親愛なる騎士様、友愛なる魔術師様、私の子を育ててください

KUMANOMORI(くまのもり)

第一部

最初で最後のあやまち

~友愛女王爆誕編~


「フィア」

 聞いたこともない甘い声で呼ばれて深く口づけられたとき、あ、これは願望夢に違いない、とフィア・リウゼンシュタインは思った。

 目の前の相手であるゼクス・シュレーベンがこんな風にフィアの名前を呼ぶわけもないし、口づけをするわけもない。二人は同僚でしかなく、口づけをかわすような関係ではないからだ。


 頬の手が添えられて、味わい尽くすかのように、幾度となく口づけられ、フィアは脳髄までとろけるかのように錯覚した。

 さっきまで、訓練施設で最後の手合わせをしていたはずだ。それがなぜか、ゼクスの部屋にいて、経験したことのない距離感で触れ合っていた。

 互いに防具を外し、訓練着を脱いだほとんど下着同然の状態で、身体を抱きしめられる。

 防戦一方な状態に、フィアは違和感があった。身体の感覚がおかしい、と思う。


 なぜか、身体が思うように動かない。そして、訓練の記憶はまったくなかった。


 ゼクスはフィアの髪の束をとり、髪にキスをして熱っぽく見つめてくる。

「フィアは、なぜいつも別のところに通うんだ?」

 いつもは憎らしいくらいに冷静で涼しい顔をしているゼクスが、取り崩すのもまた、夢だからだ。灰褐色の瞳が熱っぽく光る。


「ゼクスには関係ない」

 と取り澄ましてみれば、噛みつくような攻撃的な口づけをしてくる。

「答えになっていない」

 と詰められるが、ゼクスに説明できるような素晴らしい理由はない。

 通うとはつまり、逢瀬のことだ。フィアが寮を出て会いに行く相手のことを言っているのだろう。

 いつも「別のところ」と言うが、端からゼクスとはそういう関係にはないのだし、詰られる理由もない。


 同僚や同じ所属の関係者、王都の関係者には、手を出さない、出させないと心に誓っている。それは、騎士団に入るときに決めたことだ。女であれば必ず言われるであろう、色で地位を手に入れたというやっかみを最小限に抑えるためだ、と随分前にゼクスにも話をした気がする。

 それもまた、真実の一つではあったけれど、方便の側面が強い。


「騎士団や王立施設の関係者と深い関係になるのは、覚悟が必要だよ」とフィアは、後見人であるフランツ・ヴォルモントから常々言われている。

「フィアにとっては危険な賭けだ、それ相応の覚悟が必要だと思う」と言うのだ。

 それはフィアの出自に由来するものだったので、フィア自身も自戒していた。


 フィアは「必要に迫られれば」、寮を出てスクール時代の知り合いや、あるいは後腐れのない相手と「始末」をつけていた。身元のハッキリしているガルド人なら相手として問題はない。

「一部の男性騎士達が、公娼相手に後腐れなく息抜きをするのと同じ。パートナーはいないから、不義理にはならないはず」とこれまで、何度となく繰り返した言いわけを口にする。


「ヴォルモント公は?」

 その名を出されてドキッとはしたものの、名ばかりの婚約者だ。フィアの後見人になりたい、と言ってきた昔馴染みの関係。フランツ・ヴォルモント公爵は、フィアにとっては援助者である。申し分ない身分ではあるが、かなりの変わり者だ。

「多少のおいたは仕方ない、隠ぺい工作にも協力するよ」と言われているが、そもそも婚約の事実はない。

「フランツはただの後見人。ゼクスこそ、アリーセ様のことこそ」

 口にしたとたんに、ざわざわっとフィアは体内の血液量が増したように感じた。その瞬間に、嫉妬心が生まれる気配を感じる。


 ――――まさか、この状況に誘ったのは私なの?


 と記憶をたどろうとする。いや、そもそもこれは夢だ。順番なんてどうでもいいはず、と思いながらも、どこか靄がかかる感覚に違和感を覚える。

 ゼクスと宰相の娘アリーセ・アドラースヘルムとの婚約が与えた、フィアへの衝撃は凄まじいものがあった。

 ほのかに抱いていた恋心に気づき、立ち直るまでに散々「別のところ」に通った。立場的にも自分の心情的にも、ゼクスと恋愛関係にはなりえない。

 にもかかわらず、婚約により決定的に不可能になった知り、落ち込んだ。それからフィアはゼクスと距離を取ることを考えたし、今回の退団の一因でもある。なのに、わざわざその名前を出して、煽るようなことを口にするのは自傷行為だと思う。


「それが今、なにか関係があるか?」

 本命がいるならば、一時の関係を結ぶ相手に事の核心を突かれると、話をそらすか、あからさまに萎えるか、どうでもいいと突っ走るか。ガルドに来て、そんな下世話な話を聞いたことがあったが、今はどれだろう?フィアには判断がしかねる。

「今のこれは、アリーセ様への不義理にな……」

 まるで、フィアの言葉を切りたいかのように首筋へ口づけをしてきたので、これはどうでもいいといって突っ走るケースだと判断した。

 夢ならばそれでいい、とフィアは思う。


 ゼクスの手が身体に触れてきたとき、自分の願望夢は革新的な一手を繰り出してしまった、とフィアは思う。本物のゼクスはこんなことはしない。友人のように肩を叩き合うことはあっても、素肌を触れ合わせることなんてなかった。

 フィアがつい声をもらしてしまうと、ゼクスは息を飲んだ。去就を問いかけあうように、二人は目を見合わせた。これは、夢。

「フィアが欲しい」

 とゼクスが言う。とうとう願望にものを言わせて、都合のよい言葉を言わせてしまったと思った。

 ゼクスと結ばれる想像をしたことは、ある。どれだけ鍛えあげられた肉体なのかは、日頃の鍛錬で知っていたし、彼はフィアにとって正真正銘の初恋の相手だった。

 ただ、フィア自身が他の団員からの個人的なアプローチを許さなかったように、フィア自身も同僚や関係者をそういった目で見ることを自制していたのだ。

 自制心は、まだある。

 これで踏み外したら、多分すべてが終わる。

 それに、どこかで見聞きしたような、つかず離れずのただれた関係を始めるつもりは、ない。

 ただ、これは夢だ。


 唇が重なってきて、再び問われる。

「フィアのことが、知りたいんだ」

 吐息がまじり、焦りの含まれた甘い声でゼクスは言う。これは自分の生み出した偽物だ。そうは思うものの、求められることなんて想像もしなかったせいか、心の深奥を揺さぶるには十分だった。頷くだけでいい。けれど、フィアは欲を出した。

「好きと言って、嘘でもいいから。そしたら」

 目が合い、瞬時に自分は一体何を言ったのか、と後悔したフィアは目を逸らそうとするが、

「好きだ、フィア。ずっと」

 顎を指で押さえられて、視線を奪われた。この先のことを問われているのが分かり、頷く。

 深く口づけられて、そのまま伸びてきた手によって、衣服が引き剝がされていった。



 とんでもないことをしでかした!とフィアが気づいたのは、同じ騎士団に所属するゼクスの部屋で目を覚ましたときだ。目を覚まし、隣で肌を露にして眠る同僚の姿を見て、フィアは思わず自分の上半身を確認する。思わず息を飲んだ。胸から腹まで、いくつもの痕があり、覆しがたい悪事の証拠として残っている。


 あれは、夢じゃなかったの?

 けれど、どうしてそうなったの?

 と疑問が浮かぶ。絶対に取り崩さないと思っていた。

 出立を前に気がゆるんだ?

 最後だからと羽目を外した?

 お酒を飲んでしまった?


 どれも記憶にないのだ。

 いずれにしても、やってしまった、には変わりない。

 最低だ。

 たとえゼクスに思いを残していたとしても、してはいけないことだった。立つ鳥跡を濁さずとして、綺麗に出ていくつもりだったのに。どっちみち、後も先もない。

 穏やかに寝息を立てるゼクスを見て、胸が締め付けられる。

「アリーセ様が羨ましい」

 と今ハッキリと感じた。この場所を、ゼクスのそばを離れる今になって気づくなんて馬鹿げているけれど。


 この姿を見るのは、妻となる人の特権なのだろう。少し迷ったが、フィアはその額に軽くキスをした。


 ――――さようなら、ゼクス。

 と心の中で告げる。


 フィアは急いであちこちに散らばっていた衣服を身につけた。どんな脱ぎ方をしたのか、四方に散らばる訓練着がどちらのものか確かめるのが大変で、焦りだけが募る。

 早く部屋を出なければ、誰が来るとも分からない。どちらのものか分からない上着をまとい部屋を出ることにする。ノブに手をかけたときに、

「フィア?」

 と少し眠たげな調子の声がかかり、背筋が震えた。確認するまでもない。ふり返るまでもなく、誰が誰に、どんな状態でかけている言葉なのかはハッキリしている。


「ごめんなさい、手を出して!悪い夢だと思って、すべて忘れて!」


 答えを待たずに、部屋を出て自室に戻り、シャワーを浴びたのちに私服に着替える。

 シャツを着て、革のボトムスを穿く間にも、身体のあちこちに散見する痕、痕、痕。

 今立ち入り調査でもされたら、確実に黒だと分かるだろう、とフィアは思う。けれど、荷物はまとめてある。後は馬車を待つだけだ。出立の日で良かった。仮に悪事がバレたとしても、すぐには訴求されないだろう。


 何をまかり間違って、ゼクスはフィアの相手をしたのか?

 フィアからすればそれが、大きな謎だった。

 目の前に餌がぶら下がっていたから、食してみた。ゼクスからすればその程度の、弁明可能な出来事なのかもしれない、とフィアは思う。

 だとしても、少し激しすぎる気もしたけれど……。ゼクスからすれば、これが普通なのかもしれない。

 ただフィアからすれば、すべて初めてのことだった。


 フィア・リウゼンシュタインは奔放で放蕩と有名だから、誰に言っても、信じてはもらえないとは思うけれど。

 欲しいところへ欲しいように刺激が来て、やむことなく求めあう。これが愛を交わすということならば、とても幸せなことだ、とフィアは思う。


 だが、今回ばかりは相手が悪かった。ゼクス・シュレーベンは王都の人間であり、フィアにとっては深く関わってはいけない相手なのだ。

 あれは特殊な訓練であった、と言うことにしておこう。フィアは自分を納得させるために、そう思うことにした。

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