第七話 波乱を報せる北の風

 その日――、近江国おうみのくに某所ぼうしよにて二人の男が向かい合っていた。

室内は質素で、かびの臭いが鼻を突いた。


「――おろかな男よ」

 主座しゆざにいた男は、美濃から届いたという一通の書状に目を通し終わると、ため息とともにつぶやいた。


「お館様やかたさま、書状にはなんと?」

「道三の娘が明日、この尾張に輿入こしいれしてくる」

「お館様、これは千載一遇せんざいいちぐうの機会かと存じ上げます」

 お館様と呼ぶ相手に、男は力なく答えた。

「わしはもう、お館様ではないぞ? まむしに噛みつかれ、美濃を追い出された男ぞ」

「いいえ、頼芸さまは美濃の正当な主にございまする」


 美濃守護大名・土岐頼芸ときよりのり――、彼は天文五年、勅許により美濃守に遷任され正式に守護の座に就いた。

 しかし天文十年、重臣の斎藤道三が頼芸の弟・頼満を毒殺する事件が起こり、これ以降は道三との仲が険悪となり、次第に対立することになった。


それから一年後、頼芸は子の頼次ともども道三により尾張国へ追放された。

 そして、またも頼芸は追放された。彼が身を寄せたのは妹の嫁ぎ先である、この近江国である。


「如何するつもりじゃ?」

「その愚かな男がなにゆえ我らに報せてきたのか――」

 頼芸は、視線を書状に戻した。


 美濃と尾張の和睦――、その証しとなる道三の娘の輿入れ。

 まるで襲えと言わんばかりの内容に、頼芸は口の端を緩めた。


「自分の手は汚さず策をろうするか……。ふん、こうなると道三も哀れよの。かような者が身近におっては……。だが、わしは戦はもう懲り懲りじゃ。一歩間違えば、尾張の織田も黙ってはいまい?」

「我らも手は汚さず、他の者を使いまする。蝮も人の親、娘可愛さに稲葉山城を出て参りましょう。そこで道三を討つのでございます」

「――この男の狙いもそこにあるようだの」

 確かに道三が亡くなれば、頼芸が守護に返り咲けるかも知れぬ。策に綺麗汚いもない。これが、戦国の世なのである。


 だまし騙され、力のあるものだけが頂点に駆け上がっていく。

 主君だとふんぞり返っていても、いつ誰かが裏切るかわからない。

 まさに頼芸が、臣下筋の道三によって美濃から追われたように。


 ――道三、そなたもいずれはその首を狙われる。身近な者によってな。


書状の記された送り主の名にふっと笑い、頼芸はそれをだんの火にべた。

「お館様」

「よかろう。ただし、織田、斎藤両名に知られてはならぬ。慎重にことにかかれ」

「はっ」

 家臣の男は、深々と低頭した。 


                  ◆


 白一色の雪天を、とび旋回せんかいしていた。

 凍えるような北風を真っ向に受け、時にはあおられつつも必死に飛ぶ姿はなんとも勇敢である。


 広い空を、誰にはばかることなく飛び回るそんな鳥が、男は時折羨ましく思う。

 斉藤新九郎利政――、またの名を道三。


 一介の油売りから、下剋上によって美濃の主となった男。その半生は決して綺麗なものばかりではなかったが、彼らはまだなすべき野望がある。


「父上、今回の和睦、承諾致しようだくいたしかねまする」

 稲葉山城天守から広間に移った道三は上段の間に座った。そんな前に座った人物は、道三に対して激しく抗議をした。

「まだそのようなことを申しておるのか? そなたは」

 斎藤義龍さいとうよしたつ――、道三の嫡子である。

「織田は、この稲葉山城に幾度も攻めてきたのですぞ!」

「もう決めたことだ。そなたが口を挟むことではない。義龍」

 道三はそう言って、話を切り上げさせた。


「申し上げます」

 その声に視線を上げると、障子の影に身を潜める忍び装束の女がいた。

「楓か、構わぬ。入れ」

 楓は一礼すると、敷居の近くで改めて片膝をついた。

「殿――、国境に不穏な動きがみられまする」

「不穏な動き?」

「野盗の類かと思われますが、この時期に現れたのが気になりまする」

 これに対し、これ幸いと義龍がまた吠えた。

「父上、やはり思った通りでございませんか!? 織田の罠です。我が美濃を狙っているのです! 父上」

 義龍の言葉に、道三が彼を睥睨へいげいする。

「義龍。そなた――、いつからこの美濃の主となった?」

「ち、父上……っ」

 道三に睨まれて、義龍の顔から血の気が引く。


 確かに義龍は道三の嫡子である。だが『我が美濃』と自信たっぷりに言った言動が、道三は気に入らなかった。


 国は決して国主だけのものではない。元油売りの道三だからこそ、それがわかる。彼とて、好んで戦をしているわけでも、主君にあだなしたわけではない。

 今や蝮と言われる彼にも、まもりたい物があった。この美濃の地に住む万民のため、国を豊かにするという夢を抱いた。

 主君殺しと言われようが、それが彼のやり方である。


「下がれ、義龍」

「…………」

 義龍は唇を噛み締め、広間から出ていった。

「楓、帰蝶はどうしておる?」

「お部屋に籠もっておりまする」

「アレが、男であれば――」

「殿……」


 帰蝶は女なれど、男勝りの性格をしていた。

 乗馬や弓、小太刀の使い方などを教えたのは道三自身だが、男に生まれていれば立派な武将となっていたであろう。

「そなたも大変よのう。帰蝶は普通の女子とは変わっているゆえ。しかも此度は蝮と虎の子が夫婦になる。さぞや、面白いことになるであろうの」

 蝮と虎――、そういわれた道三と織田信秀、その子らが夫婦になる。

 道三はまだ顔も知らぬ娘婿・信長に、ますます興味を抱くのであった。

 

                   ◆◆◆


 信長はこの日も、緋と鬱金色うこんいろからなる小袖を片肌脱ぎにした姿で那古野城下にいた。

 山から吹き込む北風は肌をさす冷たさだが、信長はなんのそのである。


 この頃の城下の者は彼が、那古野城主であることも織田信長だということも知らない。

 那古野城主・織田信長がとんでもないうつけだとは知っているが、その顔は知らないという意味でだ。まさか城主が民に混じり、城下を闊歩かつぽしているのは思っていないである。

 ゆえに――


「吉法師」

 そう呼ばれて、信長は振り返った。

「よぉ、三助。稼いでいるか?」

 三助と呼ばれたのは城下で小銭稼ぎをしているという少年である。

 この少年も、信長の素性は知らないらしい。


 信長曰く、最初に城下に繰り出したときに知り合ったらしく、勝手に織田家家臣の息子だと思いこんでしまったらしい。

「いや、全くだな。せっかく南蛮船からちょろまかしたってぇのに」

 その言葉に、信長に付き添っていた恒興の声が裏返る。


「ちょろまかしたぁ~!?」

  声が大きいぞ。勝三郎」

 信長にとがめられたが、盗んだと軽く言われて平気でいろというのが無理である。


「まさかと思いますが……、この件に関わってはいませんよね?」

 恒興が声を控えめにして聞くと、信長は平然と答えた。 

「仕方ないだろう。こいつらだって食って行かなければならん。ま、詳しくは聞くな」

 確かに恐ろしい事実を聞かされそうで、恒興は追求するのを諦めた。

「吉法師の知り合いかい? そいつ」

 恒興のことを聞かれ、信長は破顔した。

「まぁな。ところで、変わった話を聞かないか?」

「そう言やぁ、三日前から賊が国境を彷徨うろつき始めたらしいぜ。戦の後ならともかく、あんなところにいたって何もねぇのに」

「賊、ねぇ……」

 信長はふんっと鼻を鳴らすと、面白そうな顔をした。


 戦のあと、よく行われたのが落ち武者狩りである。

 落ち武者狩りとは、百姓が自分の村の自衛の一環として、敗戦により逃亡する落武者を探して略奪し、殺害した慣行である。武将の鎧や刀など装備を剥いで売ったり、金品など得たりしていた。  

だがここ最近は、国境で戦は起きてはいない。


「信長さま」

 信長の態度に嫌な予感がした恒興だが、信長はもうその気になっていた。

「面白い。久々に大暴れしてやるか」

「おやめくださいっ! 明日は婚礼の日でございます」

 そう、明日は美濃から信長の正室となる斎藤道三の娘が嫁いでくる。

「その婚礼をぶち壊そうという連中がいるのにか?」

「ならば他のものにお任せを」

「いや、俺がやる」

「信長さま!」

「政秀の爺や、末森の父上には内緒だぞ? 勝三郎」

 こうなると、恒興もお手上げである。

 恒興はため息とともに、肩を落としたのだった。

 

 

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