第12話 緑にうつる三人組
「何、この寂しい部屋」
「あたし、もっと忍者屋敷? みたいなとこかと思ってたけどなぁ」
「侍なんだし、忍者屋敷は無理なんじゃないか?」
座卓に並んだ三人組が、それぞれの目をキョロキョロと動かす。
そばかすの浮いた両頬の上で鋭い瞳を光らせる女、緩くカールした茶色の髪をふわふわ揺らしている女、両耳をピアスだらけにした、柔和な微笑みの男。この三人がコジロウを訪ねた「客」だった。見たところ、全員揃って鶴屋と同年代だろうか。
「つ、つまらぬ家で面目ござらぬ」
三人組の向かいに座って、コジロウが頬を引きつらせる。勇んで客を迎えた割に、顔色はやや青白かった。まぁ、開口一番に家を貶されては青くもなるか。古びたコンロで湯を沸かしつつ、鶴屋は侍に同情する。
「面目ござらぬだって! すごーい、ほんとに侍なんだ! ね、ね、すごくない?」
茶髪の女がそばかすの女の肩を叩く。そばかすは「そうだね」と茶髪の頭を撫でながら、コジロウをゆったりと睨みつけた。
「でも、面白いからって気を許しちゃダメだからね。私たちはこれから、この侍とお金のやり取りをするの」
そばかすに凄まれ、コジロウがキュッと肩を上げる。と、ピアスの男が「ちょっとちょっと」と和やかな笑い声を挟んだ。
「最初からそんな喧嘩腰じゃ失礼だろ。もうちょっと肩の力抜けって」
「肩の力なんて抜いてる場合? 今の状況分かってるの?」
「それはそうだけどさ。ほら、早く本題に入らないと」
「あんたって、いつもそうやって話を逸らす」
「ね、あたし喉乾いちゃったんだけどー」
コジロウが言葉を挟む隙もなく、三人の声が部屋に満ちていく。「今、茶を淹れさせてござるゆえ」と辛うじて差し込まれた言い訳も、口論の奥に消えてしまった。鶴屋は慌ててコンロの火を強め、背中を丸める。
肩をぐいぐいと押してくる、集団の声の分厚い壁。講義室と同じ窮屈な空気が、客たちの口から吐き出されていた。逃げたくなって深呼吸すると、ガスの臭いに喉を焼かれる。
「あぁ、もういい。こんなことしてる時間もない」
そばかすが溜め息交じりに言って、ピアスとの会話を中断した。目を泳がせていたコジロウが、ハッとした様子で客に向き直る。と同時に、そばかすが手のひらで侍を指した。
「一応確認しておくけど、あなた、『侍』だよね?」
「い、いかにも」弱々しい咳払いを挟み、コジロウは答える。「それがしこそ、日の本最後のまことの侍、コジロウにござる!」
「そう、それなら良かった」
コジロウ自慢の二つ名は、ごくあっさりと受け流された。頬をさらに引きつらせる侍から、女は静かに手のひらを引く。
「私はミヅキ。こっちはニーナと、アサヒコ。銀庄総長の下で、風俗店を経営してる。よろしく」
ミヅキと名乗った女は、その手のひらで残りのふたりを順に示す。茶髪のニーナがひらひらと手を振り、ピアスのアサヒコは笑顔で会釈した。
鶴屋はこっそりと三人を見て、名前の記憶に努めようとする。が、まるで集中できなかった。「銀庄総長の下で」という言葉に、意識が引っ張られている。ほんのさりげない自己紹介だけで、三人組の存在感が一気に強まったような気がした。
ミヅキ、ニーナ、アサヒコ。三人は皆一様に、美しく背筋を伸ばしている。揺らぐことのない「集団」の空気を、圧倒的な強さをまとって、彼らは堂々と呼吸していた。
「して、此度はいかような?」
三人にぎこちない会釈を返し、コジロウは緊張した声で訊く。鶴屋も耳をそばだてた。ヤカンの中で煮える湯の音に、ミヅキの声が重なる。
「私たちの仕事を、一週間だけ手伝ってほしい」
直後、シュゥと音を立てて湯が沸騰した。鶴屋はごくりと唾を飲み込み、湯を急須に移す。湯気に眼鏡が白く曇ると、ミヅキの説明が鮮明に聞こえた。
「詳しいことは言えないけど、店のキャストを二、三十人、すぐ増やしたいの。そのためのスカウトとその他の作業を、あなたに手伝ってほしいんだけど」
ミヅキの口調は落ち着いていたが、彼女らの切羽詰まった状況は鶴屋にも伝わった。茶漉しに茶葉をパラパラと落とし、蓋を閉じて待つ。眼鏡の曇りが晴れていくにつれ、マントルの事務所での出来事が蘇ってきた。
青いバラを探す鶴屋たち、漁られて乱れた小汚い事務所。そこに盗聴器がない理由を、コジロウはこう説明した。「多くの者の情報が、嫌でも集まってきてしまうから」。それは本当だったのだと、鶴屋は今さら納得する。ミヅキらの余裕のない状況は、「集まる情報」のひとつなのだろう。裏路地のシビアさをまた垣間見て、頭が痛くなる。
「難しいことは頼まないけど、報酬はそれなりに弾むつもり。どう、受けてくれるでしょ?」
ミヅキの問いは、ほとんど問いに聞こえなかった。有無を言わせぬ威圧感に、鶴屋の胃は縮む。刺すような痛みを誤魔化すように、流し台に湯呑みを三つ並べた。急須の中身を慎重に注いぐ。緑茶が湯呑みを満たす音に、今度はコジロウの返答が重なる。
「心得申した」
鶴屋の胸が、ずし、と重くなる。
コジロウはこの仕事を受ける。ということはその間、課題に専念できなくなるだろう。このまま状況が停滞するのか、はたまた、鶴屋ひとりで石を探すことになるのか。どちらにも耐えられそうになかった。コジロウに頼りたいわけではないが、ひとり取り残されるのも、ひとりで課題に立ち向かうのも、途方もない難題に思える。
「そう、ありがとう。それじゃ、作業の内容を軽く説明しておくから……」
座卓では、ミヅキの声が続いている。鶴屋は密かに溜め息をついて、三つの湯呑みを盆に載せた。ミヅキらの前に歩み出るのも正直嫌でたまらなかったが、コジロウが盆を運んでくれる気配もない。
せめてもの抵抗とばかりに、鶴屋は俯いた姿勢で湯呑みを運んだ。座卓の近くまで来ると三人からふいと顔を背けて、勘を頼りに湯呑みを差し出す。とにかく、顔を見られたくないのだ。裏路地の内情にここまで触れてきて、既に手遅れだとしても。
「あっ、ありがと!」
茶を差し出した手の先から、場違いなほど明るい礼が降ってきた。茶髪の女、ニーナの声だ。湯呑みが支えられる感触に、鶴屋は目だけをチラリと動かす。ニーナの左手が湯呑みを持ったことを確認して、ふと、その中指に目が留まる。
ニーナの細い中指には、古い指輪が嵌められていた。ゴツゴツと過剰に華やかなそれは、ニーナのふんわりとした雰囲気にまるで似合っていない。しかしだからこそ鶴屋は目を引かれ、その大きな装飾を、見つけることができた。
指輪には、小さな白い蟻が閉じ込められた、緑の琥珀が飾られていた。
「ね、お茶、くれないの?」
衝撃にぼんやりとする鶴屋を、ニーナの声が引き戻す。慌てて湯呑みから手を離すと、細い手は琥珀の指輪ごと遠ざかっていった。湯呑みの縁に唇を当て、ニーナはふぅふぅと茶を冷ます。その子どもっぽい仕草を見ながら、鶴屋はこっそりとポケットの中に手を入れた。隕石は、少しも熱を持っていない。
額の奥が痺れていて、心臓はどくどくとうるさかった。喜び、驚き、緊張、憂鬱、期待。生まれた感情が次から次へと混ぜ合わされて、どれがどれとも判別できなくなっていく。
「ねぇ、この人は?」
心臓を宥めていると、ミヅキの声に耳を刺された。思わず顔を上げてしまい、鶴屋は自らのうかつさを呪う。しかしコジロウは気にする様子もなく、「あ、あぁ」と素直に答えた。
「こやつはツルヤ。それがしの……それがしの家の、居候のような者にござる」
「へぇ。ツルヤくんね」
ミヅキの目に捉えられ、鶴屋は身をすくめる。結局また、顔も名前も覚えられてしまった。その不安と恐怖を上塗りするように声が続く。
「うん、じゃあそのツルヤくんも仕事に連れてきて。人手は多いほうがいいし。報酬はしっかり上乗せするから、よろしくね」
「え」
鶴屋の喉が情けない音を絞り出した。仕事に連れてきて、ということは、仕事を手伝って、ということか? じわりと冷や汗が滲む。
だが同時に、諦めが汗を抑えてもいた。あの指輪を見つけてしまった以上、三人組との交流はどのみち避けられなかっただろう。総長の約束を信じて内定を目指すなら、これもやむを得ないことなのだ。あの二度としたくない経験を、無駄にしない道を選ぶなら。
ニーナの指輪を盗み見る。水滴のような琥珀の中から、蟻の黒い目が鶴屋を見ていた。
「それじゃ、そういうことで。さっそく明日から来てね。私たちはもう帰るから、そのお茶、あなたたちで飲んでおいて」
そう言ってミヅキは立ち上がる。「しょ、承知つかまつった」というコジロウの声の後、アサヒコも立った。が、ニーナだけは立ち上がる気配を見せない。湯呑みを両手で抱えたまま、ふぅふぅと息を吹き続けている。そんな彼女を、ミヅキが母親のように咎めた。
「ちょっとニーナ、それ、もう置いて帰りなさい」
「えー? でも、せっかくもらったのに」
「そんなこと気にしなくていいの。喉乾いてるなら、帰りに何か買ってあげるから」
「別のじゃなくて、これが飲みたい気分なの!」
「はぁ? なんでそんなのを……」
ミヅキの下瞼がピクリと跳ねる。女性ふたりの微妙な空気に、鶴屋は狼狽えた。こういうときってどうしたらいいんだ、茶を淹れた俺が何か言わないといけないのか? そんなプレッシャーを感じ始めたとき、「あ、じゃあさ」と救いの手が伸びてくる。アサヒコだ。
「そのお茶、持って帰らせてもらえば? 見た目は変だけど帰りながら飲んで、明日、湯呑みだけ返せばいいだろ。な?」
アサヒコの手が、ニーナとミヅキの肩を叩く。ニーナは満足そうな、ミヅキは呆れたような顔を見合わせて、ふたり同時に頷いた。「よし、決まり」とアサヒコはまた肩を叩いて、コジロウのほうへ顔を上げる。
「じゃ、一晩だけこれ、貸してもらうから。また明日な」
そして三人は、そのまま玄関を出て行った。
ふはぁ、と奇怪な音が聞こえて、鶴屋は首を回す。怪音の発生源はコジロウだった。板張りの床に足を投げ出し、侍はがっくり項垂れている。よく見るとその青ざめた頬は、呼吸のたびに血の気を取り戻していっていた。
「まっこと、疲れた」
ふはぁ。また音が繰り返される。どうやらこれは、コジロウが吐く息の音だったようだ。茶を指差して「貰うてもよいか」と律儀に尋ねる侍に頷き、鶴屋も床に足を伸ばした。集団への恐怖やら裏路地の恐ろしさやら三人の微妙な空気やらに晒され、肉体も精神も疲れている。盆に残った湯呑みを掴み、お茶だってせっかく淹れてやったのに、と緑色の水面を見下ろして、
「あっ!!」
ハッとする。まったりしている場合ではない。「うぉ!?」と湯呑みを取り落としかけたコジロウに睨まれるが、それに萎縮する余裕もないまま鶴屋は言った。
「ゆ、指輪! 蟻の、緑の、あの! 石の!」
「な、なんだなんだ! 何を言うとる!? 落ち着かぬか、ちゃ、茶を飲め茶を!」
コジロウに促され、鶴屋は湯呑みに口をつける。淹れたての茶はまだ熱く、流し入れるなり喉が焼けてむせ、しかしそうしてむせているうちに少しだけ思考が整理されて、続く咳の勢いのまま、今度こそ伝わる言葉で叫んだ。
「ニーナさんの、指輪! 白い蟻が入った、こ、琥珀がついてたんです! 真っ白な命を閉じ込めた、木漏れ日のような、緑色の!」
「何!?」
ガン、とコジロウの湯呑みが座卓を叩く。その直後、鶴屋の眼前に尖った鼻が迫った。侍の薄く骨ばった手に、スーツの肩を揺さぶられる。
「それはまことのまことであろうな!? 見間違いであればただではおかぬぞ!」
「み、見間違いなんかじゃない、と思います! まことのまことに、絶対、そうでした!」
「隕石は!?」
「光ってませんでした!」
「むむぅ」コジロウはそこでようやく顔を離す。「なんと、面妖な」
肩を解放され、鶴屋は安堵する。今度は息で冷ましてから、慎重に一口茶を飲んだ。コジロウが時折見せる興奮には、毎回怯えさせられる。侍は鶴屋以上に必死、ということの現れなのだろうが。
「面妖ですけど、本当ですよ。蟻も石も綺麗で……あれならたぶん、総長も満足してくれそうな……分からないですけど」
鶴屋の言葉に、コジロウは「むぅ」とまた唸る。彼が考えていることは、鶴屋にもなんとなく分かる気がした。そしてそれがもし当たっていれば、鶴屋もまったくもって同意だ。胸の内側でジリジリと、違和感がくすぶる。
――都合が良すぎる。
「まぁ何にせよ、でかしたぞ。見つけたからには必ずや我らがものとして、総長へ献上してみせようぞ! これではないと言われれば、その際にまた考えればよかろう。な!」
引っかかる何かを振り払うように、コジロウがぎこちなく声を張った。鶴屋もひとまず「はい」と返す。総長の課題と明日からの仕事、それだけで今は手一杯なのだ。これ以上、余計な悩みに脳の容量を割きたくはなかった。
そもそも今回の琥珀だって、隕石が引き寄せたものかもしれない。だとすれば、これは単なる「隕石による償い」なのだ。平穏な生活を奪った償い。都合が良すぎるくらいでなければ、天秤が釣り合わないというものだろう。きっと、そうに違いない。
「それで、どうします? あの指輪、というか石? は、どうやって手に入れたら……」
疑念をぐいぐいと押さえつけつつ、目の前の問題に取り組む姿勢をとってみる。が、コジロウはフム、と俯いたきり何も返してこなかった。仕方がないので疲れた頭に鞭を打ち、即興で考えた案を口にする。
「仕事の報酬の代わりに、あれをもらいます?」
「いや」コジロウの首が左右に揺れる。「報酬は銭でもらわねば、必定食うに困ろうぞ」
「じゃ、じゃあ、無理にでも盗みますか?」
「いや」コジロウの右手がゆらゆらと振られる。「それこそ、仕事も銭も失うこととなろう」
「それじゃあ……前みたいに、心を開いてもらう、っていうのは」
「いや」
コジロウの声が、モゴモゴと不明瞭になる。
「それがしは、おなごは不得手ゆえ」
「えぇ?」
鶴屋の眉がピクリと上がる。コジロウの思春期じみた弱気に、瞬発的に腹が立った。
「な、何言ってるんですか、いい歳して。そんなこと言ってる場合ですか」
「やかましい、不得手なものは不得手なのだ、是非もなかろうが!」
「いや、是非はあると思いますよ。総長に献上するためには……そうだ、ほらあの、総長のことは平気じゃないですか。女の人ですけど」
「総長は、おなごだのおのこだの、左様な細事とは縁もなきお方ゆえ。そ、そも、おぬしとておなごに慣れておるようには見えぬが?」
「は、はぁ!? それは、その、人を見た目で判断しすぎです!」
「おぬし、自分が何を言うておるか分かっておるのか?」
互いに睨みあう両者。そのまま一秒、二秒、三秒ほど沈黙が続き、ふたりとも虚しくなって力を抜いた。ズズ、ズズ、と、それぞれ弱々しく茶を啜る。そして溜め息の音が揃ったとき、コジロウが静かに口を開いた。
「とにもかくにも、明日、仕事に向かう他あるまいな」
「……はい」
そうして六畳一間には、結局微妙な沈黙が降りる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます