第19話:闇の女王のアリア①





 「――あの出来損ない、逃げ足だけは一人前だこと! わたくし直々に『追手』を差し向けてやったというのに、それを退けたですって……!?」

 明かりもつけず帳も開けず、重い暗闇がわだかまる室内。その停滞した空気を切り刻むのは、部屋の主の放つ怒声だった。

 本当なら今頃は、国内に向けて次なる『予言』の内容と、それに伴って『勇者』が召喚されること、犠牲になる王族――つまりは自分の末の孫の公表を行っているはずだった。それが、当のリオノーラが雲隠れしたせいですべて台無しだ。しかも憎らしいことに、損害はそれだけではなかった。

 「聖剣まで盗んでいくだなんて、どれだけ手癖が悪いっていうのかしら!! いくら本家が先細りだからって、どんな血が混ざってるかわからない木っ端氏族なんか、養子にしてやるんじゃなかったわ……!!!」

 口を聞く必要もないと思っていたから、義理の孫の顔を見たのはほんの数回、しかも数十メートルは離れた回廊から覗いた程度だ。母譲りの亜麻色の髪、父に似たという翠緑の目。造作だけは腹立たしいほどに整っていたが、いつでも何の感慨も湧かない様子で庭を眺めやっていた。あんな無気力な小娘が、こんな大それたことをしでかすだなんて、誰が予想し得たというのか。

 ひとしきり気炎を吐いて、手元に広げた絹布の地図に散々しわを寄せた末、ようやっと落ち着いてきた。これでも大国を率いる身だ、自由になる時間はごく少ない。とにかく何としてでも、あの生贄を取り戻さなくてはならない。

 「……そうよ、国境を二つ三つ越えたところで、何の意味もない。わたくしには数多の手足があるのだから」

 すぐにでも絡めとって連れ戻してやる。この自分に逆らったのだから、もちろんタダでは済まさない。贄にする前に、手引きした者を先に始末してやろう。共に逃げてくれたいとおしい騎士を、目の前で血祭りにあげてやったら、あの鉄面皮だってきっと崩れる。みっともなく泣き喚きながら苦しみ抜いて、塵ほどの価値もない命を終えるがいい!

 血も涙もない妄想に、愉悦の嗤いを浮かべる『永遠の女王アタナシア』。背に流した黒髪が、ざわりと別の生き物のように波打って、足元の陰の中へと潜り込んでいった。









 神託とは、読んで字のごとく神の言伝だ。預言とも呼ばれ、神殿に仕える神官や巫女が受け取るとされる。そしてその内容は、規模の大小を問わず決して外れることはない――

 「というのが、世間一般の通説です。が、実は少ないながら例外もありまして」

 「例外? 聖職者以外の人が受け取った、ってことですか」

 「その通りです。もっともローザンブルクが出来て以降、本当に数えるほどしか存在しないんですけれども」

 リオンに付き添って支度を手伝ってくれながら、てきぱきと説明してくれたセリリによるとだ。その例外は出身地こそばらばらだが、いくつかの共通点を持っていた。いずれも年若い女性だったこと、少なからず魔力を持っていたこと。そして最も重要と思われるのは、

 「その全員が、ここロディオラの近辺――もっと言うなら、水が湧き出ている場所でご神託を受け取っている、ということです。それゆえこの地の湧水には、創造神の強いご加護が宿っていると言われるようになりました」

 受けた神託は、どれも国の大きな転機を知らせるものばかりだった。危機が去った後、王都の祭祀を総括する大神官が指揮を執り、ロディオラに大規模な神殿を建立する。湧き出す水を護り、その奇跡を次代に伝えていくために。

 「ですから、今でも神官や巫女を目指す方たちは、一度はロディオラに巡礼に行って沐浴をするのが習わしなんです。シオさんがいらしたら、何が何でも代表でやってもらうんですけども」

 「ふふふ、史緒は寒がりだったからなぁ。ものすごーく嫌がりそう」

 「ええもう、目に見えるようです、はい。……地下水の温度はほぼ一定ですが、秋の半ばは空気が冷えているので、かなり冷たく感じると思います。どうぞご無理はなさらず」

 「はいっ」

 セリリに背中を軽く叩いてもらい、気持ちを切り替える。大きく深呼吸をして、ギリシャ神話に出てくるようなローブをまとったリオンは、鏡のように鎮まった湧水池に足を浸した。


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