30話 露草

 辺りは先ほどの激戦が嘘のように、シーンと静まり返っていた。


「……」


 私は徐々に降下し、やがてスタッと着地する。私の視線の先には、地面にへばりついて動かないでいる魔王。そして。魔王の目と鼻の先、魔王の身体に到達する直前で静止している黒い刀――規格外なまでに巨大な、私の愛刀『月影』の姿があった。


「――っ」


 私は無言で指を鳴らす。


「……鳴ってないよアイリスたん」

「……」


 私の綺麗で上手すぎる指パッチンを合図に、『万物錬成』で生み出され、戦場のあちこちに転がっていた万物は光の粒子となって消えていく。無論、巨大すぎる『月影』も。やがて、完全に蒸散していった。


「……なぜ、ころさない」

「……?」

「――なぜ殺さなかったと訊いているの!?」


 魔王は激高していた。その顔を怒りに歪め、私に向けて叫んでいた。

 ……なぜ殺さなかったか、だって? そんなの、簡単だ。


「私が、殺したくなかったから」

「…………は?」

「殺したくなかったから、殺さなかった。別に理由なんてない」


「……な、何を言って……。散々、あの『世界』で、人を殺した、あなたが……?」

「そうだね。昔の私は散々人を殺してきた。でも、今の私は、誰も殺したくない。だからお前も、殺さない」


「い、意味が分からない……。そんなの、自分勝手すぎるわ……!」

「なんて言われようとも、構わない。私は、私のしたいようにする。私は私がしたいと思ったことをする。これは私の人生だ。私のしたいことは、私が決める。私がしたいように生きる。そう、決めたから」


「――ッ」

「……」

「……後悔、するわよ。ワタシを生かしておいたこと」


「たしかに、するかもしれない。でも、この場でお前を殺した方が、私は、もっと後悔すると思う」

「――ッ。……な」


「お前を殺したら、たぶん露草が悲しむから。それは、なんか嫌だ」

「……さっきから何を言って。……意味が、分からない。あなたの言っていることは、何一つ……」

「……」


 瞬間、魔王の足元が淡く白く輝き始める。

 ――キッ、と。最後に魔王は私を睨みつけて。

 刹那、魔王の姿はふっとブレる。やがて、いつの間にか消えていた。恐らく『転移魔法』かなにかで逃げたのだろう。


「……ふうう」


 私は安堵のため息を吐いた。ようやく一段落ついたのだ。


 魔王を逃がした自分の判断は、正直最善の選択だったかと聞かれれば、私は首を縦には振れないけれど。それでも私は、私のしたいことに従った。不思議なことに、胸中はいつにもまして晴れやかだった。


「――アイリスたぁぁああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

「おわっ」

「アイリスたん!! だいじょうぶ!? どこもケガしてない!? アイリスたんの柔肌は無事!?」


 そんな意味不明なことを叫びながら、露草が私に飛びついてくる。


「べつになんともないけれど……。露草こそ大丈夫なの? たしかに怪我はないみたいだけど、その……。さっきのあれ。……お前、魔法を使ってた」


「ああ、あれね。……わたしもよくわかんないんだけどさ。咄嗟にアイリスたんを守らなきゃって強く思ったら、気づいたらなんか出てたっていうか」

「……」

「まあそんなことはどうでもいいんだよっ!」


 ……どうでもよくはない。だが露草になんともないのなら、ひとまずは良しとしよう。


「水でもあればよかったんだけど……。アイリスたんあんなにド派手な魔法連発してたし疲れてるよね? あっ」


 露草はなにやらポケットの中を漁っている。


「こんなの入ってた!」


 そして、なにかを掌に載せてこちらに差し出してきた。


「なにそれ」

「ん? 花のくちづけっていう飴! 私、飴だとこれが一番好きなんだよねー。疲れた時には糖分を補給するのが一番!」


 ――戦いの後には、糖分を補給するのが一番!


 それは、どこか遠い世界で聞いたことがあるセリフで、私は思わず笑みをこぼす。


「ふふっ、ありがと」

「うひゃぁああ! アイリスたんが笑ったぁぁぁあー!!」


 奇声を上げ始めた露草から飴を受け取る。


「……ん? これ……」


 その飴には、見覚えがあった。それこそ〝あいつ〟が私にくれたことのある飴にそっくりだ。


 そうだ、たしかあの飴には個包装に花の名前と花言葉が書かれていて――

 なんとなく、私が知っている飴かどうかを確認したくて、飴の個包装に目を落とす。


 するとそこには、こう書かれていた。



「……ツユクサ、花言葉は、――『懐かしい関係』」



 瞬間、ドクンと心臓の脈打つ音が聞こえた。ハッとして、私は露草を見る。


 すると露草はニコニコしながら私のことを見ていた。


 太陽のように眩しい満面の笑みで、私のことを見ていた。


 やがて彼女は、ゆっくりと口を開くと、やはりどこかで聞いたことのある言葉を紡いでいく。


「――わたしね、アイリスたんの笑顔が好き!!」

「――」


「――アイリスたんはあんな怖い顔よりも、やっぱりそうやって笑っていた方が断然いいよ!! ちょーかわいいよっ!! 普段ももっと、笑っていた方が絶対いいよっ!!」

「――」


「笑っていた方がいろいろとお得なんだよ!? 笑わない人生なんてつまらない!! 楽しくない人生なんてくそくらえ!! 人生は、笑顔でいた方が楽しんだよ!!」

「――っ」



「わたしは、笑った〝アイリス〟が――世界で一番、大好きだよ!!!!」



「――っっっッ!!」


 …………心臓の鼓動がやけに早い。頭が、ふわふわする。周りの音が遠く聞こえて、なんか、目頭が熱い。全身に、色んな感情が駆け抜けていった。


 ……ぁあ、なんだ、これ。

 ……胸が、苦しい。


「……アイリスたん?」


 滲む視界で露草をとらえる。なぜだろうか。

 その姿は、今この場にはいるはずのない、〝あいつ〟と、重なって見えて――


 ――……もしも来世があったなら、その時は今度こそ、絶対に。わたしはアイリスのことを忘れない。ずっとそばにいるからさ。


 そんな言葉が、脳内にリフレインする。


「……っ。ぅ」


 一度流れ出した涙は、いくら踏ん張っても止まることはなく、私はぼろぼろと涙を零す。


 拭っても拭っても、涙はあふれ続ける。


「ア、アイリスたんどうしたの!? わ、わたし、へんなこと言っちゃったかな!?」


 露草はなぜ私が泣きだしたのかわからないのだろうか。そう言って慌てだした。いや、もしかしなくても、〝こいつ〟は何も知らないんだ。そうでなきゃ、『読心魔法』でとっくに気づいていただろう。


 ……私だけ、こんなに泣いて、それってなんだかずるい。


「……ア、アイリスたん……?」


 いっぱい訊きたいことがある。いっぱい見せたいものがある。いっぱい――言いたいことがあるんだ。


 私は、たくさんの過ちをしてしまったのかもしれない。けれど、それでも、お前みたいな生き方をしたいと思ったから。お前みたいに、楽しく生きたかったから。私の瞳に映るお前は、誰よりも輝いて見えた。最初は何も感じなかったお前の言葉、それが次第になによりもカッコいいものに思えて。私も、お前のようになりたいと、そう思うようになった。だから私は、今ここに――


「……っ」


 長い間、私を一人にさせて、どこに行っていたのだ。まったく。柄にもなく寂しい、なんて思ってしまったではないか。柄にもなく――泣いてしまったではないか。こんなにも長い間、どこをほっつき歩いていたんだ。お前がいなかった時間は、すごく凄く、……もの凄く、悲しい時間だった。私をこんなにしてしまった責任、ちゃんと取ってほしい。


 そんな言葉が浮かんでは、喉の奥に引っかかって消えていく。


 ……違う。今言うべき言葉はそんなのじゃない。


 〝こいつ〟は、太陽紫苑を失ってしまったのもとに、ちゃんと帰ってきてくれたのだ。ならば今私が露草に伝えなきゃいけない言葉だって、自ずと一つしかないだろう。


 だから私は深呼吸をして、露草の瞳を見据えた。


 ……ああ、そうだ。私は〝こいつ〟の瞳が好きだった。ぱっちりと大きくて、キラキラした瞳が。この無限の活力を秘めているかのような瞳で見つめられるのが好きだった。この瞳に見つめられるだけで、なんだか私まで何でもできる気がしたんだ。


「……ねえ」

「……な、なに!?」


 そう声をかけると、露草はいまだに自分が泣かせてしまったのだと勘違いをしているのか、びくっと肩を揺らす。普段は変態で頭が壊れているのに、なぜこういうときばかりは弱気なんだろう。


「……ふふっ」 


 けれど、そういうところが露草らしい。

 そんな露草だからこそ、私は〝こいつ〟が『好き』なのだ。



 ――そう思うと、なんだかとても可笑しくて。



 だから私は、心の底からのとびっきりの笑顔で、露草に向かってこう言うのだ――







「――お帰りなさい、〝露草〟……!!」

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