第49話


「――では、これは明らかな越権ということになる」


 その語調は鋭くはなかったが、ラッピンは慎重にならざるを得なかった。

 わずかに顎を引くと、笑みを湛えて見せ、ラッピンは訊き返した。


「私を信用できませんか」

「いや、信じよう。――〝信の置けない人間〟をノヴォトナーは寄越したりはしないだろう……」

 そしてサイドテーブル上の葉巻の保湿箱ヒュミドールへと手を伸ばしかけ、客の顔を見遣ってその手を止めた。決まりの悪そうな表情にラッピンは「どうぞ」という表情を返したが、トマは蓋を開けるのを止めた。そうして言葉を続けた。

「協力は出来る」

 その言葉にラッピンは安堵した。トマは身を乗り出すようにして続けた。

「…――だがその場合、〝話の持っていき方〟が違う」


「先ず……〝アビレーの現状に対する杞憂〟を表明するのは保守党の側からじゃない。ノヴォトナー政権内部からだ」 ラッピンは、トマの言葉に集中した。

「……次に〝戒厳地域における治安維持活動への懸念〟をリークさせる。――〝戒厳部隊のあり様は些か尖鋭に過ぎている〟と……。出本でもとは防衛軍内の守旧派。そうしてから保守党の一部に、強力に戒厳の現状を非難させる――」 ラッピンが慎重に〝その心は?その真意は?〟という表情かおになって先を促すと、トマの口許が笑う。

「これに進歩党が同調し〝守旧派復権の流れ〟が超党派で形成されれば? 新知派は孤立無援だ」

 だが、その目はニコリとも笑っていなかった。


「ノヴォトナー政権下でデュフィを解任させ、戒厳司令部の人事を刷新、守旧派と痛み分けの体裁を作る。……そうして〝決定的な責任〟を回避した方が、結局は〝得〟だと、中部都市圏管区の幕僚部自身に判断させた方がいい」


 ラッピンは小さく肯いて返した。

 ――なるほど、これは確かに狡猾だ。


 彼女は裏で統監府が画策企みをほのめかせて、エヴェリーナ・ノヴォトナーに保守党との共闘の必要性を説いた。

 統監府――地球連邦にとり、アイブリーの政治的混乱は、十分に同地への介入の名目となり得、現状、は新知派の〝梯子を外す〟ことで容易に成せる。もしをされてしまえば、防衛軍守旧派を抑え込むために新知派を重用した進歩党政権もまた打撃を被り、アイブリーの混迷の度合いは更に深まり、統監府を利するばかりである。

 共通の敵を前に、進歩党と保守党、両党が争うのは得策ではない、と…――。


 だが前代表トマ・サンデルスにとり、両党が共闘を成すのに(少なくとも表立って)統監府の潜在的脅威が語られる必要はないらしい。

 この問題はあくまでアイブリー防衛軍内の主導権争いであり、超党派による文民統制シビリアン・コントロールの結果、〝守旧派主導の旧来の防衛軍の在り方〟への緩やかな回帰として解決されるのだ。

 孤立無援となった新知派は民主主義の軍隊における市民の支持を得られず、〝デュフィの首を差し出し〟てアビレーの戒厳部隊を切り捨てる他ない。


 それに、この筋書きであれば〝地球連邦の影〟が表に出ることもない。

 アイブリーは地球連邦との利権で成り立つ〝くに〟だ。例え一時的に統監府との関係が悪化しようとも、その先に繋がる地球との友好が危機に見舞われるようなことはあってはならない。

 〝地・ア関係〟はアイブリーのいかなる政党・政治家にとっても、絶対に護らねばならない共通認識のようだ。統監府の画策が幾らかでも明るみに出て、それが元で地球との関係に修復困難なきずが残るのは得策ではない、と、そう考えたのだろう。サンデルス家も、そういう利権の上に栄華を極めている家だ。



 そんなラッピンの表情の変化を読み取ったのか、トマは小さく溜息を吐いて見せた。

「君のバックボーンは知っている。……その筋では有名だ」

 それから、やはり口許だけで小さく笑い、頷いた。

「私の立場では、〝くにを憂えるいちアイブリー市民の行動〟、というわけにはいかんよ。……手放しの賛意などもちろん期待しないが、理解はして貰う」


 ラッピンが肯いて返したとき、コンコン、と几帳面なノックの音がし、「――閣下」と、ドアの外からの控えめな執事の声が聞こえた。

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