水無月潤は6月に愛され、6月に呪われた湿度がヤバい後輩(3/3)

「まさかサボる筈が追い出されるだなんて夢にも思いませんでしたよ、菊宮パイセン」


「ほ、本当に申し訳ありませんでした……」


 水無月みなづきじゅんが書いたという小説を読み終えた僕はあの後、興奮を隠し切れないまま読了の感想を吐き出すがままに一方的に彼女に向けてしまった。


 しかし、あくまで静かにすることが大前提である図書室であろう事か我を忘れて興奮の感情に突き動かされるがままに1学年下の彼女を褒め称えてしまったので、僕たち2人はこうして図書室の外に追い出された……とまではいかないが、居づらくなってしまったので、演劇部室にまで戻る最中にある訳なのである。


「ま、でも菊宮パイセンの忌憚なき意見はとても嬉しかったですよ……って、こっち見ないでくださいよ。私、まだ顔がにやけてて、とても人には見せられないんですよ。明日、顔が筋肉痛になったら先輩の所為にしますからね」


 そう口にすると、彼女は自身のメモ帳を手にとってそれを用いる事で自分の口元を覆い隠してみせた。

 

 本当に自分が笑っている表情を他人に見せるのが苦手な様子である彼女だけど、それでも彼女は百合園女学園に在籍するお嬢様にしては……失礼な言い方になるのは承知しているのだけど、高貴というイメージから程遠い存在であった。


「せんぱーい。何か失礼な事でも考えてませんかー?」


「いえ、別にそういう事は何も考えてませんよ」


「ふぅん、それなら別に構いませんが……やはり先輩は不思議ですね」


「不思議、ですか?」


「えぇ、不可解極まりないと言っても過言ではありません。底が知れないというか……まぁ、あの部長が珍しくご執心なさるのも分からないでもありませんね」


 ここでいう部長とは間違いなく下冷泉霧香その人の事であるだろう。


 霧香先輩は演劇部の部長を務めており、僕が管理している百合園女学園第1寮の『椿館』に入寮しており……更には男としての僕の幼馴染であるという爆弾級の事実を持っている危険人物であるのだが、そんな彼女は女装をした僕と初対面の際に『妊娠してください』だなんていう言葉を口にして見せた変態でもある。

 

 ……そもそもの話、女性同士でどうやって妊娠するというのだろうか。

 現代医学は日々進歩しているとはいえ、流石に女性同士での妊娠は事実上不可能である。


「部長に気に入られている先輩には分からないでしょうけれど、あの人、意外と冷淡というか……変人のフリをわざとして周囲から人を遠ざけると思ったら、いきなりまともになりだして逆に声を掛けづらくなったり、なんか日によって性格が変わると言いますか、表情は笑っているのに目だけは笑っていなかったりとか、目は凄く笑っているのに表情だけ死んでいたりだとか……とにもかくにも何と言えばいいんですかね……」


「掴みどころがない性格、でしょうか」


「そう、それです。ナイスです。先輩の仰る通り本当に霧みたいに掴みどころがない性格をしているんですよ、部長は」


 彼女の言う事は分からないでもない。

 それどころか、下冷泉霧香はこちらが考えている内容を見え透いているのではないのかと思う節さえある。


 事実、彼女は僕の姉が死んで落ち込んでいる事を何となく察して、ティラミスをご馳走してくれるだなんていう驚異的な観察眼の持ち主である。


 寮で生活をしている際にも霧香先輩は自分から率先して家事手伝いなどをやってくれていたりするし、僕がちょうどアレがやりたいなぁと思ったら無言でそれをやっては「フ」と勝ち誇るように笑ったりするし、料理に使う調味料を買うのを忘れてたりすると「フ」と勝ち誇った笑みを浮かべながら欲しかったあ調味料が入った買い物袋を手にしていたりする。


 そんな事を演劇部室に向かう道中で水無月潤に話してみると、彼女は意外そうな表情を浮かべることなんてせずに「分かります」だなんていう共感の返事をくれた。


「あの人、舞台の脚本の為の資料を私が探していたら、いつの間にか欲しかった資料を雁首揃えて全て準備してくれる人でしてね。いや、流石に全部は誇張しすぎですね。それでも欲しかった資料の8割ぐらいは揃えてくださるので本当にありがたいんですけど」


「水無月さんにも心当たりがあるんですね」


「えぇ。部長は本当に小説とか漫画とかゲームだとか……そういう世界から抜け出してきたのではと思わざるを得ませんよ、ホント」


 それは確かに言い得て妙である。

 かくいう下冷泉霧香は本当に底が知れないというか――。


「フ」


 ――なので、まぁ、いきなり僕たちの背後から煙のように現れた変態の声を間近で聞いてしまった僕と水無月さんは2人してその場から飛び跳ねてしまう勢いで、他人からしてみればやや大袈裟気味の驚きっぷりを披露してしまったのである。


「フ。見ていて実に愉快な驚きっぷり。こうして2人が仲良く話しているのを見ているとまるでNTRをされたような興奮さえ覚える。私だけの唯お姉様を後輩にNTRれてゾクゾクしちゃうわね」

 

 どうしてこの人は格調高き歴史溢れる女学園でそんな変態言動をまるで歌うかのような気軽さで口にするのだろうか。


 以前、茉奈お嬢様が彼女は学内では極めてまともで空気の読める異常者であると話をしていたと思うのだけど、あれはもしかしたら聞き間違いなのかもしれない。


「お疲れ様です部長。新入生勧誘の首尾はどうでした?」


「フ。軽く5人ぐらい」


「うっわ、マジですか。この営業上手。こっちは菊宮パイセン1人だけですよ? 部長が1人も勧誘できていなかったら鬼の首を取ったかのように煽り散らしていたと思うので、すこぶる残念ですね」


「フ。そもそもの話、唯お姉様が演劇部の幽霊部員になる事を提案したのはこの私。故に潤の数字も私のモノ」


「うっわ、ジャイアニズム」


 いや、それに関しては霧香先輩の言う通りなのだと思うのだけど。


「言い訳ではありませんけど、菊宮パイセンが演劇部に幽霊部員ながら入ろうとしたのは私のトーク力のおかげですよ? 何なら演劇部に入部するであろう生徒の過半数は菊宮パイセン目当てでやってくると思いますので私を褒めてもいいんですよ?」


「フ。あぁ言えばこう言う。いいわ、凄くいい。流石は次期演劇部部長。捻くれ者でないとこの演劇部はとても任せられない」


「お褒めの言葉を預かり恐悦です。で、因みにですけれど、新入生に即戦力になれそうな人員はいました?」


「フ。皆無」


「なるほど、でしたらそういう意味合いでは私の勝利ですね」


「あら、それはどうして? 唯お姉様は演劇の経験は皆無だと以前、貴女に話したと思うのだけど」


「だって、部長のお気に入りって菊宮パイセンに茉奈パイセンでしょ? じゃないですか」


 うわぁ、流石は小説家志望の高校生脚本家、鋭い。

 確かに茉奈お嬢様の男らしい言葉口調は演技であり、僕に至っては女装をして女学園に通っているだなんていう演技どころか犯罪をしでかしている訳なのだから、そういう意味合いにおいては彼女の人を見る目は確かなのであった。


 ……幸いにも、僕が女装をしているだなんて事には流石に気づいていない様子ではあるのだけど。


「フ……いや、普通に私は顔面で友人を選んでる」


「マジですか、サイテーですねこの面食い。友人は胸で選びましょうよ」


 そんなとてもお嬢様とは思えないやりとりを交えながら話す彼女たちであるのだが、とても高校1年生と高校3年生同士のやり取りだとはとても思えないような気楽さであり、そんな彼女たちを見ていると常日頃からお姉様だとか、妹だとか、そういう関係性で溢れかえっている百合園女学園でもこういう間柄があるのだな、と他人事のように思った。


「因みに聞くけれど、どうやって潤は唯お姉様を口説き落としたの? 唯お姉様はあぁ見えて意外と頑固よ。変に常識があるというか……そういう人なのだけど」


「あの霧香先輩。まるで僕が変人かのように言わないでくれませんか? こう見えても霧香先輩よりかは遥かに常識人よりだと自覚しているのですけれど」


「フ。常識があるのなら、いたいけな女子生徒の性癖をみだりに壊しまくったりしない」


 正論だった。

 とはいえ、詭弁だった。

 僕は別に周囲の女子生徒の性癖を壊そうと自分から動いているのではなく、勝手に相手がぶっ壊れているのであって僕は全く悪くないのだから。


 ……なんか自分で言っておいて、えらく自分勝手な主張をするな自分と自己嫌悪に陥ってしまいそうになったけれども、そんな思いを払うように頭を振った。


「どう口説き落とした……って簡単ですよ、部長。菊宮パイセンに弁当を作って欲しいってお願いしただけですよ」


「……フ。なるほど、要するに幽霊部員になる為の交換条件という訳と」


 うわぁ、今の一瞬でよくそこまで察する事が出来るのか。

 僕は改めて下冷泉霧香の洞察力の高さを再認識したと同時に、そんな彼女から視線を向けられた。


「唯お姉様は本当にそれでいいの? いくら唯お姉様が料理を作るのが好きだとはいえ、負担になるんじゃないのかしら。私の権限を全力で行使すれば唯お姉様は本当に何もしなくても幽霊部員になれるのだけど」


「それは大丈夫ですよ。僕個人としましても、3人分作るのも4人分作るのはさほど変わりませんので。そりゃあ、10人分作るともなれば多少は疲れそうですけれど……1人分増えるだけでしたら余裕です」


 僕がそんな言葉を口にしたというのに、未だ不満げな表情を浮かている霧香先輩だが……どうやら、彼女を納得させるためにはまだまだ言葉が足りなさそうであるのは見て明らかであった。


「それに幽霊部員になるだなんて僕としましても居心地が悪くなるのも嫌ですしね。顔馴染みのある霧香先輩の部活にお世話になるんですから、だったら少しでもお手伝いをしたいというのが僕としてのワガママという訳です」


「……フ。幽霊部員になりたいけれど、文字通りの幽霊部員になるのは嫌だ、と。とんだワガママな幽霊部員がいたものね」


 ようやく納得してくれたのか、あるいは無理矢理にでも自分を納得したのか。

 そのどちらかは全く分からなかったけれど、それでも彼女はいつも浮かべるような薄ら笑いを形作ってみせた。

 

「フ。自信満々に余裕だと口にする唯お姉様は本当に素敵ね……とはいえ、潤? そんなお願いを唯お姉様にしたのだから覚悟は当然ながら出来ているのでしょうね?」


「覚悟、と申しますと?」


「脚本。進捗。どうですか」


「………………………………大丈夫ですよ、はーい」


「脚本を頑張る気概が無いのなら、唯お姉様から弁当を貰うのは金輪際禁止」


「うっわ。それは流石に横暴すぎじゃ……あー、はい、分かりましたごめんなさい。書きます、頑張って書きます。ですからその無表情で私を見るのを止めてくれませんか部長。いつも変態的な言動をぶちかまして薄笑いを浮かべる部長が無表情になる時って大体ブチ切れてるって相場が決まってるんですよぉ……⁉」


 いきなり動揺しまくる水無月潤であるのだが、彼女がそうなってしまうのも分かるぐらいには、今は薄笑いを浮かべている下冷泉霧香の無表情はとんでもないほどに怖かった。


 霧香先輩は良くも悪くも顔が整い過ぎているというのもある所為か、黙っていると逆に怖いというか、現実味がないというか、今自分は世の中で一番怒らせてはならない人を怒らせてしまったのではないかだったり、自分だけが悪いのだという思いに駆られてしまうというか……とにもかくにも、能面を思わせるような無表情はとんでもないぐらいに怖かったのであった。


「フ。という訳で唯お姉様、私の後輩にして妹、水無月潤をどうかこれからも宜しくね? 何かやらかしたら私が責任を持って東京湾に沈めるから安心安全」


 水無月潤は僕に口づけをしました。


 ――だなんて事実をもしも言葉にしてしまったのであれば、この後輩は文字通り東京湾に沈められるのではないのかなぁ、と何となく思ったけれど……取り敢えず。


 怖いなぁ、演劇部。

 怖いなぁ、演劇部部長。

 怖いなぁ、下冷泉霧香。


「とはいえ、唯お姉様の負担が増えてしまうのも事実ね……フ。仕方ない。今日は外食でもしない? 宜しければ茉奈さんと一緒に。潤が唯お姉様のご迷惑をおかけしたお詫びに……そうね、寿、でもいかがかしら?」


 





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