2-14 血に濡れた狼 ※注



 月明かりは人気のない路を仄かに照らしていて、邸から逃げて行った影の姿の妖魔は迷いなくある場所へと導かれて行く。


 暁狼シャオラン碧雲ビーユンは、ほぼ並走しているのだが、お互いに譲る気がないのか視線は影を追っているのに、敵はお互いとでも言いたげだ。


「あんたはただの道士見習いって聞いたが?」


「俺は見習いでも道士でもない!」


 まあ、そうだろうなと暁狼シャオランは納得する。この碧雲ビーユンという青年は、自分と同じくらいの年齢だと推測されるが、道士というよりはやはり武人。


 しかもかなりの手練れ。それがあのエセ仙人の話に合わせていることから、おそらく、どこかの名家の公子っぽい紅玉ホンユーの護衛で、彼に仕方なく付き合っているという感じなのだろう。


「俺の主は紅玉ホンユー様だけだ。あいつは色々あって成り行きで一緒になっただけで、俺はあいつの部下でも弟子でもない」


 もはや碧雲ビーユンはあの設定などどうでも良いと、肝心なことは伏せたが嘘は言わなかった。どうせこの事件が終われば、二度と暁狼シャオランとは逢うことはないのだ。この広い大陸で再び偶然に出逢う確率など、一桁あるかどうか。


 影が何かに気付いたのか、遠く離れた所で戸惑いを見せる。結界符に気付くのは時間の問題だと思ったが、気付いたところでどうにもならないだろう。あの符は翠雪ツェイシュエが書いたものだ。普通の道士が書いた符などとは比べ物にならない。


 もちろん、仙人でもないわけだが。


「大人しく罠の方へ行ってもらわないとな!」


 碧雲ビーユンは背負っていた弓を素早く手に取り、矢をつがえた。走りながら目の前の標的を捉え、影に向かって放つ。


 後ろから襲ってきた矢に気付き、影は左に行こうと悩んでいたところを結局右に行かされる。もちろんわざと外して影を誘導したわけだが、ふん、と碧雲ビーユンはそのまま駆け抜ける。


 暁狼シャオランは少し先を走っていたが、そのまま近くの塀に飛び上がり、民家の屋根の上に飛び移った。

 

 お先に、とでも言わんばかりにちらりと路を走る碧雲ビーユンに視線だけ送り、ふたりはそこで二手に分かれることになる。


 影をそのまま追う碧雲ビーユンだが、気付けば民家が遠ざかっていた。すごい速さで影は前を行くが、町外れの森の中まで来た所で、なぜか見失ってしまう。


碧雲ビーユン!」


 後ろから投げかけられた声に、碧雲ビーユンは眉間に寄せていた皺がぱっと消える。藍玉ランユー様、と思わず言いそうになり、開きかけた口を閉じる。


「あれ?兄さんは?」


 木々の葉から覗く月明かりがあるだけの暗い森を見回し、きょろきょろと碧雲ビーユンの周りを見回す。そこに少しだけ遅れて、翠雪ツェイシュエが左手に緑色の小さな鬼火を燈して現れる。碧雲ビーユンの姿を見つけるなり駆け出した紅玉ホンユーの後を、同じように追いかける気はなかったようだ。


「途中で分かれました。最終的な合流地点は一緒なので、問題ないかと思ったんですが······なにかありましたか?」


「あ、うん、大丈夫だよ」


 瑪瑙色の眼がどこか心配そうに見下ろしてくるのに気付き、紅玉ホンユーはふるふると首を振った。勘が良い方でない碧雲ビーユンだが、それに対して翠雪ツェイシュエの方に視線を向ける。


「私を睨んでも何も出ませんよ?あの道士殿はひとりで片を付ける気でしょう。まあ、そうならないように罠を仕掛けたわけですが、正直、保障はできません」


「どういう意味だ、」


 怪訝そうに碧雲ビーユンは問うが、紅玉ホンユーはそれを理解しているようで、うんと大きく頷いた。妖魔や魔族に対して暁狼シャオランが今まで何をしてきたか。本来の道士ならば、悪しき者を封じるのが常套手段であるが、彼の場合は確実に"殺す"ことで完結する。


 単なる噂なのかもしれない。その通り名さえ、誰かの悪意なのかもしれない。


「彼は復讐者。しかも魔族に対して相当な恨みを持っています。当然です。身内を目の前で殺されたのですから、それが大切な者であればあるほど、その恨みも底知れないものがあります。道士はそれでも殺生を禁じられてますから、普通なら己の欲望を殺して向き合うのが常。それができなければ、当然門派から破門されます」


「あいつが清君チンジュン派を破門されたのは、その復讐心からということか」


 翠雪ツェイシュエがそれを知っているということは、あの鬼子たちにでも調べさせたのだろう。まあ当然だ。自分たちの主である紅玉ホンユーが、奴について行くなどと言った時に心配になって、一応調べさせたという流れだろうか。彼のそういう用意周到なところは、見習っても良いくらいだろう。


「私はあの妖魔がどう殺されようがどうでも良いのですが、うちの主はそれを望まない。なので、そうならないように罠は仕掛けました。しかし、先程も言った通り、彼の実力次第ではそれも意味を成さないでしょう」


 呪詛事件は未遂に終わったにせよ、それに手を貸した妖魔に前科がないとは言えないだろう。もっと前に何度もひとを喰らっていた可能性もある。これが初めてだという確証もない。


「確か、合流地点はこの先だよね?とにかく行ってみよう」


 紅玉ホンユーは少し不安そうな表情を浮かべていたが、すぐにいつもの強い瞳でまっすぐに森の奥を見据えた。ふたりは想うところがあったが、それに同意するように、それぞれ頷くのだった。



******



 暁狼シャオランは路を無駄に迂回させる順路を進む碧雲ビーユンとは二手に分かれ、最終的に誘導される森の方へと先回りする。


 慶螢チンインの呪詛を解呪した陣もそうだが、あの結界符の効果も見事なもので、今まで会った道士の中でもやはり彼は抜きんでて優れているのがわかる。


 しかし、そんなに優れているのであれば名も有名なはずだ。暁狼シャオランは道士として修業している時も、破門された今も、翠雪ツェイシュエなどという道士の名を聞いたことはなかった。


 そもそもどうやってこの短時間であの量の符を用意し、貼る暇があっただろうか。それを考えると、エセ仙人が本当に怪しく思えてくる。紅玉ホンユーが騙されてあのエセ仙人に弟子入りしたのではないかと、無駄な心配をしそうになり、自分には関係のないことだと思い直す。


(集中しろ、馬鹿が。俺がやるべきことは、あの坊ちゃんの心配ではなく、自分自身の復讐だ。出遭った妖魔はすべて殺す。奴らに情けは無用だ)


 一変して、冷ややかな感情が暁狼シャオランを包み込む。殺す。すべて。目の前に存在する妖魔、魔族、その存在自体が復讐の対象だった。歩を進めた先、あの影の姿があった。青白い光を湛える法力の網に囚われ、逃れようと必死に藻掻いているのがわかった。


 ゆっくりと。

 ゆっくりと。


 一歩ずつ迷いなく歩を進める。その手にはいつの間にか剣が握られており、すっと刃に法力を纏わせながら近寄っていく。


「お前ら道士が俺たちを殺せないことは知ってるぞ!卑怯で姑息なお前らは、そういうくだらない制約があるんだもんなぁ?」


 影はあえてあの少女の姿に自らを変え、にたにたと挑発してくる。自分は絶対に殺されることはないと思っているからだろう。だが暁狼シャオランにはまったく関係のないことで、妖魔が見せるその姿が、ひとだろうが女だろうが子供だろうがどうでも良かった。


 下げたままの剣の刃が、月明かりにキラリと反射する。


「この女も相当イカれてたが、結局はお前らに邪魔され、何も得られなかった。お前らを相当恨んでるぜ?それが俺の糧となるんだから、皮肉だな!」


 藻掻くのを止め、肩を竦めて妖魔はけたけたと笑う。その余裕さは目の前の者が道士で、自分を殺せるわけがないと信じているからだろう。


 地面に胡坐をかき、腕を組んで暁狼シャオランを見上げてくる。その眼はどこまでも人間を馬鹿にしたような眼で、あの時の魔族の皇子を思い出した。


『はは。ホントに脆いな、人間って。すぐに死んじゃうからつまらないんだって!お前らって俺たちを殺さないんだって?舐めてんのかなぁ?そんなんで生き残れるわけないのになぁ?』


 あの時の眼。赤い眼。あの言葉。声。すべて。冷たい感情が黒く淀んでなにもかもを埋め尽くす。そう、だから二度と、赦さないと決めた。生き残るために。殺すために。殲滅するために。絶対に死ぬまで赦さない。殺し続ける。そう、決めたのだ。


「俺の前に現れたのが運の尽きだったな、」


 刃を妖魔の喉元に突き付ける。は?とここに来て初めて妖魔が目の前の者に対して疑問を持った。道士は殺生を赦されていない、はずなのに。見下ろしてくるその鋭い氷のような眼がぞくりと背筋を凍らせた。闇が彼の顔を覆っているのか、単に光が届いていないだけか、表情がまったく見えなかった。


「死ね、」


「は····?止めろ、じょ、冗談だよな?お前、道士なんだろう!」


 振り翳された剣が微塵の躊躇いもなく振り下ろされる。妖魔は身動きが取れないまま、ただその刃を呆然と見ていた。


 次の瞬間、暁狼シャオランの道袍に赤い飛沫が飛び散った。それは何度も何度も繰り返され、最初は妖魔の叫び声が響いたが、それはどんどん短くなり、身体を剣が貫通する音だけが辺りに反響する。


 ずぶ、ずぶ、と響く鈍い音。

 赤く染まっていく刃。衣。頬に飛んで来た肉片。

 赤、赤、赤、赤。


 暁狼シャオランは闇の中で赤に濡れながら、笑っていた。


 妖魔が息絶えても、何度もその肉を突き刺す。地面には血だまりができ、暁狼シャオランの足元さえも浸していく。身体は人間のもの。妖魔に喰われた人間。それはもはや妖魔なのだ。


 三人が駆け付けた時、そこには月を見上げて恍惚な表情を浮かべている暁狼シャオランが佇んでいた。木々や彼自身に飛び散った赤い飛沫と肉片が、煌々とした月に照らされその凄惨さを鮮明に映し出す。


 "暁の餓狼"は、その血肉を浴びて狂ったように笑い出した。


 彼の目の前で絶命している、ほんの少し前までひとの形をしていたモノは、もはや原型を留めていなかった。紅玉ホンユーはただその姿を悲し気に見つめ、自分の無力さを思い知る。



 そしてなにかを決意したかのように、血に濡れ笑っている暁狼シャオランの方へと一歩踏み出した。



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