を抱きしめる格好になってしまった。不快に思われただろうか。彼氏でも、親しいわけでもない男にそんなことをされて——


「それってさ、たぶん一組の宇佐見さんのことだよね?」


 不意に後ろからした女子の声に、咲人はビクッと反応した。


「去年の全国中学三年生統一テスト一位の人って、うちに入学したんでしょ?」

「ま、首席合格だったし、今回の定期テストも一位だったし……宇佐見さんかもね?」


 先刻の出来事の話ではない。

 咲人は静かにため息を吐くと、少しだけ後ろの会話に聞き耳を立てた。


「平均九十七点とかヤバくない? 外部生でしょ?」

「聞いた話だと、中学はフツーの公立だってさ」

「「「マジィ……⁉︎」」」


 後ろの席には女子が四人。この話しぶりから内部生の一年生だろう――


 有栖山学院は幼・小・中・高一貫で、生徒のほとんどがエスカレーター式で上がってきた者たちだ。

 彼ら内部進学者のことを内部生と呼ぶ。対義語は外部生——つまり、宇佐見や咲人のように、高校受験で途中から入ってきた者たちはそう呼ばれている。


 割合的には、全体の約八割が内部生で、外部生は約二割といったところか。


 そんな外部生と内部生とのあいだには、目には見えない壁がある。

 この広い学食を見渡してみても、内部生と思しきグループ、外部生と思しきグループに分かれて座っている感じだ。


 内部生には内部生としての矜恃があって、外部生には外部生としての自負がある。それらがせめぎ合って、このようなぬるりとした壁が築かれたのだろう。


 そんな中で、宇佐見千影の存在は極めて目立つ。


 首席合格の外部生、学年一位。

 これがなにを意味しているかと言えば、ここまで徹底的に学力を鍛えられた内部生たちよりも、ぽっと出の外部生のほうが実力は上だったということだ。


 新入生約二百四十名のトップが外部生という状況は、あまり芳しくない。しかもあの美しい容姿だ。男子生徒と廊下で話しただけで噂が立ってもおかしくない――


 今も宇佐見について彼女たち内部生が噂している。

 やはりというか、この話しぶりだと感心している風でもなさそうだ——



「天才ってやつ? 地頭が良いっていいなぁ〜……」

「IQの高さって、親の遺伝とかでしょ? 確か五十%くらいだっけ、遺伝するの」

「おまけにめっちゃ可愛いし、スタイルいいし……」

「頭良くて可愛いとかズルくない?」



 それは少し違う、と咲人は思った。

 もともとの容姿はどうあれ、頭の良さは宇佐見が努力した結果にほかならない。そのことを同じ塾生だった咲人は知っている。


 中三のとき、塾で彼女は必死に机にかじりついていた。

 誰よりも真面目に授業を受け、誰よりも熱心に講師に質問に行って、ひたすら勉強していた。


 どうしてそこまで執念深く勉強するのだろう。


 そんな感じで、周りは引いた目で見ていたが、宇佐見はいつも一生懸命だった。


 そうした努力が実り、彼女は首席合格を果たした。それからも学年一位という結果を継続している。まさに「継続は力なり」を体現している人でもあるのだ。


 だから宇佐見に好感が持てた。

 仲良くなって教えてもらいたい。


 胆力とも言うべきか、その強さ、メンタリティはどこから来るのかを——。


 けれど、それは先刻の出来事で難しくなった。

 これで性格が最悪だったらさっさと諦められたかもしれないが、彼女は人間味があるし、リアクションも大きいし、可愛い仕草だってできる。


 そんな、非の打ち所がない素敵な人だ。やはり仲良くなりたい。

 ふと、咲人の脳裏で先刻の言葉が蘇る——



『……どうして、本気を出さなかったんですか?』



 あの言葉は真っ直ぐだった。


 せっかくライバルだと認めていた相手に対し、残念だ、本気を出してほしいと訴えるような感じにも聞こえた。


 逆に、本気を出せば仲良くなれるのだろうか。浅はかにもそんなことを考えてみた。

 けれど、本気を出せない事情がある。

 出る杭は打たれるのだ。

 打たれて心が折れた人間は、その痛みを知っている——


「でも、あの子ってさ……なんかさー、裏の顔とかありそうだよね?」

「あ、それわかるー!」

「てか、面白い噂があってー……——」


 こそこそと話して笑い合う声がして、咲人はそっとため息を吐いた。


(けっきょく、どこも変わらないんだな……)


 咲人は、冷たいほうじ茶を口にしながら、無視してやりすごすことにした。


(……しかし、どうして宇佐見さんは俺に話しかけてきたんだろ?)


 同じ塾で、同じ外部生で——それだけの接点しかない。ライバル意識だろうか。

 そんな疑問をもちながら、咲人は唐揚げを一口噛んだ。香ばしい匂いとともに、旨味たっぷりの肉汁がじゅわっと口の中に広がっていく。すると——



「あ、あのっ……!」



 唐揚げが喉に詰まりそうになった。

 横を向くと、宇佐見が真っ赤な顔で立っていたのだ。咲人はほうじ茶で唐揚げを無理やり胃袋に流し込む。


「……う、宇佐見さんっ!?」

「あの、伝え忘れてました!」


 動揺しながら周りを窺うと、さっきまで噂していた後ろの女子たちが黙り込んでいた。急なことに驚いているのだろう。


「つ、伝え忘れたことって……?」


 本当の実力うんぬんの続きだろうか。咲人は少し身構えた。


「さ……先ほどは、ありがとうございました!」

「え……? なにが……?」

「で、ですから、さっき倒れそうなところを抱き——」

「あ、ああ! そういうことねっ!? ぜんぜん! 気にしなくていいよ!」


 咲人は慌てて宇佐見の言葉を遮った。抱き止めて、のようなワードが彼女の口から飛び出たら、それこそあらぬ噂が飛び交うかもしれない。なんて危うい人だ。


「……わざわざ、そのお礼を伝えるために?」

「は、はい! それじゃあ私はこれで——」


 それだけ言って、宇佐見はいそいそと学食から去っていった。


 その後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、後ろからまたひそひそと声が聞こえた。噂を気にするのもバカバカしいぐらいに、咲人は清々しい気分だった。


 だから——


「宇佐見さんってほんと優しい人だよな。真面目で努力家だし、俺も見習いたいな」


 と、わざと大きめの声で言った。


 なんだか、彼女の本当の姿を知っているという自信がついた。

 それと同時に、これから彼女と仲良くなれるのではないかという希望が芽生えた。


<第2話に続く>

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次回更新は 10月15日(日)!


放課後、咲人は宇佐見がゲーセンで遊んでいるところを見つける。

対戦格闘ゲームで彼女のお相手をしたところ、気に入られてしまって……!?

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