涙のグルメ

まんごーぷりん(旧:まご)

第1話 誰にも信じてもらえなかった日に食べる給食のけんちんうどん

 俺じゃない。俺は、匿名で、人を傷つけるような言葉を発することはしない。


「でも私、見たんです! ――伊藤いとうくんがPC室に入っていくところを」

「そんなわけないじゃん、俺は放課後すぐ家に帰ったって!」

「誰と一緒に帰ったの?」

「一人だって言ってるじゃんか、さっきから」

「そう言うしかないよね。だって、嘘なんだから!」

「いい加減にしろよ!」


 クラスの女子の提出物に、悪口が書かれた。今、俺がその犯人だと疑われている。提出物といっても、プリントや計算ドリルの類ではなく、パソコンで提出するタイプの、ワードファイルだ。社会科見学で学んだことをA4用紙二枚分にまとめる課題だったが、クラスのとある女子の書きかけのそれに、「バカビッチタヒね」「消えろ」などと、七十二ポイントの大きなゴシック体で書き足されていたという。舐めないでほしい。俺が誰かに嫌がらせを仕掛けるなら、間違いなくそんなせこくて頭の悪い真似はしない。やるならファイルごと削除するし、ファイルごと削除まではしないにしても、例えばすでに書き終えた文章にこっそり誤字を交ぜるとか、もっと実害がある・・・・・・いや、そういう問題じゃない。

 いずれにせよその嫌がらせを受けた女子と俺とは、そこまで仲が良いわけでも悪いわけでもなく、互いに無関心というか、そもそもあまり話したこともないような間柄だった。――一方で、今、俺を「PC室に入っていった」と嘘の証言をしているこの女は、数日前に掃除をさぼったさぼらないで結構派手なケンカをし、「ブスの癖にイキってんじゃねぇ」という一言で泣かせてしまった相手である。恨まれているのだ。だから、嘘をつかれ、はめられようとしている。


 クラス中から「伊藤サイテー」「やることえぐいよな」といった声が上がる。


「違うって、だから俺じゃないんだって」

「証明してみせてよ!」


 むしろ「俺がやった」と言い張る側こそ、俺がやったという証拠を持ってくるのが筋だとは思うのだが、悪い子、やんちゃ坊主、意地悪で通ってしまっている俺が相手なら、そうはならないっていうのが学校の不思議なところである。


「……皆さんの意見は分かりました、もう充分です」


 担任の先生が呆れたように話に割って入る。


「伊藤くんは後で先生のところへ来てください。……皆さん、先生から大事な話があります」

「えっ、でも俺本当にやってないんです」

「今、犯人が誰かなんてことはどうでもいいの! ――今大事なのは、佐藤さんが傷ついたってこと。それと、このクラスに平気で人を傷つけて陰で笑っている人がいるってことです」


 公教育ならではのきれいごとは、誰のことも傷つけないことだけが取り柄のはずだった。――しかし今、そのきれいごとは明確に俺に刃を向けている。


 先生の説教タイムが終わり、給食の時間を告げるチャイムが鳴った。俺は先生に生徒相談室に連れられ、昨日の放課後に何をしていたか、どうして疑われているのか(そんなもん俺が知りたい)、そもそも普段の言動に問題があるから疑われるのではないか、今回の嫌がらせをやったかどうかはどうでも良いが、これを機に態度を改めよ、とか……そういった話を延々とされた。何か言われる度に俺は自分じゃないと否定したが、その度に先生は「今回のことはどうだっていいの」を繰り返したのだった。


「今回のこと、仮にやってなかったとしてもね? 皆に疑われるくらいには、伊藤くんは『そういう子』だって思われちゃっている、結局それが一番大事なんじゃない?――」








 担任に解放され、教室に戻った頃には給食の時間も残り三分の一、といったところだった。俺のぶんの給食はちゃんと用意されていた。それは、このクラスがきれいごとで成り立っているから。いつだって、どんな悪い奴だって、呼び出しをくらったり、どこかでトラブったりしていても、誰かがちゃんと代わりに給食を受け取り、席に置いておくことになっているんだ。嬉しくなんてなかったし、どうしてそんなきれいごとの恩恵を俺が受けなければならないんだ、と思った。


「早く食べないと、冷めるぞ」


 同じ班の奴にそう言われ、またお決まりのセリフかよと心の中で憤った。けんちんうどんと、じゃこサラダにデザートの杏仁豆腐。なんてことはない、よくある給食のメニューが滲んで見えた。今食べ始めたら、彼に促されたから食べたように見えるだろうか? ……いや、そんなことで意地を張っている暇はない、急いで食べないと給食の時間が終わってしまう。

 うどんの麺を箸でつかみ、口に運ぶ。別に、好物というわけでもないけれど、いざ口にすれば美味しいとは思う。結構しっかり出汁は利いていて、でも味が濃すぎるわけではない。麺は少しコシが足りないとも思うけれど、給食だしそれもご愛嬌というか。

 不規則な嗚咽につられ、麺を誤飲しないように、汁を撥ねさせないように注意を払う。――悲しいときには食欲が出ないだなんて嘘だ、と思った。いや、違うか。俺は、悔しいのか。

 これを食い終わったら、もう一度、「俺じゃない」とはっきり言っておこう。





『誰にも信じてもらえなかった日に食べる給食のけんちんうどん』――fin.

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