14


「大人しくしてりゃ、心の臓に綺麗に刺さって楽に死ぬ。無駄に暴れりゃ、変なところを傷付けられて苦しいだけだ。どうするのが賢いかは、分かるな?」


 まだ、燭台は握っていた。

 しかし、手首のあたりを男の膝で抑え込まれているせいで、身動きが取れない。


 は、顔をしかめて男を見上げた。


「あんた、死ぬよ」


 はっ、と引きつった声で男は笑う。


「なにほざいてる。死ぬのは、てめぇだ──……っ!?」


 言葉が途中で途切れたのは、男の背後に忍び寄ったが、それまで炉に差し込まれていた火掻き棒を真っ直ぐに振り下ろしたせいだ。


 男の腰から腹のあたりを貫くように、先の尖った熱い鉄が突き刺さる。


 じゅっ、といやな音がした。

 人の肉が爛れる匂いが、鼻を衝く。


「だ、れが、死にかけだ、って……?」


 今にも咳き込みそうに顔を歪め、痩せた手足を震わせながらも、雨禾はそれでも火掻き棒に体重をかけ続けた。


 ──悪漢を追い払えぬ者は、娼婦の付き人など務まらない。


 弱っていても、いざという時の身のこなしと躊躇のなさは、雨禾の身に沁みついていた。

 それを見侮ったのは、男の大きな失態だった。


「……っ」


 苦悶の声こそ上げなかったが、男は束の間、動きを止めた。

 その一瞬を見逃さず、果朶は男の鳩尾を蹴り飛ばす。


 ぐらりと傾いだ影の下から抜け出すと、手にしたままだった燭台を振り上げた。


 次の瞬間、しかし男は跳躍した。

 床に投げ出されていた板扉で弾みを付けると、両腕で頭を庇いつつ、闇がこごった窓に向かって飛び込んでいく。


 がしゃん、と硝子が砕け散る音。


 果朶が駆け付けたその時には、民家の裏手がせせこましく並ぶ窓の向こうは人影の一つもなく、ただしんと静まり返っているだけだった。

 かえって、家の表に人々の気配がある。


 異変を察した住民たちが、衰弱した身体を動かして、そろそろと様子を見にやって来たのだ。

 男が退こうと決めたのは、腹の傷と言うよりもこちらの方が原因だろう。

 扉が外れた入り口から、白い半月が遠く臨めた。


 ……ぬるり、となにかが頬を伝う。


 先ほど床に倒れた拍子に、男の刃で切られたらしい。ぐいと拭った手の甲に、赤黒い血がべったり付いた。


「……雨禾」


 呟くと、卓に手を付き肩で息をしていた雨禾は、視線だけをこちらに向ける。


 果朶は、大きく息を吸った。

 冷え切った夜の空気が、肺腑を満たす。


「今の男、あいつだった。メイしゃおじぇが気に入ってた、泣きぼくろのある煙草売り」


 下から顔を見据えた時に、年の割に艶めかしいその目元がはっきり見えた。

 雨禾が、微かに瞠目する。

 その表情が、見る見るうちに強張っていく。


 脳裏に降り積もった記憶の中から、必要な欠片たちがゆっくりと浮かび上がった。それらは鮮やかに繋がって、一つの像を作り出す。

 あの男は、えんせつの少し前に現れた。

 彼を気に入り、足繁く煙草を買っていた梅たちは、いち早くがいそうしょうを発症した。

 彼が売っている煙草は、ほかの店とは一味違って癖になると、徐々に人気が出ていった。


 ──人殺しに慣れた男が、扱っていた煙草だ。

 恐らくは、なにかある。


「錘宮に行ってくる。原因が分かったら、治療薬も作れるはず。もうさほど時間がないとか言わないで。あんたは、絶対に生き延びるんだよ」



 集まってきた住民たちに、強盗が入ったが逃げられたと説明し、果朶と雨禾は真っ先にげっかんに向かった。


 錘宮に行く前に、娼婦たちが購入した男の煙草を確保しなければならなかった。

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