第9話 敵陣
昨夜は早る気持ちをどうにか抑えながら、窓の下で異変が無いか監視する役と他の侵入経路を探る役に分かれて過ごした。夜の間は窓から特に音がする事はなく特に異常は見られなかった。侵入経路の方は正面の昇降口以外には見当たらず、格子が打たれた窓以外は昇降口のみが建物の中との繋がりを示していた。
やがて朝が来た。顔を出した陽が区画整理された大小の建物の隙間を縫って光を降り注ぎ、酷く長いように感じた冷たい夜はようやく過ぎ去った。陽の光に眼を覚まして虫や小動物、まだ夜の青みが引かない空を飛ぶ鳥、皆同じように揺れている街路樹がそれぞれ早朝の音を立て始めた。
「これなら小声で喋れそうだな」小さく音を鳴らす。
「うん、もう明るくなってきた。そろそろ救出の時間だ」
二人には正面突破以外の道はなく、衰弱していく仲間の事を考えると明るくなった以上あまり時間は掛けられなかった。
「準備は良いか? 昨日は正面に三人警備が居たが時々一人になったりで、常に三人居る訳でもねぇ感じだ。まずは人数の確認だな」
「殺す時には背後を取れたら首を切って静かに殺せるはず、周りに他のが居なかったらだけど……」
二人は昇降口に回ると中を覗いた。太陽光を避け視認できる所では二人、警備に就いていた。静かにガラス張りの扉を開ける。案外扉はスムーズに開き、音は立たなかった。中に入ると正面と左右に廊下が長く続き、扉が規則的に並べられている。長い廊下の先には何の姿も見えず、殺す対象が二人と悟った彼等は拠点から持ち出したマチェテを取り出し、目配せすると背後から一思いに二つの首を掻っ切る。拠点に数が少なかったマチェテは技術班によってかなり手入れが行き届いており、切れ味は凄まじく、危うく自分にまで刃が届きかけた。警備の二人は声を発する暇もなく血を吹き出してその場に倒れ込んだ。
「よし、よくやった。拠点の武器をなんでも持って行って良いってんなら俺達も普段とは違うぜ」
「かなり切れるね、でも油断しないで」
二人は昨夜の見回りで牢屋を見つけた右側の廊下へ進んだ。その廊下に規則的に並べられた部屋には実験室や試薬室、細胞培養室等、ここが壊人の巣窟と化す前に使われていたであろう様々な研究施設が並んでいた。――恐らく壊人の巣窟となった原因でもある。
研究施設を背に、廊下の角を曲がろうとした時突然、曲がり角の向こうから多くの足音が聞こえてくる。一人二人ではなく優に十は超える音の数。
「おい、なんだよこれ!」二人一斉に辺りを見渡す。
「くそっ気付かれた……? あ、あれだ!」彼が指を刺す廊下の角に彼等を見つめるレンズが一つ。
「防犯カメラだと! 奴等にカメラなんか認識出来んのか?」
彼は足音のする廊下を覗いた。
「まずい! こっちに来てる!」
覗いた先ではあの狂気に満ち溢れた笑顔を縦に振りながら手に何かを持って走ってくる。
「おい……おい、おい! 遂に武器まで持ってやがる! タケル!だめだ、ここは一旦引くぞ! 後ろに戻れ!」
二人は昇降口まで引き返す為に振り返る。先程通り過ぎた研究施設の扉が少し開いて、中の暗闇から笑顔が覗いている。
「……なんなんだよお前ら! 気持ち悪いんだよ! しね!みんなを……マイを返せ!」
仲間を失った虚無感や自身が今置かれている窮地に彼の冷静は爆発、片手には火炎瓶を持って息は荒れて怒りに戦慄いている。
「馬鹿野郎……! 落ち着け! そんなもんここで使ってお前の妹まで燃やそうってのか! お前は全員残らず助けるって言ってたんじゃねぇのか!」瓶を震えて持つ手を抑制する。
「はぁ……俺に任せろ、あの人数だろうがこんな狭い廊下で全員一斉に襲い掛かれる訳じゃねぇ。それに今持ってんのはいつもの小せぇナイフでもなければ物資もある」
音爆弾を取り出して大勢の方へ投げる、と同時に彼は集団に向かって飛び込んだ。聴覚を失いながらも順々に襲い掛かって来る壊人に怯む事なくマチェテで応戦する。
「おい、しっかりしろ! 後ろはお前に任せたぞ!」怯む事の無い男に勇気づけられ、今すべき事を思い出す。
彼の背中側に向き直ると少し開いた扉から笑顔がぞろぞろと彼等に向かい出す。瓶の代わりに大きな刃を固く握り込むと怒りを込めて振り翳した。
二人はお互いの背中を守るように戦い続ける。武器を持つ手は痺れ、刃は血と脂で切れ味を落としていった。拠点の老人が言っていたようにどれだけ殺しても数が減る予兆すら見えず始めと変わらず果敢に戦う二人だけが消耗していった。相手の攻撃に一番近い前腕や手の甲は裂け、疲労と出血により動きはどんどん鈍っていく。
「大丈夫か! タケル!」背中に声を掛ける。
「ギリギリ! 数に限りがない!」
二人共が心身の限界を迎えようとした時、昇降口側の廊下を向いていた彼の視界の端の方に馴染みの無い人影が見えた。
「えっ……人?」つい声が出る。
「なんだ! 何か言ったか!聞こえな――」
耳元で澱んだ空気の風を切る音が一瞬で通り過ぎ、まだ対処出来ていない壊人が一人倒れた。その音は何度も同じように繰り返され、その音の数だけ目の前の敵は地に伏せていく。状況が理解出来ない二人はその何かから身を守るような格好を取った。
「タケル! 遅れてごめんね。私達が来たらもう安心……でしょ? マイちゃんは元気?」
その場にそぐわない明るく陽気な声で彼に話しかける。その人物が誰かは分からないが、限界に足を掴まれ今にも引き摺り込まれそうな二人にとっての救いである事は分かった。
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