第19話

 階段を駆け上がり──探しているうちに、トカゲが道を教えてくれた。必ずしも完全に支配しているわけでもないのかもしれない。

 その少女はビルとビルの間の、狭く薄暗い路地にいた。

「美原!」

 美原は、俺の呼び声に気づいて、走って離れようとするが、俺はその肩を掴んで引き留めた。

 バッと美原は振り解くように振り返って、何か言いたげにこっちを見る。けれど口ごもり、濡れた瞳だけが意志の強さを俺に知らせた。何も言い出せない彼女に、なんて言おうか考えて──俺と彼女の接点なんてそれほど多くないことに気がついた。

「……ラーメンでも行かないか」

 とりあえず今は、関係ないことをして忘れることが大事だろう。腹が膨れれば溢れる思いも出てくる。

 そんな考えから発した言葉は、一瞬彼女に「はあ?」と呆れた顔をさせた。

「……奢るから、どうだ?」

「……行く」

 俺は一瞬躊躇したが、それでも最後の一押しで奢りを申し出た。それは幸い彼女の心を動かしたらしく、美原はポツリと呟くように答えて頷いた。

 前回は美原が案内してくれたから、今回は俺の番。そう思って自分のイチオシの店の前に着くと、美原は不安そうな顔をした。

 確かに気持ちはわかる。人の出入りはほとんどないし、外装も古ぼけたものだ。これがラーメン屋だと気づく人の方が少数派なほど、赤と白の看板は土埃に汚れて読むことができない。けれど──ゆっくり話すなら、俺はここだと思ったのだ。それに何より、ここのラーメンは自信をもって美味いと言える。

「いらっしゃい」

「塩二つで」

 手早く注文を済ませて、俺は美原を連れてカウンター席に座った。

 美原は入ったことのない店に周囲をキョロキョロと見ながら、少し小声で俺に話しかけた。

「……ありがとうね、誘ってくれて」

「なんのことだ?」

「もう……」

「ところでさ、俺も聞きたかったんだが」

「ん、ありがと。……で、なに?」

 会話している中で無言でスッと差し出されたラーメンを受け取り、美原の分の箸をとって渡してやると、美原の立場について質問をした。

「……蝙蝠ってのは?」

「ああ、その話。連盟の魔術師の階梯は三つに分かれるの。最高位は"狩人"、魔女狩りのプロフェッショナル。その中でも戦績上位7名は七大天使の名を与えられ、番外1人を加えた8人は熾天使と呼ばれる連盟の管理者。奏ちゃんはアズラーイールの名を与えられた、熾天使の一人」

 ラーメンを左手で器用に食べながら、彼女は詳しく解説してくれる。

「おー……すごいんだな」

「そうだよ、すごいんだよ」

 魔術師連盟とやらがどれくらいの規模の組織なのかはわからないが、少なくともあの超常の力を見たら、その評価もなんとなく頷ける。

 俺の気の抜ける称賛に何故か美原が自慢げになりながら、続けて言葉を紡ぐ。

「次いで、狩人の相棒たる"狼"、さらにその走狗たる"蝙蝠"って順番。蝙蝠の仕事は索敵や雑魚散らしがメインで、普段は魔術の隠匿のために色んなところに潜伏して活動してる。その特性上、狼は戦闘力と索敵能力の二つが求められて、蝙蝠は監視と索敵、それに簡単な任務さえすればいい……言ってみれば雑用係」

「なるほど……それであの男は」

「……うん。私は奏ちゃんに鍛えられる前は戦闘力は蝙蝠の中でもない方だったから、余計にね。あの狼も、奏ちゃんの相棒になるくらいだから連盟の中では実力者として有名だし」

 確かに、幻術とトカゲの使役というのは、とても戦闘向きとは言い難い。防御と攻撃の両方に使える小早川さんの反魔術とは大きく差ができている。しかも狼からしたら自分を飛び越えて小早川さんの相棒になってしまっているのだから、気に食わないのも納得だ。……だとしても、あの狼は感情的にすぎるところがあるが。

「なんで小早川さんはお前を選んだんだろうな」

「あはは、分かんない。私も突然奏ちゃんとか連盟の上の人たちに言われて、ビックリしちゃったくらいだもん。狼(アイツ)も、多分急にパートナーを解消させられたんじゃないかな」

 俺の無神経な質問にも美原はしっかり答えてくれた。なるほど……なんとなく、狼が感情的になる理由もわかってきた。……置いてきてしまったが大丈夫かなと、一抹の不安が襲い来る。

 それに、美原に説明されてようやく事情が飲み込めた。連盟のことも、少しずつ知ることができている。それじゃあ彼女をなんて勇気づけようか、と思って……論理的に整理できないまま、もうどうにでもなれと、思ったまま口に出すことにした。

「……でも、蝙蝠でトカゲか」

「え、なに?」

「いや、合わせればドラゴンじゃん、カッコいいなって」

 俺の言葉に、美原は怪我をしていない左手で器用に塩ラーメンを啜っていた手を止めて、ポカンと呆けていた。そして、クスクスと笑い出した。

「……ドラゴンは別に、そこまで好きじゃないけど──」

 それはごめん、と言おうとしたところで、美原は儚げに笑って見せた。

「──でも、うん、それじゃあ私はドラゴンだね」

 ……その笑顔の心は分からない。けれど、ようやく彼女が笑ってくれた。……それなら、それでいいと思った。

 そこで会話が途切れる。ラーメンを啜る音以外は、ちょっとだけ静寂が支配する。それに耐えられないのと、もう一つ──気になることがあって、俺は口を開いた。

「……そういえばさ、腕……大丈夫か?」

 短剣を起動した結果受けた、反魔術という呪いに侵された彼女の右腕を見る。狼に止められたつづきの治療をしたんだろうか、包帯で一応止血されている。しかしそれでも血が滲んでいて、見てるだけでとんでもなく痛々しかった。

「魔力があれば、魔術師は普通のケガなら回復させられるんだけど……これはゆっくり治療していくしかない、かな」

 それは、反魔術という呪いの影響だろう。反魔術は魔術を拒絶する。即ち──回復の魔術も使えない、ということなのだろう。

「魔力ってのは、本当に万能なんだな」

 回復魔術なんてものがあることに、つくづくそう思う。失った血肉の代わりにもなる、ということなのだろう。魔力というのは、本当に万能なものなのだ。

「そうだね。だからこそ、生存する上で肉体は魔力を絶えず消費し続けるし、魔女にもなっちゃうんだけどね」

「……魔女になる原理っていうのは?」

 小早川さんは魂を消費し始めると魔女になる、と言っていた。けれどそれが、俺はよくわかっていなかった。

「んー……ま、いっか。学説は色々あるんだけど、今一番主流なのはね」

 かなり重要で、秘匿されるべき話なのだろう、美原は少し迷いながら、それでもおずおずと教えてくれた。

「魂っていうのは精神と言い換えてもいいんだけど、それ自体は理性とは離れた、『本能』とか『願望』なんだよ。魔女を殺すとき、核と一緒に殻を砕くでしょう? でもあれ、核が生きている時の本来の状態よりだいぶ弱体化した、柔らかい状態なんだよ。核を覆う殻自体も魔力でできてるから、魔術や生活する中で魔力を消費すると、一緒に殻を溶かしちゃうんだよね。あと言うなら──魂は精神と肉体の設計図でもあるの。さっき言った、本能と願望っていう話ね」

 ──なんとなく、分かってきた。

 回復魔術のように、肉体を作り変える力さえ持つ魔力と、理性を持たない動物的な肉体の設計図。それらが二つ組み合わさる時──

「魂自体が膨大な魔力の塊だからね。普通なら魂は、体内にあるけど肉体とはほとんど独立した状態だから問題ないんだけど、殻が溶けてしまった時。つまり、魂が肉体と融合した時──」

 美原は、一息おいた。そして、決定的なその言葉を放つ。

「──魔術師は魔女になる」

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