2-14 血に濡れた狼 ※注
月明かりは人気のない路を仄かに照らしていて、邸から逃げて行った影の姿の妖魔は迷いなくある場所へと導かれて行く。
「あんたはただの道士見習いって聞いたが?」
「俺は見習いでも道士でもない!」
まあ、そうだろうなと
しかもかなりの手練れ。それがあのエセ仙人の話に合わせていることから、おそらく、どこかの名家の公子っぽい
「俺の主は
もはや
影が何かに気付いたのか、遠く離れた所で戸惑いを見せる。結界符に気付くのは時間の問題だと思ったが、気付いたところでどうにもならないだろう。あの符は
もちろん、仙人でもないわけだが。
「大人しく罠の方へ行ってもらわないとな!」
後ろから襲ってきた矢に気付き、影は左に行こうと悩んでいたところを結局右に行かされる。もちろんわざと外して影を誘導したわけだが、ふん、と
お先に、とでも言わんばかりにちらりと路を走る
影をそのまま追う
「
後ろから投げかけられた声に、
「あれ?兄さんは?」
木々の葉から覗く月明かりがあるだけの暗い森を見回し、きょろきょろと
「途中で分かれました。最終的な合流地点は一緒なので、問題ないかと思ったんですが······なにかありましたか?」
「あ、うん、大丈夫だよ」
瑪瑙色の眼がどこか心配そうに見下ろしてくるのに気付き、
「私を睨んでも何も出ませんよ?あの道士殿はひとりで片を付ける気でしょう。まあ、そうならないように罠を仕掛けたわけですが、正直、保障はできません」
「どういう意味だ、」
怪訝そうに
単なる噂なのかもしれない。その通り名さえ、誰かの悪意なのかもしれない。
「彼は復讐者。しかも魔族に対して相当な恨みを持っています。当然です。身内を目の前で殺されたのですから、それが大切な者であればあるほど、その恨みも底知れないものがあります。道士はそれでも殺生を禁じられてますから、普通なら己の欲望を殺して向き合うのが常。それができなければ、当然門派から破門されます」
「あいつが
「私はあの妖魔がどう殺されようがどうでも良いのですが、うちの主はそれを望まない。なので、そうならないように罠は仕掛けました。しかし、先程も言った通り、彼の実力次第ではそれも意味を成さないでしょう」
呪詛事件は未遂に終わったにせよ、それに手を貸した妖魔に前科がないとは言えないだろう。もっと前に何度もひとを喰らっていた可能性もある。これが初めてだという確証もない。
「確か、合流地点はこの先だよね?とにかく行ってみよう」
******
しかし、そんなに優れているのであれば名も有名なはずだ。
そもそもどうやってこの短時間であの量の符を用意し、貼る暇があっただろうか。それを考えると、エセ仙人が本当に怪しく思えてくる。
(集中しろ、馬鹿が。俺がやるべきことは、あの坊ちゃんの心配ではなく、自分自身の復讐だ。出遭った妖魔はすべて殺す。奴らに情けは無用だ)
一変して、冷ややかな感情が
ゆっくりと。
ゆっくりと。
一歩ずつ迷いなく歩を進める。その手にはいつの間にか剣が握られており、すっと刃に法力を纏わせながら近寄っていく。
「お前ら道士が俺たちを殺せないことは知ってるぞ!卑怯で姑息なお前らは、そういうくだらない制約があるんだもんなぁ?」
影はあえてあの少女の姿に自らを変え、にたにたと挑発してくる。自分は絶対に殺されることはないと思っているからだろう。だが
下げたままの剣の刃が、月明かりにキラリと反射する。
「この女も相当イカれてたが、結局はお前らに邪魔され、何も得られなかった。お前らを相当恨んでるぜ?それが俺の糧となるんだから、皮肉だな!」
藻掻くのを止め、肩を竦めて妖魔はけたけたと笑う。その余裕さは目の前の者が道士で、自分を殺せるわけがないと信じているからだろう。
地面に胡坐をかき、腕を組んで
『はは。ホントに脆いな、人間って。すぐに死んじゃうからつまらないんだって!お前らって俺たちを殺さないんだって?舐めてんのかなぁ?そんなんで生き残れるわけないのになぁ?』
あの時の眼。赤い眼。あの言葉。声。すべて。冷たい感情が黒く淀んでなにもかもを埋め尽くす。そう、だから二度と、赦さないと決めた。生き残るために。殺すために。殲滅するために。絶対に死ぬまで赦さない。殺し続ける。そう、決めたのだ。
「俺の前に現れたのが運の尽きだったな、」
刃を妖魔の喉元に突き付ける。は?とここに来て初めて妖魔が目の前の者に対して疑問を持った。道士は殺生を赦されていない、はずなのに。見下ろしてくるその鋭い氷のような眼がぞくりと背筋を凍らせた。闇が彼の顔を覆っているのか、単に光が届いていないだけか、表情がまったく見えなかった。
「死ね、」
「は····?止めろ、じょ、冗談だよな?お前、道士なんだろう!」
振り翳された剣が微塵の躊躇いもなく振り下ろされる。妖魔は身動きが取れないまま、ただその刃を呆然と見ていた。
次の瞬間、
ずぶ、ずぶ、と響く鈍い音。
赤く染まっていく刃。衣。頬に飛んで来た肉片。
赤、赤、赤、赤。
妖魔が息絶えても、何度もその肉を突き刺す。地面には血だまりができ、
三人が駆け付けた時、そこには月を見上げて恍惚な表情を浮かべている
"暁の餓狼"は、その血肉を浴びて狂ったように笑い出した。
彼の目の前で絶命している、ほんの少し前までひとの形をしていたモノは、もはや原型を留めていなかった。
そしてなにかを決意したかのように、血に濡れ笑っている
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