page08 : 真の優しさとは

 学園長室を移動したグレイは、研究室に戻ろうとしたが早々にとある人物に捕まった。


「こちらが昨日行われた健康診断の結果です。身体、魔力、共に健康でした」

「見た目上は元気、と。健康診断に来ていたという事は、少なくとも授業にくる意思はありそうだ」


 グレイはその相手から受け取った、とある資料を眺めている。場所は職員室だ。


「普段は普通に会話もできています。ただ、どこが心に距離があると言いますか、時折、寂しそうに遠くを見ていることがあります」

「心の問題は対処が難しい。子どものような不安定な時期は特に」


 グレイは、目の前の資料に視線を落としつつ、頻繁に左右に動くに意識を奪われそうになっている。


「そうですね……。大人たちの都合で、大切なお友達と離れてしまったのですから……」


 そして、相手が悲しそうにすると、もペタンと地面へ垂れる。


「…………彼から親友のことを聞き出したのは君だったか」

「へ?あ、はい!!として、見捨てられなくて」

「立派な優しさだな。あのナタリー先生も、少しは見習って欲しいところだ。……しかし」


 彼女は拳を握りしめ、己の心情を全力で伝えてくる。

 全力故にグレイには優しさが伝わる……が、ただの情報共有にしては、被害が大きすぎる。


「ティア先生、とりあえず座ったらどうだ?机の上が大変なことになっている」

「え?ひゃぁぁぁあああ?!す、すすすみませんっ!!私のしっぽが!」


 振り返ったティアの眼前には、しっぽが成した壮大な影響が広がっていた。机の上に整理整頓された教科書やブリント類が散らばっている光景が。


「しっぽのコントロール、相変わらず上手くいかないな」

「す、すみません……昔からの癖で」


 ティア・アルレーゼ。

 学園の教師で、特徴は白い髪とそこから生える二つの狐耳。そして、今なお揺れている、美しい白いしっぽ。


――彼女もまた、獣人と人間のハーフである。



「落ち着いたか」

「は、はい。お騒がせしました」


 机の上の片付けを終え、のグレイに向き直る。


 黙って資料に目を通しつつ、たまに落ちてくる紙を拾い上げて見守っていたグレイ。ティアとグレイは、出会って3年目。


 グレイは彼女の隣人として、度々相談に乗ったりしている、そんな関係である。


 いや、正しくはおっちょこちょいで天然な彼女の被害を防ぐべく、そして面倒事を避けるために、3年間世話を焼き続けている。


「ニコラの話に戻るが、ティア先生の情報を聞くに今のところ私のクラスに投げ出される理由は無いように聞こえる。多少心に問題は抱えているようだが、他に何か問題が?」


 そう。

 グレイが担当するZクラスは、あくまで特別教室。学園の問題児たちが集められた、言わば特別教室という監獄である。


 貴族主義に、天才引きこもり姉妹、魔力暴走少年と、ここまでグレイも納得の厄介揃いである。


 しかし、ニコラに関しては大きな問題は見当たらない。

 この程度の問題で、グレイという異端に頼むほどこの学園の教師はやわではないのだ。


「そう……ですね。普段の彼は、大人しくてとてもいい子です」


 彼。含みのあるティアの言い回しに、グレイはぴくりと眉を動かす。


「ニコラさん、集落の親友をとても大切に思っています。そのせいか、他の友達を作りたがらなくて」

「難儀だな。しかし、それだけでは無いんだろう」

「その、前に他の子に親友をバカにされた時、……とても怒ってしまって……それで」


 ティア先生が口ごもる。

 その件に関しては、グレイにも覚えがあった。


「試験後の暴行事件だな?確か試験生が一人、重傷を負っていた」

「はい……。その時止めに入った先生方も何人か怪我をされて、担任一人で対応は出来ないと、皆さん怖がってしまってます」

「なるほど。それでZに飛ばされたわけだ。だが、試験時に暴行事件など、入学禁止にはならなかったのか」


 魔法学園とはいっても、中身は学校である。

 入学に適さない者、犯罪者などはもちろん入学出来ない。試験日に暴行事件など、普通は入学取消である。


「えっと、……これは秘密でお願いします。実は、学園に入学出来なければ、ニコラさん、単身で集落を追い出されてしまうらしくて……。その事情を知った学園長が、先生方に根回しして入学を許可したみたいです」

(……あのジジイ、初めから私に丸投げするつもりだったな。どうせ、その時に特別教室の話もしていたことだろう。腹の立つジジイだ)


 胸中悪態を着いてみるも、グレイの頭に浮かぶのは何食わぬ顔で笑みを作る学園長の姿。


 彼は一体なん手先まで読んでいるのか、グレイですらも把握しきれていない。


「ニコラさんも、先生たちが避けていることは薄々感づいていると思います。あの子は賢いです。……それが、返って彼を苦しめているのだと」


 特別教室へ入ることは、学園で過ごすため既に決まった事項。ティア先生が悔しい表情を見せるのは、彼の想いに寄り添ってあげられなかったからだろう。


「だが、ティア先生のような優しい先生が居ることも、賢い子ならば理解しているはずだ。今の彼にとってティア先生の存在は、きっと無くてはならないモノだろう」


 そう、涙目のティアに告げて、席を立つ。


「あとは任せろ……なんて、無責任なことを私は約束したくない。だが、クラスの担任として彼を無事に卒業させねばならない。それが私の仕事だ。仕事には手を抜かない」


 慈悲も容赦も、そして放棄することもしない。

 それがグレイという者の優しさである。


 しかし、時には別の優しさが必要な生徒もいる。


「だから、ティア先生はそのまま、彼を気にかけてやってくれ」


 まだ顔を合わせたことも無い生徒。

 だが、グレイは確信していた。ニコラはまだ、彼女を必要としているに違いないと。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「さて、無事に卒業……などと大層なことを掲げたはいいが、肝心の生徒の居場所がさっぱり。……まったく、手間をかけさせてくれる」


 まだ授業が完全に開始されていない、学園の校舎の中。

 授業は無いが、校舎内はそれなりの数の生徒が行き来している。


 大半の学生が寮ぐらしのため、彼らにとって学園と言うのは大きな遊び場の役割も果たしているのだ。


「あれ、グレイ先生じゃん!」

「ホントだー!なんか久しぶりな感じ」

「おはよう。朝から随分元気だなお前ら。私は会いたくなかった」

「わっ!!いつものグレイ先生だ!」


 中庭の横を通りかかったグレイを、元担当クラスの生徒たちが襲う。朝から元気な生徒たちに対し、グレイは相も変わらず素っ気ない態度を示す。


 久しぶりの彼らにとっては、その対応も懐かしい。


「何してたんだ?」

「暇つぶし!寮って何も無いからつまらないんだよ!」

「そうそう。それで、適当に校内を歩き回ってたら、いつの間にか集まってたの」

「類は友を呼ぶ……か。元気な者同士、結構な事だな」


 わいわいと騒ぎ立てる彼ら彼女らに、グレイも少し毒されている。知らぬうちに、その口元に笑みが浮かんでいた。


「グレー先生は何してるの?私たちより遅刻してくる先生が、こんな朝早くにいるなんてめずしー!」


 恐らく、学園の教師の中でも、生徒とこれだけ距離の近い者はグレイだけ。彼女に否定的な教師陣とは反対に、生徒からの人気は相変わらず高い。


 馴れ馴れしいと感じるだろうが、グレイの実力を評価しているからこその信頼である。


「仕事だよ。ちょっとした人探しだ」

「人?だれー?この学園の生徒?」

「……そうだな。ニコラ・クラークという1年生を探している。灰色の耳としっぽを持つ、170センチくらいの男子生徒だ。心当たりはないか?」


 学園での人探しの場合、実は教師よりも生徒の方が情報を持っていたりする。


 情報漏洩になりかねないが、生徒の名前くらいは教えても問題は無い。


「灰色……?って、確かさっき」

「あぁ、たぶんあの子の事だよな」

「なんだ?何か知っているのか」


 グレイの情報を聞いた生徒たちが、お互いの情報の確認を取り始める。何か知っている素振りだ。


「実は……さっきまで、食堂で朝ごはん食べてたの。そしたら、そこで上級生と言い争ってた子がいて。騒ぎになる前に上級生がその子を連れて出て行っちゃったんだ。その時捕まってたのが、狼耳の男の子だったと思う」

「なるほど。何かトラブルに巻き込まれている可能性がある、と。……まったく、君ら生徒というのは、いつも教師を困らせる」

「それはグレイ先生だから……じゃない。手伝ってあげようか?」

「お前らがか?辞めておく。余計な手間が増えそうだ」

「あ、ひどーい!!これでも、私たちもう2年生なんだけど!」


 グレイの辛辣な本音も、彼らには通用しない。

 彼女の言葉がいつも生徒のことを守っているのだと、1年を通して理解した。


 そして、この先に続く言葉もまた、彼らは知っている。


「これは私の仕事だ」


 これが生徒とグレイ先生の間にある、確かな信頼の証である。



 生徒に貴重な情報を聞いたグレイは、それを頼りに食堂へやってきた。


 学園の食堂は中央が吹き抜けの3階建て。各階に受け渡しのカウンターがあり、王国の大規模なレストランよりもその規模は大きい。


 国内最大の生徒数を誇るスペリディア魔法学園だから成し得る建築だ。


「さて、ここから外に連れ出したとなれば、裏庭か、あるいは人通りの少ない連絡通路か……」


 人の最も多い食堂に対し、この時期、校舎と食堂を繋ぐ連絡通路は人が少ない。寮と食堂が別の連絡通路で繋がっている影響である。


「……まずは裏庭か。それと、あいつらをどう使ってやるか」


 グレイは、チラリと背後を一瞥する。


 食堂の入口からグレイを監視するいくつかの視線。


 ここでひとつ補足だが、生徒とグレイの間にある信頼は、何も一方通行では無い。


 グレイにも、生徒に対しある種の信頼を置いている。

 子どものと優しさがブレンドされた、分かりやすい意思を。


 ……要するに、彼らに尋ねたこと自体が、グレイの作戦のひとつであった。


「……なぁ、グレイ先生さ」

「うん。私たちのこと、絶対気が付いてるよね」

「グレイ先生に協力しようって、そう言っただろ!」

「あっ、グレイ先生行っちゃうよ!」


 追っている生徒たちも、その事は充分に理解していた。

 それでも、彼らは喜んでグレイ先生に協力する。



 食堂を連絡通路側の扉から出て、寮の建物を迂回するようにして進むと、人の少ない裏庭にたどり着く。


 この先は植物を専門とする魔法学で使用する、植物園があるだけ。授業以外では、生物研究サークルの生徒が稀に訪れるのみで、基本的に施錠魔法がかけられている。


 用がなければ学園のこちら側までは滅多に人が来ない、そんな場所である。


「なぁ、いいだろ?俺たちを手伝ってくれよ」

「……何度も答えさせるな。無理なものは無理だ」

「そう言うなって。獣人の体は頑丈なんだから、少しくらい訓練に付き合ってくれてもいいじゃないか」


――人が訪れない。

 それは、人に見られてはのある人々が、内密な話をするに最適なたまり場となっていた。


「ちっ、感じの悪いやつだ」

「なぁ、こいつ……、1年のくせに生意気じゃんか」


 現在、裏庭に5人の人影があった。


 ガラの悪い4人の3年生と、灰色の耳がパタパタと動くガタイの良い獣人の男子生徒。――ニコラ・クラーク。


 彼を取り囲み、3年の生徒たちが鋭い眼差しを向けている。


「お前、状況分かってんのかよ。4対1だ、いくら教師を相手に問題を起こしたからって、勝ち誇ってんじゃねぇぞ」


 言葉遣いも荒々しくなり、剣幕な空気が漂う。


「俺は何もしてない。だいたい、課題を忘れた先輩が悪いってのに、入学したての1年生を脅してまで留年したくないのか?その程度の実力なら、学園なんて辞めちまえばいい」

「こ、こいつっ……調子に乗るんじゃねぇ!!」


 苛立ちを抑えられない相手に、最悪の返答をしたニコラ。本人は至って真面目に返答したつもりも、彼の性格を知らない生徒には、煽られているようにしか感じられない。


「そこまで偉そうなことを言うからには、それなりの覚悟あるんだよなぁ?!――肉体強化ヒートアップ


 リーダー格と思われる生徒が、その巨体に強化を施し、大きな拳をにぎりしめる。不良に近しいとはいえ、学園に入学し3年も過ごしきた実力は本物である。


「お前が協力してくれねぇなら、無理やり進めるまでだ。てめぇら!!少し痛い目に合わせてやるぞ」

「あいよ!」


 寄って集って、1年生に対し複数人で殴りにかかる。


「おらあぁああぁああああっっっ!!」

「…………」


 不良の重たい一撃を、ニコラは両腕を盾にして正面から受ける。


「へっ、その程度の防御で……」


 腕に接触した拳が光を纏う


「――防げると思うなインパクト!!」


 拳の光が弾け、ニコラを吹き飛ばすほどの強力な衝撃波が発生。ダメージは受けずとも、衝撃まで無効化はできない。


 寸前で拳の方向を誘導し、壁に直撃するのは免れたニコラ。しかし、両腕が痺れる感覚に不快感を覚える。


「その程度かよ!!生意気な口聞いておいて、そんなんだからんだろ?」

「――っ!」


 男の口から飛び出したに、上下していたしっぽがピタリと止まる。


「兄貴、なんですそれ?」

「なんだ、知らねぇのか。そいつはな、中途半端な生まれ方をしたせいで、住処から追われたんだよ!大切だった親友にも、裏切られたって話だぜ」

「ひゃははははは!!そりゃ傑作だ!」


 指をさして笑いだす不良たち。

 何も言わず俯くニコラを見て、笑いに拍車をかける。


「そんな形だけの友達ならよ、俺たちが代わりに友ってやつになってやるよ?」

「いいなそれ!!今日から俺たちは友達だ。な?」


 ニコラの親友を嘲笑うかのような笑み。態度。

 それは、彼の中の超えてはならない


「だからよ、いい加減俺たちに……」

「――殺すビーストモード


 肉体を流れる微弱な魔力が、ニコラの身体を駆け巡る。

 獣人族特有の、圧倒的な身体能力。魔法という長距離の圧倒的な攻撃が蔓延る世界で、彼らが生き長らえてきた最大の理由。


――ビーストモード。


 人間の使う身体強化とは大きく異なり、その性質は獣の本能を呼び起こす魔法。


 身体能力と知能。

 体の動きを司る全てに働きかけ、限界を超えた力を生み出す。魔法の速度にも劣らず、元来より持つ優れた肉体に圧倒的な防御まで備えて。


 ビーストモードとなった獣人を倒すには、普通の人間が50人は必要とされる。


「なんだ?その目は――グハッ」


 無知とは、時に身を滅ぼす。


「…………兄貴?」


 一歩前に踏み出した男が、次の瞬間壁に叩きつけられて気絶していた。取り巻きの生徒たちは、その瞬間を捉えることすら出来ずにいた。


 恐る恐る首を回し、気絶した男を目にして、思考がようやく現実に追いつく。


「……ひっ」


 ニコラの真っ赤な瞳に、恐怖を感じる不良たち。

 その実力差に震え無意識に後退るも、既に遅い。


「く、来るなっ、来る――っ」


 また一人、今度は腹に無慈悲な拳が突き刺さる。

 腹の空気を無理やり吐かされ、簡単に意識を失う。


 相手はたった1人、圧倒的人数差だったはずなのに、気が付けばこの通り。


「………………」


 紅く濁った瞳のニコラが、次の標的に迫る。

 もはや相手に敵対の意思は失われ、腰が抜けてしまっていた。


「ま、待って、待ってくれ……。悪かった、このとおりだ。だ、だから……」

「俺もっ、知らなかったんだ……。だからっ、ご、ごめんっ。助けてくれ」


 綺麗な土下座。

 頭を地面に擦り付け、涙目で泣きつく。


――だが、ニコラにその声は届かない。


「ぐああぁぁ、や、やめ……どうして」

「………………」


 土下座する男の頭を鷲掴み、無言で力を込める。

 このままでは人を殺しそうな勢い。


「……うぅ、あ…………」


「そこまでだ――無に帰せディスペル


 ニコラの身体から魔力が抜け、立っていた二人が同時に倒れる。唯一意識のあった男も、恐怖で顔を上げることが出来ずにいた。


「ギリギリ間に合ったか。……これを間に合ったと言えれば、だが」


 あまりに悲惨な現場に、グレイはため息を着く。

 他の教師に見られれば一大事の事件。


「……お前たち、こいつらを医務室に運ぶのを手伝ってくれ」

「やっぱりバレてた」

「まぁ、そのために追いかけてたんだしさ」

「手伝うよー!!」


 ここはひとつ、口の硬い関係者(?)と、後始末をしてしまおうと考えたグレイであった。

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