ぽむぽむゴリラゴリラチェーンソープティング
へむ
馬鹿は力加減を知らない
時計を見ると午前7時をまわったところだった。今日の日当がなければまた借金の利息を滞納することになる。今から事務所に向かったところで他の作業員はすでに郊外で作業を始めているはずだ。今更現場を斡旋してくれることはないだろう。
枕や布団は汗でじっとりとしめっている。窓からたまに風が入ってくるのが救いだった。現場作業のことを考える。炎天下の道はきっと熱をため込んでいるだろう。道端で干からびているミミズを蟻が運んでいく様子を想像する。
せめて水を飲みたかったが、水道も止まっているかもしれないと考えると立ち上がる気にならない。蛇口をひねって水が出てこなければ、きっと嫌な気分になる。
子どものころの俺は水に浮かぶ舟だった。動力をもたず、かといって風を受け止める帆も、流れに逆らうオールもない葉っぱで作られた玩具の舟だ。時間が俺をどこかにたどり着かせてくれるのではないかという漠然とした期待感は徐々に薄れていき、気がつくと水は干からびて舟はその辺で枯れ始めていた。
バイクが止まる音が聞こえた。郵便に違いない。
ポストを開けると公共料金と督促状や通告書が雪崩を起こして地面に散乱した。その中から目当ての便箋を拾い上げ、残りはまたポストに詰め込んでおいた。
「お祭りは今年で終わりみたいです」
母からの手紙にはそう書いてあった。同封された母の写真を眺める。縁側に座ってこちらを見ている。浴衣からのぞく首筋が白くてきれいだ。膝の上に置いた右手には団扇が握られている。
「寂しい気もするけど、なんのためのお祭りかそういえば知らなかったことに気がついて、驚いてしまいました。おかしいものです。あなたとはもう何年も会っていませんね。ワタナベさんも会いたがっています。そのうち食事でも」
母の目の下にはくまがある。黒ずんだ皮膚には皺が細かく刻まれている。そこにワタナベの唾液がしみ込んでいるような気がした。舌先でくまをなぞる。そのまま唇、あご、首筋へと舌を這わせる。あごを伝って汗が写真に滴る。唾液とまざりあっていく。
「ぺろ、ぺろぺろ、ぺ、べろっ・・・」
開け放してある窓から蝉が飛び込んできた。ちゃぶ台の下に墜落し、すぐに飛び立ったがちゃぶ台の裏側に当たってまた墜落した。何度か畳とちゃぶ台の裏でバウンドを繰り返しそのうち動きが鈍くなり裏返って止まった。カップ麺の容器に刺したままの割りばしでそれを摘まみ、窓の方へ投げると、どこかに飛んでいった。
「べろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろべろ、ぱくっ、くっちゃ、くっちゃ、くっちゃ」
膝を抱えて写真を咀嚼していると、アパートのドアを中島が叩いた。木造アパート全体が揺れるような、暴力的な叩き方だった。
「おいアホ。借金返せ。早く鍵を開けろ。ドアぶち破るぞ。俺は破壊神だ。慈悲の心はない。せいっ、せいっ!」
鍵はそもそもかけていないが、中島は頭が悪いから確認もせずドアを破りかねない。インテリジェンスがある人間には当然理性もあり、衝動的にものを破壊しないよう動作にストッパーがかかる。そのストッパーが機能しない人間がまれにいるが、その一人が中島だった。
「よお」
「おはよう!さあ、朝だよー、起きてっ、起きてっ!」
ドアを開けると中島は元気よく挨拶をしてくれた。その顔面におもいきり右ストレートを叩きこむ。
「あはは、俺はやる側の人間だぜっ、ドアホが」
顔を抑えて体をくの字に曲げている中島を前蹴りで廊下に転がし、その横を駆け抜ける。錆びた階段を飛び降りるようにして下る。あのゴリラから2,3万借りているが、返すあてはない。金がないから借りるのに、返せるわけがない。システムとして破綻している。
このままアパートを出て遠くまで逃げてしまおう。それか、そこの公園の前にある電話ボックスに立て籠もろう。
「俺はラグビー部!逃げ切ることは不可能!論理的にキャントッ!」
アホは絶叫しながら追いかけてくる。ものすごく怖い。振り返るともう追いつかれそうだった。電話ボックスまではたどり着けないだろう。
覚悟を決め立ち止まる。イメージはできている。腰を切ってやつのタックルを受け止め、そのままギロチンチョークで締め落とす。痙攣する中島を担ぎ上げて電話ボックスに収納しよう。
無理だった。俺は後頭部をアスファルトに打ち付け失神した。
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