6 禁じの英智①




 解読するのに必要そうな本を数冊抱え、慌てて図書館のカウンターまで戻ってくると、そこにはヒースリングと話すリリアリアの姿があった。


「第二王女殿下! 申し訳ありません、早急に戻らず……!」

「構いませんよケイデンス。何か良い本はありましたか?」

「はい。変な部屋を見つけまして……」


 カウンターの隣にあるソファーに腰を下ろし、彼女は大判の書籍を膝の上で開いていた。

 色とりどりの草花が、説明文付きで掲載してあり、リリアリアがヒースリングに依頼し、周辺諸国から取り寄せた図版だという。

 背後に控えるライデンリィにも頭を下げると、気にするなと彼女はおおらかに首を振った。


 ケイデンスは抱えていた本をカウンターに置き、乗り出すように凭れているヒースリングへ、先ほど発見した本を見せる。


「ヒース、これは借りられるか?」

「んー? ……あれあれ、随分、面白い本を見つけてきたねぇ」


 ヒースリングは本を受け取り、外見や紙面の様子を確認しつつ、珍しく悩む仕草をした。

 図版を閉じたリリアリアとライデンリィも近寄り、繁々と本を覗き込む。

 王族教育の一環として、語学に精通しているリリアリアには、書かれた文字が流暢に読めたようだ。彼女は困惑気味に眉を寄せてる。


「ケイデンス、これは禁書です。普通、図書館で管理されているような代物ではありません。コーダ司書、どういう事でしょう? なぜこのような物が我が国の図書館にあるのですか?」


 険しい顔で詰め寄るリリアリアに、ヒースリングは相変わらず表情の分からない相貌で、首を傾けた。


「これはねぇ、個人の所有物なんだよぉ。図書館に入り浸り過ぎて、図書館の一部を自分の部屋と魔法で繋いじゃったんだぁ」

「まぁ」

「きっと経年劣化して、魔法の効力が途切れちゃったんだねぇ。……でも、そう、禁書であることに違いはないし、ボクもイルデロンには、危ない事はしてほしくないなぁ」

「その、禁書って、所持しているだけで危ないんですか?」


 禁術の記載があるほどだ。薄々、宜しくない本である事は分かっている。

 それでもケイデンスはこの本を読み込み、ここに書いてある魔法行使手順を我が物にしたかった。


 無意識下で強い意志を持ち、爛々と双眸を輝かせるケイデンスに、リリアリアは片手を頬に当てて僅かに沈黙する。


「そうですわ。場合によっては所持しているだけで、死罪になりますの」

「死罪!?」

「そうそう、それに、閲覧規制魔法がかかっているから、よほど工夫しないと読めないしねぇ」

「え?」


 ヒースリングの間延びした言葉に、ケイデンスは思わず真顔で声を上げた。


「閲覧規制……? 古語で書かれているから、じゃないのか?」

「………………まぁケイデンス、冗談はよしてくださいまし。禁書は見た目で判断できるよう、強力な魔法がかけられているのですわ。つまり読めないのです」


 困惑を隠せないリリアリアが、扇を広げて口元を隠し、上品に笑う。

 しかし、とケイデンスが反論しようとして、ヒースリングに防具の留め具を掴まれると、思い切り引っ張られた。

 本に肘が当たって雪崩が起き、ライデンリィが咄嗟にリリアリアを引き寄せて、カウンターから距離を取る。


 突然の事態に意識が追いつかないまま、ケイデンスがヒースリングに視線を向けると、小柄なソレには珍しく真面目に口を引き結んで、長い裾でケイデンスの額を撫でた。

 目深にかぶるキャスケットと、長い前髪の間から微かに、闇が手招いている錯覚がして、ケイデンスは吸った息を飲みこむ。


、やっぱり君は、ボクの偉大なる杖だねぇ」

「ヒース……?」

「ふふ! いいよぉ、この本、君にあげる。禁書には抜け道があってねぇ、誰でも読めれば禁書じゃなくなるんだよぉ。だからボクが、禁書じゃなくしてあげる」


 いつも通りの雰囲気に戻ったヒースリングは、ケイデンスを解放すると、古びた本をカウンターに置いた。

 そしてライデンリィに頼み、図書館の窓を全て閉めるよう伝える。


 二人とも状況が把握できず顔を見合わせ、しかし何事か不味い状況になる可能性を察し、リリアリアが眉を寄せたまま首を振った。


「なりませんわ、コーダ司書。わたくしの騎士に危ない事は……」

「大丈夫だよぉ、アルテメリオン偉大なる啓示。彼は大好きな君の為に頑張るんだよ、応援してあげなきゃねぇ」

「っちょ、おい、ヒース……!!」


 にこやかに口元へ笑みを浮かべるヒースリングに、リリアリアは一瞬、呆けた顔でケイデンスを見た。そして仄かに頬を染め、呼吸を震わせる。

 観念した様子で嘆息した彼女が、ライデンリィに許可を出せば、女性騎士は力強い声量を響かせて魔法を行使する。

 換気の為に薄ら開いていた窓が、次々と閉じていくと、図書館内は異様な静寂に包まれた。


 ヒースリングは本の上に袖を起き、ケイデンスを見上げる。


「この本には、何が書いてあった?」

「…………歌わなくても魔法を使う方法、だと思う。全部は理解できなかったが……」

「せいかーい! 音痴な君にはピッタリだねぇ。実はこの本が禁書になる前に、ボクも内容は読んだから知ってるよぉ。に魔法を代替わりしてもらうんだよね」

「魔物? 古代精霊って、書いてあったと思ったんだが」

「翻訳としては正しいかもねぇ。でも本質は魔物のことなんだよぉ。……いいかい、ケイデンス。ボクが君を手助けしてあげる」


 ヒースリングに導かれ、ケイデンスは同じく本に両手を置いた。

 特に魔力の変動や、揺らぎも感じない。今から何が行われるのか皆目見当もつかず、ケイデンスは本と司書を交互に見比べる。

 ヒースリングは昇降台に上がり、ケイデンスへ目線を近づけると、を見せながら、口角を吊り上げた。


「さぁイルデロン、この本が読みたいって、強く思ってねぇ」


 促されるまま心の内で願った瞬間。


‎ 言いようのない浮遊感がケイデンスを襲った直後、ヒースリングの小柄な身体が、後ろに吹き飛ばされるのが見えた。

 ケイデンスが咄嗟に腕を伸ばし、ゆとりのある袖を無造作につかむと、おおよそ人間とは思えない、歪な感触が伝わって目を見開く。

 そのままひっくり返る難を逃れたヒースリングは、唖然とした顔でケイデンスを見上げた。

 

「……あれあれぇ? イルデロン、君って奴は、やっぱり一筋縄じゃいかないねぇ」

「何を」

「ケイデンス、本が!」


 リリアリアから発せられた悲鳴混じりの声で、反射的に手元にある本へ視線を向ける。

 そこにあったはずの古本は、美しい魔法の放物線を描いて、滑らかな革製の表紙を持つ本へと生まれ変わっていたのだった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る