異世界平家物語 〜平家最強が異世界に転移し神殺しを成すようです〜
カツオなハヤさん
第1話 合戦の果てに
その日、空は黒に塗り潰された。
だがそれは、自然現象によるものでも超常の存在による奇跡でも無い。その場にいる二つの陣営、純然たる殺意を抱いた人の手によって為されていた。
目を細め観察すれば、それを引き起こしているものが矢であることに気付くだろう。細く、長い棒状の物が空を切り裂き飛翔しているのだ。余りにも細いそれは、子供でも容易く折れる程の脆弱性を持っているが、問題はそこではない。天を駆ける矢の数が尋常ではないのだ。 その数、実に万を超えている。だが、それを放っている者達にとっては関係無く、どうでも良いことだ。目の前にいる敵を滅ぼし尽くす事が叶うなら、彼等は嬉々として億の矢を射尽くすだろう。
ところで、
─曰く、最強。
─曰く、無敵。
─曰く、ただ一度も不覚を取ったことのない
─曰く、王城一の強弓精兵
その名を聞けば千の兵が震え上がり、その声を轟かせれば万の兵が脇目も振らずに逃げ出す。
正に天下無双、一騎当千と称するのが相応しいその者。その名は──
「能登殿!ここは撤退致しましょう!これ以上は船が持ちませぬ!」
「いや、もう遅い。この大渦は我らの軍を逃してはくれまいよ」
横から打ちつけてくる波飛沫を受けながら、数人の武者が荒れ狂う風にも負けぬよう、大きな声を張り上げながら話していた。その中に一人、取り分け頭一つ抜けた巨漢の男─能登殿と呼ばれた男は、目の前に浮かぶ八百を超す船を見やり、ほぞを噛む。能登殿、即ち能登守と称される人物なぞ平氏の名だたる猛将でもたった一人しかいない。
平教経、多くの平家の将の中でも随一の猛将と知られる男だ。猛攻を重ねる源氏の軍から軍としての均衡を保たせてきたのもこの男の手腕によるものだった。だが、それもまた崩れ落ちつつあるのが現状ではあった。
開門海峡、壇ノ浦。早鞆瀬戸とも称されるその場所は現在、大きく荒れていた。潮の流れが他よりも速く、尚且つ陸地が近く海峡そのものが狭い為荒れやすい環境ではあった。
海戦を得意とする平氏軍ではあったものの、逆巻く大渦を前にしては水辺に浮かぶ枯葉も同義であった。そして、それに乗じて続々と船に乗り込む坂東武者─源義経率いる軍勢が操舵手や漕ぎ手を狙っているのも拍車をかけている。仮に漕ぎ手を集め、陸地を目指そう─だがそうは問屋が卸さない。既に陸地は源氏軍の手中、上陸しようものなら大量の矢が降り注ぐ中、陸戦を得意とする奴等を突破しなければならない。
「不可能だな」
よって、教経は判断する。平家最強、随一の猛将として知られる彼の経験と勘からそう判断する。だがそれは自分では行えない、ということではない。彼や、彼が率いる軍勢は正に一人一人が一騎当千と称するに相応しい実力を兼ね備えている。高々数千の坂東武者、文字通り蹴散らして撤退することは可能だろう。だが、彼には守るべき存在が居た。言仁─後の世においては安徳天皇と呼ばれる、幼き帝だ。数え年で僅か8歳の幼児を、傷一つつけずにあの軍勢を突破せよ?すなわち、皆殺し以外に他は無い。
そんなことをすれば、まず間違いなく軍は瓦解する。体力は消耗し、矢も尽き掛けている以上そんな真似は出来やしない。撤退の道はない、ならば教経が取るべき道はただ一つだけだった。
「義経の首、獲りに行く。俺と共に死ぬ覚悟のある者は着いてこいッ!!!」
総大将、源九郎判官義経の首を獲る。それを以て源氏軍の士気を落とし完膚なきまでに叩き潰す、それが叶わずとも撤退の隙を作る。そう決断した教経の指示に、部下達は「「「応ッ!!!」」」と答える。だがそれは、正に死出の旅路に皆で向かうようなものであった。だが、六年もの年月を経て結びついたその絆はその程度で千切れる道理は無い。
「よし、行くぞ。必ずや義経の首、俺が獲るッ!!!」
その声を端緒とし、教経軍が荒れる海を物ともせずに源氏軍に向け突き進む─その刹那。
「ぎゃっ」
小さな悲鳴が、ヒュンという風鳴り音と共に船上に響き渡る。教経は、小さく音の出所を一瞥する。そこには一本の矢が、先程まで共に戦意を昂らせていた戦友の脳天を貫いていたのだ。
「なっ…一体誰が!?」
「落ち着け!敵の船を探し、矢を射掛けろ!敵は遠く無いぞ!!」
動揺は即座に掻き消え、冷静さを取り戻した兵士達は放たれた矢の出所を探し出す。だが教経は、それを成した者を知っている。遠く離れた場所から、たった一人の、小さな小さな頭を狙う?そんなことが出来るのは、現在の源氏軍には存在しないだろう。尤も、十五年前に死んだ筈の、あの源為朝が今も生き残っていれば話は別だろうが…。
教経は背負っていた弓と矢を構える。鷹の薄黒羽、弓は滋藤。大将が背負うに相応しい品であったそれ、五人もの人手を用いて張った五人張りの剛弓を容易く引き絞り、狙いを定める。
「能登殿!?」
それは他の兵からすれば、奇行に見えたのだろう。数少ない矢を使い捨てるような行為、凶行を、まさか我らが将が行うのか。と慌てて静止しようとし、直後それをも止める。
教経の視線は狂気に呑まれていない。その瞳に湛えるは純然たる殺意。必ず殺すという誓いであった。その気迫に押され息を呑む者達の視線を受けながら、教経は集中を続け、狙いを定め、そして放つ。
五人張りの弓から放たれた、文字通り船舶すら撃沈し得る一矢は荒れる波をも穿ち貫き粉砕し、ただ一点に向け飛翔し──一刀の元に斬り伏せられた。
「はっはぁ!!流石は我が宿敵、よもやこの義経の居場所を狙うとはいや天晴れ天晴れ!」
そこに居たのは、人間であった。荒れ狂う波の上に立つ、ただ一人の人間だった。
「あ、あれはっ…」
「一体、いかなる妖術を…彼奴、海の上に立っているぞ…!」
最早足場など無い、仮にあったとしても人一人の体重を支えられるような物など無いにも関わらず、その人間─まるで少女のような、少年のような何とも言えない雰囲気を醸す武者はケラケラと笑いながらさも当然のように立っていた。
「その首、獲りに来たぞ…義経ェ!!」
「ああいいとも!僕も君が欲しいんだッ、教経ェェェェェッ!!!」
源義経、源氏が総大将源頼朝の弟にして、源平合戦における実質的な大将。幼少期に鞍馬の天狗より授けられた無数の妖術と、戦における天賦の才を発揮し瞬く間に平氏をここまで追い詰めた、教経にとっては唾棄すべき宿敵に他ならなかった。
義経からしても、教経は不倶戴天の敵であった。屋島の逆落とし、真にその一撃が成功していれば今この瞬間、この大戦は起こりえなかっただろう。それ程の奇襲を、目の前にいる男─教経は直ぐに反転攻勢を掛け、平氏軍の多くを撤退させることに成功したのだ。
よって、互いが互いを滅ぼし合うことに何ら異論は無い。目の前の敵を撃ち倒せば、それだけでこの戦の趨勢が決すると知っているから。よって──
「ではお見せしよう、鞍馬の大天狗より授けられた我が妖術をッ!」
まず動いたのは義経だった。僅か一息、ただそれだけで教経軍の船、その頭上に跳躍した。最早人智を超えたその技法に、呆気に取られる兵士達。だが、やはり、
「オオオオォォォォ!!!」
平家最強、その名を冠する教経は正に別格と言っていいだろう。義経の常識はずれの跳躍を、さも当然のようにしてくるだろうと信じていた彼は既に弓を引き絞り、狙いを定め終えていた。
「ッ!!!」
放たれる即死の一撃、義経の心の臓を狙ったそれが当たることは無かった。何も無い虚空を足場にして再度跳躍、教経の背後から強襲─腰に差した名刀・薄緑による神速の居合抜刀。だがそれすらも、
「シィッ!!!」
音すら置き去りにする突撃からの居相、まず常人どころか居並ぶ武人すら対応出来ないだろう。だが、ここにいるは天下無双。ただ当たり前に殺気を読み、奴の行う攻撃が行き着く先を勘と経験を以て答を弾き出し、その決断に命を託し迷わず止まらず行動に移す──言葉にすれば容易く、だが実行は不可能に等しいそれを教経は実行する。
薄緑が抜かれるその刹那、弓を捨てた教経は義経の腕を掴み、柔の技術を用いて剛腕を以て海に叩きつける。それもまた神速、余りにも無駄のない行動に対応出来るほど速度を抑えていなかった。
「が、ふ、ァァァァ!!!」
義経自身の神速と、教経の柔と剛腕。その三つが合わさって投げ飛ばされれば例え液体であろうと、一定の距離までは固体にも等しくなる。よって、固体と化した海の上を転がり…続け様に転がった反動を用いて再度空中に跳躍する。幾分か傷を負ったものの、昂る戦意は止まることを知らない。
「ああ、ああ!やっぱり君は…化け物だなぁ、教経ェ!」
「それはこちらの台詞だ、義経ェ!」
それは教経もまた同じ、これこそ戦の喜び。並び得る宿敵との死闘ほど心躍るものは存在し得ない。落とした弓を再度手に取り、義経に射掛けようとするが、
「能登殿ッ、敵船が近付いております!迎撃の命を!」
それは一つの声によって遮られた。見やれば、こちらに近づく無数の船舶がそこにはあった。ここからは将と将の一騎打ちでは無く、軍勢同士の熾烈な戦が開始する。
「全軍、こここそが平氏の未来を定める戦である!源氏の蛮族どもを蹴散らしてやれぃッ!!!」
「全軍、こここそが源氏の未来を定める戦である。平氏の貴族上がりどもを討ち滅ぼせッ!!!」
その始まりは、教経と義経の轟き渡る大号令であった。
互いが矢を射掛け、船に乗り込み斬り合う。突き落とし、沈め、息の根を止める。鮮血が噴き出ない場所など存在せず、容易く生者が死者となる。
そんな殺し合いの最中にも、ああやはり二人は、
「オオオオォォォォ!!!」
「ハアアアァァァァ!!!」
壮絶なまでの矢の撃ち合いを行っていた。正に矢の雨と称するに相応しい応酬は、傍目から見れば対極に位置するものであった。
教経は剛の弓。当たるどころか掠るだけでも致命になり得る一撃を連射し、源氏の船舶を次々と撃沈していく。
だがそれは、船を狙ったものでも無い。その船の上を駆ける義経を狙い、外れていった余波による損害であった。
一、二、三、四、五、六、七、八。都合八艘の船を犠牲にして逃げる義経。後の世に八艘跳びの伝説だが、それを語れる資格を持つ者の悉くが二人の殺し合いに巻き込まれていく。
一方、義経の方はと言うと力では無く技量と速度を重視した神速の弓。教経が一本を放つまでに義経は五本、二本放つまでに十本。放たれる矢の全てが教経の致命となる部位に向け放たれるも、しかし。
教経が放つ矢、大気をも斬り裂くその一矢が迫る矢の壁を吹き飛ばしているのだ。
回避され、矢が打ち砕かれる。周囲の兵士達─源氏も平氏も分け隔てなくその常識を逸脱した攻防に唖然とし、巻き込まれぬよう必死に耐え抜いていた。だが…
「ッ、矢が……!」
それは正に拮抗を打ち破る要素であった。教経の矢が尽きたのだ、それは先の船を沈め得る程の攻撃が今後放てなくなるというものであった。
「ああ全く…!」
だがそれは義経もまた同じであった。当然のことだろう、あれ程の矢を放ったのだ。例えそこらにいる無数の雑兵から矢を拝借したところで足りるものではない。
矢が尽きた二人、ではどうするか?答えは単純、決まっている。
「「オオオオォォォォ!!!!」」
教経は弓を捨て、腰に差した大太刀─行吉と背負っていた無銘の
英傑同士の激突、その衝撃は最早語るまでも無いだろう。ただ当たり前のように、周囲の兵士達は吹き飛ばされ海に落ちていく。その震源地では、二人による剣舞が死の嵐と化して顕現していた。
近付けば鋼の塊であろうと寸刻みにされる、そう思わせるかのような斬撃の応酬。その終焉は呆気ないものであった。
「そこッ!!」
「ごふっ…ぁ…!?」
教経の持つ
「義経様ッ!」
義経を庇ったのは、他の将や兵士とは異なる装い─僧侶の袈裟を纏った大男だった。並み居る兵をも上回る巨体の教経ですら、見上げなければその顔を覗けない程の巨漢であり、背には九百九十九の武装を背負っている者など、教経はたった一人しか知り得ない。
「武蔵坊ッ、貴様の主は俺に敗れた。さっさとその首を置いて逃げるが良いさ!」
「笑止千万!我が主はこうしてまだ生きておるわっ。仕留めきれなかった貴殿に渡す物など有りはせん!お前達、義経様をお守りするのだ!!」
巨漢─武蔵坊弁慶は気を失った義経を抱えつつも、周囲の源氏軍に向け指示を出す。だがそれは教経を激昂させるには十分であった。
「逃すと思うてか、武蔵坊弁慶!者ども、奴等を討ち取れいッ!!!」
「「「オオオオォォォォ!!!」」」
趨勢は徐々にだが、平氏の側に傾いていく。片や将は健在、片や撤退を開始している。この天秤の傾きを止められるものはいない、そう、思っていた。その声が響き渡るまで──
「の、能登守殿…!ご報告したい旨が…!」
「ええい何だ、何があったのだ!」
「言仁殿が…!入水されましたッ!!!」
指示を出し、己もまた刀を振るい敵を斬っていた教経に、息も絶え絶えになりながらも告げた言葉は戦を止めるに足るものであった。
「な、ぜ…入水など…っ」
「それが、既に他の軍団は敗走…!知盛殿を始め、時子様、資盛殿、有盛殿、行盛殿が既に入水っ、されました…!は、早くお逃げ下さいっ…!!」
その声を聞いた、多くの平家方の兵士達は戦闘を止めていた。負けた?何故?そういった疑問が彼らの脳裏を駆け巡るものの、
「平氏どもはもう終わりだ、奴らを刈り取れ!首を持って帰れば褒章が貰えるぞ!!!」
「教経の首を獲れば、それだけで褒章は思うがままだ!!」
源氏の兵士達による、
「に、逃げろ!早く!」
「逃げるたって、何処へ!?」
最早統制は存在しなかった、叫びながら逃げ惑う兵と逃さぬと吼える兵の乱痴気騒ぎの中、教経は茫然としていた。最早趨勢は決した、何をしても
「源氏の雑兵共ォォォォ!!!我が名は平能登守教経、勇気ある者あらば俺を生け取りにし、鎌倉へ連れて行くが良いッ!俺も、頼朝には一言物申したいことがあるのでな!!」
最期の最期まで、暴れるのみ。刀と大長刀を捨て去り、兜を脱ぎ捨てながら叫ぶ。武装の無い徒手空拳、だがそこに一切の油断の無く、並々ならぬ武威を有していた教経。そこに三つの人影が近付く。
「ならその首、俺が貰い受ける。我が名は安芸太郎!勇猛なりし能登守、その首頂くぞ!!」
「来いッ」
安芸太郎と名乗った大男と、名乗ることもなく功を挙げんとした二人の兵が教経に掴みかかる…その刹那─
「何だ、その程度…かッ!!!」
「ぐおぁっ!?」
掴み掛かろうとした男の一人の土手っ腹を蹴り飛ばし海に突き落とし、残る二人─一人は安芸太郎で─の首根っこを掴む。
「て、テメェ!!」
「はっ…なしやがれ…!」
もがく二人だが、教経の剛腕により無理やり押さえつけられているためか、押し除けることは叶わなかった。
「放しはせんよ、貴様ら…死出の旅路の供をせい」
「な、きさっ」
「やめっ」
その言葉を最後に、教経は掴んだ二人と共に海に飛び込む。甲冑を纏った教経が浮かぶことなどあり得ず、どんどん沈んでいく。呼吸をすることも出来ず、肺の中に海水が雪崩れ込み苦しみながらもがく二人を尻目に、教経は至って冷静に考える。
“これほどの戦、果たして我等平氏に勝ち目はあったのだろうか…”
驕り昂り、故に足元を掬われてしまった己が一族に対し、言いたいことは山ほどあった。だが、それはある種の自業自得というものだろう。
栄枯盛衰、盛者必衰の理。例え如何なる者であろうと、その繁栄を続けることは叶わないのだから。だが、教経は安堵する。少なくとも、あのいけすかない頼朝が率いる源氏もまた、平氏と同じように没落していくのが目に見えている。平氏がそうであり、源氏がそうでないことがある訳が無い。
だが、ああやはり。
“言仁様……ああ、何とお労しい…”
自らが忠義を尽くさんとした、あの幼児の命が奪われたのだ。子供ならば、よく笑いよく泣きよく遊ぶ。それがあるべき姿だろうに、意味のわからない政治闘争の為に産まれ、無意味な戦にその生涯の尽くを費やされ死んでしまった。もし、この世に仏…もしくは神がいるならば──
「貴様だけは、断じて許さん」
未来ある子供を、無意味に奪う世界を良しとするなら。必ずやこの手で殺してやる、尤も…今からあの世に赴くのだが……と半ばヤケクソじみた考えが過った、その瞬間。
『来た』
『来た?』
『因子が目覚めた』
『本当に?』
『目覚めた』
『⬛️⬛️⬛️年振りか?』
教経は、この世ならざる者を見た。
ソレは、一言で言い表すならば、龍だった。
だがソレは意味の分からない異形であり、訳が分からない程の神性を有していた。
異形の龍、と呼べばいいだろうか。全ての平氏軍…それどころか平氏と源氏、その全軍を以てしても打倒出来る気がしないその龍は、最早視界内に収まりきらない程の巨体は眼下に存在する、青と緑で構成された球体─教経はその概念を知らないが、俗に言う惑星である─を覆い尽くすかのようにとぐろを巻ける程。その巨体を覆うのは虹色に輝き、秒単位で彩が変化する荘厳な鱗であり、後頭部からは金色と銀色が入り混じった立髪は波打つかのように広がり、まるで夜明けと夕焼けが同時に来たかのような情景を思わせる。だが、教経が目を離せなかったのはそこでは無い。顔である。顔は見覚えのある龍のそれでは無く、まるで仮面のような人の顔を模した物であった。だが、そこにはあるべき筈の目や耳や鼻、口などは無い。幼い子供が作り上げたような歪さを有しており、気味が悪いという感情しか浮かばなかった。
何だこれは、こんなものが…仏とでも言うのか?そもそも俺は、海に沈んだ筈では?
混乱している教経の脳内に、先程と同じ声がする。その声の主はやはり目の前にいる異形の龍なのだろうか、そう考えた瞬間、
『目覚めた』
『起きた』
『迎え入れよう』
迎え入れる、その言葉が脳裏に響いた瞬間教経を襲っていた混乱は解消した。これは敵である、そう断じた。嫌な予感しかしない目の前の龍に対し、教経は手足をジタバタと動かす。何か、何か武器になるものを──!そう願った瞬間、教経は驚愕に包まれる。
─何故?
その原因は、いつも間にか手にしていた一張りの弓であむた。それは先の戦いで矢を切らし、船上に投げ捨てた滋藤の弓に他ならなかった。そして背後の矢筒には、鷹薄黒の矢が備えられていた。腰には刀が、大長刀、更には兜まで。
捨て去り、単身で海に飛び込んだ筈なのに、愛用していた武具の全てがそこにはあった。だがそれに驚いたのは教経だけでは無かった。
『まさか?』
『加護か?』
『何故?』
『どうする?』
異形の龍もまた、教経の武装を見やり驚嘆していた。その様を見て、「どうやらこいつも大したことはないな」と断じて、
「我が名は平能登守教経!貴様が如何なる仏かは知らないが、幼き我が主の命を救うこともせず見捨てたその咎、貴様の命で償わせてやろう!!!」
叫び、弓を引き絞る。狙うはその顔面、余りの巨大さ故に狙いをつけるのも容易い。粉々に打ち砕いてやると息巻く教経だったが、
『降そう』
『降そう』
『天に挑む者』
『お前に道を示そう』
『お前が何を成すか』
『お前が何を見出すか』
『如何なる理を以て天に仇なすか』
『その答えを見せろ』
『恭順せよ』
『反旗せよ』
『平伏せよ』
『叛逆せよ』
なんだこれは、なんだこいつは、何を言っている?
『
『
『赫怒は如何なる
『悲嘆は如何なる
コレの言っている意味が分からない。
『始まりより終点を』
『始点より終わりを』
『全ては定められている』
『それがこの
だが、分かったことが一つだけ。
「やかましいぞ、ああ分かった貴様ら仏では無いな。たらば藤原秀郷殿が撃ち殺せし大百足か何かか、ならば容易い俺が、この手で!!」
意識が切り替わる。もうあの目の前の敵が宣う言葉の数々は教経の行動を止める役には立ち得ない。
剛弓が唸りをあげ、天を斬り裂く一矢が放たれる。その寸前、
『墜ちろ』
その言葉が鳴り響いた瞬間、教経は言葉通りに、青と緑の球体目掛け、
「お?お、おおおおぉぉぉぉぉぉ!!?!?!?」
墜ちていく。墜ちていく。まるで無数の手が引っ張るかのような感触を感じながら、教経は頭上を─異形の龍を見上げ、叫ぶ。
「貴様だけは、絶対に…許さんからなぁぁぁぁ!!!!!」
そう叫びながら流星のように、輝き墜落していく教経を観察しながら異形の龍は、まるで胎児のように惑星を中心に丸まった。神に挑む、叛逆者達。あの者が呼び水にならんことを祈り、ただ
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