第10話 ボロボロのマシンから世界制覇を誓う

 昭和29年4月。2月に行われたサンパウロ市政400周年レースが終わった後、一か月の船旅を経てマシンが帰って来た。宇品港から陸揚げされ本社に戻って来たマシンは文字通りボロボロになっており、既に紗代やメカニックから報告は聞いていたものの、改めて見分すると技術陣は激しい衝撃を受けた。




 これまでは問題も起きなかったものの、初めての本格的な国際規格のサーキットで走った結果、国内では考えられなかったハイスピードやハードコーナリングに曝されたことで次々と問題が顕在化したのである。


 


 フレームはあちこち曲がっており、一部は溶接が剥がれ破損、未体験のハイスピードでいつも以上に深いバンクを敢行したためマフラーも擦れて摩耗し、フロントサスのテレスコフォークは明らかに剛性が不足しており緩い弓なりを描いて曲がっていた。


 今回のレースに参加するに及んで以前輸入したマシンを参考に取り付けたディスクブレーキはサスと同様ヘタり、ワイヤーホイールもスポークが曲がっているのが確認できた。


 この中で持ち堪えたのは唯一海外製のダンロップタイヤだけという有様。


 


 これでマン島及びGP制覇というのは、目標としては無謀過ぎたのではないのか!?誰もがそう思いたくなる程にマシンの惨状は技術陣を打ちのめした。


「もしかして、オレたちってトンデモな世界に足を踏み入れちまったんじゃないのか!?」


「だよな。たった一戦、80キロ走っただけでこの有様だもんな」


「国内では度々外車や進駐軍相手にして勝つこともあるのに、世界は凄すぎるよ」


「紗代ちゃん、よくこんなボロボロのマシンを完走まで持っていったよな。これだともう一周続いてたら命だって危ない」


 たった1レース出場しただけでこんな有様に、技術陣が大いに凹むのも無理はない。それ程までにショックだった訳で。


 技術陣は、一気にどん底へと突き落とされた気分だった。自分たちのやって来たことは一体何だったのかと。何故なら国内で時折外車に勝利していたこともあったため、エントリー前は若干ながら自信もあったので。


 しかし、世界のレベルは想像を遥かに超えていた。この時、世界のトップレベルは雲の上の世界だったのである。


 


 と、そこへ久恵夫人が現れた。


「いいえ、寧ろ大収穫よ。我々にとって、一体何が足りないのかを実戦で知ったんですもの。世界を目指すなら、このくらいで凹んでいる訳にはいかないわ。それに、現在トップに君臨しているメーカーだって、決して理解不能のことをしている訳ではないんですもの。我々だって世界を制することは不可能ではないわ」


「久恵さんは、これでも尚、可能性があると信じているのですか?」


 技術陣に対してじっと見据えながら無言で首肯する久恵夫人。そして相好を崩し豪快に笑いながら言い放った。


「このくらいのことで凹んでてどうすんの。今は世界のトップに君臨してるメーカーだって、失敗なんて山のように経験してるに違いないわ。これではダメだということが分かっただけでも儲けものじゃない。もっともっと思う存分失敗を繰り返す意気込みで行きましょう」


 久恵夫人は続ける。


「ねえ、この音が聞こえないかしら?」


 言われるまま耳を澄ませると、聞こえるのは工事現場の騒がしい音。


「これは太田川放水路の工事の音よ。これまで色々問題があって進まなかった工事が、漸く本格化するの。それに、広島は全国で最も復興が遅れている中、皆誰もが必死なのに、我々がこの程度で諦める訳にはいかない」


 


 それだけではなかった。久恵夫人は、あるものを見せた。それは、何かが山積みになっている段ボールである。その正体は手紙であった。


 手紙を一つ一つ読んでいるだけで、熱いものがこみあげてくる。


「我々のマン島制覇宣言が、世間から白い目で見られているのは知ってるわよね。でも、その一方で我々を応援してくれる人がこんなにもいるのよ。それでも諦められるかしら?」


 久恵夫人にそう言われ、奮い立つ技術陣。そうだ、もう一度やり直そう。現に、広島だって今ではすっかり焼け跡に新たな街が形成されているのに、自分たちが凹んでる訳にはいかないと。




 この年、久恵夫人が思いを重ねた、後に広島の風景を一変させることになる太田川放水路の工事が漸く本格化することになる。既に戦前から計画は始まってはいたが、戦争による予算縮小もあって工事は殆ど進捗せず、戦後もバラックが工事予定地を占拠したり様々な反対運動(何しろ良漁場や横川商店街の一部、更にかなりの田畑を埋めなければならなかった)によって工事が度々ストップしていた。


 それまで広島は大雨の度に市内が広範囲にわたって水浸しとなっており、治水は戦国大名毛利家がこの地を治めて以来の悲願でもあった。それが漸く実現の運びとなる。


 宍戸重工も無関係ではなく、工場は沿岸部に建設せざるをえなかったせいもあってそれを見越して建設していたので他の場所よりはマシだったとはいえ、しばしば床下浸水に悩まされていた。


 主な工事内容は、細い所で僅か3m程度しかない河川を長さ9キロに渡って幅50m、河川敷を含め幅150mまで拡幅し、更に調整用の水門を二か所に設ける大工事である。


 尚、太田川放水路が通水を開始し、広島市が大雨の恐怖から解放されるのはそれから11年後であり、完成は更にその2年後のこと。その後も改良工事が続けられ、堤防の土手が舗装されたりと細かな更新が行われている。




 ボロボロになったマシンを前に、誰もが改めて世界制覇を誓った。そして、SSDを象徴するカラーリングが決まったのもこの直後である。鮮やかな赤に青と白のライン。それは、青く澄んだ空を駆け抜けていくかのような、紅い疾風伝説の始まりでもあった。更に、不死鳥を意匠化したエンブレムが採用されることも決まった。

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