六、兄弟を引き裂く陰謀再び!信行、覚悟の決意

 この年――、弘治から永禄に改元。

 尾張上四郡守護代にして岩倉城主・織田伊勢守信賢おだいせのかみのぶたかは、焦っていた。いや、恐れていたと言っていい。

 

 織田伊勢守家は織田教信おだのりのぶから始まる織田家の宗家で、尾張国の守護代であった。

 聞いた話によれば尾張守護代を世襲し、伊勢守を称したという。

 主君である守護・斯波氏とともに中央政界での権力闘争に終始する一方、尾張には又守護代またしゆごだい(※守護代の代理)として、代々大和守を称する一族・大和守家を配置して統治を行っていたという。

 

 それが応仁の乱にて、織田一族は分裂。大和守家も尾張守護代となり、尾張上四郡を伊勢守家が、下四郡を大和守家が守護代として統治することになった。

 だがその大和守家は、織田信友の死によって壊滅した。

 これで邪魔者はいなくなったと思いきや、織田弾正忠家の存在が信賢を悩ませた。


 この春、信賢は浮野うきのの地において信長と戦った。

 岩倉軍三〇〇〇に対し、信長軍は二〇〇〇。

 数では勝っていたが、犬山城主が信長に加勢した。形勢は一気に傾き、信賢は破れた。


 弾正忠家当主・信長は、現尾張守護・斯波義銀しばよしかねを清州城に抱えているという。

 守護代として台頭すれば、伊勢守家は潰される。

 ゆえに、信賢は恐れていたのだ。

 

「殿、信長を討ちましょうぞ」

「左様、尾張を奴に渡してはなりませぬ」

 家臣らが、信賢に再度の決起を促してくる。

 確かにこの尾張を尾張守護とともに、守護代として代々統治してきたのは織田宗家である伊勢守家なのだ。

 しかし信賢には、ある思惑があった。

「いや、まだあの男がいる。奴に動いてもらうのだ。織田信行に――」


                 ◆


 永禄元年、秋――。

 旻天びんてん(※秋の空)に雲が斜めに流れ、秋茜あきあかね(※赤とんぼ)の群れが、清須の城館まで飛んでくる。

 しかし一人の男の来訪が、長閑のどかな空気を凍りつかせた。

 やってきたのは、末森城に戻っていた柴田勝家である。ただでさえいかつい面構つらがまえの男が太い眉をぐっと寄せて来るのだから、ただらなぬ雰囲気なのは一目瞭然である。

 柴田勝家は弾正忠家家督争いで信行を推していたが、稲生いなおの戦い後、信長に従うと自ら申し出てきた。ただ亡き信秀の時代から末森城にて仕え、一旦は次期君主とした信行のことが気になると、末森城に戻っていったが。


 清須城主郭、大広間――。

「嫌な予感が致します」

 勝家が信長に目通りを願っていると報せると共に、恒興はそんな気がした。

「お前の予感は当たるからな」

 信長が、苦笑する。

 そう、恒興の予感は嫌なものほど的中してしまう。

 暫くして、柴田勝家が座した。

 

「勝家、お前は人を驚かせるのが好きなようだな。で、今度はなんだ?」

 確かに信長の言う通り、稲生の戦いでは勝家軍の強さに驚かされ、戦の疲れを癒やす間もなく清須城に乗り込んできた勝家自身に驚かされた。

 信長は笑っていたが、勝家の顔は険しいままだ。

「信行さまに、謀反の疑いがございます」

 信長から、笑みが消えた。

「謀反……?」

「守護代・伊勢守さま家中の者が末森城に参りました」

「お前も同席したのか?」

「いえ……。ですが殿、伊勢守さまは守護代といえど殿に対して敵意を示されたと聞いておりまする。その伊勢守さまが、再び信行さまに接触してきたとなると、ご用心召されたほうがよろしいかと」

「伊勢守どのは、信行に俺を討たせるつもりか?」

 

 どうやら恒興の予感は、当たってしまったようだ。

 信長の心は、複雑だろう。

 稲生の戦いで此方側と戦った末森軍は、林秀貞はやしひでさだの弟・通具みちともが討ち取られて大敗した。

 この戦いの後、出陣を許可した信行、通具とともに兵を率いていた柴田勝家、参戦はしていなかったが、信長を見限った林秀貞を信長は許している。

 信行が守護代・伊勢守の煽りを跳ね除ければいいが、もし同意すれば信長は再び、信行と戦わねばならない。

「勝家、お前の忠告は受け取っておく」

 信長の言葉に、勝家は深く低頭した。


   

 柴田勝家が広間を辞してまもなく、佐久間信盛、佐々成政が広間に呼ばれた。

「殿、これは我らを挑発する策では?」

 勝家の話を怪しんだのか、成政がそう口を開く。

「勝家がなにか企んでいるというのか? 成政」

「柴田どのはこれまで信行さまを強く押しておられたという人物、こうもあっさり我らに味方するとは思えませぬ」

「確か現在の守護代は……」

 胡乱に眉を寄せる信長に、恒興は告げた。

「織田信賢さまと、聞いております」

 聞くところによると、実は織田弾正忠家と、伊勢守家は親戚関係にあるという。

 織田信賢と信長は、従兄弟同士だという。

 だが現伊勢守にて、信長の従兄弟・織田信賢はなかなかの曲者だった。


 長良川にて斎藤義龍率いる美濃・斎藤軍と戦っているとき、尾張で伊勢守家が蜂起したのだ。

 さらに今年の五月には、浮野で激突している。

 この両方の戦いを指揮した伊勢守が、織田信賢なのである。

 はたして、信行は再び決起するのか否か――。


「信長さま――」

 再び二人だけになり、恒興は堪らず信長に声をかけていた。

「勝三郎、俺は信行の本心が知りたい」

「直に――、お会いになるのでございますか?」

「俺は逃げていたんだ。信行と争いたくないというは口実だ。本当は信行の心を知るのが怖かったんだ。もしかしたら信行まで俺から離れていく。それを確かめることから俺は逃げていた」

「信長さま……」

「父上の葬儀で、信行の心が離れたのは理解っていた。だが、やり直せると俺は思っていた。すべてが片付いたら共に尾張のために尽くせると。信行ならわかってくれる、そう信じていたんだ、俺は。まったく、とんだ独りよがりだ」

 信長は前髪を掻き上げ、自嘲気味に嗤う。

「信長さま、会われることはお止めは致しません。ですが、万が一のときは……」

 恒興が言わんとしていることを、信長は察したようだ。

 万が一の時――、対面の場で信行が刃を振りかざせば、弟であろうと討たねばならない。

 非情で、哀しい決断である。

 恒興は、そうならぬよう祈るだけだった。


                    ◆◆◆


 信行がその報せを聞いたのは、十一月のことだった。

「兄上が臥せっておられる……?」

 信行は思わず振り向いた。


 そこには、伊勢守・織田信賢が座っていた。

 織田信賢が末森城にやって来たと聞いて信友は眉をひそめたが、さすがに守護代の来訪を拒むことはできず、対面したのだが。

 

「これは好機ぞ? 信行どの」

 どうやら信賢は、信長を討てと言いたいらしい。

 なんでも信賢は清須城を密かに探らせている者から、信長が病で臥せっていると聞いたという。

「…………」

「まだ迷われているのか? このままでは尾張は、奴の意のままじゃ」

 

 どうしてこうも、惑わしてくるのか。

 信行はこれまで、人の噂などに流されてきた。

 信長のこともそうだ。

 家臣たちは信長をうつけと評し、信行も信じてしまった。

 人の噂は、時に真実を隠す。

 この目で確かめなければ理解らないことがあることを、信行は忘れていた。

 もう、惑わすのはいい加減にして欲しい。

 信行は信賢を見据えた。

 

「もう貴方の指図は受けぬ」

 信賢は信行が逆らうなど思っていなかったのか、動揺した。

「な……、無礼なっ」

「これは、弾正忠家の問題。口出し無用に願う」

「おのれ……、後悔するぞ! 織田信行。わしを拒んだことを!」

 信賢は激昂したが、信行に悔いはなかった。

 そう、決着は己の意思でつける――。

 信行はある覚悟を胸に秘め、母・土田御前の居室を振り返った。


 ――母上、お許しください。信行は、母上のお言いつけを破ります。

  


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