第5話 昼飯がない?!
4時間目の化学の授業が終わり……。
化学実験室から立ち去ろうとクラスの全員が立ち上がろうとした時に、先生が思い出したように言った。
「今日の実験の後始末だけどな。誰か一人手伝ってくれないか?」
クラスのほとんどの人間が固まった。
そりゃそうだ。
四時間目の終わりという事は、次は貴重な昼飯の時間だからだ。
学校生活において、もっとも重要で楽しい時間。
仲間たちと思いっきり語らい合える安らぎの一時。
そんな青春のかけがえのない時を、実験の後片付けなんて物に奪われたくないのは当然だろう。
「ん~、誰も立候補者はいないか?」
先生は予想していたかのように俺たちを見渡しながら言った。
「じゃあ仕方がないな。コッチで指名させてもらう。そうだな……今日の授業で一番遅く入って来たのは、確か
「ゲッ、俺?」
思わずそんな声が出た。
確かに俺はトイレに寄っていたため、化学実験室に入ったのはチャイムと同時で一番最後だった。
とはいえ、別に遅刻した訳ではないのだ。
それなのに「昼食の時間を削って教師と一緒に実験の後片付け」とはあんまりじゃないか?
しかも今日はタイミングが悪い事に、俺は弁当を家に忘れてしまったのだ。
弁当を食うつもりだったから今日の所持金は200円、これでは学食メニュー最安値のかけうどんも食べられない。
よって今日は購買のパン二つと水道の水で乗り切るつもりだったのだ。
ところが購買のパンは売り切れるの早い。
授業が終わって十五分後には、パン屋は後片付けを始めているくらいだ。
そんな悲惨な状況な俺だが、抗議の声を上げる訳にもいかない。
誰かがやらなければならない事だし、他のヤツに押し付ける訳にもいかない。
山原と水野が少し気の毒そうに俺を見て「早く終わらせろよ」と言って化学実験室を出ていく。
そうだな、今は一秒でも早く後片付けを終わらせて、購買のパンが残っている事を祈るしかない。
……購買の前で俺は呆然としていた。
既にパン屋は空のパンコンテナを積み上げて車に運んでいる最中だった。
(もっとも昼食の時間になってから三十分近く経っているんだ。当然か)
購買の隣は学生食堂だ。かなり賑わっている。
(金さえあれば、俺も学食で食えるんだが……仕方がない、今日は昼飯抜きで我慢するしかないな)
そう思って購買と学食のある建物を出た所で……不意に腕を掴まれた。
あまりに突然だったのでバランスを崩しかける。
見ると樹里だ。
学食棟の出口の横に立っていたのだ。
「な、なんだよ」
あまりに意外な人物の登場に、俺は戸惑いながら聞いた。
樹里はプイッと横を向くと「いいから、コッチに来なさいよ」と俺の腕を引っ張った。
樹里は校舎と学食棟の間を抜け、そのまま体育館裏の非常階段まで俺を連れて行った。
ここは人気がない。
「なぁ、どこまで行くんだよ?」
俺は再び尋ねた。
別に教室に戻っても空腹に耐えて席に座っているだけだから、どこに行こうが構わないが、それでも樹里が俺を呼び出す理由は気になる。
「いいから、着いて来て」
樹里はそう言って非常階段を登り始めた。
俺もその後に続く。
(人気のない所に呼び出すなんて……俺にケンカでも吹っ掛けるつもりか?)
俺は心の準備をした。
さすがに樹里が殴り合いのケンカを仕掛けて来るとは思えないが、それでも気分は「校舎裏に来い」という昔のヤンキーマンガの気分だ。
空腹の時にバチュラー的なバトルトークは勘弁して貰いたいが。
三階の踊り場まで来ると樹里は俺の方を向き直り、「ん!」と言って紙袋を差し出した。
「なんだ、これ?」
そう言いつつ手に取る。
開いてみると、中にはパンが二つと牛乳のパックが入っていた。
「アンタ今日、弁当を忘れたんでしょ。休み時間に購買でパンを買うって話していたじゃん。でも実験の後片付けをしてたんじゃ買いそびれちゃうでしょ。だから……」
「だから俺の分を買っておいてくれたのか?」
目を丸くした俺は、紙袋と樹里の顔を交互に見比べた。
そんな俺の様子に、樹里は慌てたように言った。
「べ、別に。アンタのために特別じゃないから。私も今日は購買のパンを買う予定だったし、だからついでで……たまたまなんだから」
そう言った後で、樹里は恥ずかしそうに俺から視線を外した。
「それにこの前のお礼も、ちゃんとしてなかったしさ……」
「この前のお礼って、それはドーナツを奢ってもらったじゃん」
「あの程度じゃお礼にならないって言うか、私の気が済まないっていうか……ともかくコレでチャラにしたいの!」
「オマエって変な所で律儀なのな」
俺は苦笑した。
すると樹里は怒った顔で俺を見た。
「なによ、変な所で律儀って。せっかく人が親切で買っておいてあげたのに……文句を言うなら食べなくていいわよ!」
「いやいや、ゴメン。そんなつもりじゃないんだ。ありがとう、助かったよ。有難く頂きます」
俺は礼を言うと、さっそく袋からパンを取り出した。
やきそばパンとコロッケパンの二つだ。
今から教室に戻ったんじゃ、みんなは食い終わっているから目立ってしまう。
俺はこの場で食べる事にした。
踊り場に座ろうとして気づく。
「樹里はもう食べ終わったのか?」
「いや、まだだけど……」
樹里もまだ食べていないのか?
まぁアソコで俺を待っていたなら当然かもな。
こういう場合って……
「じゃあ、一緒に食べないか?」
俺は一瞬、言おうとか言うまいか迷ったが、やはりそう口にする。
「う、うん……」
樹里も
当然、微妙に距離は空けているが。
樹里が手にしたのは玉子サンドだけだ。
(女の子って小食なんだな)
そんな事を思いながら、俺はやきそばパンを頬張った。
二人とも無言でパンを口に運ぶ。
なにか話した方がいいかな……そう思うが適当な話題が思いつかない。
樹里の方も同じだろう。
黙ってパンと牛乳を口にしているが、どこか落ち着かない様子だ。
小さな口でサンドイッチをもぐもぐと頬張る所は、この前のドーナツショップと同じで小動物みたいだ。
(こうして大人しくしていると、コイツもけっこう可愛いんだけどな)
そんな事を思っていたら、不意に樹里がコッチを向いた。
「なに見てるよの!」
ちょっと尖った声だ。
「あ、いや、別に、見てるって言う訳じゃ……たまたま目線がソッチを向いただけだよ、たまたま」
「そんな風に女の子の食べている所を凝視してるって失礼だよ。それに食べづらいじゃん」
「悪かったよ、ゴメン」
俺が小さく頭を下げると、樹里はクスッと小さく笑った。
「けっこう素直に謝るんだね、音也は」
「揶揄うなよ」
「揶揄ったんじゃないよ。褒めたつもり。それは音也のいい所だなって思って」
(なんだよ、いきなり……しかも年上みたいに)
俺はどう言い返そうかと思案する。
だけど樹里のイタズラっぽく笑っている目を見たら、何も言えなくなった。
そして……なんかその感じが嫌じゃない。
「たまには外で食べるのも気持ちがいいね」
俺は「そうだな」と返そうとして、牛乳が気管の方に入った。
「ゴホッ、ゴホホッ」
思わずむせる。
「どうしたの?」
「牛乳が、喉に、ゴホッ」
「何やってんのよ。お爺ちゃんみたい」
樹里が笑いながら、俺の背中をドンドンと強めに叩く。
そのお陰もあってか、喉のつかえが取れる。
「サンキュー、もう大丈夫だ」
樹里がクスリと笑うと正面を向く。
その横顔は何か満足そうだ。
「こんな感じも、悪くないかもね」
樹里の言葉に、俺も「そうだな」と返す。
学校内の人気のない場所で、女子と二人でお昼を食べる。
こんなアオハルっぽい場面に自分がいるのが、ちょっと信じられない。
しかも相手は天敵とも言うべき樹里だし……
「音也はさ、今のクラスの雰囲気、どう思う?」
(クラスの雰囲気?)
俺はどう返せばいいのか、一瞬分からなかった。
「これから二年間、今の雰囲気のままなのかな?」
クラス男女で仲が悪い事を言っているのか?
俺がそれを聞き返そうとした時、午後の授業開始の予鈴が鳴った。
「もうこんな時間? 教室に戻らなきゃ」
樹里が慌てたように立ち上がった。
さっきの話について、もう少し聞きたいと思ったが仕方がない。
樹里に俺は言った。
「先に戻れよ。俺と一緒だと、ちょっとマズイだろ?」
樹里の表情が少し曇ったように思えた。
だが樹里は拳を口に当てて少し考えるような素振りをした。
「わかった。先に行くよ。音也も遅れないようにしなよ」
そう言って勢いよく階段を駆け下りていく。
そんな彼女の後姿を見ていて、俺は胸の中がほっこりしている事を感じた。
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この続きは明日の正午過ぎに公開します。
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