第3話 露見家と江戸川家

その夜、俺は風呂に入りながら今日の事を思い出していた。


「樹里とあんなに話したの、いつ以来かな……」


思わず独り言が出る。

中学の時は一言も話していないから小学校?

いや小学校時代は、一年の時から既に仲が悪かった。

入学式の時の樹里の顔、まるで今にも噛みつきそうな表情はよく覚えている。


(とすると幼稚園か?)


湯舟に浸かりながら、俺は昔の事を思い出していた。



俺・露見つゆみ音也おとやは東京都の湾岸エリアの、とある超高層マンションに住んでいる。

ここは新たに再開発されたエリアで、同じような超高層マンションがいくつも立ち並んでいるが、昔からの旧市街地も隣接している場所だ。

俺が住むマンションは三棟建っていて、その中の真ん中にあるセントラルタワーの20階の東南角部屋が俺の家だ。


このマンションは1階から5階までがショッピング・センターとオフィスになっており、6階から20階までが低層階と呼ばれていて、中層・高層階より延べ床面積が大きい。

タワーの裾野部分が広がっている、と思ってくれればいい。


俺の部屋はその角部屋なので、マンションなのにかなり広いベランダがある。

庭と言ってもいいくらいで、たまに親父が仕事関係の人を呼んでバーベキューをする事もある。


21階からがタワーと呼ばれる部分で、50階まである。

タワー部分の内、21階から35階までは中層階と呼ばれていて、ここには少し引っ込んだ形になるが小さなベランダがある。

36階以上が高層階で、ここはベランダは無ければ窓も開けられない。

しかし一部屋の床面積がかなり広く、高所得者や外国の金持ちが購入しているらしい。


そして、俺の家のちょうど真上、21階の東南角部屋が天敵・江戸川樹里じゅりの住む部屋だ。



俺たちがこのマンションに引っ越して来たのは、幼稚園に入る三か月前だ。

正月が明けたばかりの頃、マンションの完成と同時にここに来た記憶がある。

初めて樹里と出会ったのは、マンションに付属している公園だったんじゃないかな?

砂場で遊んでいた俺だが気が付くと泣いていた、という記憶しかない。

母親から聞いた話だと、後から砂場に来た樹里が俺の遊び道具を勝手に使いだしたそうだ。

それを取り返す事が出来なくて、俺は泣いていたらしい。

当然、その場には俺の母親も樹里の母親も居たはずだ。


そして……いつの頃からは分からないが、俺の母親と樹里の母親は凄く仲が悪かった。

二人は別々のママ友グループ(中層階と低層階)に所属していたのだ。

子供心に母親たちが集まって、樹里の母親のグループを悪く言っているのを覚えている。


「私たちを低所得者ってバカにしている」

「中層だって対して変わらないのに」

「無理して上流ぶっている」


などなど。

俺は他の子供たちと遊びながら、そんな母親たちを怖いと感じていた。


ちなみに俺の家は低層階の一番上の階、樹里の家は中層階の一番下の階だ。

そして俺の家には広いテラスがある。

結果として中層階の物がよく庭に落ちていた。

特に樹里の家の物が多かったそうだ。

その結果、俺の母親と樹里の母親はトラブルになり、二人の仲はさらに険悪になった。

何度かロビーで言い合いをした事もあったらしい。


「まったく、上の江戸川さんは低レベルなんだから!」


よく母親はそんな風にこぼしていた。

母親は医者の娘だ。

母方の祖父も曾祖父も医者だ。

父親も医者で、コッチも代々医者の家系だって聞いている。

母親はそういう意味で「昭和世代のお嬢様」だったのだろう。

樹里の家を「成り上がりで下品」と考えていた。


向こうは向こうで「タワマンに住んでいるって言ったって、低層階なんて普通のマンションと一緒じゃない。タワマンって言わないで欲しいわ」と他の母親と話していた。

俺はそれを偶然聞いてしまった事がある。



母親同士がそんな感じだったから、俺と樹里も自然と仲が悪くなっていた。

小学校では1年から3年まで一緒のクラスだったが、その頃からしょっちゅうケンカしていた覚えがある。

樹里は何があっても謝らない。

さらには俺や他の男子に対し、上から目線の話し方をする。

よって俺たち男子からは、かなり嫌われていた。

ちなみに樹里は当時から女子の中心人物だ。

結果としてアイツと同じクラスだった間は、男女の仲は悪いままだった。


高学年になると俺のマンションに住む子供たちは、ほとんどが塾に通い出した。

地元の公立中学には行かず、中学受験を目指したのだ。

特に女子はこの傾向が顕著だった。

俺と樹里は同じマンション内にある大手の中学受験専門塾に通う事になる。

俺たち二人はS特別クラスになり、互いに1位2位を争いあったのだ。

俺の母親も偏差値以外に「樹里に勝ったかどうか」を気にしていた。

どうやら樹里の家も同じだったらしい。

結果として、俺は樹里に負けないように、樹里は俺に負けないように勉強を頑張った。


その甲斐もあって俺も樹里も、中高一貫の名門校・新湾岸学園に入学した。

ある意味、アイツがいたから今の学校に通っているのかもな。

中学時代はクラスが離れていた事もあり、俺と樹里が交流する事はなかった。

たまにロビーで顔を合わせても、互いに無視する感じだ。

そのままアイツとは関わる事はないと思っていたのだが……


高二のクラス替えで、俺と樹里は同じクラスになってしまったのだ。

相変わらずアイツは女子全体のボス的存在だった。

俺の方もどの男子とも仲がいい。

割と中心的な存在だろう。


そしてなぜか、俺の周囲の男子と樹里の周囲の女子も、互いに反目し合っていたのだ。



そしてそれに追い打ちをかける事件が、高二になって早々に起こった。

ウチの学校は4月末に、全学年全クラスが参加する合唱祭がある。

学校側の狙いとしては「新しいクラスにみんなが早く馴染むように」という事なのだろう。

だけど俺たちはここでやらかした。

合唱祭に掛ける意気込みが、男子と女子とで全然違っていたのだ。


女子は「合唱祭で上位を目指す!」とかなり気合を入れていた。

一方、男子は「合唱祭? ダリイな」という雰囲気だ。

ホームルームで指揮者・ピアノ演奏者などの役割を決めると、女子はさっそく「放課後練習」のスケジュールを立て始めた。

しかし男子側には一言の相談もなく、勝手に決められたスケジュールに従える訳もない。

放課後練習では男子の集まりは非常に悪かったのだ。


そして迎えた合唱祭当日、俺たちのクラスの順位はビリから二番目という結果だった。

ビリ2と言うのは、ある意味ビリより悪い結果だ。

女子連中は男子の協力性の無さを非難した。

その先鋒に居たのが樹里だ。


一方、俺たち男子も「女子だけで勝手に決めた予定に全部従える訳がない! 最初に相談すべきだ」と反論した。

その矢面に居たのが俺だ。


こんな感じでクラス替えの初っ端から、俺たちのクラスは男女が分断してしまった。

付け加えると俺と樹里以外にも反発しあっている男女がいるのだが……その点はまた後で語ろう。



(樹里……か)


そこまで考えて、俺はハッとした。

アイツの事なんか考えてどうする?

今さらアイツとなんか仲良くできる訳じゃない。

そもそも樹里だって、今回の事だけで俺との仲を何とかしようなんて思わないだろう。


(俺たちはすごく仲が悪い、同じマンションに住む知り合い。それでいい)


俺は考えを洗い流すように、一度頭まで湯舟に浸かった。



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この続きは、明日正午過ぎに公開します。

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