契約から始まる異種族恋愛オムニバス

🍜

第1話 半月の夜

 この世界には 吸血鬼ヴァンパイアが存在する。その数自体は少ないものの、彼らは一体一体が強大な力を持ち、人間の血を主食とする特殊な生態をしていた。長い時間を生きる彼らは、往々にして残酷で気高い。


 夜の支配者といえる吸血鬼から安寧を奪い返そうと、人間と吸血鬼に対して剣を向けた時代もあった。だが、長い時間を経て人間と吸血鬼は特殊な協定を結び、表面上は対等な関係を築いていた。


 これは、吸血鬼の少女と、そんな吸血鬼の下僕になった男の契約から始まる。


◇◇◇


 分厚い遮光カーテンを閉め忘れた窓からは、ぼんやり光る半月が見える。ソファの脇のランプの明かりで図録を読みながら、ひとつあくびをした。すると、控えめなノックの後にドアが細く空き、薄い水色の目が覗く。部屋の外を30分ほど行ったり来たりしていたが、今日はやっと決心がついたらしい。


「ぁあああにょ、あの……ボクお腹ペコペコでぇ……ごご、ごはん、食べさせてくだ……。」


 鈴を転がすような、いや鈴を持った手ごとブルブル震えているかのような声で、つっかえつっかえ懇願するのがドアの隙間から聞こえてくる。俺は紙面から目を離し、ソファから無言で立ち上がった。


「ひっ!? すすすすすみませんすみません話しかけてすみません! ぃ今すぐ息の根止めてきますゥ!」


 何に驚いたのかは知らないが、声の主は急に怖気づいて謝りだした。慣れてきたそれには反応せず、閉まりかけた扉のノブをすんでで掴んで開ける。見下ろせば、今に走り出す瞬間のポーズのまま固まっている吸血鬼が居た。


 自分で切っているのだろう、ウルフカットに近い頭の前側は彩度の低い赤、後頭部はくすんだ白というツートンカラーの髪は本体の震えに応じて揺れている。は尖った耳と困り眉は今はより下がっており、たれ目で三白眼気味の目には涙が浮かんでいた。


 30センチ近く背丈の差が空いているため、顔を見るとなると自分が上から見下ろすことになる。見開かれた目を見やれば、巣穴に逃げ込む瞬間のリスのように吸血鬼はビクリと体を跳ねさせた。


「キッチン行くぞ。汚れる。」

「へァっ……ひゃい!」


 吸血鬼らしい気迫もへったくれもない震えようだが、契約の立場としては俺のほうが下だったはずである。従順に返事をしたのを聞けば、仄暗い廊下を歩いて目的の場所まで向かった。

 キッチンで手早く用意したのは、濡れ雑巾と布巾と、なるべく鋭いナイフ。ナイフを洗って清潔な布で拭いたら、切っ先を腕に当てがう。曇り一つない金属製のナイフに男の顔が映った。焦げ茶色の短髪にクマの浮いた鋭い灰色の目をした、いつもの俺だ。


「準備した。ここ。」

「うぅすみません……。ぃ、いただきますね……?」


 眉尻を下げて申し訳なさそうな表情をしているが、腹がかすかに鳴ったのは聞かなかったことにしておいた。息を吸ってから止め、躊躇せず刃先を腕に滑らせる。一拍して血が体外に出てきたことを確認すれば、目配せで許しを与える。


 何度も謝罪の言葉を口にはするが、細いのどはごくりと鳴り、小さな手は俺の腕を抑えた。腕の曲線に沿って今にも流れ落ちそうな液体を、赤い舌が舐め上げるようにして掬い取る。湿った柔らかい肉が皮膚をなぞるの触覚の刺激としてただぼんやりと流す。


 空腹だと言っていたのは確かなようで、吸血鬼は必死に血を啜っていた。だが小さい口に相応のサイズの舌は動きも鈍く、唾液と混ざって結局ポタポタと零れてしまう。


 吸血鬼の捕食シーンなんぞは見たことのない自分でも分かるが、コイツは血を吸うのが下手だ。牙を立てたり 切った部分を必要以上に舐ったりしないように配慮しているようだが、そのせいで下手さに拍車がかかっている。

 はじめて血を食わせた時からの学習により、ナプキンをはじめから付けさせているが、顎を伝って落ちた液体により既に薄赤く汚れている。


 そう時間はかからずに吸血鬼は腕から顔と手を放した。血はもう出る様子はないが、水道で腕を流しガーゼを当てがって包帯を巻く。処置が終わったのを見れば、ナプキンで口元をぬぐった吸血鬼が話しかけてきた。


「ご、ごちそうさまでしたぁ……。ぁの、き……気分はどうですか? 痛みます、か……?」

「……問題ない。」

「あっ、ならよかっ……いやよくはないですよねすみませんすみません!」


 実際少量だったうえ吸血鬼の唾液の効果やらで痛みもない。だがほっと胸をなでおろしかけ、また頭をぶんぶん振って謝り倒しはじめる。この騒がしさには割と慣れたが、後片付けの邪魔ではあるためさっさとキッチンから追い立てた。


 そんなこんなで床の汚れを雑巾で拭いたりナイフを洗ったりしていたら、ふと気が付いたことがある。


「名前、聞いてねえ。」


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