第2話訓練

 それからどれほどたったのかわからない。気がつけば、わたしは傷だらけのまま。血の飛び散った床に倒れていた。

 おそらく貧血なのだろう。頭を上げることができなかった。よくあのまま死んでしまわなかったと、自分の運の良さを思う。


 わたしはゆっくり床を這ってコアに近づいた。


「ポーション」


 横たわったままコアに手を触れて、おぼろげな記憶を思いおこしてみた。ダンジョンでの回復薬といえば、おそらくこれだろう。前世で子どもが読み終えて投げ出していた小説を、こっそり読んでいて良かったと思った。


 コトリと小さな音がして、わたしの目の前の床にそれは現れた。クリスタルガラスのようにキラキラ輝く小さな瓶だった。


「これがポーション?」


 薬草を煮出したような緑色の水を予想していたが、目の前にあるのは、うっすら紫色を帯びた透明な液体だった。


 わたしはおそるおそるそれを手に取った。ちょうどホイップクリームを絞り出したような装飾のキャップを開けると、ツンとミントの香りが鼻に抜けた。


 床に腹ばったまま。わたしは少しだけ頭を上げて、ポーションをゆっくりと口に含んだ。

 味は、例えるなら酸味が少ない蜂蜜レモン。不味いのを覚悟していたので、少しあっけにとられてしまった。


 爽やかな味が体に入ると、すぐに体が浮き上がるような軽さを感じた。嫌な感じではなかった。ふんわりとやわらかい毛皮にでも包まれている気分。ふわふわと優しい腕にゆすられているような、懐かしい気分。


 すぐに傷がふさがり、あっけなく全身に感じていた痛みが消えた。ただ、流れてしまった血は戻らないらしく、貧血によるひどい不快感は残っていた。


 食欲はなかったが 何か助けになる物をということで、プルーンのアイスクリームを願った。プルーンの鉄分とクリームのタンパク質で、少しは血の足しになるだろう。そう考えてのことだったが、口当たりの良い甘さは、思っていた以上にわたしを元気づけてくれた。


 その後は床を這ったまま、なんとかベッドまでたどり着き、何も考えずにひたすら眠った。


 コアルームの中は時間の感覚がない。ただ、昼と夜を模しているのか、部屋が明るい時期と暗い時期が交互にあるので、それをわたしは一日としていた。もしかすると、コアの配慮だったのかもしれない。


 たっぷり寝て、部屋が明るくなったため、わたしは目が覚めた。

魔物との闘いで私が流した血は、すっかり消えて、床はもとの白さに戻っていた。

 幸い貧血の不快さは少なくなって、少しふらつくものの体を起こすことができた。

 

「強くなりたい」


 私はコアに願った。

 

 これまで、ただコアに与えられるまま生きてきた。いつまでここで暮らせるのかなんて考えたことがなかったが、このままでは、わたしの第二の人生はずっとひとりきり。この白いコアルームの中だけで終わってしまう。

 

 いつかここを出ていかなくてはならない。魔獣から死にそうな目にあわされて、ようやくそのことに気づいたのだった。


 しかし、わたしはコアから与えられた知識で、コアルームの外がどのようなダンジョンなのかおぼろげに知っていた。

 ここはダンジョンの最奥で、強い魔物があたりを闊歩している。そして、コアルームの前にはダンジョン最強の魔物が扉を守っている。


 つまり、ここから一歩外へ出れば、最初に遭遇するのが最終ボスラスボスになるのだろう。


 外の世界で生きるために踏み出す一歩が、死へ向かうための一歩に等しいとは、何とも過酷なことだった。


 強くなりたい。そういうわたしの願いを叶えるため、コアは毎日一体ずつ魔物を出現させた。

 それをわたしは、コアに願って出してもらった投げナイフとショートソードでほふった。


 当然最初は、ナイフを投げても魔物に届かなかった。剣を振り回すも剣は重くて、かえって自分が振り回されるありさまだった。

 

 体は毎日傷ついた。痛めつけられ、息も絶え絶えになって、いよいよとなった頃に与えられるポーションでなんとか生き伸びていた。


 こんなにも身近に死と向き合うことはなかった。前の人生のなんとぬるかったことか。

 それなりに苦労もして、人生を切り開いてきたつもりだったが、いかに凡庸ぼんような毎日に満足していたのか思い知らされた。


 一歩誤れば死ぬという、せっぱつまった状況と向き合いながらも、なぜかわたしは、おかしくてたまらなかった。体はクタクタに疲れていても、精神は昂揚していった。


 イタチのような魔物一体を一撃で倒せるようになると、徐々に出てくる魔物の数が増えて行き、やがて数十体になった。

 

 それが難なく倒せるようになると、イタチより強いウサギになり、さらに犬、や猿、オオカミなど多種多様な魔物が現れた。

 

 闘い馴れてくると二本足で動く人型の魔物も出てくるようになった。ゴブリンやコボルト、オークなど。人型と言っても顔は動物なので、意外に抵抗は感じなかった。なにしろ躊躇していたら、一瞬で殺されてしまうので考えているひまなどないのだ。

 

 ただ人型は少し知恵が働くようで、攻撃が多彩だった。正面から来るかと構えていたら、突然向きを変えて回り込んで来たり、殴りかかってくるので防御しているとフェイントで、後ろから別の魔物が突っ込んできたりして危ういこともあった。


 それでもそれぞれの攻撃パターンを覚えてしまえば楽勝だった。まあ、そこへ至るまでに何度死にそうになったかわからないが。いつも危ういところでコアがポーションを出してくれて助かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る