悪役令嬢に憑依したとたん婚約破棄を言い渡されましたが婚約破棄は破棄だそうです

藤森かつき

第1話 憑依令嬢

「余りにも大人気おとなげない。婚約は破棄だ」

 

 と遠くに聞こえた気がする。

 

 何? 何なの? ここどこ? わたし誰?

 

 唐突に知らない場所にいて、知らない男と相対あいたいしていた。とても豪華な衣装を身につけた綺麗な顔の男だ。キョロキョロするわけにもいかない。

 

 見上げて凝視している男は、しかし見覚えがある。金茶の髪に青い眼。ウルプ小国の王子だったような?

 なぜ、男の顔を知っているのかも分からない。


 わたし誰かに憑依した?

 ぐるぐると思いが回ったが、それは瞬間的なこと。

 どうやら女性に憑依したらしいが、婚約破棄を告げられた現場だったと理解した。

 思考は二転三転、空回りするが、とにかくこの場を離れなくては!

 

「承知いたしました。では、ご機嫌よう」

 

 そう告げるのは可愛らしい声だ。

 丁寧に礼をして、そそくさと立ち去ろうときびすを返した。一刻も早くこの場を去って、状況を把握しなくては。豪華で綺麗な衣装を身にまとい、髪は豪勢に結い上げられている。頭が重い。

 

「まて!」

 

 ウルプ小国の王子だと思われる男が不意に止めた。

 

「なんでしょう?」

 

 身をひるがえしそびれたが、体勢を整え礼をとり直す。

 

「婚約破棄は破棄だ」

「は?」

「婚約破棄は忘れてくれ。婚約者のままでいてくれ」

 

 まぁ、証書を渡されたわけじゃないし、構わないかな?

 元より何がなんだか全くわからない状態だ。わたしはもう一度、了承のしるしとして丁寧な礼をした。

 

「アンナリセ、少し付き合え」

 

 王子らしきは困惑しているアンナリセという名の、わたしの腰に手を回す。誘導するように歩き始めた。茶に誘ったようだ。記憶曖昧なまま、しかたなく、つき従う。

 

 まずい。記憶が何もないのに、婚約者らしき王子に対応しなくちゃならないの?

 

 婚約者なのだとしたら入れ替わったと、すぐ気づかれてしまうだろう。

 ウルプ小国の王子。名は確かグレクス・ウルプ……。

 

 海洋貿易で栄えるウルプ小国の王になる身だ。ここは小国を束ねる王都からは遠く離れた西の地。噂に違わぬ華やかな宮殿。西の王宮と称されることもあり栄華を誇る。わたしが知る噂は確かなようだった。

 

 本当に華やかね。

 

 グレクスに連れられて歩きながら、連なる城の建物や、手入れの行き届いた庭園などの豪華さに驚き続けた。

 憑依する直前、わたしは王都にいた、と、ぼんやりだが記憶が浮かぶ。王都に住み王宮に仕える者としての知識が若干。儀式で見掛けたお陰で、グレクスの顔も知っていたようだ。


 そして自分のことを思い起こそうとしていたのに、憑依した身体の持ち主の記憶がひらめいた。

 アンナリセ・ヘイル。ヘイル侯爵家の令嬢だ。

 鏡を覗く記憶。なんて可愛い顔! 金髪巻き毛に翠の瞳。わたし、今、この姿なの?

 アンナリセはグレクスのことが好きすぎて、誰も寄せつけたくなかった。近づく者たちに散々嫌がらせをし続けている。大人気おとなげない、と、最初に聞いたグレクスの言葉が理解できた。

 

 ちょっと! そんなに素行の良くない令嬢に憑依しちゃったの?

 

 この身体に憑依したからには、アンナリセとして過ごすしかなさそうだ。

 戻る身体はない――と、何かが告げている。憑依はとけないらしい。

 

 しずしずと上品に歩きながら記憶を掘り下げて行く。アンナリセの記憶からは、ろくでもない事実ばかりがでてきた。

 くだらない魔法を使い、気に入らない者がいると、その魔法でズブ濡れにさせたり、転ばせたり。そして令嬢らしからぬ言葉で罵倒する。

 

 グレクスに近づくものには全く容赦ない。

 親が決めたとはいえ、ちゃんと婚約者なんだから心配することないのに。あまつさえ王子の婚約者であることを鼻に掛けやりたい放題だった。婚約破棄も無理もない。

 でも、グレクスにはくびたけ

 

 だから、婚約破棄された衝撃で意識が飛んで死んでしまった――。

 

 

 

 アンナリセの魂は、転生の輪に乗ってもう戻ってこない。たぶん、わたしの元の身体も死んでいる。わたしは自分が誰だかわからないまま、アンナリセとしてグレクスの婚約者として生きる。

 

「今日は大人しいな」

 

 グレクスは、好ましそうに笑みを向けてきた。

 それは、アンナリセが、ずっと求め続けていたグレクスの好意的で優しい表情だ。

 

 豪華な庭園の四阿あずまやに、軽食と茶が用意されている。

 いつもなら、アンナリセはグレクスにまとわりつき、四六時中ああでもないこうでもないと喋りまくっていた。とてもそんな騒がしい真似はできない。バレるのは時間の問題だろう。だが、何も説明はできない。アンナリセの突然の心変わりだと、判断してもらうしかないだろう。

 

「グレクスさまの婚約者として相応ふさわしい者になりとうございます」 

 

 アンナリセだったら絶対に言わないな、と、記憶をまさぐりながら、わたしにとっては極自然な言葉を告げる。王都で誰かに仕える身だったと確信した。

 

「ずっとそのままで居てくれ」

 

 グレクスは、しみじみと呟き軽食を食べている。わたしは、思ったよりも優雅な仕草で茶を飲んで、アンナリセの変貌をグレクスが心の底から歓迎しているらしきを感じとった。

 

 このまま、アンナリセとしてウルプへと嫁ぎ、王となるグレクスの伴侶。王妃として生きる――。

 

 それは、もしかして、とても素敵な人生?

 だが、そう思った瞬間、アンナリセの今までの悪行が心に渦巻いた。まずい。これ、全部、謝罪するなりつぐなうなり、なんらかの行動をしなくては安心して嫁げない。グレクスを狙う令嬢は多く、いつ足元をすくわれるか分かったものではなかった。

 しかし、そんなことが可能なのか……。

 

「はい。わたし心を入れ替えました」 

 

 本当に入れ替えられてしまった。わたしはアンナリセとは別人だ。だが、婚約破棄されたことで反省し、心を入れ替えたのだと思ってもらえることを期待した。

 グレクスに嫁ぐことは、願ってもないことだ。顔も好みで、態度や仕草も、ウルプ小国の王子という点も、何もかも申し分ない。

 

「ああ、とても良いよ。これなら安心して伴侶になってくれと言える」

 

 グレクスは、とても魅力的な笑みを向けてくれた。きゅん、と胸が高鳴る。アンナリセが心の底から望んだ言葉だろう。

 

「はい。今までの悪行の数々、なんとか償いいたします」

 

 悪評をどこまで塗り替えられるか全く未知数だが、安心して嫁ぐために何もかも、さらになるように努力しよう。

 グレクスはヘンに勘ぐってこないし、今のわたしを婚約者と認めてくれている。

 

 

 さて。わたしは、アンナリセ・ヘイル。裕福で権力を持つ侯爵家の令嬢。

 アンナリセの記憶を探りながら、悪評と悪行を打ち消して行こうと心に誓った。

 

 

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