第19話 世界の成り立ちと情勢

 音もなく背後に現れたのは、短い角の生えた幼女だった。


 見た目年齢的にはアイサに近いだろうか。ただ一本の杭を通したような佇まいや、妙齢の雰囲気などはアイサには到底出せるものではない。


 元峰が居た世界で言う「和服」を着た白髪の淡く儚く、水どころか空気にも溶けてしまうような印象を受けるその少女はフィリエリスを前にして深くお辞儀をした。


「儂はフウカと申すものじゃ。龍の巫女をしておりまする」


「ロリババアだ」


 咄嗟にそう口に出してしまった。

 そもそもババアかはまだわからない。……ロリかすらもわからない。

 困惑するフィリエリスの隣で、マユナが小さく教えてくれる。


「フウカ様は亜人会の棟梁です。少なくとも、私が幼児のころから見た目は変わっておりません」


「やっぱりロリババアじゃねーか」


「はて、ろりばばあとは? 婆ならわかりますが、ろりとは……ううむ、人の世の移ろいにはついていけぬ」


「安心してください棟梁。私もさっぱりわかりません」


 ロリババ……フウカは咳払いをして、フィリエリスに向かってお辞儀をする。


「フィリエリス・バーラエル様じゃな。マユナから聞いておる。なんでも三百年ぶりの大神様じゃとな」


「大神様かは知らんが、人狼なら俺だ」


 長く先の見えない廊下に立つフウカを怪しみつつ、フィリエリスは威嚇気味の声を出す。


「そう、警戒なされずとも、儂に貴方様を害する気はごさいません」


「……敵意は感じないが、五感に頼ってばかりだと足元を掬われると教わったばかりでな」


「では、なんとしようか。契約でも結ぶかのう」


 フィリエリスの腹を見透かすように、フウカは目を細め、小さい口で言葉を紡ぐ。些細な言葉一つ一つが沁み入り、鈴を転がしたような音が安らぐ。


 しかし、同時に洗脳でもされているような気持ち悪さがあった。

 幸いにもフィリエリスには精神体制と魔法無効がある。洗脳は効かないだろうが、現時点のフィリエリスはポテルシャルのまま戦っている未熟者だと自覚しなければならない。


「というか、ここは学院じゃないよな?」


 長い廊下が螺旋状に重なり、現代の建築技法じゃ不可能だなんて都市伝説が流布された聖ヨセフの螺旋階段を建物全体でやっている。支柱なく曲がりレールを導く廊下はやがて、生い茂る草木の丘に立った。


「ここはかつて大神様がおわした土地じゃった」


「……ガデラ」


 小さく呟く。

 辺り一帯は広大な森に覆われて、大昔に人の手が加わった形跡がかすかに残っているくらいだ。人の形跡が加わったらしい、木々が伐採された丘の上には祠のようなものが立っている。


「ガデラは大神様の名前じゃ。かつて人の世を混沌に陥れた災厄にして、我ら亜人からすれば神様でもありまする」


「強かったんだろ? 誰かに倒されたのか?」


「亜人と言えど、寿命には敵わぬ。百年は生きたとされておるがのぅ」


 フウカからそう告げられ、フィリエリスは肩を落とす。

 会ってみたいと思ったのは、フィリエリスの心を今なお焦がし続けるゲーマー魂か。或いは、孤独の寂しさを拗らせた結果だろうか。


「フウカ様」


「ワグよ。ご苦労じゃな」


 塔の入り口に犬の耳を残した男が立っていた。

 精悍な顔つきで、年齢は人間だと二十代くらいのまだ若い戦士だ。フウカの護衛だろうか。

 簡素な布地の服を着ているが、清潔感がある。身長は高くフィリエリスと同じくらい。180センチほどだろうか。


「そちらの御仁は? 亜人なのはわかりますが、匂いが濃い」


「……そんな臭いか?」


 フィリエリスは制服の胸ボタンを外し、匂いを嗅ぐ。

 マユナの持っていた香水に予備があるなら、ぜひ譲り受けてたいところだ。体臭を勝手に嗅がれるのはいい心地がしない。


「この方は大神様じゃ」


「お、大神様!? 本当に、本当なのでありますか!?」


 険しい顔をしていたワグナーは顔を破顔させ、執拗に訊ねてくる。

 熱に浮かれた子供のような仕草を戦士の面をした男がするものだから、フィリエリスも思わず面食らう。


「え、あー、マユナ……これは?」


「あ、えっと、言ったじゃん。亜人の中で人狼は崇められてるんだよ」


 ようやく実感する。

 メシアの再臨かのように湧き上がるワグナーは、フィリエリスこそが亜人を救ってくれると確信しているようだった。


「ああ、ようやく!! ようっやっと!! 我ら亜人の悲願がッ! これほど喜ばしい日は亜人族にとってない!!」


「これ、ワグ」


「む、むぐっ! ……っは!」


 口泡を飛ばして喚きたてるワグナーに、フウカは持っていた青水の香水を嗅がせる。

 すると、上下に激しく揺さぶられていたワグナーの瞳孔が定位置に戻り、はっと表情筋を固める。


「……気が動転してしまい、申し訳ありません。私はワーグナーと申します。お見知りおきを」

 

 額の汗を絹で拭い、深く深呼吸をして平静を取り戻すワグナーだが、フィリエリスはもう引ききった後なのでどう体裁を保とうとしても意味はない。


「大神様をこのような場所に留まらせておくなどこれ以上ない不敬! ささっどうぞこちらに」



◇◇◇



 遠くからだと小さいように見えただけで、祠は貴族の邸宅並に広かった。

 大黒柱に支えられた神殿のような入り口から奥に入ると、ちょうど一軒家くらいの広さの部屋があった。中央には長方形の机があり、フウカは置かれていたポットから湯呑みにお茶を注ぐ。


「粗茶じゃが」


「あ、どうも」


 懐かしい日本の緑茶を貰い、ついフィリエリスは恐縮してしまう。

 椅子の下には座布団が敷いてあり、懐かしい転生前の世界に思いわ馳せる。


「あれ、他の皆んなは……」


 誰もいない部屋を見渡して、マユナは疑問を溢す。

 口ぶりからして、いつもは他に何人かがここにいるみたいだ。


「学院じゃろうて。というかお主、まだ授業は終わっておらぬだろう」


「あ」


「お主は昔からせっかちなのがいかぬのう」


 マユナのせっかちな行動は昔からのようで、フウカは喉を鳴らして顎を引く。祖母と孫のような会話だが、外見的には子供と姉なのが理解をややこしくしている。

 

「マユナの他にも亜人会の人間が学院に通ってるのか?」


「敵を知るは内部から。学院には王国の手の内を把握させる使者を送っております」


「スパイってわけか。俺が聞いた話だと、亜人会は見境なく衛兵を襲うらしいが?」


「亜人会にも穏健派と過激派があります。棟梁である儂は中立派。王国とは表立って仲良くしつつも、過激派と同じく王国の制度を変えねばと画策しておるりまする。あくまで今のところは穏便にじゃが」


「……フウカ様、フィリエリスは田舎暮らしで知識に泥がついております。初めから教えて差し上げるべきかと」


「おい」


「……そうか。もう古い歴史じゃからのう。仕方ないわい」


 フウカはこほんと咳ばらいをして、昔話の準備に入る。年寄りの話は長い。


「……大昔、人々は魔法の力で文明を発展させた。魔法無しに旧時代の文明は語れぬ。今でも名前が残る高名な魔法使いが数多く輩出され、国の王も一番優秀な魔法使いが即位する習慣があったそうな。魔力の多さで人の位が決まり、魔法の才能で人生が決まる。そんな世界じゃった。魔法技術だけなら今よりも発展しておったという。儂も流石にその頃は生きていないため、伝聞ではあるのじゃが」


 英雄鬼譚のプロローグもたしかそんな話だった。

 魔法により発展した国。しかし魔法は劇物であり、国は腐敗した。


「そんな人間国家も、一匹の亜人に負けたのだろう?」


「人狼には魔法が通じなかったもんじゃからな。どんな強力な魔法を開発しても、触れただけで霧散してしまう。神が人類の傲慢さに怒り生んだ魔法の天敵じゃった」


 人狼には魔法が通じない。

 フィリエリス固有の《パッシブスキル》ではなく、人狼固有の能力だったみたいだ。


「何十万の軍隊ってのも魔法使い中心だったのか?」


「というよりも、魔法使いしかおらなんだ。雑兵をどれだけ束ねようと一人の優秀な魔法使いには敵わない。それが当時の価値観であったからのう」


「そりゃ、軍勢を揃えても勝てるはずねーな」


 魔法無効のギミックを有する相手に、魔法特化ビルドで挑むなど自殺志願もいいところだ。


「ああ。大敗した人類はようやく魔法という幻想から解き放たれ、魔法に依らぬ武芸、技術の開発に勤しみ、ついには人狼の死後、人類は亜人を絶滅させた。そうやってあらゆる手段に手を伸ばし、力を注いだからこそ『聖人』と呼ばれる存在も生まれたのじゃ」


「質問なんだが、そもそも聖人とはなんぞや?」


「え、フィリエリス、それ本気で言ってるの?」


 無知なフィリエリスにマユナはため息を吐く。

 一応は貴族の端くれであるフィリエリスにも専属の家庭教師がついたりしたことがあったが、不真面目と勉強嫌いが合わさって一般教養すら身に付いていない。


「これ、マユナ。大神様になんたる口を」


「クラスメイトに畏まられても困る。それより話の続きであるが、『聖人』の他にも『聖女』ってのもいるのだろう?」


 フィリエリスの問いに、フウカはさらさらとした軽い髪を揺らした。


「聖人とは簡潔に、単独で国を滅ぼる存在じゃな」


「その定義は?」


「国家が『聖人』と認めること。それ以上でもそれ以下でもない。……聖人は国家のあらゆる法に縛られない存在であると同時に、国家への干渉が禁じられている。魔王や災厄など人類の危機にのみ対処する存在じゃ」


「よくある勇者みたいなもんか。アディアスとはまた違うな」


「アディアス?」


「ああ、悪魔だ。記憶喪失で白い髪の主人公っぽい少年を見かけたら注意しろ」


「大神様がそこまで警戒される存在とは……我らもアディアスの名を気に留めておこう」


 アディアスという名前は亜人会も把握していなかった。

 記憶喪失、白髪。目立つ特徴は揃えているのに、一向に見つかる気配がない。ほうっておくと強大化する相手なだけに、いち早く見つけたいのだが、なかなか上手くいかない。


「さて、話が逸れたな。聖人は人並みを遥かに超越した才覚と尋常ならざる努力を何年も積み重ねてようやく至れる極致じゃ。だが、聖女はこれまた勝手が違う」


「聖人の方は男で、聖女の方は女かなんて単純な話じゃないみたいだな」


「……『聖女』は生まれながら『聖女』じゃ。胎児の時から毎日何千何万もの信仰魔法を重ね掛け、教会の重鎮しか知らぬ秘匿された禁呪を使って無理やり人知を超えた存在へと至らしめる」


「……清廉な教会のやることかよ」


 幼い体に魔法の負荷をかけるとか、長生きできない上に、生きている間はさぞかし苦しむことだろう。


「大神様がどんな教会を見てきたかは存ぜぬが、『聖女信仰教会』とはそういうところよ。人の世の安寧のために個人を犠牲にする。そういう信条があるのじゃ。儂らには到底理解できぬがのう」


 フウカは湯気が立つ茶を啜り、ふうと熱い息を吐く。

 フィリエリスにも、理解できぬ信仰だった。

 信仰自体は自由だと思うが、『聖女信仰教会』がやっていることは単なる信仰の域を超えている。


「なんとなくこの世界についてわかった。シナリオの整合性をとるために細かい設定が追加されてる感じだな。まさにリメイク版」


「ふうむ、りめいく版とはよくわからぬが、大神様のお役に立てましたのなら幸いじゃ」


 フウカは目を細めて喜色をあらわにする。

 この世界の成り立ちの大凡は把握できた。


 三百年前に起こった亜人と人間の戦争により人間は国家を築き上げ、大規模な軍をもって亜人の絶滅を試みたが、人類の武器である魔法が通用しない人狼が出現。人類は大敗。


 だが、人類の成長と、人狼が天寿を迎えたことで、人類側が圧倒的な優勢を得て亜人を絶滅させた。

 そうして敵がいなくなった人類は同族間で争うようになり、やがては『魔王』や『聖女信仰教会』が台頭するようになった。


「……それで、亜人会が俺に要求することはなんだ? そもそもの確認だが、入学式でハインドラ殿下を襲ったのは亜人会の手先か?」


 つい話し込んで乾いた口を、茶を飲んで流す。

 久しく使っていなかった頭で沢山の情報を取り込んだものだから頭が痛い。


「いや、学院を襲った人間は少なくとも儂らではない。学院に在籍しておるのは儂と同じ中立派の人間しかおらぬからのう」


「……そうか、疑って悪かったな」


「——大神様」


「なんだ?」


「どうか、どうか、我らの御神体となり、我らを率いてくだされ」


「断る」


「……理由を伺っても?」


「俺は外部の人間だ。お前たちの怒りは分からん。だから同調はしてやれない。……亜人会と言ったか。お前たちは虐げられてきた者たちが結託して生まれたものだろう。俺は少なくとも対外的には人間として育てられた」


 フィリエリスは貴族として育てられた。

 亜人の中だと恵まれた環境にあったと言える。


「俺は、俺の信条によって好きに暴れる。そこに亜人差別を持ち込む気はない。しいて理由を付けるとしたら俺が強いからだ」


 フウカはぽかーんと小さな口と目を開く。

 マユナは「ですよねー」と苦笑いをした。


 だが、これはフィリエリスの本心ではない。

 フィリエリスの目的は主人公を殺すことだが、言っても伝わらないであらう。だから今はそういうことにしておいた。


「存外、食えぬ御方じゃ」


 フウカがようやっと喉から出た言葉が、フィリエリスを的確に捉えていた。









—————————



説明が長くなって申し訳ありません。

次回からは物語が動きます。

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