blossom’s period

doracre

#1 紫苑

 過去には、どうやっても戻れないのだと諦めていた。あの醜い過去に戻りたい。あの醜い結末を変えたい。

 こんな無理難題な願いごとは叶わないのだと……あのときまではそう思っていた。


「……んっ、もう朝か……」

 窓の外から、アブラゼミのやかましい鳴き声が聴こえてくる。

 夏真っ盛りの東京。デジタル時計は8月1日の8時を示していた。

「……さむっ」

 エアコン温度を下げ過ぎた昨夜の自分に後悔し、もぞもぞと起き上がる。起き上がった女性は白銀の短い髪をぼさぼさと掻き撫で、ぐーっと伸びをしながら、窓の外を見つめている。

 彼女は美莱ミライ。今年の10月で28歳になる。しがない会社のしがないOLだ。

「んー、今日は日曜日ぃ……」

 会社が休みなのをいいことに、二度寝をしようとする美莱。顔もだんだんほうけていき、心地よい眠りに再び包まれようと眼をぴたと閉じる。

「……あっ、忘れてた! 今日は……!」

 しかし、大事な用事を二度寝寸前のところで想い出し、勢いよく掛け布団を跳ね飛ばす。

「朝ごはんはいいや……!」

 朝食を取ることもせず、急いで洗面所に向かう。軽く顔を洗い、歯を磨き、薄くメイクを施す。時間にして、約十分の出来事である。

「早くしなきゃ」

 暑い暑い夏の休日。こんな日にどこへ向かうというのだろうか。

 そんな疑問すら持たずに、美莱は家の鍵や車のキーをまとめた鍵束を手に取り、落ち着きのない様子で玄関の扉を開けるのだった。




「ふぅ、着いた……」

 美莱が向かった先は、都心から遠く離れた地元の墓地。

 朝早くから自宅を出たのにも関わらず、現在の太陽ははるか真上に存在している。

「相変わらず暑いなあ、ここは。……あったあった」

 故人が眠る長方形の棹石の羅列を迷いなく進み、整地されていないゴロゴロとした石の道を通り、ある墓石の前で立ち止まった。その石には『上代家之墓』と刻まれている。

「……久しぶり、華來カコ。一年ぶりかな」

 その石に触れ、だれかの名前をつぶやく。おそらく、その石の下に眠る者へ告げているのだろう。

「ほんとはもっとたくさん会いたいけれど、今は忙しくてね。でも、今日はあなたの命日だから……」

 そう言って、石に触れている手を、今度は撫でるようにして動かす。まるで前にもそうしていたかのように、撫でる動きは手慣れている印象を受ける。

「最近、本当に暑いよね。待ってて。今、お水を汲んでくるから」

 名残惜しそうに手を離す美莱の表情は、どこか悲しく寂しげな雰囲気だ。


「ほら、お水だよ。涼しくなった?」

 墓石の頂上から水を優しく流す。そして、この墓地を管理する寺の住職に借りた純白の布巾で、丁寧に丁寧に汚れを拭き取る。こちらも慣れた手つきだ。

「ほら、お花も。本当は華來の好きな紫苑しおんがよかったけど、今は時期じゃないから……ごめんね」

 丁寧に掃除した花入れに、色彩豊かな百日草ジニアの花束を供える。初夏から晩秋まで長く花を咲かせる、キク科ヒャクニチソウ属の一年草である。地元の花屋で用意したようだ。

「……そろそろ、線香も上げなくちゃね」

 線香入れから、三本ほどの線香を取り出し、小さなライターで火をつける。線香に火がついたのを確認して、手であおいで消火する。辺りには線香の香りが立ち込め始めている。

 その線香を香炉に寝かせ、眼を閉じ、手を合わせた。

「…………」

 この石の下には、美莱にとって大切な人が眠っているのだろう。そう思えるのは、美莱が灼熱の太陽に晒されている中でも、ただひたすらに手を合わせているからだ。

「……うん。伝えたいことは伝えられた、かな」

 しゃがんでいた体勢を元に戻し、線香から立ち昇る煙を見つめている。

 その寂しさに満ちた表情は、なにを意味しているのだろうか。

「……あれから、もう十年も経つのか……」

 ぼそりとつぶやいたその言葉。

 先ほどよりも眼を伏せ、より悲しみに暮れているようだ。

「……帰ろう」

 ある種、諦めのような意味が込められたような言葉を吐き、踵を返して墓石から立ち去る美莱。

 ……しかし、数歩進んだところで立ち止まり、また振り返る。先と同じように、宙をさまよう線香の煙を見つめている。

「華來……あのとき、私が助けられていたなら…………」

 ザッザッと脚元の石を鳴らしながら、再びその墓石の前に立つ。その表情は、今にも泣き出してしまいそうなほど儚い。

 すると、だれかと目線を合わせるようにしゃがみ込む。そして、また墓石を撫でた。

「あのとき、私が……あんなこと言わなければ…………」

 敷石の上にのみ、ぽつぽつと小さな雨が降る。眼の端から雨を降らせる美莱。

「私がいっしょにいたら、きっと華來は死ななかった……ごめんね、ごめん…………」

 体勢を崩し、だれかに対して謝り続ける美莱。

 敷石の上に膝で立ち、せきを切ったように大粒の涙を流している。大きな涙は美莱の頬に線を綴り落ちて、やがて敷石の上に小さな水たまりを築き上げた。

「……うう、うぅぅ…………」

 小さく呻きながら、身を丸くする美莱。

「あのときに、もどりたい……かこのいた、むかしに…………」

 うわごとのような願いを発している。

 過去には戻れないことなど、美莱が一番よくわかっていた。だとしても、願わずにはいられなかったのだ。

「かこ、かこ……かこっ…………」

 そうして、美莱はうずくまる。泣き腫らした赤い眼から滴り落ちる塩の波は未だに止まらない。

「……かこ、うぅ…………」

 声を上げて泣いていた美莱の動きが、徐々に緩慢になっていく。最近のハードワークの影響か、はたまた激しく泣いたことが原因か、美莱の眼はたしかに微睡んでいた。

「…………か、こ……」

 やがて、呼吸運動以外の動きが止まる。

 美莱は意識を手放す瞬間、だれかに抱きしめられるような感覚に陥っていた。




「……んっ、んんぅ……あれ、朝…………?」

 墓と墓に挟まれた空き地で、美莱は眼を覚ました。真上に照る太陽が美莱の姿をじっと見据えている。

「私、寝ちゃってたの……?」

 そうしていると、ある異変に気がつく。

「……あれ、なんで空き地に……?」

 美莱はおぼろげな記憶を頼りにして、ある事実に辿り着いた。

 美莱が眠りについた場所は、たしかにあの墓の敷石だったハズ。……なのにも関わらず、目が覚めたそこには墓碑の跡形もない。

「キミ!!」

「ひゃいっ!?」

 急に大きな声をかけられ、びっくりして顔を上げる。

 そこには、顔を見知った住職がいる。しかし、幾分か若返っている印象だ。

「こんなところで横になるなんて、キミはなにを考えているんだ! ここは亡くなった方々が眠る墓場なんだぞ!!」

「す、すみません!!」

 反射的に立ち上がり、深々と頭を下げる美莱。

 そこで、またもや異変に気がつく。

「……え、制服……?」

 その制服は、美莱がかつて通っていた高校のモノだった。実家の自室にしまっておいた制服だが、今日の美莱はまだ実家には戻っていない。

 家を出たときには制服はもちろん、会社のスーツだって着ていなかったハズだ。暑苦しくないラフな格好でここに来たハズなのに。

 加えて、先日切ったハズの短い銀髪は、長く美しい銀髪に変わっている。その上、背も少し縮んだ気さえする。

「まったく、なにを考えているんだか……」

「……あっ、あの」

「ん、なんだい?」

「こ、この墓地に『上代家之墓』って刻まれた墓石ってありませんか?」

 もしかしたら、別の場所で眠ってしまったのかもしれないと考えているようだ。もし、この仮説が本当ならば、また別の問題が浮かんでくるのだが。

「……いいや、ないな」

「えっ……?」

「どうかしたのか?」

「い、いえ!」

 立てた仮説とはまったく違う、正反対の回答が美莱の胸を突き刺す。

 やはり、なにかがおかしい。

 墓の前で眠ってしまったハズなのに、起きたらその墓は消えていたこと。なぜか若返った、先ほどまで老けていたハズの住職。そして、実家に置いてあるハズの、かつて通っていた高校の制服を着ている自分。


 ……まさか、自分は──

「と、とりあえず……帰ろう……」

 また怒鳴られるのも勘弁だと思い、急いで実家に向かう美莱であった。




「……なにもかも変わってる」

 高校に通っていた頃の情景と同然の景色に、美莱は激しく混乱していた。

 例の墓場では墓石の数が減っていたし、墓地の近くに建っていた一軒家のいくつかも田んぼに変わっている。

「……車もどこか行っちゃったし、どうしたものか……」

 乗ってきた車に持ってきていた鍵束や線香入れ、ライターにスマホまでも無くしていた。

 墓地から実家まではなかなかの距離があり、徒歩では一時間はかかるだろう。この炎天下の中、実家まで歩いていき、生き残れる自信がない様子だ。

「せめて、自転車……」

 そんな最中、後ろからチリンチリンと、まさに探していた自転車のベルをだれかが鳴らす。

「おやおや、そこのお嬢さん。お困りのようですねえ」

「えっ、その声……」

 その声に美莱は聴き覚えがあった。

「ふっふっふ、ご名答。キミの幼馴染、華來さまの参上なのだ〜」

「か、華來……本当に……?」

 美莱はふるふると震える。そして、華來と名乗る少女をじっと見据える。

 紫苑を想わせる淡い紫色のミディアムストレートヘアー。夏の太陽に照らされてもなお、美しい白を保つ艶肌。身にまとうのは、自分と同じ高校の刺繍エンブレムが目立つ制服。

「な、なに? どうかしたの?」

「か、華來〜!!」

「え、ぎゃあっ! ちょっ、美莱っ、抱きつくなってばあ!」

「華來! 華來! 本当に華來だ〜!!」

「こ、こらっ、は〜な〜れ〜ろ〜!!」

 ガシガシと肩を押され、美莱はようやく抱きつきを止める。

 美莱が暴れたせいで、華來と呼ばれた少女は息を切らしている。いつのまにか倒れた自転車は、車輪を無意味に回らせていた。

「もう、なにすんの! というか、今日は火曜日だよ! まったくもう。学校をサボってんのを見つけたと思ったら、いきなり抱きついてくるとか、意味わかんないよ!」

「か、火曜日? ね、ねえ、今日って……?」

「はあ? 今日は7月26日!! 来月で学校も夏休みに入ると言うのに、美莱ってばせっかちすぎだよ。しかも、受験生が学校をサボりとか、なに考えてんのっ」

「ご、ごめん……」

 華來が教えた日にちは、なんと美莱が墓参りに来ていた8月1日から、丸々一週間も戻っていたのだ。しかも、それだけではない。

(死んだハズの華來が生きている……? これって、もしかしなくても……)

 私、タイムトリップしちゃったの……?


 SF漫画のような信じられない事象に、美莱の頭はキャパオーバー寸前でいた。

 タイムトリップなんて普通はあり得ない……。しかし、華來という少女の存在が、美莱にタイムトリップしたという事実を結論づけているようだ。

「……おーい、大丈夫か? 考えごと?」

「な、なんでも……。っていうか、華來は学校どうしたの? 火曜日なんでしょ?」

 まずは目の前の疑問を片付けるところからだ。そうして、キャパオーバーから抜け出す気らしい。

「え? 美莱のいない学校なんてつまんないし、抜けてきたの」

「……くふふっ。なーんだ。華來も人のこと言えないじゃん」

「まあね〜。……さあて、美莱さんには選択肢が二つ残されています。一つは二人で学校に戻る」

「もう一つは?」

「このまま、二人で学校をサボっちゃう。さあ美莱さん、どうするよ?」

 応えは決まっている。

 その表情には、少しいじわるな感情が見え隠れしている。先ほどの悲しく寂しげな雰囲気はなく、生き生きとした表情だ。

「……いっしょにサボろっ?」

「いーじゃんいーじゃん。流石は美莱。さあ、後ろに乗って」

「いいの? 乗っちゃって?」

「サボるのはいいのに、二人乗りはしたくないって? この〜、優等生ぶりやがって〜」

「ごめんごめん。では、失礼して」

「よし、しっかりつかまっててね。飛ばしはしないよっ」

「しないんかいっ」

 こんなやりとりを終えたあと、自転車はのろのろと前進を始める。たしかに飛ばしはしていない。

「……おっそいな〜」

「降ろすぞ」

「いやー、華來さんこわ〜い」

「まったくもう。……そうだ。暑いしアイス食べない?」

「食べる食べる〜」

「よーし、決まり。今日は華來さまが奢ってやろうじゃないか。感謝しろよ〜?」

「……えへへ、ありがとう。華來、やっぱり好き」

「『やっぱり』てなにさ」

 そんな会話を繰り広げながら、暑い暑い山裾の道を進む二人の少女。一人は長く美しい白銀の髪を、もう一人は甘くとろけるような薄紫色の髪をたなびかせている。

 自転車を漕ぐ華來の背中を見つめる美莱の表情は、感極まって泣いてしまいそうな心持ちを感じられるのだった。




「ふぃー、生き返る〜」

「アイスおいし〜」

 学校をサボった不真面目な二人組は、個人経営のぽつんと経った店先のベンチに並んでアイスを食べていた。淡い水色の清涼感があるソーダ味のアイスのようだ。

「でっないっかな〜」

「なにが〜?」

「アタリだよ、アタリ。今日はこんなに暑いしさ、アイスなんていくらでも食べれるっしょ」

「たしかに!」

「そうそう。アタリさえ出れば、同じ種類の別の味も選べるし、飽きが来ることもない神仕様よ」

「そりゃあいいね」

 美莱もアタリが出ることを願って、アイスを食べ進める。シャクシャクと小気味のいい音が辺りに響く。

「おっ」

 美莱が食べ進める隣で、華來が声を上げる。

 横を見れば、得意げな表情で棒を振る華來がいた。

「よっしゃ、アタリ〜。お店のおばあちゃーん、アタリ出たー」

「いいな〜」

 店の中に消えた華來を見て、美莱の食べ進める速度も少し速くなる。どうやら、意外と負けず嫌いのようだ。

「……くっ、アタリなし」

 がっくりと肩を落とす美莱。アタリが出ないのは仕方がないだろうに、華來に負けたことが悔しいようだ。

 仕方なく、店の中に消えた華來の様子を見に行くため、後を追って店の中に消える美莱だった。


「華來ー?」

「おっ、ちょうどいいところに。ところでアタリは?」

「残念ながら、ハズレで〜す」

「学校をサボったバツだな〜」

「あなたには言われたくないっ」

 くすくすと笑う華來へ悔し紛れに言葉を吐き、華來の隣に行く。

「どうしたの? アタリが出した、さぞかし徳がたか〜いであろう華來さまには、アイスを選ぶ権利があるんですよ〜?」

「おお、皮肉たっっぷりだねえ。ちょっとね、味が多くて困ってたんだよ」

「ふーん、どれどれ……」

 同じ種類のアイスには、先ほど食べたソーダ味の他、ラムネ味やコーラ味、メロンソーダ味などの炭酸系。ぶどう味やみかん味、いちご味やレモン味などのフルーツ系。

 主にこの二つの分類に分けられるようだ。

「メロンとメロンソーダって、なにが違うんだろ〜」

「しゅわしゅわするとか?」

「しゅわしゅわってなに〜? 言い方かわいいねえ?」

「華來はうるさいなあ」

 ちょっとした言い合いをしながら、あれがいいとか、これはないとか、味の談義を繰り広げている。

「んー、なんだこれ?」

「オムライス味だって」

「あははっ、変わり種すぎでしょ」

「ふふっ、へんなの〜。これにする?」

「食べられなかったらどうすんのさー」

「たしかに。……お、これなんかどう?」

「レモンスカッシュ味。めっちゃ美味そうじゃん! 美莱のセンス最高〜」

「お褒めに預かり光栄だね〜」

 約十分の長い談義を終え、やっと味が決まったようだ。

「おばーちゃん、これにするー」

「はいよ。……それにしても、学校を飛び出して遊び呆けるとは、悪い娘たちじゃのお」

「あっはは、よく言われるよー。まあ、今日はこっちのほうが悪いんだけどね」

「もう、華來ったら。華來だって、ノリノリだったじゃない」

「仲がいいようじゃのう。その関係、大切にするんじゃぞ」

 まるで孫を見守るような優しい眼で、二人を見据える店主のおばあちゃん。

「それってどういうこと?」

「どういうこともなにも、関係をしっかりと保つのが大切だということじゃよ。いつか離ればなれになったら、そのときは寂しいじゃろう? 寂しさに苛まれぬよう、想い出をたくさん作って、その寂しさを和らげる術を多く持つんじゃ。そうすれば、後悔することも少なくなるじゃろうて」

「……後悔…………」

 美莱は想い出した。美莱の現在……この世界では十年後の未来になることだが、そのときに苛まれていた華來を失ったことによる後悔を。

「おーい、どうした? 大丈夫?」

「えっ、あ、うん。大丈夫」

「……今日の美莱、なんだかへん。ゴキゲンかと思ったら、急にセンチメンタルっぽくなったり、その逆もあったり」

「な、なんでもないよ」

 一週間後、華來は死ぬ。そんな事実を本人に伝えられるほど、美莱のメンタルは強くない。

 美莱にとっての過去を……ここで言うなら、一週間後の未来が来ることに、美莱は不安に感じていたのだ。

 出来ることなら、ここで時間を止めてしまいたい。そうすれば、華來が死ぬこともない。過去に戻れた自分になら、時間を凍らせることだって可能なハズだと、美莱は考えていた。

「……後悔はなにも産まれん。だから、後悔せぬように生きることじゃ。そちらのお嬢さんは、そのために学校を休む選択をしたんじゃろう?」

「えっ……」

 おばあちゃんに心情は読まれているようだ。なんとも油断ならないおばあちゃんである。

「へえ、そうかそうか。私との想い出を手に入れたいがために、こんな悪いことに手を出したんだ〜? ははーん、さては美莱、私のこと好きすぎだな〜??」

「や、やめてよ、恥ずかしい……」

 顔を赤らめる美莱。

 その白銀の髪と白い肌では、赤い頬を隠すことはままならないだろう。

「ほっほっほ、若いというのはよいことじゃ。かく言うわしも昔は学校をよく抜け出したものじゃ」

「へえ。もしかしてカケオチ的な?」

「まあのう。好きな男といっしょに遊び呆けたんじゃよ。そんな彼も一年前に亡くなってしまったがの」

 そう言って、おばあちゃんは後ろの仏壇に顔を向ける。真新しい線香が煙を昇らせている。

「ここに仏壇があるってことは……」

「……一世一代の恋じゃった。それがまさか、ここまで続くとは想ってなかったがのぅ」

「アオハルだ……」

 華來がそうつぶやく。美莱の赤らめた顔もいつのまにか戻っていた。

 そこまで話に聴き入っていたようだ。

「ところでおまえさんたち。アイスは食べなくていいのかの?」

「えっ? ……あー、溶けてる!」

「あちゃ〜……」

「仕方あるまい。わしの話を聴いてくれた礼じゃ。もう一つ取っていきなさい」

「ありがとう、おばーちゃん!」

 もう一つのレモンスカッシュ味を手に取り、店を後にする二人だった。


「おばーちゃんの話、おもしろかったねえ」

「だね〜」

 田んぼのあぜ道を歩きながら、話を続ける二人。真上にあった太陽も西へと少し流れたようだ。

 自転車を押して歩く美莱と、アイスをゆっくり食べ進める華來。自転車のカゴには華來のスクールバッグの他に、溶けてしまったレモンスカッシュ味のアイスが無造作に置いてある。

「ねーねー、華來。私にもちょうだいよ」

「だーめ。これは私の」

「むぅ、だれが自転車を押してると思ってるのー」

「……わかったわかった。ここに自転車を捨てられたら困るし、しょうがないから一口だけね」

「やった♪」

「はい、あーん」

「あーむっ」

 シャクっと軽快な音を鳴らし、レモンスカッシュ味のアイスにかぶりつく美莱。

 一口と言えども、なかなかに大きな一口である。そのため、美莱の口の中では、レモンの甘く爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、小さな革命を起こしていた。

「なにこれ、おいしすぎ……」

「あっ、こらっ。食べ過ぎだよ! もう、せっかく楽しむために少しずつ食べてたのにぃ」

「……ね、もう一口」

「い〜やっ」

「お願い。先っぽだけ!」

「なんか言い方がえろいんですけど。イヤなもんはイヤなの」

「えっちに聴こえるのは華來のせい。それより、もうちょっとちょうだい!」

「腕を掴むなってば。ああもう……だれかーっ! 女に襲われるーっ! 助けてーっ!!」

「近くに民家なんてないよ。それよりも食べたいんだよ。レモンスカッシュ味……!」

「ひぃ、マジで襲われそう……。あげるから勘弁して!」

「やった!」

 華來から半ば強引に剥ぎ取ったレモンスカッシュ味。それを食べ進めようとした。……だが。

(な、なんか、食べにくいな……)

 食べにくいのは、なにもアイスが大きすぎるからではない。なら、なぜ食べにくいと感じたのか。その答えは単純だった。

(華來が食べたところ……。なんとなく、食べられない……)

 華來の発言によって、顔を赤らめるになった店での一件。先ほどの『えっち』や『襲われる』などの際どい発言をした一件。

 その二つが想い起こされ、美莱への抑止力になっているようだ。つまり、美莱は華來を必要以上に意識しているのだ。

「おーい、どうした? ……まさか、ほんとに私を襲いたくなったんじゃ……。こんなアイスいらないから、私と致そうっての? 私の純潔は渡さないぞ……!」

 隣では勝手に妄想を繰り広げ、無意味な自衛を始める華來。

 そんなことは露知らず、美莱はもんもんと考え込んでいる。

(……くぅ、どうしたものか。レモンスカッシュは食べたい。だけど……超気になる…………)

 ぐるぐると思考を回し、行き着いた答えとは……。

(……食べちゃえ!!)

 シャク、シャクシャク。

 意識しないように食べ進める美莱。しかし、意識しないようにと注意してる時点で、意識してないと言うにはいささか疑問である。

「……おいしい…………」

 またもや、口いっぱいに広がる甘味。

 意識しているせいで、先ほどよりは感じられないようだが、それでもレモンスカッシュ味とは偉大なようだ。薄く感じる味でも、甘く爽やかな酸味が全身に染み渡る。

「ほっ、よかった……」

 勝手な妄想を繰り広げた華來は、ようやく自衛を取り止める。元から無意味な自衛だったとは、おそらく気づいていない。

「まったく、私が引き当てたというのに。…….って、アタリじゃん!」

「え? ……ほんとだ!」

「もらいに行く?」

「……いや、ここに不注意で溶かしちゃったやつもあるし」

「まあ、そうだね。おもしろい話も聴けたし、このことは黙っておくか」

 おばあちゃんの経営も考えて、アタリの件は不問にするようだ。

「うん。さて、次はどこ行く?」

「……じゃあ、神社でも行かない? よく遊んでるあそこにさ」

「あー……いいね。行こっか」

 その瞬間、美莱はなぜか悲しげな顔をする。どうしたと言うのだろうか。

「よーし、じゃあ自転車貸して」

「……うん」

「さんきゅー。それじゃあ、後ろに乗って」

「乗ったよ」

「おっけー。しっかりつかまっててね。飛ばしはしないよっ」

「なんかデジャヴを感じる」

 太陽が真上にいた頃と同様のやりとりを繰り返し、またもや自転車で二人乗りを行う不真面目な二人組。華來が漕ぐ自転車もデジャヴのごとく、のろのろと前進している。

「……なんだか、速くない?」

「そうかなー」

「うん。きっと、そうだよ……」

「……どうかした? またセンチメンタってる?」

「ううん、本当に大丈夫。さ、早く行こう」

「まったく。早く行きたいのか、遅く行きたいのか、どっちなの?」

「んー、どっちでもない…………かな」

「はは、なにそれー」

「…………」

 しかし、ただ一つ、例のやりとりとは決定的に違うところがあった。美莱の表情が『上代家之墓』を前にしたときと同じモノだったのだ。

 その表情は、神社に行くことを拒んでいるかのような、怯えた気配をはらんでいた。




(来てしまった……。忌々しい、この場所に……)

 美莱はなにかに怯えていた。それとは裏腹に、華來はうきうきと言った表情だ。

「この裏の竹やぶ、懐かしー。昔さ、よくここを探検したよなー。妖怪やオバケが出そうって、二人とも怖がりながら進んだっけ」

「それ、ここに来るたびに言ってるじゃん」

「いいでしょ。想い出の地なんだからさ」

「想い出……そう、だね……」

 想い出を振り返る美莱の表情は、どう考えてもいい想い出を振り返ってはいない。華來が知り得ない、忌々しい想い出が隠されているとでも言うのだろうか。

「……大丈夫? 具合悪いの?? アイスの食べ過ぎでおなか痛い??」

「……いや、特になんにもないよ。それよりさ、お参りしていかない?」

「えー、5円玉ないんだけど」

「ご縁はなくても、幸せはあるでしょ?」

「ははっ、たしかに。それじゃあはい、10円玉」

「ありがと。それじゃあ、さっそく……」

 カランカランと10円玉を入れる二人。

 まずは二回会釈をし、二拝二礼二拍手を行い、最後にもう一度深く会釈をする。小さな神社で本坪鈴がないため、鈴を鳴らす行程はカットだ。

(……華來がこの神社で……殺されることがありませんように…………)

 美莱は覚えていた。

 華來が一週間後、この神社で亡くなることを。何者かに刺されて、生命いのちを奪われてしまったことを。

 その何者かは、美莱が生きていた現在に至っても、未だに見つかっていなかった。

「……ふぅ、美莱はなにを願ったの?」

「そういう華來は?」

「ふふ、『これからもずっと美莱といられますように』って」

「……本当?」

 その願いが一週間後には潰えるかもしれないことを、美莱は知っていた。

 そんな美莱は、華來の願いごとの内容があまりにもうれしくて、不意に泣き出してしまった。

「な、なに? 泣いてるの? 今日の美莱、センチメンタル過ぎ」

「ご、めんね。なんか、かん、きわまっちゃって……」

「ああ、もう。美莱の願いごとも聴きたかったのに」

「ぐす、ん……もう…………大丈夫」

「お、泣き止むの早くなったね。じゃあ、私に迷惑をかけたお詫びに、願いごとを吐いてもらおうかな?」

「わかった。……私は『このままずっと、幸せでいられたらいいのに』って願ったの」

 実際の願いごととは少し違う。しかし、美莱の願いごととの関連はある。美莱は上手く言い換えられたようだ。

「……大丈夫だよ。これまでもこれからも、ずっとずっと幸せに生きられるんだから」

「そう、だよね。なんか、ごめん。怖くなっちゃって……」

「よしよし。そうやって、悪い方向に考え込んじゃうところが美莱の悪いクセ。もっとさ、パーっとドンっと生きていこうよ。ね?」

「うん……ありがと…………」

 華來の純粋な願いごとを聴いて、絶対に華來を救ってみせると、美莱は心に誓うのだった。




 太陽が西に傾き始めた黄昏時。二つの影が並んで歩いていた。

 一人は歩き、もう一人は自転車を押している。

「あ、ねえねえ。8月1日の花火大会、いっしょに行こうよ」

「花火大会……」

「そうそう。……もしかして、忘れてた?」

「……忘れるわけないよ」

 その言葉には、なにかに向けた怒りの意がはらんでいた。

 そう。その花火大会こそ……華來が殺された原因だからだ。

(花火大会のあの日、私たちは神社で花火を見ていた。そんな最中、ささいな言い合いで私たちはケンカをして……)

「……美莱? 大丈夫? なんか怖い顔してるけど……」

「……華來、そのことなんだけど…………」

 神社では見たくないと、美莱は宣言する。

「ど、どうして!? 昨日なんか、絶対に神社で見ようって言ってたのに!? 毎年、あそこで見る花火を楽しみにしてたじゃん!」

「……とにかく、神社はだめ。あそこは暗いし、なにが起こるかもわかんない」

「……やっぱり、今日の美莱はへん。まるで人が変わったみたい」

「お願い。あそこだけはだめ。絶対に」

「…………まあ、美莱がそう言うなら。言い分もめちゃくちゃってわけじゃないし、理には適ってる」

「……ありがとう。ごめんね」

「いいよ。幼馴染だし。美莱の無理難題には慣れてる」

 とりあえず、第一の問題は解決した。これで華來が殺される未来は少し遠のいた。

 ただ、問題なのは……。

(私が華來とケンカをしないこと。そして……)

 一週間後に華來を殺す犯人は、一体どこのだれなのか、だ。


 華來の余命まで、残り今日の夜中と丸々六日間。

 それまでになんとしてでも、華來の死の真相を突き止める。この身が滅ぼうとも必ず。


 《続》

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