032 ランウェイ
賢者になった俺は、トイレ掃除をしていた。
掃除用の洗剤とブラシは共に1万ptもしたが問題ない。
既製品は高いと嘆いていたのも過去の話である。
「よし、ピカピカだ」
二つのトイレを綺麗にしたので、今度は浴槽を掃除しよう。
「おっ」
そう思い浴室へ向かっていたら、十字路で歩美と鉢合わせた。
彼女は作業場やダイニングのある方向から個室へ向かっていたようだ。
「大地、なにしているの?」
「トイレ掃除さ。今から風呂も掃除しようかと」
「今日の当番って私でしょ?」
「そうだけど、暇だったからね。もしかして掃除したかった?」
「ううん」
歩美が首を横に振る。
「ごめんね、代わりにやってもらって。浴室は私がやるよ」
「いや、かまわないさ。俺がやっておくよ」
「いいの?」
「もちろん。その代わり、お礼にクールなアクセサリーを期待しておくよ」
「あはは。任せておいて。さっき作り方を調べて試作も済ませたから。明日か明後日には良い感じのを作るね。指輪かネックレスにしようと思うけど、どっちがいいかな?」
「首輪のほうがいいな」
「首輪って」
歩美が声に出して笑う。
「じゃあネックレスね。指輪は嫌いなの?」
「好きでも嫌いでもない。そもそもアクセサリーを身に着けた経験がないからな。ただ、指輪は作業をする時に違和感を抱きそうな気がして」
「なるほど、たしかにそうだね。それにシルバーで作る予定だから、濡れるのはあまり良くないのよね。ネックレスにするよ」
「了解。じゃ、風呂掃除をしてくる」
「ありがとう。ごめんね」
「いいってことよ」
歩美との会話を切り上げ、俺は浴室に向かった。
◇
浴室や脱衣所の掃除が完了した。
洗濯のし忘れがないかも確認したし、雑務はこれで終了だ。
(結局、良さそうなネタは閃かなかったな)
漁と同じくらい稼げる方法は何かないだろうか。
作業中はずっとそのことばかり考えていた。
俺は悲観論者ではないけれど、楽観するほど呆けてもいない。
常に第二・第三の備えをしておきたいものだ。
今後も継続して漁に取り組める、という保証はどこにもない。
特に谷のグループが解散した今は尚更だ。
俺達と同じ川で漁を行う者が現れてもおかしくない。
むしろ、その可能性は極めて高いと考えるのが妥当だろう。
俺達の生活が他所に比べて充実していることは知られている。
かつて萌花が喚いたせいで、拠点に風呂とトイレがあるのは周知の事実だ。
だが、どうやってお金を稼いでいるかは知られていない。
となれば、俺達の行動を盗み見する者が現れるのは当然の流れ。
周囲の目を掻い潜って漁を続けるのは無理な話だ。
(絶滅がどうとか生ぬるいことを考えず、今の間に乱獲しておくべきかもなぁ)
色々と思考を巡らせる。
島に来るまで、これほど頭を回転させたことはなかった。
これがリーダーとしての責任感ってやつなのか。
「あ、大地」
自室へ戻ろうとした時、声を掛けられた。
振り返ると、そこには歩美の姿。
またしても彼女は作業場から個室へ向かう最中だった。
「掃除お疲れ様、ありがとうね」
「かまわないさ。それより歩美はなにをしていたんだ?」
「ランウェイを歩く練習」
歩美が俺の背後を指す。
振り返ると、スマホをセットした脚立が置いてあった。
「あれで自分の歩く姿を撮影していたの」
「ほう」
俺は必死に考えた。
(ランウェイってなんだ……?)
歩美はプロのモデルとして活動している。
おそらくランウェイとはそれに関係したことだろう。
(分かったぞ!)
ピンときた。
ファッションショーでモデルが歩く道のことだ。
「あっ、ランウェイって言うのはね」
俺の表情を見て察したのか、歩美が説明を始めようとする。
俺はそれを制止し、ドヤ顔で答えた。
「ファッションショーで歩く道のことだろ?」
「知ってるんだ!?」
どうやら正解だったようだ。
「一応な」
俺は「ふっ」と軽く笑った。
心の中では盛大に安堵の息を吐いている。
「大地、これから暇? よかったら付き合ってくれない?」
「俺も一緒に歩けばいいのか?」
「そんなわけないでしょ」
歩美が手で口を押さえながら笑う。
「私の練習に付き合ってってこと。ここをランウェイだと思って歩くから、大地はそれを見て感想を言ってほしい。私のスマホにトップモデルがランウェイを歩いている動画が入っているから、それと比較してどうかって」
「なるほど、いいぜ。なら俺のスマホで撮影して、歩美のスマホではトップモデルとやらの動画を流すよ。そうすれば、後で二つの動画を同時に再生できる。並べて比較すればより分かるってものだ」
「それ良いアイデア!」
歩美が手を叩く。
それから自分のスマホを操作して動画を開く。
「これがトップモデルのランウェイ」
それは至近距離から撮影している動画だった。
テレビならもっと引きで撮影している。
モデルの練習用に撮影された動画なのだろう。
「カッコイイな」
素直な感想だ。
ランウェイを歩くモデルにはオーラが漂っていた。
服装は奇抜で理解不能だが、モデルの動きには凜々しさを感じる。
「私もこれに近づこうと思うから」
歩美はスマホを俺に渡すと、入口のほうへ歩いていく。
かつて布団地帯があったエリアに着くとこちらに振り返った。
「準備はいい?」
「いいぞ」
俺は自分のスマホを脚立に置いた。
カメラアプリを立ち上げて、録画モードにする。
歩美のスマホは手で持つ。
「いくよ」
次の瞬間、歩美の表情が変わった。
先ほどまでの柔らかさが消え、プロの顔になる。
こちらに迫ってくる歩美を見て息を呑む。
いつの間にか呆然としていた。
これがプロの実力か。
(いかんいかん、動画と比較しないと)
慌てて自分の任務を遂行する。
歩美の動きとトップモデルの動きを比較。
(たしかにトップモデルの方がオーラがあるな)
歩美とトップモデルの間には差が感じられた。
俺ですら分かる程の差だ。
しかし、なにが違うのかはよく分からなかった。
上手く表現する方法が思い浮かばない。
歩美はすぐ近くまで来ると動きを止めた。
そこでポーズを決め、くるりと反転。
堂々とした動きで離れていく。
「どうかな?」
スタート地点に戻ると、歩美は振り返って尋ねてきた。
先程までのオーラは消えており、いつもの彼女に戻っている。
「凄かった」
「ふふん♪」
歩美が俺の横に来る。
「でも、なんか、よく分からないけど、トップとの差は感じたな」
俺は素直な感想を述べる。
「やっぱりー?」
「上手く言えなくてすまないが、なにか差があった。凄かったし、カッコイイと思ったし、プロのモデルなんだなぁとも思ったけど、なにか違ったよ。服装のせいかもしれないけどさ」
トップモデルは謎のファッション。
一方の歩美は学校の制服だ。
「大地、撮影した動画を見せて。自分でも確認したい」
「おう」
先ほど撮影した動画を開き、スマホを歩美に渡す。
歩美は左手に自分の、右手に俺のスマホを持つ。
スタート位置を調整して、動画を同時に再生した。
「あーやっぱり全然ダメだなぁ。こうして見ると酷すぎる」
プロには違いがよく分かるようだ。
「そんなに酷いか?」
「もう最初からダメダメ」
その後も歩美は自分の動きにダメ出しを連発する。
それはもう酷い叩きようだった。
「この動画、私に送ってくれない?」
「いいよ。個別ラインで送ればいいよな?」
「そうそう」
言われたとおりに動画ファイルを送ろうとする。
この時、俺達は気付いた。
「俺と歩美って、ラインのフレンドじゃなかったんだな」
「そうみたい。〈ガラパゴ〉ではフレンドなのにね」
俺のフレンドリストに歩美が登録されていなかったのだ。
それなのに萌花が登録されているのは、なんだか複雑な気持ちになる。
ちょうどいいから萌花をフレンドリストから削除しておいた。
ついでにブロックリストへ入れておく。
「これでよし」
歩美をフレンドリストに登録し、動画を送る。
「ありがとー」
歩美は受け取った動画を確認すると、スマホを懐に戻す。
「この島に来るまで、私達って友達じゃなかったんだよね」
「そういえばそうだな」
友達どころか、話したことすらなかった。
「大地と知り合えたことについては、この島に感謝しないとね」
「それは俺のセリフさ」
歩美だけではない。
波留や由衣、それに千草だってそうだ。
この島に来るまで、彼女らとの関係はただの顔見知りだった。
それが今では大事な仲間として認識し合っている。
(本当に、この島には感謝だな)
島に来てから今に至るまでを振り返り、そう思った。
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