第12話 レイ遇
「楽しく話せたか?」
「………………わたしに聞いたのか?」
翌朝。
白いシャツの肌着にスカートを履いて準備真っ最中の少女は静止した。
間違いやすい名前だけでなく、顔まで間違えられたのかと疑うような顔を見せる。
「ナヤカ以外に誰がいるよ。幼稚園どうかなって思ったんだよ」
「どうかな……って、それはいま、わたしに訊くことか? それは」
「なんだよそれ。あはは……」
渇いた笑いに、寂しさが募る。
俺だってそう思う。
星石宅浪は、双子の娘(仮)が幼稚園に通い始めて以降、初めて、幼稚園のことについて尋ねたのだから。
最初の三日は親心を持ちながら、二人のどちらかが口を開くのを待っていた。
どちらかでよかったんだ……主に姉の方にだけど!
環境、教育機関、人間関係……俺が苦労したそれぞれの変化に順応し、この社会に生きていくためには、必要な時間だと認識していたから。
でも、それ以降は違うと思うんだよなぁ……おとっつあんはよぉ……。
「ひ、暇だし話してくれよ。ほら、俺この足だしさー。動けないじゃん」
「…………」
「何かあるだろ……ほら、たとえば……」
宅浪はナヤカの肩を持つと、ご機嫌取りとして加減した力で指に力を入れた。
「……話すもなにも、たいしたことはしてない……」
「う、うそだぁ~。俺が男だったら見逃さないけどなぁ~。ショートだし? おーん」
「……は?」
突然の強烈な切れ味のナイフに宅浪は思わず華奢な肩から手を離す。
直前まで手で触れていたナヤカの髪先は揺れ、手に残った感触は罪悪感を孕んだ。
「と、とにかく……ほら、友達できたか? 友達」
「ともだち?」
ナヤカはオウム返しにその言葉を返して、言葉の意味を宅浪に確かめる。
「ああ、友達だよ。二週間も経つんだ。一人くらいはいるだろ?」
「罪人は何をしてた?」
「俺は……あれだよ。ちゃんとした仕事を……」
「過去の思い出を漁ることが仕事……。寝ててもできる楽な仕事だね」
「勝手に俺のスマホを覗き見るな! 明るさ1だったのに……クソっ」
ナヤカの観察能力を甘く見ていたらしい。
甘く見ているのはお互い様かもしれないが。
「それで?」
「……もう話すことは……」
「友達はできなかった、でいいのか?」
「わたしの場合は何人も――」
「じゃあ、何人も教えてくれ。親なんだから知ってないと怪しまれるだろ?」
比較されることを嫌としたナヤカは、宅浪の挑発に乗るように声のトーンを上げた。
でも、すぐに顔はいつもと同じ寡黙で無味無臭の表情に戻る。
それは怪しまれるなんて全然気にしてない、興味のなさそうな顔。
けど、別にまあ……いっか、と妥協の顔に入り始め、口から零れるように発した。
「ともだちは……」
そんなナヤカの色が一瞬、初めて垣間見えたような気がしたそのとき、後ろの扉が都合のいいタイミングで開き始めた。
「ナヤカの友達は私だよ、浪人」
「サヤカ……」
間に入るように、扉を開けて出てきたのは、黄色い帽子を被って準備万端の姉の方。
「ナヤカは早く準備してきなよ。歯磨き、まだだったよね」
「……トイレもまだ」
そう言うと、ナヤカはサヤカと入れ違いになるように階段を下りていった。
そうして、俺の本命が部屋に入ってくると、俺の希望通り、少女は質問を始める。
俺のことをまるですべて把握しているような、そんな……
恋人のような、親のような、どちらとも取れない微妙気取りな振る舞いで。
※ ※ ※
サヤカが玄関扉を開けると、眼前の玄関ポーチの階段には座りこむ園児の後ろ姿。
ナヤカは律儀に玄関前で飼い主を待つペットのように待っていた。
「……話は終わった?」
「あら、歯磨きもトイレももう済んだ?」
「洗顔もとっくに終わってるよ、サヤカ」
「ちょっとー? なんで拗ねてるの~」
「拗ねてない。早く行くよ」
ナヤカは隣に置いていた通学カバンを片手で取り、背に背負う。
両腕の肘をぶんぶんと振り回しながら足を早く動かして、サヤカを置いていく。
「庇ってあげたのに……」
心中、複雑に思うサヤカだった。
※ ※ ※
「本題に移ろう」
そう言って、話を始めたサヤカは先ほどとはまるで別人のように饒舌に語った。
わたしが語った男子でもこの年頃ならば未だに母親にベタベタという考察はあっという間に流されて、それよりももっと芯を食うような深い話をする。
「先生に訊いた話によると、あの幼稚園は歴史が長いらしい」
「歴史……建物は新しく見えた」
「最近改装したって。なんでも半世紀にわたって紡がれた伝統が存在するらしいよ」
サヤカから降り注ぐ視線にナヤカは顔を下げる。
そんなことも知らないのかと咎められているようでバツが悪かった。
「伝統……というのは?」
「ああ、それがあの幼稚園で運動会という自己の競争能力を互いに競い合って勝者を決める催しが今度あるらしくて、それが町を上げて盛り上がるほどの規模の催しらしいよ」
「大した伝統じゃないね」
ナヤカは自身の物差しで測ったうえで、切り捨てるように一蹴した。
「まあ……身体を動かすことは大事だと思うが、私もそう思う」
「家主にも……そう進言したら?」
「ナヤカ、私は無意味なことはしないタチなんだ」
「……無意味人間に価値はない、ね」
「そうだ。マイノリティへのやさしさと言えるだろうな」
慈悲を与える……ということかな。
サヤカは相変わらず、弱者にも目をくれるんだ。
「話を戻そう。しかし、我々が思うような伝統と言われる催しではなかった」
「うん……。伝統と言うからには……もっと……」
「ナヤカもそう思ったか? 私もどこかの無能提督と影が被ってだな」
「元提督が主催した催しよりは伝統的な行事……かもね」
「ああ、まったくだ。あの提督は色恋にしか目がなかったからな」
「最期は立派だったけどね」
「そうだな。最期は……ああ」
サヤカは言葉を詰まらせると、結論を急がせた。
「まあ、この幼稚園と我々の種族には因果関係は確かめられなかった。結果はそれだ!」
「そう……。蚊に刺されたと嘆いていた子供はチラホラ見えたけど」
「それはっ……どこも一緒だ。今年は……ほら、アレらしいからな」
帽子を抑えながら空を見上げるサヤカに釣られてナヤカも空を見上げる。
だがそこには、サヤカが思わず首を上げたこれといった景色は見当たらなかった。
「……アレって?」
「今日は……ほら……暑くなりそうだぞー」
今日は青い空がほとんど見えないよ、サヤカ。
サヤカは相変わらず、自分なんて二の次で、他人のことを真っ先に思いやるんだ。
「たしかに……暑くはあるね」
「だろう? して、ナヤカの進捗はどうなのだ?」
情報の共有は隊にいた頃と同様のように行っている。やっていることは変わらない。
「女子とは接触できたのか?」
ただ、後ろ髪を引かれる思いが残っていることが問題であるだけ。
「……まだ、機会をうかがっているところ」
「男子とは別れたのだろうな?」
「言われた通りに……絶縁の言葉を吐き捨てた」
「そうか。それでは早めにな」
淡々とサヤカの放つ言葉に重みを感じる。
それほど信頼されているという証。
「サヤカは……どう?」
「私は女子グループの輪に忍ぶことに成功したぞ」
「方法は?」
「共通の趣味だ」
「たまたま合致する趣味があった……?」
「そんなはずなかろう。いま、幼女に人気のある映像作品や流行りの傾向を事前にリサーチして共通の趣味を作ったのだ。相手に合わせることが関係構築の近道であるからな」
「そう……」
相手に合わせる……。
子供と考えて浅はかな案ばかり浮かべていた自分の愚かさに渇を入れられた気分だ。
「少しは、参考になったか?」
「相変わらず、下調べが丁寧……だね」
「ナヤカには及ばないさ。B区域のこと、今でも夢に出てくるよ」
「あれはサヤカのエスコートがあっての作戦……わたしはサポートしただけ」
「サポートしただけって……。あんな命知らずな真似、普通はできないと思うがな……」
「わたしは、サヤカを信じてたから……」
ナヤカの瞳には、陰り一つ見えない光沢と吸い込まれるほどの意志が映っていた。
サヤカの頬から笑みがこぼれそうになる。
昔を思い出してか、はたまた顔がおかしかったのか、真理は分からないけれど。
「それが……いや、そうか」
「うん」
「それは、ナヤカにも言えることだがな」
「……ありがとう」
サヤカの、隊長の、称賛にナヤカは感謝を伝えた。
あれは俯瞰しても、何度考えても、サヤカの功績がほとんどなのだけれど……。
謙遜も、リーダーの責務ってわけか。途端に胸が苦しくなってくるよ。
これで、わたしの中のサヤカがもう一人増えたんだから。
「ところで、他に情報はないのか?」
「さっき話したのがいまのところは現状。これから動くことも増えると思う」
「そうか。現を抜かすのもほどほどにな」
「うん」
うんと答えたがそれはどう捉えればいいのか。
ひとまずは、慎ましくしろってことなのかな……。
「それと、何か気付いたことがあったらなんでも訊いていいからな」
「わか……った……」
「……早速、何かあるのか?」
返事の悪さを感じ取ったか、サヤカは鋭く尋ねてきた。
わたしはサヤカから信頼されたいと思っている。
そして、サヤカから好かれたいと思っている。
尋ねる必要性は皆無かもわからない……が、
サヤカとの関係、それはわたしにとっての最優先事項――なんだ。
「サヤカが密会してる男は……情報収集の一環?」
「宅浪のことか? 電子機器を使って情報共有はたまにする程度だが……」
「16―1924」
歩いていた足が途端に止まる。
「……私の認識番号だな」
「隊員を識別するための認識番号。わたしが訊きたいのはその時刻にしていたこと」
「…………」
「16時19分24秒に幼稚園で話していた、黒スーツの男のこと」
「……それは」
サヤカはすぐに何かを弁明するみたいに口を開いたが、言うのを躊躇ったみたいに口をまた閉じて、沈黙しながら神妙な面持ちでナヤカの顔を覗いた。
「何を話していた? 今後に影響するようなこと? それとも色恋沙汰?」
「落ち着け、ナヤカ。私は……」
そう言って顔を上げたサヤカは、ナヤカの顔面が間近にあることに驚いた。
血色の悪い下唇を前歯で噛みしめ、眉を上げながら見つめるその顔面にも驚いた。
「認識番号を使って出会っていたのは謝る、決して……」
「つ、詰めてるわけじゃない……! ただ……」
「ただ?」
「気になった……だけ」
「フッ……」
サヤカは鼻ですかしたように空気を吐くと、
「それで詰めてないは無理があるだろう、ナヤカ」
子犬のように怯えるナヤカに向けて、開き直るように頬を上げて言った。
「……っ」
「私がのうのうと子供と遊ぶだけなわけないだろう?」
サヤカは本性を現したように、子供だましに付き合うように、声色を低くする。
「……情報収集?」
「ああ、この世界には知らないことがたくさんありすぎる。例えば、私たちのこととか」
サヤカは周りを気にするように声を潜めた。
まるで、子供に悪いことを教えるように。何度も目で視線を確認しながら。
「わたしたちのこと……」
「そうだ。私たちは何も知らなさすぎる。蚊が人間になるという現象は本来起こり得ないことなのか。初めての事例ならば一層、命を守るために手がかりを探す必要がある」
淡々と口にしていた声音は徐々に熱を帯び始めていた。
「でも、情報が外部に漏れるのは避けるべき……」
「安心していい。私は気象情報や蚊に関する研究資料をもらっているだけだ」
自身の口にしている勝手な確証と、それを裏付ける確証の証明すらできていない。
いわば、戯言の一種。
「……そう。わたしは初めて耳にした情報」
「言う必要性を感じなかっただけだ。それにナヤカはナヤカの義務を果たせ」
短絡的で簡潔に話を進めるサヤカの姿は現状への焦燥にも捉えられた。
こういうことは前にも何度かあった。彼女の真面目すぎる性格が故の過ちだ。
ナヤカは兜の緒を締めるように、冷たい声色で淡々と尋ねることを続ける。
「黒スーツの男は研究者?」
「そんなところだ。報酬を与えて情報を提供してもらっている」
「その報酬は? 代価はなに?」
「大したものではない。私一人に多少のリスクが伴うだけのことだ」
それがダメだと何故判断できないのか。
「家主には?」
「伝えたら何をされるか分かったものではないだろう。もちろん伝えていない」
「家主には伝えるべきだね。サヤカもこの姿になってから二ヶ月弱しか経っていないのに第三者に身を任せるのはあまりにリスクが大きい……よ」
この件に関して、家主は関係ないとはならないだろう。
それに彼のことはまだよく理解していないが、三十年近くこの世界で生きているのだ。
先人に知恵を借りるということは、きっと何処にいても役に立つはずだ。
「ナヤカはこの姿になってから一ヶ月弱だろう。私の方がこの世のことを知っている」
「それは……そうだね。だけど、それは人間になってからの年月で……」
「私の願いは元の姿に戻ることだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それは何度も聞いたし……戻るべきだと思う」
サヤカは右手のこぶしを強く握りしめると、天に誓うように目を瞑る。
「そうだ。種族としての使命を果たす。それが我々に課せられた責務だからだ」
課せられた責務。
それは相変わらず、呪いのようにサヤカに纏わりつくんだね。
「でも、信頼に足らない人間を頼るのは人間社会に馴染んだ故の緩みに思える……よ」
さらっと口から漏れ出る翼の生えた本音。
ナヤカは、顔を上げるのが怖かった。
感情論ではなく、現実論。
これを言ってしまっては、もう後の祭りだと頭の片隅では気付いていたから。
「ゆ、緩んでいるのはそちらだろう……」
サヤカは声を震わせながら燻るように言葉を吐いた。
ガタガタガタガタと。
これまでなにかを抑えていたネジが吹っ飛んだ音がした。
「貴公、本当はこの状況を楽しんでいるのではないか?」
「……⁉」
サヤカの怒号にも似た声が通学路に響き渡る。
糸が切れたときにしか見せない、わたしの嫌いなサヤカ……だ。
「男と絡んでは女子との接触を試みたとのたまい……到底、信頼できるものではないぞ」
「わたしは……」
ナヤカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔のまま硬直して、頭が回らなかった。
「考え直した方がいい。我々の種族として、どう立ち振る舞えばいいかを――」
それがサヤカではなく、相変わらずの呪いだとしても。
「私の後ろに付き纏うだけで責務は到底果たすことは叶わない、ということを」
サヤカに吐かれた事実は変わらない。
サヤカは嵐のように吐き捨てた後、目もくれずに立ち呆けたナヤカを置き去りにした。
間違って……いた。
浮かれていたのは自分……だった?
わたしはこれまでうまくやれていたはず。
サヤカにだって嫌われないように振舞っていた。
なのに、どうしてあんな挑発するようなこと……。
「雲の狭間から顔を出した青空は、次第に……淀んでいく」
いろとりどりな情景が走馬灯のように頭の中に映し出される。
思い出すのは、辛いこと。
食料も手がかりも存在しない過酷な一ヶ月のこと。
群れを離れ、一ヶ月かけて幼馴染を探し続けたわたしが間違っていた……?
偶然、視界に入った見知った顔が校門の前で誰かを待っていた。
「あ! おはよう!」
朝に相応しい清々しいほどに活気のある挨拶。
校門の前で待ち呆けていた由里はナヤカを見つけると、駆け足で駆け寄ってきた。
「今日はね、ナヤカちゃんの分のお弁当を作ってきたの! ほら、昨日言ってたの!」
「…………そう」
「うれしいでしょ? ちょっと待っててね。特別にいま、見せてあげる!」
由里は早速カバンの中を手さぐりにごそごそと漁り、「あった!」と大きな声で黄色い弁当箱を取り出した。
由里は弁当箱の蓋まで取ると指を差して食材の説明を始めた。
「献立は唐揚げとソーセージとブロッコリーとオムライスでね、朝からママにも手伝ってもらって、今日は特別お上手にお料理できたの! ママも喜んでたから間違いないよ!」
「…………うん」
ナヤカは深く頷くと、弁当箱と旺盛な好奇心に満ち溢れる由里の顔を照らし合わせた。
「だから一緒にお昼ご飯食べよ――」
刹那。
由里の手元にあった弁当箱は主人の元を離れ、宙を舞った。
弁当箱から初めに飛び出した、ケチャップのかかった白身が見当たらない綺麗な黄色のオムライスは柔らかい何かが弾けるような音をしながら、表面から形を崩して包められていた赤い米を大胆に地面の上に晒された。
ナヤカは由里が誘いの言葉を言い終える前に弁当箱そのものを右手で横なぎに叩いていた。
ジュワっと肉汁が溢れ出そうな唐揚げ。
パリッと食感のソーセージ。
色付け用のブロッコリー。
それらすべてが薄汚れたコンクリートの上で転がっていた。
呆然と立ち尽くしたまま、涙袋をいっぱいにして顔を赤くする由里。
ナヤカは眉を吊り上げて平然な顔で、幼女に吐き捨てた。
「あなたは、要らない」
踏みにじられた想いだけが、心に刻まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます