第一話 勿怪祓い承ります

若先生・赤城清司郎

 江戸は武士の街である。街の多くは武家屋敷や社寺の敷地であり、その合間あいまに町人や庶民の住む土地がある。狭い土地にひしめくように立ち並ぶ店や長屋で、人々は今日を暮らしている。

 赤城清司郎あかぎせいしろうはそんな町人地の片隅に住む浪人者であった。

 といっても手狭な裏長屋ではなく、地主の築兵衛ちくべえから借り受けた小さな一軒家に『手跡指南しゅせきしなん 中之条錠心なかのじょうじょうしん先生門下 赤城清司郎』と看板を出し、近所の子供に読み書き算盤そろばんを教えている。

 清司郎は当年取って十九、人にものを教えるにはまだ少々若いせいもあり、大人たちからは若先生と呼ばれている。一方で子供たちにしてみれば歳が近く、偉そうでないところがいいのだろう、評判は上々というところである。

 この日も清司郎は朝から昼までの間子供たちの世話に走り回っており、昼になって子供たちが自分の家へ帰っていくと、やっと人心地ひとごこちがついた。てんでばらばらに並んだ文机ふづくえの間によっと腰を下ろし、大きな欠伸あくびをする。

「若先生、いる?」

 玄関から声をかけられて、清司郎は眠たい目をこすりながら返答した。

「開いてるから入っていいぞ」

 腰高障子こしだかしょうじを開けて入ってきたのは、山伏に似た扮装の娘だった。歳の頃は十四、五だろうか、背中にはおいの代わりに作り物の翼を背負い、顔には若い娘には珍しく眼鏡めがねをかけている。膝上までしかない、丈の短い袴は子供じみていて、まともな大人からはいい顔をされないだろう。

 それが、清司郎の仕事仲間であるおはるであった。

「昨日の勿怪祓もっけはらいのお金、持ってきたよ」

「いつもすまん」

 勿怪とは、森羅万象しんらばんしょうに潜む魑魅魍魎ちみもうりょう、子供にわかるように言うならばのことである。清司郎が決して安くない一軒家を借りていられるのも、時折勿怪祓いの仕事を請け負っているからであった。

「それで、あの墓は?」

「今度の勿怪騒ぎで放っておくわけにもいかなくなったみたい。すぐにでもお堂を建て直して、変なものが居着かないようにするって」

「あの坊さんもなかなかの悋気けちだったが、さすがに勿怪騒ぎを放っておいたんじゃばつが悪いってことか」

「そんなとこでしょうね」

 お榛はそう言いながら、持っていた折り詰めを広げた。

「お昼、どうせまだなんでしょ?」

殊勝しゅしょうなことだな。どこかで買ってきたのか?」

 清司郎がたずねると、お榛は「まさか」と首を振った。

「これはね、ある人からのいただきもの。あたしたちのこともだんだん知られるようになってきたみたいだからね」

「ほう?」

 折り詰めの中は刻んだ青菜あおなを混ぜ込んだ菜飯なめし煮魚にざかなに卵焼き、それから漬物という簡素なものだった。

「こんな弁当一つで頼もうってわけじゃないんだろ?」

「そんなわけないでしょ。勿怪祓いを引き受けてくれればちゃんとお金も払うって」

「まあ、それならいいが……」

 言いつつ、卵焼きを一切れ口に運ぶ。

 口に残らない、ほどよい甘さがつけられている。それに菜飯の方も飯と青菜の割合がちょうど良い。煮魚は箸で容易たやすくほぐれるのに、きちんと味が染み込んでいる。

「……うまいな。これを作ったのはどこの料理人だ?」

「あ、若先生もそう思った?」

「その様子だと、違うのか?」

「呉服商の讃岐屋さぬきやさん」

 江戸に讃岐屋という店は何軒かあるだろうが、呉服屋の讃岐屋といえば、この頃話題の大店おおだなのことだろう。

 あるじの徳右衛門とくえもんは食道楽として知られていて、この前の読売よみうりでは大事な客をもてなすのに、自らくりやに立って包丁を握るのだ、と書かれていた。

 その徳右衛門なら弁当を作るにも手を抜かず、ちゃんとした味付けのものを作るだろう。

「……で、その讃岐屋徳右衛門がなんだってまた俺達みたいなしがない勿怪祓いに頼もうって言うんだ? あそこくらいの大店なら菩提寺ぼだいじ和尚おしょうに頼むのが筋ってもんだろうに」

「まあ、色々あるんでしょ。それで、若先生はこの話、受けるの? 受けないの?」

「弁当食べた以上、受けないわけにはいかないよな。さてはそのために弁当を先に出したか」

「そういうこと。食べ終わったら早速出かけましょ」

 弁当を食べ終えた清司郎はさっそく立ち上がり、帯に愛刀荒正あらまさを差した。

 戸口を出ると、すぐ目の前に築兵衛の店がある。地本問屋じほんどいやという、絵双紙えぞうし洒落本しゃれほんなど、内容のかたくない本や浮世絵などを扱う店で、店先では清司郎のところで学んでいる子供が何人か、売り出し中の武者絵を前にあれこれ言い合っている。

「ほう、頼光らいこう土蜘蛛つちぐも退治か。なるほど、なかなかいい出来だな」

「あっ、若先生! これから昼めしか?」

 子供たちの兄貴分である長次ちょうじが清司郎にたずねた。

「いや、昼はもう食べたんだが、ちと急な用事ができてな。すまないが、昼過ぎは留守にする」

「おっ、やった! じゃ昼過ぎは遊びに行っていいんだね?」

「あんまり羽目はめを外すんじゃないぞ。親御さんに御迷惑をかけないようにな」

 店の中から築兵衛が出てきて、子供たちに釘を刺した。

「おや赤城さま、お出かけですか?」

「ええ、まあ……。突然のことでもうしわけないのですが」

「いえいえ、昼前はきちんと面倒を見てくださっているのですから構いませんよ。たまには羽を伸ばすことも大事です」

 清司郎は築兵衛に礼を言うと、待っていたお榛と連れ立って讃岐屋へ向かった。

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