女子更衣室という異世界から帰還して(1/2)
「フ。唯お姉様の体育の授業はそれはそれはお楽しみだったみたいね。何せ3年生の教室からでも女子生徒の黄色い歓声と断末魔が絶えずに聞こえてきたもの」
「うわ下冷泉霧香」
「フ。唯お姉様に言われると喜ぶけれど、茉奈さんにそう言われると流石に傷つくから止めて欲しい」
数日に分けて開催される身体測定を終えた僕と茉奈お嬢様は体操服から制服に着替え終わった後、体育の授業の後の余韻の熱の所為でまだ騒々しい教室から逃げ出した。
原因は言わずもがな僕である訳なのだが、流石に昼休みの食事を楽しめる環境下ではなかったので弁当を片手に屋上にへと辿り着くと、そこには先客であるらしい下冷泉霧香が不敵な薄笑いを浮かべ、弁当を食べながら屋上にいた……というのが事の顛末である。
以前、胸を押し付けられたという口にしづらい思い出があるベンチの上に下冷泉霧香は座っており、もしかしたらこの屋上は彼女にとってお気に入りの場所であるのかもしれないと思ったが……真相は闇の中、もとい霧の中である。
「フ。唯お姉様の明るそうな表情を見るに、どうやら身体測定は無事に終わったみたいね。予めファンクラブで周囲の女子生徒の行動を縛り付けておいた私に感謝してもいいわよ」
「はい、先輩のおかげで僕は色々と助かりました。本当に感謝申し上げます」
僕は噓偽りのない本心から頭を下げると、僕のそんな行動を予想だにしていなかったのであろう彼女は驚きを隠し切れないと言わんばかりに瞠目した……が、やはりいつも通りの薄笑いを浮かべる余裕綽々な彼女に戻った。
「フ。私は只、お姉様のファンクラブの運営をしているだけに過ぎない。むしろ、ファンクラブの活動の為の写真撮影に協力してくれた唯お姉様には感謝してもし切れない。これで私も諸手を振って、推し活に専念できる」
「僕は先輩にとっての推しという訳ですか」
「フ。当然。何せこの私がお姉様だなんて呼称でお慕いしたのは唯お姉様ただ1人だけなのだから」
「因みにそれは本当だぞ、唯。下冷泉先輩はその独特なカリスマのおかげで1学年上の先輩方から畏怖と敬愛で慕われていたぐらいだからな」
「フ。茉奈さんも私の事を姉って呼んでもいいのよ?」
「死んでも嫌だな」
素っ気ない態度でそう言い捨ててみせる茉奈お嬢様であるのだが、当の本人はいつも通りの薄ら笑いを浮かべており、彼女の心は茉奈お嬢様の罵詈雑言で簡単に揺らされていないようであった。
そんな様を見ていると、なるほど、確かに彼女は畏怖と敬愛を向けるに値する大物であるのも頷ける話だ。
「確かに下冷泉先輩って不思議なカリスマがありますもよね」
「フ。2人して下冷泉先輩って言われるのも悪くないけど、そろそろ私の名前の方で呼んでもいいのよ? ほら、霧香って呼んでもいいのよ?」
「私は嫌だ。断る」
「フ。予想通りの否定。ゾクゾクする」
「これだからこの先輩を下の名前で呼びたくないんだ」
「分かりました、では霧香先輩って言わせて頂きますね」
「フ。――フ? え、本当? 嘘じゃない? ねぇ、本当? 本当に唯お姉様が私の事を霧香って呼んでくださるの?」
「嘘じゃありませんよ、霧香先輩」
「フ。めちゃくちゃ嬉しい。抱きついていいかしら唯お姉様」
「私の唯にこれ以上近寄るな変態。そもそもの話、こっちの方が下の名前で呼ばれた回数が断然多いんだが? 敬ってもいいんだぞ?」
「フ。……面白い冗談。笑えないのが玉に瑕ね」
「はっ、負け犬の遠吠えとして受け取っておこうか」
そんなこんなで会話を弾ませる彼女たち2人であるが、僕から言わせれば彼女たちの仲は意外な事にとても宜しい。
下冷泉霧香は変態ではあるし、茉奈お嬢様の心労だとかそう言ったモノの原因ではあるのだろうけれど、それでもお嬢様がこういう風に気安く会話をする相手は目の前にいる下冷泉霧香を除けば殆どいないというか皆無。
とはいえ、女子寮では朝と夜の食事を食卓で顔を合わせながら食事をしている為か、以前よりも気安いような雰囲気になったとは個人的に思うが……さて。
「茉奈お嬢様。楽しくご歓談なさるのも結構ですけど、そろそろ座って弁当を食べないと折角の昼休みが終わってしまいますよ」
いきなり現れた僕たち2人の来訪によって、のんびりと僕が寮で作った弁当を1人で楽しんでいた下冷泉霧香に詫びを入れつつも、僕はお嬢様に弁当を食べるように促した。
「唯の言う通りだな。下冷泉先輩、隣に座ってもいいだろうか?」
「フ。私の隣で良いのなら喜んで」
「助かる」
つい先程まで口喧嘩をしていたとは思えないような、いつもいつも寮内で行うようなやりとりを挟みながら、茉奈お嬢様は下冷泉霧香の隣に流れるように座ったので、それに倣うように僕は茉奈お嬢様の隣に座った。
上から俯瞰して見れば、茉奈お嬢様が真ん中に位置するような座席になった訳だが、囲むようにテーブルに座るのではなく、こうして1つのベンチに座りつつ同じ方向を向いて食事をするという事は恐らく初めてで、何だかとても新鮮な気持ちになる。
「2限続けての体育が終わった後の昼食は実に格別だ。それも唯が作ってくれた弁当であるのなら尚更だ」
上機嫌そうに微笑む茉奈お嬢様は慣れた手つきでスカートの膝辺りに弁当の包み布を展開すると、重しにするように弁当箱を膝に置いた。
たったそれだけのありふれた動作であるというのに、思わず目が奪われてしまうような可憐な動作をしてみせるのを目の当たりにすると、この人は本当にお嬢様なんだと改めて実感させられるのと同時に、これだけ高貴な人が僕の作った料理を望んでいるという事実にどうしようもなく胸が弾むのを覚えた。
「さて、今日の弁当は何が入っているかな?」
「フ。主菜は
「先に食していたからって弁当のネタバレをするのは止めてくれないか。折角の楽しみが無くなってしまうじゃないか」
そんな先輩のネタバレに対する文句を言いつつも、いざ弁当のふたを開けてみると、まるで子供のように目を輝かせながら感嘆の声を出して見せる茉奈お嬢様であった。
とはいえ、今回の弁当は僕が体操服に着替えなくてはならないという心配の所為で手抜きのおかずの詰め合わせであり、これらは週休の休みを利用して大量に作り置きしておいたおかずを解凍したモノの詰め合わせが大半だ。
今日の朝で調理をしたと胸を張って言えるのはブロッコリーのおかか和えとナスの味噌焼きぐらいだろう。
これらは野菜と調味料さえあれば簡単に作れるものだから、考え事をしなければならない日にはよくお世話になっている。
「うわぁどれもこれもめちゃくちゃ美味しそー……ではなく。ふふっ、いつもながら見事だ。私はイチゴ大福には目がないから、本日のデザートは大変に嬉しい」
「フ。茉奈さんはデザートに目がないわよね。ご存知かしら唯お姉様。あの人、唯お姉様が女子寮に入る前の休みの日にはいつもいつもデザートバイキングに入り浸っていたぐらいで……」
「唯。それは嘘だから信じないように。下冷泉先輩は嘘しか言わない生き物だという事を君は知っているだろう? ましてや、この由緒正しき百合園の人間たるこの私がデザートバイキングに行く訳がないだろう?」
「フ。忘れもしないわ。あれは去年の秋。和栗や洋梨と言った秋のデザートフェスティバルに目を輝かせながら突撃した茉奈さんの体重はなんと3キロも増えていたというあの衝撃的な事件だったもの」
「はー⁉ 嘘を言わないでくれない⁉ 3キロも太っていないんだけど⁉ 3キロは流石に誇張しすぎ! あの後、頑張ってめちゃくちゃダイエットしたからむしろ減ったんだけど⁉」
「フ。余りにも演技がボロクソすぎて笑えない。とはいえ、一緒のテーブルに同席していた私まで店員に怖い目線で見られてた。因みに私はちゃんと食事の管理が出来る人間だから増量無しだったわ」
やっぱり、この2人ってめちゃくちゃ仲がいいんじゃないのかなぁ。
普通に考えて、一緒に外出して、2人きりでスイーツの食べ放題のお店に行くだなんて、表面上の友達という間柄でないとそうそう行けないような気がするのだが、これは男性である僕の感覚がおかしいのであって、女性の感覚ならどう捉えるのだろう。
喧嘩するほど仲は良いとは聞くけれど、それは果たして女性同士の仲でも該当するのだろうか。
「……おっと、いけない。折角、唯が作ってくれた弁当を前につまらない喧嘩をするところだった。見苦しい所を見せて本当にすまないな、唯。ところでさっきのデザートバイキングの件は全て嘘だから忘れてくれると嬉しい」
作ったご飯を前に喧嘩をされると嫌な気持ちになるのは確かにそうなのだが、それはそれとして後半の話の内容が色々と矛盾しすぎていて理解に苦しむ。
どうして先ほどあんなにも素を出していて、しかもあたかも本当にスイーツバイキングに行ってきたかのような言動をしておきながら、すぐさまその事を否定してきやがるのだろうか。
とはいえ、今から僕の作った弁当に箸をつけた存在に口うるさい小言を挟む趣味はなかったので、今回ばかりはお嬢様の行動に対してツッコミを入れない事にした。
「ん~! この磯辺揚げ、美味しー! さくさくとした衣の食感に、海苔の風味がすごく良い……!」
ぱくぱくと嬉しそうに磯辺揚げを口にしてはリズミカルに白いご飯もどんどん食べ進めていく茉奈お嬢様であるが、先日に作り置きしておいたあの磯辺揚げは僕も好きな料理だったりする。
個人的には揚げ物は冷えた方が味が濃いように感じられるし、しっとりとした食感が僕個人としては好きなのだが……どうにも僕は世間的には少数派であるらしかった。
このパリパリとした食感を嚙み進めると、あまり自己主張をしてこない海苔の風味がじんわりとやってくるこの感覚だったりとか、熱い揚げ物を噛むと火傷をしてしまう心配もしないでいいのでひんやりとした白飯との相性は最高だと思うのだ。
……火傷で思い出したのだけれども。
僕はカレーを食べる際には、冷や飯の状態になった白飯に熱々のカレールーを絡めて食べる派だったりする。
「えへへ……! 野菜も味が濃くて嬉しい……! どれもこれも白飯に合い過ぎてご飯の量が足りなくなっちゃうなぁ……!」
そんな嬉しい悲鳴をあげながらも、お嬢様は見事なまでに優雅な動作で、かつ見ていてお腹が空いてしまうような食べっぷりに僕も思わず嬉しさを隠すことが出来なかった。
やっぱり、僕個人としては作った料理を美味しい美味しいと実際に言ってくれた方が嬉しい。
「フ。ようやくデザートにまで辿り着けたわ。フ……よくよく考えてみたら弁当にデザートがついているのってかなりの贅沢よね」
そんな事を下冷泉先輩は口にしながら、茉奈お嬢様に負けず劣らずの優雅さを以て、大福を黒文字――正式名称は最近知ったばかりだけど、二股に分かれた串のようなヤツの名前。市販のデザート大福に必ずついているアレの名前――で刺し、ちょうど半分に切ってみせると、その片割れを黒文字を用いて口の中に放り込んではもぐもぐと咀嚼した。
「……フ。美味しい。まるで炭酸が中に入っているかのようなイチゴの甘味とあんこの控え目な甘さが堪らない。というかコレ普通に店に出しても良いレベルじゃないのかしら」
「あ、そのイチゴは炭酸水で漬け込んだヤツなので、本当に炭酸入りですよ」
「フ……マジか」
因みに大福も自家製である。
材料さえあればすぐに出来るし、調理過程もそこまで難しくはないので時間さえあればすぐに作り置きして大福は冷やしている。
予め作り置きしておいた大福の生地に包み込むように、炭酸水に漬け込んだイチゴの果実と業務スーパーで購入したあんこを入れれば、自家製イチゴ大福の完成。
とはいえ、流石に和菓子屋さんには勝てる大福の生地ではないのは重々承知しているので、要研鑽であるのだが。
「フ。ご馳走様。今日も素晴らしい弁当を用意してくれてありがとう。本当に唯お姉様には頭があがらないわね」
僕たちが屋上にやってくるより前に弁当を食べていた下冷泉霧香は一足先に弁当を食べ終えると、やはり見惚れるような洗練された動作で弁当箱をしまうと包み布で綺麗に梱包をしてみせた。
「いえいえ、こうして弁当全てを完食してくださる霧香先輩の方こそ僕は頭が上がりませんよ。本当にいつも僕の作った弁当を残さずに食べてくれてありがとうございます」
「フ。それでは私はこれで失礼するわ……と言いたいところなのだけど、1つ伝言を理事長先生から預かっているの」
「理事長って……私の兄がどうかしたのか?」
「フ。私はただ伝言を預かっているだけだから詳しくは知らない。というのも、唯お姉様は放課後に理事長室に来い、とても大切な要件がある……それぐらいしか言い聞かされていないのよね」
「……?」
伝言はこれでおしまい、だなんて言った彼女は立つ鳥跡を濁さずと言わんばかりの足取りで立ち上がると、疑問の表情を浮かべる僕たちに向かって、いつも浮かべるような薄ら笑みを不敵そうに浮かべて彼女は立ち上がる。
「――フ。私個人としては演劇部がオススメとしか言い様がないのだけど、ね?」
そんな意味深な言葉を口にした彼女は自動販売機の前に立っては、以前僕と一緒に飲んだ銘柄の缶コーヒーを3本買うと、そのうち2本を僕と茉奈お嬢様に手渡し、残った1本を手にしたまま彼女は屋上から去ったのであった。
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