第23話 異文化交流ティーパーティー
私の自室は客人を招き入れるにはいささか殺伐かつ混沌であるため、我々はあの畳張りの談話室まで赴いた。
バイリィは何かを持ってきていた。
脱色したと思しき、白い革製の包みである。
トートバッグくらいの大きさで、細い紐で結えられていた。紐や包み全体に魔術のプロテクトでもかけているのか、逆さまにしても中身がこぼれない安心設計である。
彼女はそれを長テーブルの上に置いた。
「jiě」
彼女が解号と思しき言葉を呟くと、一瞬、淡い光が瞬き、包みがひとりでに開いた。
私は初めて目の当たりにした魔術に「おお」と驚く。神秘というよりは、むしろ現世の自動開閉ゴミ箱のような挙動であったので、びっくり仰天とまではいかなかった。
中に入っていたのは、折りたたまれた『符』と、金属製の箱と、これまた包み——ふわふわの繊維質でできた梱包材のようなもの——であった。
私が疑問を発する前に、バイリィが口を開いた。
「これは、飲み物を、飲むための、道具」
どうやら、この世界における茶器のようなものらしい。
まったくそうは見えないが。
「zǔ」
バイリィが、今度は折りたたまれた符を机の上に起き、解号を呟く。
すると、符は折り紙の逆再生のようにぱたぱたと展開し、また組み上がり、急須のような形になった。
「すげぇ」
流石にテンションが上がる光景だった。
「これに、水を注いで、器に、する。軽い、時間なら、これで、良し」
どうやら、これは我々で言うところのインスタントコーヒーのようなものらしい。カップの中身に粉末やら入っていて、お湯を注ぐだけで一杯が楽しめるタイプのものだ。
私は現世ではお目にかかれない神秘的な光景に胸を踊らせると共に、符というものが、思いのほか日常に根付いたものであると知った。
もしかすると、符とは、この世界において一種のインフラ的存在なのかもしれない。
私が少年のマインドを思い出して目を輝かせていると、バイリィも得意げに笑った。
「イナバ。yào míngは、飲む、できる?」
固有名詞及びその味までは不明だが、バイリィは異世界の飲料を振る舞ってくれるようだ。
ここまで来たら、不安よりも好奇心が勝る。
私はこくりと頷いた。
「zei」
バイリィは茶の準備を始めた。
金属質の箱の中には黒く乾燥した茶葉のようなものが入っていて、バイリィはそれを指先でつまみ、急須のような茶器の中へと入れた。
「水、もらえる?」
私は談話室の台所から水道水を汲み、茶器の中へと注いだ。
しかし、どうやらこれがまずかったらしい。
「wēn」
またも解号を呟く。バイリィは、「これで、中の水が、温まる」と説明してくれたが、どっこい、いくら待っても茶器の中の水は、水のままであった。
「なんで?」
数分待っても、ふつふつとさえしてこない様子に違和感を覚えたバイリィが、茶器を睨む。
指を這わせて茶器を調べる彼女をよそに、私には、「もしかすると」と疑念が湧いた。
この『監獄』の水を使ったから、なんらかの理由で魔術が発動しなくなっているのでは?
この世界の符や魔術の仕組みなど一切わからないが、その理由は十二分にあると思われた。エーテルやら、魔力やら、霊素やら、たぶんそんな感じの理由で。
まぁ、いい。魔術の不発動など、戦闘においては重要かもしれないが、たかが茶会くらいでは騒ぐほどのことでもない。
私は、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら茶器を調べるバイリィに言ってやった。
「バイリィ。大丈夫だ。お湯は、私が、用意する」
自室から電気ケトルを持ってきて、水を注ぎ、待つこと数分。
現代科学技術のおかげで、なんとも簡単に、お湯を手に入れることに成功した。
「すごい。そっちの、仕組み、わかんない」
自分が扱う技術とはまったく異なるテクノロジーを見せられてか、バイリィの目も、また、爛漫な輝きを見せていた。
そのうち、語彙が増えてきたら、電気ケトルの仕組みを教えてやろうと思った。無論、私の知識の範囲で。
さて、ちょっとしたハプニングはあったものの、無事に茶会は始められそうだった。
「ここに、湯を注いで、いいんだな?」
「うん」
私は、電気ケトルから茶器へと湯を注ぐ。茶葉から成分が抽出されていき、湯は淡い茶色に染まった。
見た目だけならほうじ茶や麦茶と一緒だが、湯気と共に立ち上る芳香は、明らかにそれとは違った。
臭くはない。だが、いい匂いとも言い難い。なぜか、甘ったるいと感じるような香りだった。
幼少期の頃の記憶が開いた。まだ人工呼吸器を着ける前の祖父が、寝る前に愛飲していた養命酒。あの香りに近い。
「ちょっと、時間を置くと、おいしくなるの」
蒸らしている最中、バイリィは、あのふわふわした包みから、小さな茶碗を取り出した。
それは驚くほどに小さかった。茶碗というよりは、おちょこのように見える。一口飲んだら、すぐに中身がなくなってしまうようなサイズだ。
「これ、あたしの、お気に入り」
バイリィが自慢げに見せつけてきたので、それならばと見てやった。
恐らく金属製である。鈍い金色をしていて、内にも外にも異世界語と思しき文字が刻印されていた。
それらは、機能美を追求し洗練されていった文字ではなく、むしろ発達したばかりの象形文字のように見えた。風や花や動物たちが、その面影を残しながら、文字へと変化し碗の中で踊っていた。
「良い、と、思う」
私には、芸術品の良さを見いだせるほどの感性も語彙もなかったが、美しいとは思った。
「でしょ」
そうこうしているうちに、茶が蒸し終わった。
バイリィは所作というものを感じさせぬ豪快な手付きで、しゃばしゃばと茶を注いだ。
「どうぞ」
「では、いただきます」
甘ったるい匂いに鼻孔をくすぐられながら、私は一口含んだ。
さてさて、異世界のお味は一体どんなものかと思ったが、
「うげ」
茶が舌に触れた瞬間、強烈な渋みとエグみが私を襲い、私は思わず悲鳴を漏らした。顔が常識フィルターを取っ払って、苦痛に歪んだ。
脳が「こいつぁヤバいぜ」とアラートを鳴らし続けていたが、吐き出すのはこらえた。なんとか飲み込んだ。
やっとのことで臓腑まで茶を届かせた時、私は涙目になっていた。
「まっっっず!」
ここは流石に日本語で言った。
「あは。やっぱ、そうなるよね」
バイリィは私の失礼千万な行為にも、けらけら笑っていた。彼女はそんな毒物のような茶を、平気な顔してぐいっと飲む。
彼女は目をつむり、含んだ茶を口内で二、三度左右に移動させ、頬を膨らませていた。どうやら味わっているらしい。
「うん。やっぱ、いいね、この味。でも、いつもと違う気も、する。別の味、かな?」
恐らくそれは水道水に含まれた塩素やらの成分だろうと思ったが、それを説明できるほどの余裕はなかった。
体のアラートが反応しっぱなしのせいか、それとも茶の成分のせいか、私の額には汗が滲んでいた。
とても、二口目を飲もうとは思わなかった。
「いいよ、無理して、飲まなくても。そのお茶、飲めない人も、いるんだ。あたしは、好きだけど」
バイリィが、勝ち誇ったような目で私を見た。
「でもな、この味、わかんないってことは、まだ、大人じゃないって、ことかな?」
からかうように言う。
こんにゃろう。
「少し待っていろ」
私は踵を返して自室へと向かい、戸棚を漁った。
気分を変えたい時に使う浅煎りのコーヒー豆を取り出し、ミルのハンドルを回してがりがりと挽いた。
とびきり濃くしてやろうと思って、量は多めにしてやった。
粉をフィルターに入れ、談話室に戻り、残った湯を使ってドリップし、でんとバイリィの前に置いた。
「お返しだ。この世界の、大人の、飲み物だ。coffeeという」
バイリィは何杯目とも知れぬ茶を悠々を飲んでいたが、にやりと笑みを浮かべ、私の挑発にあえて乗った。
「ふふん。あたしは、大人。あんたの世界の飲み物だろうと、ぜんぜん、」
一口飲んで、彼女は叫んだ。
「Xīn Kǔ!」
彼女は舌を出し、ゲーゲーと苦しげな表情を浮かべた。
およそ大人がやるとは思えぬこの勝負。
結果は、両者、痛み分けである。
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