第伍話 覚悟を決めて
ザポリージャ要塞に着いてから三時間程度で敵部隊は殲滅されたらしい。前例のない夜間戦闘に、主力級部隊の奇襲。ルカ達は念のため夜間警戒任務に当たることになり、ザポリージャ要塞に留まっていた。夜間警戒任務とはいっても起きていればいいだけで、主な監視はレーダーサイト任せだ。
損害は一個戦車中隊が消滅したのみであり、ザポリージャ要塞の基地機能自体に支障はない。だが、辺りは物々しい雰囲気で包まれている。夜間の戦闘など誰も覚悟していなかった中での夜間警戒任務、無理もないだろう。
それよりもルカは自分が何も出来なかったことを悔やまずにはいられなかった。結局あのあと気絶してしまい、目が覚めたら医務室のベッドの上にいたのだ。
起きてからは他の人達の顔を見るのが怖くてしょうがなかった。何も出来なかった自分を恨んではいないか、呆れていないか。色々と考えてしまう。
「はぁ......でもどうしたら......」
「どうかした?」
「うわぁ?!」
驚いて振り向けば、いつの間にかサーリヤが
「どうしたの? そんなに驚いて」
「あぁ、いえ別に何も......」
「そう......これ、補給班から。何か口にしておいた方がいいって」
「あ、ありがとうございます」
受け取ってよく見てみると、軽食中心の
正直、あまり食べる気にはなれない。
そんな落ち込み気味のルカをよそにサーリヤは
「......そういえば、リベレーターから伝言」
「リベレーター......あぁ、セルゲイさんから......」
「今後は夜襲を警戒して昼間と夜間の交代制になる。昼は眷属、夜は私が担当する」
「一人づつ、ですか」
「......不安?」
「いや......はい、まぁ、不安......です」
否定しようとも思ったが、サーリヤに睨まれたような気がして正直に告白する。
サーリヤは最後のビスケットを口へと放り込み、空の袋をゴミ箱へと投げ入れる。新しく支給された型落ちの軍服の上からボロ布が如きパラトカを羽織う。
「ついてきて」
「へ? ついてきてって、どこに行くんですか?」
「いいから、ついてきて」
有無を言わさず部屋を出ていくサーリヤを見て、ルカも慌てて部屋を出る。そうして宿舎を出れば、目の前に、左右に列を成す簡素な宿舎群が目に映る。電灯が明るく照らし、夜間警戒の歩哨が眠たそうに宿舎の前に佇んでいる。
ザポリージャ市街を分断するように流れるドニエプル川。そのど真ん中に位置する小島、ホールツィツャ島に建てられたザポリージャ要塞の司令部兼野営地だ。
川沿いは背の低いコンクリートの塀が敷かれ、その後ろに塹壕が掘られている。対岸と距離が近い場所には機甲部隊の通行も考慮した頑丈な橋が設けられ、島の要所要所にはミサイルの登場により姿を消したはずの一〇〇ミリ高射砲が対空砲陣地を構築している。
数多の火砲、精鋭、専属の機甲部隊。最低限の物資で最大限の力を発揮する、現代の陸上要塞だ。
困惑したままサーリヤの背中を追っていると、唐突にサーリヤが口を開く。
「眷属を鍛える。多分、明日にはまた各所で攻勢が始まる。だから、明日までに最低限力の使い方を教える」
「力の使い方......」
昨日の出来事を思い出して背筋が凍ってしまう。身体の中を
六角状の鋭利な鎖が湧き出る度に皮膚と肉を引き裂き血しぶきを上げる。いくら血を吹いても死ねず、引き裂かれる傍から肉体は再生を始めていく。延々と、新鮮な痛みが襲い掛かる。
出来ることなら、もう二度と体験したくはない。
「......どうしても、力を使いこなさないといけないんですか?」
「使いこなさなければ、勝てない。人間はあまりにも脆い。私と、眷属が戦わなければ、また負けてしまう」
「............」
いつも不気味なほど無表情で感情がまるで見えないサーリヤには珍しく、感情が、覚悟が滲んだ声だった。
確かに、ルカだって大切な人を守りたいからと、恩義に報いる為にと軍に志願した。だが、まだ子供でしかないルカにとって軍隊というのはプロパガンダで彩られた煌びやかな存在であり、誉れ高く国民を守る騎士であった。
そんな夢見がちのルカが目にした現実は泥臭い訓練、不味い
血肉で赤みがかった瓦礫の光景は、憎いことに今でも鮮明に思い出せてしまう。
目的の場所に着いたのかサーリヤが立ち止まる。顔を上げると、どうやらいつの間にか人の気配もほとんどない平野のど真ん中にいるようだった。
「......ここ、どこですか?」
「ザポリージャのすぐ近く。私がさっきまで戦ってた場所の手前辺りかな」
「ここが戦場......」
人工的な灯りは存在せず、月明かりだけが淡く照らす真夜中の平野。平野とは言えども草原のような緑は見えず、茶色い大地に灰が積もった荒野にしか見えない。
枯れ木が立ち並ぶ林の先は何やら霧がかっていて、一切先が見えない。
「なんだか、やけに霧がかってますね」
「ん? あぁ、あれは霧じゃないよ」
「霧じゃない?」
「そう。気になる?」
困惑しつつも頷くと、サーリヤはまた着いてきてと言って歩き出す。硬い地面を踏みしめながら林に入り、地面に落ちた小枝をパキパキと折りながら進む。薄暗い夜の枯れ木林はなんとも気味が悪い。少し恐怖を感じて歩調を速める。
暫く歩くと林を抜けてだだっ広い荒野に出た。いつの間にか地面は砂か塵のような何かで覆われていて、足を踏み出す度に小さい土埃が舞う。前方には白い霧が幾つも狼煙を上げて視界を遮っている。
一見するとただの霧にしか見えない。だが、なんだかジュースを煮出したような甘ったるい香りがして、かなり気持ち悪い。それに微かではあるが何かが焼ける音も聞こえる。
見てくれは霧だが、中身は別物なのが分かる。
「確かに、なんだか変ですね」
「まぁ、見てて」
サーリヤは枯れ木の一つに手をかけると、バリバリと音を立てながら根っこごと枯れ木を引き抜く。予備動作も力を込めた様子もなく自然に引き抜く姿に声を失う。
唖然としているルカを一瞥し、サーリヤは軽々しく枯れ木を霧の方へと投げ飛ばす。枯れ木は霧に触れた途端、激しく音を立てながら泡に包まれていく。
「有機物質を中心になんでも溶かせる猛毒のガス。
「こ、これ基地の方に流れてきたりしませんよね?」
「基本的には無い。ただ、これのせいで攻勢は難しい。死体の山ができるよりかはマシだけど」
それはそうと、とサーリヤが向き直る。
「訓練。力の使い方教えるから」
「うっ......ど、どうしてもですか?」
この期に及んでも未だに踏ん切りがつかず尻込みしていると、サーリヤの手が頬に触れる。驚いて後退りしようとすればサーリヤの鎖に身体を縛られ、動きが封じられてしまう。
困惑したまま数十秒ほど経ち、拘束が解かれる。
鎖を引き戻し、サーリヤはルカの目を真っ直ぐと見つめて言う。
「お爺ちゃんとお婆ちゃんを見殺しにしたい?」
「え............」
感情が一切籠っていない顔で、目で、事実を淡々と述べるような。不気味の谷に片足を突っ込んだ、人を真似ただけのような曖昧さに恐怖を覚える。
しかし、それ以上に──。
「何を言って......っていうかなんで知って──」
「記憶を少し見た」
現実味の無い回答に困惑を深める。
「それで、どうしたい? 見殺しにする? お爺ちゃんも、お婆ちゃんも」
「......そんなの、選べるわけないじゃないですか」
選べるわけがない、という言葉が示す意味が分からずにサーリヤは首をかしげる。勇気を出して示した意思表示を受け流されたことに、多少イラつきを覚えながらルカは口を開く。
「だから、訓練します! 力の使い方、教えてください」
サーリヤは僅かに目を見開く。その目は、どこか嬉しそうな雰囲気がしないでもない。
「分かった。じゃあ、これからもよろしく」
「......よろしくお願いします」
今更な気がする挨拶を交わし、ルカは覚悟を決める。祖父母だけでなく、他の皆も救えるように。ザポリージャの人達に、また顔向けできるよう、強くなろう。
<<>>
ピッピッと電子音が鳴り、周期的に山を作る心拍と血圧が表示された心電図。これの些細な変化を逃さずにエカテリーナは記録を取る。
「心拍が上がってる......場所を見るに戦ってるのかな、ルカ君」
心電図の隣に示されたGPS座標を地図と合わせながら頭を捻る。
「でも今日の試験運用はあの部隊だけだし......少し盗み見ちゃお」
カメラの電源を入れ、モニターに映像を写す。どうやらサーリヤと共に戦闘訓練をしている様子だ。
「へ~頑張ってるじゃん」
ニヤニヤとモニターを眺めていると、頭の中に理解できない声が響く。本能的な気持ち悪さを感じる声で、意味だけが脳裏に浮かび上がる。最初こそ酷い拒否反応を示したものだが、今では完全に慣れてしまった。
「ん? 首枷? バレてないバレてない......今見てる。戦闘訓練してるみたい」
傍から見れば独り言を楽しげに語る異常者。でも、ここにはエカテリーナ以外誰も居ないのだから気にするだけ無駄だ。
「......
声の主は渋々了承してくれたようだ。これ以上話すことも無いと伝えると声は綺麗さっぱり消え去り、電子音だけが響く静かな空間へと戻る。
「楽しみだなぁ......」
エカテリーナは約束の日を待ちわびて不気味に笑う。
とうとう計画が動き出す。
「待っててね。全部全部、お前らから──」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます