椿と噂の真相

あのあと、椿たちは匿名で救急車を通報した。

唯華は病院についてすぐ目を覚ましたようで、精密検査を経てなにも問題はなかったと、今朝方連絡が来た。

『なにがあったのか本当にわからないんだけど』という言葉は椿を安心させた。

あのとき――清臣が拳銃を構えたとき、どうしようとしていたのか、椿にはわかってしまった。

あの重苦しい雰囲気に、椿の過去の記憶がよみがえる。

人は、どんな状況で、どんな理由であれ、人を殺すとき、一種の覚醒状態に陥る。

そういうときの人は、人間としての善意を忘れていて、怖い。

「おはよー。」

椿はいつもと変わらない様子で玄関から出てくる。

でも、いつもより寝ぐせが多かった。

「……どうしたの?」

清臣は会って早々、椿のことを真っすぐに見つめてくる。

「なになに、怖い。」

「昨日は、すみませんでした。」

椿は目を細めて優しく笑う。

「もちつもたれつね。」

椿はグッと拳を前に突き出す。

「私がそうなったら、頼んだ。」

白い歯が笑って、清臣は仕方なく、拳を合わせた。

『私がそうなったら』それが何を意味するのか清臣は知らない。あ


「椿ー!」

少しハスキーだけど、高いテンションが伝わってくる声。

「カレン!」

「おはよう。」

挨拶を返すと、カレンは少し深刻そうな顔をして聞く。

「大丈夫?って大丈夫だよ。」

散々心配されたけれど、もう済んだことだ。

「唯華とは仲直りしたし……」

そうじゃなくて!とカレンは椿の言葉を遮る。

「守間くんの噂だけどさ……」

そう言えば清臣が椿たちの不仲の原因なんて噂もあった。

「椿とか唯華の悪口を言ったのが誰かは想像つくけど、守間くんのは……」

「まあ、あの人なら嫉妬もされるでしょ。」

カレンは煮え切らない相槌を打つ。

「誰が最初かなんて突き詰めたら、キリがないのはわかってるんだけど。」

カレンは苦しそうに顔を歪める。

言いたいけど言えない。

そんな空気を感じた。

「おはよー!」

少し重くなった空気を変える挨拶をしたのは舞香だった。

いつも通り椿は返す。

しかしなぜか舞香の顔が一瞬で曇る。

視線の先にはカレンがいた。

そっとカレンの方を見ると、カレンも同じように舞香を睨みつけていた。

「椿ちゃん、もう時間やばいよ。」

教室入ろう、と言う舞香の言葉をカレンは遮る。

「私、まだ椿と話してるんだけど。」

「早くしてよ、困るの椿ちゃんなんだから。」

険悪な雰囲気だった。

二人にはそれほど交流はないはずだった。

舞香はなにも言わず、教室へ入っていく。

乱暴にしめたドアの音が廊下に響く。

「なにかあったの?」

「いや……あの子のこと嫌いなだけ。」

だけ、って……深刻じゃないか。

「守間くんのこと、犯人探しをしたいわけじゃないんだけど……」

カレンはまた、途中で言葉を切る。

チャイムが鳴る。

「じゃあ、また。」

嫌な予感がしていた。

けれど、椿は気にしないことにした。気にしたくなかった。


昼休み、また清臣はファンの子たちに囲まれていた。

様子を伺うに、また清臣の噂のことのようだった。

過剰に騒いでいるだけなのか、本当に深刻なのか、椿にはわからない。

「どうしちゃったんだろうな。」

太陽がボーッとその様子を見ている椿に声をかける。

「なにが?」

「あいつ、誰かに嫌われるようなことしたのかな。」

太陽も噂のことは知っているようだった。

「そんなことするやつじゃないのにな。」

「噂ってさ、どういう……?」

そういえば、噂、噂と言われてもその内容をちゃんと聞いたことはなかった。

今更、掘り返すことでもないが、悪い予感の理由が知りたかった。

「二股かけてるとか、不正入学とか、危ない方面の人と関わってるとか。」

太陽は心底バカにしたような言い方だった。もちろんそれは、こんな噂を流す相手に対する軽蔑。

しかし、一番最後の噂はほとんど間違っていない。知っていたら、軽々しく口には出せないだろうけど。

「女子の間では広まってないのか。」

「どうだろう。」

そういう情報は椿の耳に入らないように、厳重なブロックがなされていた。

「信じる人なんていないのにね。」

「どうだろうな。」

太陽の意外な言葉に椿は思わず聞き返す。

「あそこまで完璧なやつだったら、裏があるって思いたくなるだろうし、面白半分のやつも、嫉妬してるやつもいるよ、きっと。」

太陽がそんな風に言うなんて、少し意外だった。

「人気者は大変だね。」

「だな。」

「太陽も気をつけなよ。」

椿は揶揄うように言った。

「あいつの隣にいる限りは大丈夫だろうなあ。」

あいつには叶わねえ、と笑う太陽。

妙に大人びた笑みに椿は、きっと太陽なら大丈夫だと思う。

そして太陽が隣にいる限り、清臣も大丈夫だろうと。

「守間!俺、課題やってねーんだよ、見せて!」

廊下中に響き渡る声。嫌味がなくて、自然と清臣の周りの人だかりが消える。

椿の知らないところにも、清臣の世界がある。

そしてそこには、きっと椿じゃない、清臣の存在理由がある。

そう思いたい。そうであってほしい。


帰り際、昇降口でそれは起きた。

清臣が靴箱を開けると同時に、白い何かが落ちる。

椿がそれを拾い上げると、それは乱雑に折り畳まれたルーズリーフのようだった。

嫌な予感がする。

それは告白の手紙だとしたらあまりにお粗末すぎた。

椿から手渡された紙切れを清臣は躊躇うことなく開く。

そこには迷いも恐れもなかった。

『調子に乗るなよ』

荒々しい筆跡でそう書かれている。

清臣は紙をくしゃりと握りつぶした。

「帰りましょう。」

慣れっこだとでも言うような清臣の横顔に椿は怒ったように言う。

「よくない!」

椿は強く拳を握っていた。

「なんでお嬢が怒るんですか?」

清臣はいぶかしげに眉を顰めている。

「だって、悔しいじゃん!」

なぜか泣きそうになる椿に思わず笑う清臣。

「大丈夫ですって。」

呆れたような瞳の奥にある、心底嬉しそうな表情。

「なんで笑ってんの……」

椿は不貞腐れて子供のように拗ねた目をする。

「そうやって怒ってくれる人がいる限り、大丈夫です。」

清臣は椿の頭の上にやさしく手をのせて、なだめるように言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る