罪の紋章

 ー始まりは無だった。


神は何も無い事を嘆き、門を開いて涙を落とした。


涙は無の中に陰陽を生み出し、陰と陽が争い合った。


陽が陰を引き裂いて大地が生まれ、陰が陽を打ち破る事で空が生まれた。


また、争いの火花は星となり、大地に降り注いだ星が原初の紋章となって世界が動き始めた。


『創世記より』


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「ったく余所者もひでぇ事するねぇ。こんな何もねえ村襲っても銅貨1枚の価値もねえってのに。」


近くの洞穴を寝ぐらにしている野盗団『荒野の鷲』は10人規模という弱小野盗団だ。


野盗団と言ってもほとんどが周辺の貧しい村出身のならず者達で、貧乏暮らしに嫌気がさして村を飛び出したが都会に馴染めずかと言って郷にも帰れない奴らが寄せ集まってできた集まりだ。


荒らされた廃村を歩き少しでも何かないか漁っているこのベックという男もその1人だ。


そしてこの廃村は彼の生まれ故郷でもある。


「金目の物は期待しちゃねーけど食いもんとかも全くねえな。まーあったらこんな寂れてねえだろうけど。」


この周辺の村はどこも似たような感じだ。寂れすぎて領主にも忘れられ、税金の取立てはないが行商人も来ないその日暮らしが精一杯の村だ。


「やっぱ無駄足かー。いい思い出はねーけどこうなっちまうと寂しいもんだな。」


しみじみそういいながら諦めて村を出ようとしたところで彼はそれを見つけた。


「で、金目の物拾ってこないで食い扶持もねえのに赤子ガキを拾ってきたってか?馬鹿かテメェは!」


赤子を抱いて帰ってきたらベックに門番のマイルズは呆れた声を上げた。


「だってよぉ、まだこんなに小さいんだぜ?可哀想じゃねえか。」


困り顔でそう言う幼馴染にマイルズはため息をついた。


マイルズもあの村出身で2人は旧知の中だ。だからこの男が凡そ野党向きではない人のいい奴なのはよくわかっている。


「あのなベック。俺たちはなんだ。」


「野盗団『荒野の鷲』の一員だな。」


「わかってんなら野盗が人助けして赤子拾ってくんじゃねぇよ!どうすんだ?ただでさえ食い物少ねえし赤子に飲ませる乳が出るような女はここにゃいねえぞ!?」


「大丈夫だ。こいつもう歯も生えてるし麦ふやかしたもんでも問題ねえよ。」


「だーからその麦すらも余裕ねぇんだっつーに!」


お人好しで楽観的な幼馴染の言葉にマイルズはため息しか出ない。


だがその赤子を捨ててこいと言えない彼も十分お人好しと言える。


「大体頭になんて説明するだ?故郷の様子を見に行ったら廃村になってて赤ん坊拾ったから育てますなんて言うつもりか?」


「おーよくわかったな。まんまその通りだ。」


「馬鹿かテメェは!んなこと言ったらぶん殴られるだけってわかんねぇのか!」


あくまで楽観的な幼馴染に少々苛つきを覚えるマイルズだった。


「そうなんだけどさぁ、こいつの右手の甲を見てくれよ。」


「あん?・・・ちっせーしぷにぷにしてんなぁ。それがどうした。」


「大きさや感触じゃなくて手の甲よく見てみてくれよ。」


「あ?・・・これ、紋章術の紋章か?なんでこんなもんがこんな赤ん坊に刻まれてんだよ。」


「さぁなぁ。もしかしたらこいつの親が遺した忘形見かもなぁ。」


「はぇー。あの村にそんなもん刻めんでるような奴いたか?」


紋章術は刻めば誰でも使えるが刻むためには紋章師に高い金を払わなければならないし紋章に対する素質が無ければ刻んでも使いこなせないものだ。


そんな物を刻む金をあの村の住人にあるとは思えないし、ましてや赤子に刻むなんて酔狂だ。


「爺さんに診てもらおうと思ってるんだがこんな紋章みたことねぇだろ?ひょっとしたらすんげえお宝かもってな。」


赤子の手に刻まれた大鎌のような紋章は確かにマイルズにも見覚えはない。


弱小とはいえ野盗をやっていれば時折襲撃されることもあり、そんな野盗狩りの連中の中には紋章術を使う者もいる。


この荒野の鷲には不当に追いやられたという経歴を持つ紋章師の老人がいたため、彼らにはそこそこの紋章の知識があった。


知っているのは主な5行属性である炎、水、風、地、雷や身体強化に使われる剣、盾の系統だがこれはそのどれにも当てはまらない。


大鎌だから剣みたいな身体強化のものかもしれないが珍しいのは確かだ。


紋章は封印球と呼ばれる魔道具に吸い出して取り外すことが可能だがどういったものかわからないならそのままこの赤子に宿らせておいておけば利用価値も生まれるだろう。


そう考えているのがわかったマイルズは再び苦笑する。


「まぁ頭も鬼畜じゃねえしこんな赤ん坊を放り出せとは言わんだろうけど・・・お前の飯の量が減る事は覚悟しとけよ?」


幼馴染の言葉にベックも苦笑を浮かべたがこの時彼らはその判断がこんな事態を引き起こすとは思ってもいなかった。


「ベック、お前さんはとんでもない事をしてくれたのう。これでわしらの命はこの子・・・いやこの子に宿る紋章の気分次第になってしもうたわ。」


野盗団に住む紋章師の老人は赤子の手に宿る紋章を見て息を呑み、顔を青ざめさせた。


そしてしばらく逡巡したのちに深くため息をついてそう漏らした。


悪事には手を貸さないが何かと知恵を貸してくれるために共同生活をしているこの老人の狼狽えた様子に周囲にいた他の野盗達も息を呑み注目する。


「昔、40年ほど前かの。ワシが街でまだ見習い紋章師をやってた頃じゃ。1人の男が師匠に紋章の封印取り出しを依頼しにきたんじゃ。」


少し震える手は恐怖からかそれとも酒精が切れたからかは不明だが老人は気を保つために酒をひと煽りして続ける。


「しかし師匠にもそれはできなんだ。師匠は国でも5本の指に入るぐらいの実力を持った紋章師でな。


そんな師匠が出来ないと言う驚きと紋章に興味を持ったんじゃ。その男が外せなかったことに驚いていなかった事も不思議に思ってな。」


またひと煽り。


「師匠も自尊心が傷付いたようでな。その紋章がなんなのか尋ねたんじゃ。そうしたら男はこう言った。


『どうか、私に害意を向けないでください。この紋章は《罪》の紋章。創世記に出てくる原初の紋章の1つです。』


男の話によればそれは持ち主の罪に基づいた力を与え、持ち主の意思とは関係なく持ち主を生かすために周囲の生き物から生命力を吸い取るんだそうじゃ。」


老人がそう言った瞬間周囲の野盗達は慌ててベック達から距離をとった。


「おっと、お主ら。その赤子に害意を持つでないぞ。男の話には続きがあってな。紋章は周囲の者から生命力を吸い取り、関わった者に1つの呪いをかけるらしい。


その呪いは服従の呪いと言われるもので紋章の宿主に害意を持たぬ限りは生命力の吸収を最小限に留めるらしい。


しかし害意を持った瞬間どれほどの距離が離れていても瞬時にその生命力が全て吸い尽くされることになるらしい。


ワシがこの子を見るまでにこの子と触れ合った者は全員その呪いを受けていると思った方がいいぞ。」


あまりにもの内容に全員が息を呑む。


「そしてもう1つ。さっきは害意を持たない限り吸収は最小限になると言ったが1つだけ例外がある。


それは宿主の命が窮地に立たされた場合じゃ。その場合は宿主を生かすために優先的に生命力が吸い出される。


まぁ害意を持った者が最優先じゃがな。不足分は距離が近い順じゃ。まぁ離れすぎていれば無関係の者らから吸う分の方が多くなるようじゃが。」


「てことは俺たちの命はそのガキに握られてるってことかよ。ふざけんな!」


老人の説明を聞いて野盗の1人コーザが激昂する。


「だから言ったじゃろう。わしらの命はこの子の紋章次第となったとな。」


既に落ち着きを取り戻した老人にしかしコーザの気は晴れない。


「冗談じゃねぇ!これから一生そのガキにご機嫌取りつつ生きろってか?やってられっか!ぶっ殺してやる!」


ついには剣を抜き赤子に襲いかかる。


「よすんじゃ!この子に害意を持っちゃいかん!」


「死ねぇ・・・ぐっ!」


しかし後1歩というところでコーザは立ち止まり、苦しそうに膝をついた。


「お主と同じようにかつてのワシの兄弟子もその男に襲いかかったが同じようになった。


それほどに原初の紋章の力は強大なんじゃ。悪い事は言わん。けしてこの子に害意を持つでないぞ。


悪意や畏れなら問題ないがけして害意だけは持たん事じゃ。」


そう言ったところでコーザは限界となり気を失ったがそれでも吸われ続けてるのだろうますます顔色が悪くなっていく。


「大丈夫だ。もう許してやってくれ。な?」


するとベックは赤子を抱えてそうあやし始めた。


「ちょっとお前さんが怖くなっただけさ。殺してしまうのは許してやってくんねぇか?な?」


優しく諭すようにベックが言うと納得したのか紋章の光は弱まっていき、コーザの苦悶も治まっていった。


「こんなもん、どうすりゃいいんだよ。」


野盗の1人がそう呟く。


「すまねぇなみんな。俺がお人好しなばっかりに迷惑かけた。」


そう言うとベックは旅支度をし始める。


「お、おいベック?」


その様子に戸惑いながらマイルズが声をかけると、


「この子がいたらみんなの迷惑になるみてえだしな。拾ってきた俺が責任持って育てるべよ。


なーに、野盗は向いてなかったがこの子の食い扶持くらいならなんとかするべ。」


力なく笑うベックにマイルズは何も言えなかった。助けてやりたいが自分ではいつかこの子に害意をもってしまう可能性が捨てきれなかった。


逆を言えばベックのこの赤子に対する情愛が理解できなかった。


「大丈夫だ。たぶん、お前さんの反応が普通なんだと思う。けど俺には無理みたいなんだ。」


元々その日暮らしの野盗生活。手荷物はそれほど多くない。最低限の食料と装備に寝泊まりに必要な物を詰めたら終わりだ。


準備を整えたベックは赤子を抱えて立ち上がった。


「じゃ、みんな巻き込んですまんかったな。頭にも包み隠さず説明してくれていいべ。コーザの状態と話を聞けば俺の判断が最善てわかってくれるだろたぶん。」


誰も何も言えず無言のまま彼を見送る。


「ベック!」


洞穴を出たベックを呼び止め、マイルズが駆け寄った。


「俺は何もできねぇ。助けてやれねえ。けどお前の力になりてえ。」


「わーってる。わーってる。お前の事は昔からよーく知ってんべ。」


「ベックよ。こいつを持ってウベの街の冒険者ギルドに行くがええ。きっと助けになる。」


紋章師の老人がそう言って書状を手渡す。


「助かる。じゃ、爺さんも元気でな。」


最後まで楽観的な様子でベックは別れを告げ去って行った。


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-


その後、目を覚ましたコーザが恐怖に気を狂わせ暴れ出し、人知れず『荒野の鷲』はこの世から姿を消すことになる。

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