第97話 月明かりの銀貨

 滅亡したとされるイザリースの墓から掘り起こされた月の剣がひとつ。


 巨大な斧のようにも見えるそれは、重さによって自身の柄が曲がってしまった失敗作だと言う。これを打ち直すことができる鍛冶屋とは、イザリースで修行したドギという男以外にはいない。


 その男を探すために必要なのは情報だった。


「まるで月の灯りを頼りに、足元に落ちた銀貨を探すようなもんだ。ドギって奴をどうやって探したもんかな」

 ナタはその苦労を呟いた。


「リッリさんは? リッリさんは何て言ってるの?」

 僕は賢者の知恵を拝借したいと思う。


「リッリはその辺で洗濯してたぞ」

「ちょっと聞いてみようよ」


「ドギのことなら、もう何度も聞いただろ」

「さっきナタが月の下で落とした銀貨を探すようなものだって言ったじゃん? あるはずなのに見つからないって比喩でしょ? ドギの探し方はわからなくても、無くした銀貨の探し方ならわかることもあるんじゃない?」


「銀貨の探し方か」

「それと同じ方法でドギって人が探せるかもって、ちょっとひらいめいたんだよね」

 改めてシェズが「めし」の催促をする中、僕はなぜだか、リッリの声が聞きたくなっていた。


 リッリはエルフの賢者だ。賢者というものは、歴史の欠片から教訓を得たり、真実を突き止めたりする。必要なのは時間。僕が悲しみに暮れている間にも賢者は何かしら知見を得ただろうか。

 それを確かめるべく、僕はリッリに声をかけた。


「月明かりに銀貨を探すようなもの? そうなれば見つかるものがドギだとは限らん。闇夜に見つかるは銀貨か狼か——」


 お気に入りの赤頭巾をかぶるのは小さな賢者だ。リッリは、そこからは口に出せない考察を呑み込むように頬を膨らませていた。


「月明かりの下で銀貨を探すのって、ドギさんを探すのはそれくらい難しいってことだよ。銀貨を探せるなら、ドギさんを探すことだってできると思うんだ」

「それとこれは話が違いやり」


「どこが?」

「銀貨を探すなら、足元を照らしてみよ。ただし見つかるのが銀貨とは限らりん。それが原因で闇に潜むオオカミが寄ってくることもありゃ」


「オオカミ?」

 と僕は首を傾げた。


「あれじゃね? お金になる情報とかメシの情報とか。そこには悪人も集まると言う意味」

 シェズにもわかってはいないだろう。


 狼というのはここでは泥棒のことではない。


「ドギのことも気になりが、ここはヒルデダイトの動向を押さえり」

 リッリは海風に晒される港の荷物置き場に座っていた。仲間が集まったところで、商人から情報を漁ってきたというユッグとの打ち合わせも始まっている。賢者が座れば、そこには自然に人が集まると言った具合だ。


 僕が不思議そうに耳を傾けると、

 ナタが相づちを打っていた。


「さっきの銀貨がドギや剣のことなら、狼ってのがヒルデダイトのことか?」

 これには、

 ユッグが深く頷く。


「歴史の表舞台が昼なら、裏舞台が夜。夜を暗躍してるのが狼だ。足元を照らせば、オオカミの足跡が見えるかもしれん」


「足跡を見つけてどうするつもりだ?」


「お前はもっと緊張感を持ったほうがいい。お前ら一応揃いも揃ってヒルデダイトから指名手配されてただろ。ヒルデダイトの連中がお前らに気付いて追いかけて来ないとも限らない。それに鍛冶職人を探してアースガルドに行くにしても、その前にまたクレタ島のようなトラブルに巻き込まれてはかなわん。クレタ島でヒルデダイトが何かしら暗躍していたのは察しがつく」


「ドギを探すのもいいけど、ヒルデダイトから目を離すなってことか?」


「そう言えば、そのヒルデダイトも、剣を集めていなかったか? 銀貨が剣というのなら、なるほどオオカミが寄ってくるわけだ」

「集めていた」

 ナタは腕組みをする。


 リッリ曰く、

「脅威に備えておくこと、それが最優先なりや」だ。


「で、ドギの件だが、ちょっと調べてきた」

 ユッグは、首元の肌着を乱した格好で荷物置き場の柱に寄りかかる。この男は貴族が着るようなきらめく衣装を着たかと思えば、だらしなく振る舞う。


「さすがはキリーズの商人だ。キリーズならどんな情報も揃っていそうだ」とナタは言う。


 僕も何かを期待せずにはいられなかった。


 とは、

「いやその辺に出回っている剣を調べてみた。鉄の剣なんて高価なものを買うのは結局貴族だが、盗品や錆びて使い物にならなくなった剣なら広く流通している。銅製のものにしたって鉄を扱う連中が作るものは根本的に純度も異なる。商品を見れば仕入れ先やものの程度は予想できる」

 これは商売人の知見だった。


 ユッグは店を回ってきたらしい。


「仕入れ先と剣の材質?」

 僕はそれを考えてみた。


「今日見てきた剣のことだ。ヘルメスならわかるだろ?」

 ユッグは、商人たちを訪問して剣について情報を交換していた。「そのドギという職人が本物なら、そいつが打った剣は見ればわかるはずだろう。まあ他にもたくさん剣はあるわけだが、どこからどんな剣が流れているかがわかれば、周辺諸国の事情がわかることもある。だからまず、彼は商品として店先に並ぶ剣を見る」


「どんな剣があったんです?」

 と僕はその先が気になった。


「カグツチが言うには、ドギの腕は確かだ」

 それは僕が期待する根拠だ。ナタは布を巻いた杖を肩に当てて座り込んでいたが、ユッグに頷いてもうひとつの剣を目の前に置いた。普段使っているそれを、「アマのオハバリ」と言う。「ドギならこれと同じものくらいは造れるはずだ」それがドギの腕前を物語るだろう。


 イザリースで作られていた一般的な剣だった。


「お前らの言うドギが打った剣なら、それは高級品だ。そんな高級品なら、見つけるのは簡単なはずなんだ」


 ユッグは唇をひん曲げた。オハバリもそうだが、イザリース製ともなれば、貴族の間では宝剣になる。何よりユッグも扱ったことのある高額商品だ。「それぞれの仕事の違いは、ひと目で見分けがつく。だが、ここらにあるのは、黄ばんでいたり、黒ずんでいたり。触ると柔らかい。剣の形をした何かだ。聞けば、どうやらギリシャにあった工房もほとんどがヒルデダイトに移ったらしい。今では仕入れ先はヒルデダイトを経由した一カ所になってしまって、こっちには高価な剣は一本も回ってこないそうだ」


「やっぱりドギさんの作った剣はなかったんだ……」

 僕は落胆するけれど、

 問題はそこではないらしい。


「ほうヒルデダイトがギリシャ周辺でも剣を集めてりぃ?」

 リッリはそこで声をあげた。


「工房までごっそり持って行くのがわからん。製鉄技術を独占する気なのかもしれない。アリーズって奴が何をしでかすのかわからないが、それくらいのことはやってきそうだ。製鉄技術がコントロールできればそりゃ戦争をコントロールするのも同じだからな」


「ドギも連れ去られているってことか?」

 ナタにはそのようにも聞こえただろう。


 ユッグが説明するところでは次のような言い回しになる。


「ドギのことはわからないが、ヒルデダイトが鉄の取引を支配しているように見える。ドギはその鉄の鍛冶師だからな、鉄のあるところにドギはいるだろうし、同じ場所にヒルデダイトの動きも出る。それは期待してもいいだろう。まあ、もしドギって奴がまだ生きていたとしたらってことになるが」


「逆に言えば、ヒルデダイトの動きを読めば鉄の流れがわかるってことか。ドギにも辿り着けそうだな」

 ナタにそう言われて、


「なるほどね」

 と僕は相づち。


「話が早くて助かりん」とはリッリの褒め言葉か。「ただし優先すべきはドギではない。ヒルデダイトは各地で戦争を仕掛けておりや。ミツライムの件といいクレタ島の件といい。この動向を見誤れば、シロに集まったイザリースの民、ミツマの民、その他大勢の生死に関われり」賢者はそう付け加えた。


 そんなことを聞きながらも、僕にも思うところがある。


 僕たちは今日までいろんな場所を旅してきたけれど、その全ての場所にヒルデダイトの影がある。戦争をしている国があれば、その裏にヒルデダイトだ。ただ、剣を集めて外国にまで来ているという話は初めて聞く。


「そろそろめしか?」

 と、シェズはそんな期待をするだろうけれど、僕はふと次のことを閃いた。


「ヒルデダイトが剣を集めているって言う話さ、もしかして欲しい剣でもあるのかな?」


 そんな問いにユッグは次のように言葉を被せていた。


「さっき言ったはずだ。剣は軍事力だ。製鉄技術は文明。これを支配できれば世界を支配するのも同じ意味だ」

「そうじゃなくて、なんて言うか、ヒルデダイトのアザゼルって剣を探してイザリースまで来ていたような気がするんだ。太陽の剣を盗んで自慢していたから——」


「なるほどな。火の神が出たって話だったか。アリーズって奴が火の剣に触ったからだった。ヒルデダイトが同じようなものを欲しがっている可能性は否定できない。とすればトラキアの工房で作られた魔剣くらいか」

 ユッグが言うにはトラキアという国に鉄を扱う工房があると言う。


「そうそう火の剣。でも、あんな剣が他にないとも言えないような?」

「だから、それがトラキアの工房で作られている奴じゃないのか?」


「そもそも僕たちが把握している火の剣とか太陽の剣とかって、あれで全部なの?」

 それを僕が言ったところで、


「そりゃあまずいな」

 とユッグも僕が言いたいことを察してくれたようだった。


 つまり、イザリースで作られた聖剣が他の国にもあるかもしれないという事実。


「太陽の剣と火の剣はすでにやつらに奪われた。太陽が隠れたのもその影響だろ」

 と、ナタは言う。


「そういうの他にもある?」

 僕とユッグは言葉を重ねてしまっていた。


「僕たちの知らないイザリースの魔法剣……」

 僕は過去の記憶を辿ってみる。だが神がかった剣の話など他に聞いたことがあっただろうか。


「どんな剣なんだ?」

 というユッグの質問は、ナタにしか返せない。


「俺よりも、カグツチやタケミカヅチのドギって奴のほうが詳しい。いや、そんな剣の話は聞いたことがないから、カグツチが知っているかも怪しい。ウズメ姫だってそんな剣があれば、ヘルメスに取ってこいと言うだろうし」

 つまり、ナタが続けて言うとこうなる。


「俺たちにはわからないことばかりだ。俺たちはやっぱりドギを探すのに専念したほうがいいかもしれない」



 上空には薄い雲が並んで、どこまでも流れていく光景がある。「あんなに雲は遠いのに、ドギも同じ雲を見ているかもしれないなんて、不思議だな。遠いのか、近いのか」そんなふうにナタは呟いた。


 さてここでやっと「メシか?」

 シェズは立ち上がる。だが、まだ少し僕たちの会話は続く。


「どちらにしろ急いだほうがいいみたいだな。もしイザリースの剣がやつらの手に渡ると大変なことになる。そんな剣がないならないで、製鉄技術の独占を放っておけばこの先大変なことになる」

 ユッグはナタの前に出た。催促するようにステップを踏めば、ナタにも言いたいことがあるだろう。


「急ぎたいけど、情報がなかったら俺たちは動けない」

「情報ってのはあるところにはあるものさ。闇雲に探すというならば、俺に一人、こころあたりがある。ドギとは違って確実に会える奴だ。そいつが何か知っているかもしれない」


 ユッグには心当たりがあった。気難しい顔になるのは、「この先の国に変わり者で他の人間と群れるのを嫌う連中がいる」という相手の素性に理由がある。


「変わりもの?」

 僕は、その言葉がどこか耳に引っかかった。


「そいつらを束ねるのが大賢者と名乗る奴だ。あいつに話を通すにも面倒くさい手順がいるが、一度あんたたちにも会わせておきたい」


「大賢者?」

 僕が初めて聞くその言葉。


「それは誰なりや」

 赤頭巾にも彼の言い方は気になるところだろう。なぜなら、

「あんたたちも知っている相手だ」と言うのだから——。


「ほう?」

 赤頭巾が首を傾けたところ。


「あんたたちはちょっと前にザッハダエル城塞を落としただろう。あの時にザッハダエルの連中は港のほうに軍隊を出していたが、その軍隊を退けた傭兵団がいたのを覚えているか」


「あ」


「いた」

 赤頭巾も僕も思い出した。ザッハダエルの城塞を拠点にした極悪非道な軍隊を最後に追い回していた傭兵団がいる。それは僕たちがユッグに用立ててもらった傭兵団のことだった。


「狼の旗印を使う人たちがいました」

 挨拶をするのも、馴れ合いになる。馴れ合いなど生きるのに邪魔なだけだと、顔を合わせることもなくその傭兵団は立ち去ってしまった。だから僕やナタ、リッリも、相手の顔を知らない。


「その狼の傭兵団が大賢者なんですか?」

 僕が狼印の傭兵団を語るところ、たしかにあれは賢い傭兵団だったと思う。ザッハダエルの騎士団を相手に数少ない狼印の傭兵団が一方的に追い回す展開になったのだから――。


 力の差なのか、軍師の目利きなのか。


「ミツライムで大船団を率いて、俺たちが追われている間、ファラオの軍隊を足止めしてくれていたってのも、そいつなんだろ?」

 ナタはそういう話をまさにユッグから聞いたことを指摘していた。


「本人は、古代より名が知れた大賢者エンリルの生まれ変わりだと言っている。かなりの変わり者だ」

 このユッグの言葉に、赤頭巾が揺れた。シュメールセンサーが反応だ。


「エンリル……」

 聞いたことがあると言いたげな顔――。


 古いところでシュメールの風の神とされた名前ではなかろうか。


「俺も最初それを聞いた時は、なんていうか、意味がわからなかった。大賢者エンリルってのは東でも西の国でも時々聞くことはあるが、五〇年ほど昔にそんな爺さんがいたって程度のことだ。まあ生まれ変わりと言われて納得できるくらいには賢い奴だ」


「ほほうぅ、シュメールのとは違う者や?」

 リッリはここで相づちを打った。


 僕には歴史のことはわからない。


「ところでさ、大賢者エンリルの生まれ変わりって、それは何ていう名前の人なの?」

 僕が問えば、


「今はフェンリルと名乗っている。俺とは腐れ縁という奴だ。俺ひとりでそいつに相談にいこうかとも思ったが、今後のことを考えれば最初からみんなであいつを頼るほうが手っ取り早いだろう」


 ユッグの言葉は、ひとつの希望になった。


「フェンリル」

 その名前は、月明かりに輝く銀貨のように、僕の耳の奥で閃いた。それはもしかして狼の名前ではなかったかという疑念を孕む怪しい輝きだった。

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