サヨナラユラユラ

松本啓介

おちる

どれくらいの時間、この景色を眺めているだろうか。


私の眼前にあるのは、そびえ立つ高層ビルと葉をなびかせ凛と根を張るいくつもの樹木だ。


明暗を繰り返す空の下、私を見つけてくれる物を求めて己の眼差しを向けるが、いつまで経っても誰も私に気づかない。


刺すような暑さをその身でひたすらに浴びたと思えば、別の日には、これでもかという量の水を身体に無理矢理詰め込まれた。


この世に生まれた時に身にまとっていた色鮮やかな色彩は失われかけており、身体は濁った色に変貌をとげている。



____だれも私を見つけてはくれないのか。



風に身を任せて優雅に揺れる樹木を眺めながら、いくらひどい仕打ちをされようと消え去る事の無い意識で空を眺め続けていた。


_____綺麗な緑色だ。


大変な日も多いが、どんな時でも樹木は背筋を伸ばし凛と立っている。

とりわけ、風になびく葉っぱの姿が美しい。

この景色を眺めていられるならば、このままでも良いとさえ思う。



ふと、近くに鳩が数羽集まってきた。


呑気な声で鳴きながらそこら辺をウロウロしている。


今日は非常に暑い。

日差しが直接当たらない木陰で日向ぼっこでもしているのだろう。


数日前に強風にあおられ、私も運良くこの直射日光の当たらない木陰に辿り着くことができたのだ。


この場所は比較的涼しく、風が吹くと気持ちいい。

……強すぎるとまた別の場所に飛ばされてしまうのだが。


しばらく鳩の様子を眺めていると、彼らが急に逃げるように飛び立っていってしまった。


次の瞬間、私の頭上に大きな影が落ちてきた。


私はその影に押し潰される。

だが、私の身体は非常に柔らかいため、どれだけの力で潰そうと身体に傷はつかない。


_____しばらく待てば、また空が見えてくるだろう。


そう考えていたのだが、中々影は私を開放してくれない。


どれくらい経っただろうか。

空の色だけが、唯一私に時間を教えてくれていたので、経過した時間が掴めない。


そんな事を思っていると、急に影が引いた。

空の色は既に美しい橙色を映し出している。


今日は綺麗な星空を眺められそうだ、などと考えていたら、先ほど引いた影が私の事を持ち上げて、乱暴に何かの中に詰め込んだ。


_____外が見えん!


辺りは一面真っ白である。

急に現実感の無い世界に入れられ焦燥する。


痛みなどは感じないが、白の中で私はひたすらに揺さぶられ続けており、気持ちは参ってしまっていた。



しばらくすると揺れが収まった。

揺れが収まったと思ったら、いきなり外に放り出される。


先程までの白とは違った、今度は非常に硬い白の上に乗せられている。


どうなるのだ、と落ち着かない様子でいると、急に容赦のない水責めを開始された。


_____ちょ、ちょっと待て……ぐわっ!


水責めと同時に先端が何本にも分裂した二本の棒によって、身体をこれでもかと言うほど、擦り合わせられた。


_____ま、待て! 私は横の力には弱いのだ、そんな事をしたら引きちぎれてしまうぞ!


こちらの願望など届くはずもなく、されるがままに身体を擦られ続けた。


ようやくそれが終わったかと思うと、今度は妙に光沢のある深い桶の中に放り込まれた。


_____ぐぅ……今度は何をされるのだ。このままでは身が持たん!


少しの時間待っていると、再び水責めが始まる。


_____頼むぅ!これ以上は、これ以上はぁ……!


水責めに苦しんでいると、ふと、何か不思議な香りが漂ってきた。


_____む、これは……。ほぉ、中々に、中々に良い香りがするではないか。なんだ、不思議と水責めも悪くない気分になってきた。


不思議な匂いを堪能していると、今度は水が波打ちを始めた。


_____良い香りを感じながら、心地よい波に乗って揺れる……。何と贅沢な事か!


揺れる、ひたすら揺れる。途中に水責めをはさみ、只々揺れる。

香りも相まって、開放感が凄まじい。このまま天に昇れる気がする。


快楽が頂点を極めかけたその瞬間、揺れが静まった。


次は何が来るのだ、とソワソワしながら待っていると、自身の身体が少しずつ円を描き出していることを認識した。


少しずつスピードが上がっていく。


_____キタキタキタキタキタァァァ!!!


堪らない、形容できないような高揚感に身を任せ、一心不乱に円を描き続ける。


_____もうどうにでもなってしまえ、今なら私は命を失ってもいい。


などど思っていると、ゆっくり回転は収まる。気づくと、光沢の深桶の中に私はポツンと取り残されてしまった。


音の無い虚無の暗闇に取り残される。

この寂しい景色はいつまで続くのだろうか。


そんな事を考えていた次の瞬間、唸るような音を立て、再び私は円を描き始めた。今度は壁に磔状態だ。


_____横に引っ張られるのは苦手だが、これは何と言うか……悪くない!


これまでの荒んだ人生ですり減ってしまった私の心を新たに磨き直し、新しい一歩を踏み出すための力を授けてくれている。


_____そう、私は今まさに心を洗濯した気分なのだ!



愉悦の時間が終わりを告げる。


放心状態の私を、先程の先端多重分裂棒の1本が掴んできた。


先ほど感じた通り、もうここで天に召されても何も文句はない。


_____さぁ、どうとでもしてくれ。今の私は最高に幸せだ……イダイィ!


私は身体を分裂棒に力いっぱい搾られている。これでもか、というくらいの力強さである。痛い、今まで感じたことのない痛みだ。


しばらく絞られ続けた後、これ以上何も出せない所まで来た所で、絞りの責め苦は終わりを告げた。


命の危険を感じながらも、自分が綺麗に畳まれている事を認識し、少し安堵する。



_____ふぅ、これ以上は何も起きないでくれよ……ウッ!!!


次の瞬間、強烈な匂いを感じた。

何が起きているのか全く分からないが、どうやら凄まじく臭い物に私は押しあてられていると言う事だけは分かった。


_____これでは本当に身が持たん!先程の、先程のあの良い香りの波に入らせてくれぇ……。







__________そんな願いも叶わず、私はこの後も、強烈な匂いと対峙し続け、それを終えたと思えば、千切らんとするほどの力でこの身を絞られる。そんな苦痛を繰り返し受け続けていた。後になって知ったが、私はどうやら、人間が料理なるものをする場所で、汚れを拭き取るための布切れとして、酷使されていたようだ。


…………。


_____どうだ、もう私の身体は、元々身にまとっていた模様など分からぬほど、擦り切れ、色褪せてしまっただろう?


…………。


_____あまり楽しい人生ではなかったが、いくつかいい思い出はあってな。1つは、私が落とし物として外を彷徨っていた時、たまに見ることができた、満天の星空じゃ。あの景色は忘れられん。できれば、もう一度だけでいいから眺めたいものよ。


…………。


_____もう1つはな、私を日差しから守ってくれた樹木じゃ。


……!


_____あの深い緑色の葉が風の流れに沿ってなびく姿がな、たまらなく美しいと思っていたのじゃよ。


………。


_____のう、お前さんも、主人に捨てられてしまったのかね?随分と寂しそうな色になっとる。私の記憶が正しければ、お前は綺麗な緑色をしていたはずじゃ。


………違うよ。捨てられたんじゃない。時が来たから自ら落ちたんだ。


_____何と、お前さんはこの世に生を受けながら、自ら命を断つことを選んだのか?


……僕が抜けた場所には、また新しい命が宿るんだ。僕たちはずっと、そうやって命を育んできたんだよ。


_____なるほど。次に宿る命を思いながら、自らの思いをそこに託して散ってゆくのか……。儚いが、美しい営みよの。


……段々、熱くなってきたね。


_____そうじゃな。どうやら、私達の命はここで潰えるようだ。


……あなたの姿がもうよく見えないや。


_____私もだよ。暗闇しかないが、お前さんが近くにいるとわかっておるから、何も怖くはない。


…………。


_____ふぅ。次は穏やかにすごせる一生だと良いがね……。


…………。


_________。

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