第5話 『知られざる……』

 ミツキの言ういいこと。それは——


「師匠の生誕日を祝ったことがある妖がいる?」


 思わず聞き返すユウに、ミツキは笑って頷いた。

 隣では、美桜も同じようにして目を丸くしている。


「誰に聞いたの?」


「咲夜! 聞いたら教えてくれたよ!」


「咲夜様に……それは盲点だったなぁ。師匠と一緒に祝うって決めた手前、咲夜様にも極力黙ってようと思ってたのに」


 ドッキリ大作戦、とまではいかないが、黙ったままで当日ドドンとお披露目するつもりだった。が、それはそうだ。菊理が咲夜に黙っているか否かなど分からないし、その可能性を考えもしなかった。


「それ、無駄じゃない? ししょーに喋ってる時点で、咲夜にも話すと思うな」


「うん、僕もそう思うよ改めて……」


 我ながら、変なところで頭が固い。


「それで、誰が祝ったことがあるって?」


「かろく、だって言ってたよ」


「かろく……嘉禄!?」







 ——と、いうわけで。

 再び南第一監視所までやって来た一行。

 今回は、美桜も同道している。

 基本は護衛対象だが、美桜もある程度の武芸は心得ている為、そこまでガチガチに護り続けなければならない、という訳でもなかった。

 ここは他方角の第一監視所よりも桜花から近く、日中に行って帰ることが出来る程の距離しかないのも手伝った。


「——ということをこのミツキが咲夜様から聞き、事の仔細を尋ねに参ったというわけです」


 ユウが説明をしている間、嘉禄は静かに聞いていた。

 そうして話し終えた後、はぁと息を吐き出すと、困ったように笑いながら頷いた。


「まぁ、そうだ。それは俺のことだな」


「そうですか。咲夜様は、ミツキに嘘を言った訳ではなかったんですね」


「知らん、と言ったなら嘘だったろうが、生憎とそんな物好き、俺くらいのものだったらしい。俺の知る限り、あいつの生誕を祝ったのは俺だけだったようだからな。俺が去った後のことは知らんが」


「それに関しては、恐らく間違いありません。私は城に仕える身ですが、菊理様がそのような華々しい行事に出かけるところなど、見た事がありませんから」


「美桜、だったか。医務長やりつつ女中まで仕切ってるってあんたが言うなら、まぁそうなんだろうな」


 美桜が頷く。


「まぁなんだ、教えたのは俺だ、強力することは惜しまんが——あまり前向きにもなれんな」


「どうしてです?」


「嫌い、という言葉がどこまでの意味合いを含んでいるかは分からんが、あいつは終始難しい顔をしていた。部隊長であると同時に桜花全体の命も預かっている立場柄、思うところがあるんだろうな。難しいところだ。今回とて、素直に参加してくれるかも分からん」


 嘉禄は、溜息交じりに首を振る。


「なあユウよ、そりゃあどうしても必要なことか?」


 真剣な面持ちで尋ねる嘉禄だったが、ユウの答えは決まっていた。


「ええ。どうしても必要なことです。戦場に身を置く師匠の立場であるからこそ、尚更に」


「嫌な顔をされてもか?」


「どう言われようとも実施する腹積もりではあります」


「……そうか。お前さんも、色々考えるところはあるってんだな」


「ええ。伝えなければならないこともありますから」


「そうか。相分かった、俺の知り得ることなら何でも教えよう」


「恐縮です。ありがとうございます」


「なに、気にするな。こっちの問題を解決してもらった礼とでも思ってくれればいい」


 そう言って、嘉禄は豪快に明るく笑う。

 これで、事態はまた一歩大きく前進しそうなものである。


「一つ、よろしいでしょうか?」


 と、美桜。


「構わん」


「嘉禄様は、どうして菊理様の生誕を祝おうとなさったのです? 話に聞く貴方の武勇は、戦場で駆け回り、妖魔を狩ることに執着を見せる、鬼神のようであったとのことなのですが——それ程の方が、どうして一妖の生誕を祝おうなどと?」


 美桜の問いに、嘉禄は少し難しい顔をしたかと思うと、次には困ったように笑い、しまいには唸り始めてしまった。


「嘉禄様?」


「いや何、別段話せない内容ではないんだが、どうにもこっぱずかしくてな」


「恥ずかしい、ですか?」


「ああ。まぁ端的に言うと、あいつに気があったんだよ。立場だ何だと関係なくな」


「——あらまぁ」


 予想外の返答に、美桜は口元を手で隠して驚いた。

 ユウも同じように驚愕している。

 ミツキは、何のことやら分からない様子で小首を傾げていた。


「聞いてはいけませんでしたかね?」


「話せない訳じゃねぇって言っちまったからなぁ。それに、別に隠す程のことでもねぇ。一部連中にゃあ、未だにそれで弄られるんだからよ」


「未だに、ということは、今はもう?」


「んや、相変わらずだ。この任が終わって、いつかまた桜花に戻ったら、そん時もういっちょ攻めてみるつもりよ」


「……凄い、ですね」


 美桜は感嘆の声を洩らす。

 それは別段、皮肉でも何でもなく、素直な感想であった。


「私、誰かに好意を抱いたことがございませんから。一途に誰かを思い続けているのって、素直に羨ましく思います」


 満足な休みを取らず、年間通して殆ど働き詰めの美桜は、誰か何かに現を抜かしたことがない。それは激務ばかりという訳ではなく、自分が仕事をしている時が単純に好きだからというだけだ。


「個々として思っていた、というのならお話が早いです。菊理様のお好きなもの、何か心当たりはございますか?」


 と、美桜が尋ねる。

 ユウもユウで、自分はそういったことについて疎いという自覚がある為、もうある程度の話は美桜に任せるつもりだ。

 美桜が菊理について、とだけ尋ねたのは、咲夜の好きなものについては色々と知っているから。女中連中、そして美桜自身も、日々咲夜と話をする中でそういった話題が出ることが多い。


「好きなもん、か。それは食べ物かい?」


「何でも構いません。食べ物でもお召し物でも、あの方が喜びそうなものに、何か心当たりがあれば」


「ふむ……食べ物であれば、あいつは甘いものが好きだな」


「あ、甘いもの、ですか……?」


「ああ。意外や意外だろう? あいつ、お前たち女中にゃ『嫌い』とでも言っているんじゃないか?」


「ええ、その通りです。よくご存知で」


「ご存知って程でもねえ。俺が桜花で隊長やってた当時、あいつはそれなりにコロコロとした身なりでよ。甘いものばっかり食ってたからってぇ話だったわけだ。ただある日、それが理由かは分からんが、身体が鈍くて窮地に立たされたって折から、めっきり甘いものは食わんくなったんだ。仲間を危険に晒さない為にもな。お前たちに『嫌い』だって言ってるのは、自分に対する戒めな訳よ」


「戒め……それなら、あまり甘いものは選択しない方がよろしいでしょうか?」


「いや、逆だ逆。祝いの特別な席であればこそ、その場限りで存分に楽しんでもらえばいい。生真面目なあいつのことだ、それで以降も自分の中の枷がなくなっちまう、なんてことにはならんだろうさ」


「そう、ですか。なるほど、承知致しました」


 美桜は、持って来ていた日記帳に記録を取る。

 手早くサラリと進める辺り、普段からそういったことをやり慣れているのだろうなと、改めて思い知らされる。


「お召し物っつーかは分からんが、あいつは自分で編み物してたな」


「あ、編み物…!?」


「なんだ、それも知らんのか。あいつは……待てよ。これ、話し過ぎたら俺があいつに怒られやしねぇか?」


「た、多分大丈夫かと……それより、菊理様が編み物とは……?」


「うーん……まぁ構わんか。俺も偶然知ったんだが、あいつ、自分で拾って来た妖やその子どもの為に、自分で作って配ってたんだよ。その当時は今ほど補填やらなにやら充実してなくてな。拾って来たばかりの妖たちを、拾ったはいいが養うことが難しかった。だからってなわけだ。当然金もないからな。自分には炊事は出来ないからって、手作りだったんだよ」


「菊理様が、そのようなことを」


「ああ。始めの内はそりゃあ酷い有様だったんだが、時と数を経て、その内にあいつ自身の裁縫も上手くなっていってな。気付けば、知る者ぞ知る上質な貰い物ってな扱いだ」


「師匠がそんなことを……知らなかったな」


「ミツキも。見たことない」


「お前さんは十年そこら、妖魔の嬢ちゃんに至ってはつい最近だろ? 無理もない。何せ、何百年も昔の話だからな」


 そう言うと、嘉禄はまた明るく笑った。

 その顔はどこか、遠い昔を懐かしむようでもあり、どこか切なさも孕んでいるように見えた。

 嘉禄から聞く、菊理にまつわる昔の話。

 ユウやミツキは元より、美桜まで知らなかったとなれば、本当に徹底して隠してきたのだということが分かる。


 しかし同時に、どうしてそこまで隠さなければならなかったのか、ということは疑問に変わる。

 知る者ぞ知る、とは言っても、どこかしらから話は広まっていった筈だ。

 壁に耳あり。あれだけ多くの妖が暮らしていて、出回らない筈がない。当時の数こそ知るところではないが。

 今こうして、ユウが嘉禄から知られざる話を聞いているように、誰かから誰かにその話は伝わって行っている筈だ。

 なら、慈善として行っていたそれをやめ、口外しないようになったのは、よくない噂やその行いをよく思わない者が次々現れたから……?

 いや、それなら、咲夜がそう軽々しく口にするとは思えない。


(師匠……)


 毛糸の一つでも贈り物に追加しようと思ったが、これでは却って逆効果になってしまうことだろう。

 まずはそれら情報や憶測の確認と整理、それから生誕の祝いだ。

 どれも一度知りかけてしまった以上、うやむやなままでは満足に祝うことも出来ない。


「嘉禄さん」


「何だ?」


「貴方と同じくらいの年数を生きている妖に——出来れば桜花に住む者の中で、心当たりはありますか?」

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