第13話 メルの決断
フィリエリスが言うように、メルは王国の諜報機関に所属していた。
しかし、それはかつての話である。
「メル拷問官! 今度はどんな魔法を使用したんですか!? 捕虜が突然爆発して……っ!」
「あー、あの人ですか。たしか前に作った人体に未知のエラーを起こさせ続ける魔法の応用で……」
「あれは禁術指定されましたよ! いい加減にヤバい魔法を思いつきで作る癖をどうにかしてください!」
メルは諜報機関『第七室』の中でも、問題児だった。
人体干渉系統の魔法においては、宮廷魔導師ですら右に並ぶことも許されないという稀代の天才。そもそも彼女は生まれから歪だった。
メルは孤児として生まれ、暗殺者を養成する国家内部の組織で六年間もの間、人を殺す術を教えられた。道徳なんてものは教えられない。王国にとって都合いい道具を育てる上で不要なものだからだ。
しかし、メルの教育においては、それが仇となった。
「メル拷問官を王都に起き続けるのは危険では? わずか九歳であれですよ? このままだと彼女は『魔王』よりも先に人間を滅ぼしかねません」
「ううむ。だが、奴を野放しにするのも危険だ。あやつが何をするかわからん」
「……この前、彼女の同僚が『口から延々と虹色の吐瀉物を吐き続ける魔法』をかけられてました」
「……人間として死ねるだけ僥倖か」
「ええ……彼女と敵対して楽に死ねたらもう奇跡です」
もともと暗殺者養成機関ですらメルを扱いきれず、飛び級で諜報機関『第七室』に送られたのだったが、その諜報機関もメルという異質な存在を持て余すという結果になった。
◇◇◇
「お前のような子供が王国きっての拷問官か……信じられん。当家で抱えている拷問官ですら二十歳が最小年齢だぞ」
十歳の時、メルは地方にいる貴族の監視任務という名目で、バーラエル家に送られた。事実上の左遷だった。
王国中枢で働く人間の誰もが嫌がるはずだが、メルは大いに喜んだ。バーラエルは汚れ仕事を管轄する貴族。きっと自分に相応しい仕事にありつける、と。
メルの目論見通り、バーラエル家での生活はまさに至福の時だった。
拷問室で寝食を共にし、罪人の悲鳴が目覚まし時計であり、罪人が拷問に苦しむ姿を見るのがご飯のお供だった。
「……ハイルトン様、彼女は危なすぎるかと」
日夜拷問を楽しむメルに使用人は頭を悩ませている。
バーラエル家で雇っている腕利きの拷問官すら精神を病むような、エゲツない拷問を嬉々として行っいるのだ。
「……今月に入って、拷問官が辞職するのは五度目で、辞めた理由は共通して『あの子と一緒に仕事をするのは耐えられない』だそうです」
「ああ、クソッ! あの愚王め! 悪魔のようなガキをよこしおって!! 拷問官を集めるのがどれほど大変なのかわかっておるのか!?」
ハイルトンは執務室の机を叩いて、ストレスを灰皿にぶちまける。
メルの嬌声にも似た恍惚の声と罪人の悲鳴が地下室どころか屋敷中に響いていて、それがハイルトンの頭痛の種となっていた。
「……あの悪魔には拷問官を即刻やめさせる。そうすれば辞職した拷問官も戻ってくるだろう……まったく、屈強で悪質な拷問官が泣き言を言うなどどうなっておるのだ」
「しかし、拷問以外にとなると……」
執事長は片眼鏡を上げて、思案する。
メルは高級士官に相当する人材だが、まだ齢十歳だ。そんな子供に務まる仕事など屋敷ではそうない。
「メルにはフィリエリスの世話係を任せる。幼子の悲鳴など好きそうだろ?」
「よろしいのですか? 長男ですよ」
「……フィリエリスはどういうわけか獣の血を受け継いだらしい。畜生の耳と毛が生えておったわ」
「……誠にございますか?」
「ああ、まったくもって穢らわしい。フィリエリスを産んだ側室が獣と交わっていたのであろうな。すぐ殺してやったわ」
ハイルトンにとってはこれ以上ない屈辱だった。
穢らわしい女と肌を交えた憤りを抑えるには、その女と子を殺す以外になかった。
しかし、女はどこやもしらぬ地方の平民だから良いとして、子はバーラエル家の長男として生を受けてしまった。軽率に処分はできない。
「わかりました。すぐに伝えさせます」
「ああ、それと……いたぶるのは構わないが、なるべく殺すなとも伝えておけ」
「はい」
こうしてメルはまだ生まれたばかりの子供の世話係に抜擢された。
メルは当初、拷問官として仕事ができなくなるのを死ぬほど嫌がっていたのだが……
「ねーちゃ」
よちよちと二足歩行で歩いてくる無垢な子供は、死が匂いとして染みついたメルを怖がらなかった。
「か、かわ……な、なんですか、この生き物は!」
メルには幼いフィリエリスが天使のように思えた。
子供ながら大人に混じって仕事をこなしていたメルにとって、生まれたての子供と接するのは初めてのことであり、——幼子のあまりの可愛さにメロメロになったのだ。
「めるよ、なぜごーもんとやらは悪いやつを長く生かしておくのだ? 早く殺したほうがよいのではないか?」
「フィリエリスさまは賢いですね。良い着眼点です。実は人はじわじわと苦しめたほうが楽しいんですよ」
「そうなのか? めるは物知りだな!」
「なんでも聞いてくださいね」
メルはフィリエリスを我が子のように可愛がった。
家中では誰もが亜人の血を引くフィリエリスを疎んだが、メルだけは違った。メルはフィリエリスに尽くし続けた。
ゲームでは最終的にフィリエリスを裏切ったメルだが、それは彼女にとっても苦渋の決断だった。
あの時点でフィリエリスは詰んでいたのだ。主人公に殺されなくても、人狼の力を恐れた国家の加圧により、いずれは暗殺されていただろう。
そんな折に、メルは主人公に交渉を持ちかけられた。裏切る代わり、本来は骨片すら残さないように抹消されるフィリエリスの死体を譲り渡すと。
人を虐め抜くのが大好きなメルであるが、死体愛好家の趣味はない。それでも愛する人であれば別だ。
なによりも死体があれば、蘇生も可能である。
◇◇◇
「私はフィリエリス様についていきます」
メルは僅かな逡巡すらも見せずにキッパリと答えた。
迷いの片鱗すらない答えに、問うた側のフィリエリスが瞠目する。
「王国を裏切ることになるぞ」
「承知しております」
「そ、そうか……」
フィリエリスにしてみれば、予想外の展開だった。
しかし、メルにしてみれば十年以上も昔から心に誓っていたことだ。フィリエリスをなによりも優先する。国なんかどうだっていい。
そもそもメルは愛国者として育てられた経緯があるが、数々の部署を転々とするうちに国家の本質に気づきはじめた。
エルドラ王国はアイサが教えられたような立派な国ではない、数々の部族集落の人間を虐殺し、奪った蛮族国家である。
「まさか、メルがこんなにあっけなく仲間になってくれるとはな……逆に驚いたぞ」
「おや、私はいつでもフィリエリス様一筋ですよ」
「そういうのも演技だと勘ぐっていたが、盛大に勘違いをしたのは俺か」
「もう、酷い話です。十四年も前のことを引っ張り出されて、お前は諜報員だなんて言うなんて」
「いやだって、バーラエル家は国王に不審がられているし」
「——不審がられている、というより立場の問題でしょうね」
メルはフィリエリスの嚙み砕いた解釈の誤りを指摘した。
「バーラエル家にかぎらず、多くの男爵家は罪人の管理を業務としています。主に○○出身の△△が聖人歴□□年にこんな罪を犯しましたという正確な記録を公の文書にまとめることですね。他には重大な情報を抱えている者を拷問するなども一部請け負っているのが現状ですね」
「こう言われると、男爵家ばかりに嫌な仕事を押し付けられているな」
「ええ。同時に、重大な仕事でもあります」
「そうであろうな。これじゃあ、男爵家に裏金が集まるんじゃないか? 金を渡すから罪をなかったことにしてくれって」
罪人の情報を記載する仕事は汚れた仕事であり、汚れを生む仕事でもある。
個人が警察をやっているようなものだ。法律はあれど、これじゃあ男爵家が好き放題できてしまう。
「その為の貴族派閥です。貴族は互いに監視し合っています」
「だが、それだけでは足りぬだろう」
英雄鬼譚では貴族派閥が生まれたせいで急速に王政は衰退していった。
この世界ではそうはなっていないみたいだが、それが不思議でならない。
「第二に、王都警備隊のおかげでしょう。彼らは王都の治安を守り、貴族が悪事を働いていないかを探っています」
「そういえば、タージマル侯爵はその王都警備隊とやらに殺されたのであったな」
「タージマル侯爵は他国と内通し、国家反目の準備をしていたようですね」
王都警備隊が未然に内乱を防いでいたわけだ。
フィリエリスが今いるこの世界は、王都警備隊の存在によって大きく歴史が変わってしまったものらしい。
「王都警備隊とやらはいつから存在している?」
「……私でもわかりません。侯爵の暗殺事件がきっかけで世にその名が知れ渡りましたが、それまでは国家内部の人間しかしらない秘匿組織だったのですよ」
「父上がピリピリしてるのは、王都警備隊の存在があるからか」
「バーラエル家もおそらくは監視対象ですからね」
どうやらこの世界は英雄鬼譚の世界よりもハードらしい。……悪役貴族にとっては。
「その点も加味し、やはりアイサは村に送り返したほうがよいかもしれませんね」
「であるな」
フィリエリスもそれには大いに同意する。
アイサは何も知らない子供だ。そんな子供を身勝手な悪役ムーブに付き合わせられない。
利用価値があるのなら、また別だとして。戦力的な意味でもアイサには期待できなかった。
「ところで、フィリエリス様はどうやって私が王国諜報機関の人間だと知ったのですか?」
ゲームのシナリオを見て知りましたとは言えない。
「……なに、父の会話を小耳に挟んだだけだ」
「フィリエリス様にしては鋭すぎるなと思いましたが、そういうことでしたか」
「おい、失礼だぞ」
まあ、気づけなかったのだが。
行きの詰まるような空気を脱却し、小一時間ほど馬車に揺られていると、見上げれば首が痛くなるほどの城壁に囲まれた壮観な都市が見えてくる。
エルドラ王国の王都。
フィリエリスがこれから挑むことになる敵が、大きな門口を開けて迫ってくる。
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