第17話

 頬を叩かれた美原は、少しだけ目を見開いて、殴ってきた小早川さんを見つめた。

「ふざけないで。使ったらどうなるか、話したよね」

 小早川さんは目に涙を堪えながら、そう言った。

 初めて見た、彼女の人間らしい姿。

 美原が狼にいたぶられようとも庇うこともしなかった、彼女の。

「……近江くん」

 次いで、小早川さんは俺の方を向いて──。

「やっぱり君を呼んでよかった。……でも、最低だよ」

 ──短剣を渡しながら、そんな風に、短く冷たい声色で言い放った。

 怒気を孕んではいない。軽蔑が多少含まれている程度、されどその言葉はとにかく重い。

「……ごめん」

 なんと返したらいいか分からず、思わず謝ってしまう。

 それがいけないことなのは、最近なんとなくわかってきた。

 けれどそうすれば、上手く収まるということも。

「……ま、いい」

 小早川さんは呟くようにそう言うと、美原の腕に触れて、回復魔法をかけ始めた。

 同時並行で、美原はどこからか包帯やガーゼを取り出し、自分の腕に巻き付けていく。

 俺も手伝おうとその手を取ろうとした、その時──。

 パシッと音を立てて、小早川さんの腕は引き剥がされた。

「……やめとけよ、奏さん」

 ──突然俺たちの懐に現れたのは、"狼"と名乗ったあの男。そいつが、半ば無理やり小早川さんの手を取ったのだ。

 普段なら、魔術師は小早川さんに触るだけで弾かれそうなものだ。

 けれど小早川さんの反魔術は作動しない。それはその男を魔術の対象にしていないのか、それとも──。

「アンタ、今日はもう限界だろ」

「……何を根拠に! そもそも君に止められる筋合いはない!」

「あるよ」

 珍しく感情がむき出しになっている小早川さんに、狼は短く反論する。……俺より彼女と仲良いじゃないか。なんというか、目前で真っ当なラブコメが展開されている。……それはすごく、なんか腹が立っていた。

「奏さん……本当に、魔女になっちまう。このままじゃ魂が融ける」

「だからなんだ! 関係ないだろ!」

「関係ないわけないだろ! 俺が嫌なんだ! アンタが魔女になることが!」

「……ッ、それこそ私には関係のない話だ!」

 狼の真っ直ぐな言葉に、小早川さんは一瞬言葉に詰まったのち、反撃した。二人の間の感情が揺れている。どうするべきか分からず、しかし何かしらの行動の糸口を探しながら成り行きを見守っていると、これ以上小早川さんを説得しようとしても意味がないと思ったのだろう。狼の標的は美原に向いた。

「"蝙蝠"! テメェも自覚があるなら拒絶しやがれ! 奏さんが限界なのは分かンだろ!? ……雑魚は世界のために死ね! この、役立たず!」

 ……あんまりだ。この勝利は美原がいて、彼女の自己犠牲の上に成り立ったのだ。それを役立たず呼ばわりは、絶対に間違っている。……それに、命を賭けた彼女がこんな扱いを受けるのは、あまりに忍びない。

「お前──」

「お前だァ──!? そもそも手前が余計なことしなきゃよかったんだ、魔女擬きめ!」

 あまりの横暴、横柄に思わず短剣のスイッチに指が伸びると、小早川さんが鬼の形相をして顔を横に振った。……わかっている。このままでは多分、何か問題が起こった時、俺は暴力で解決する人間になってしまう。

 狼に責められる美原は、さっきの勝利と、そのあとの小早川さんの叱責、それに今詰られるその落差……あとは庇おうとした俺が責め立てられる様子に、ついに涙腺が決壊した。

 泣きながら、自分の胸ぐらを掴む狼の手を振り解いて、翻って逃げていった。

 狼はそれを追いかけようとするがしかし、小早川さんが手を伸ばしてその肩を掴んだ。

 怪訝な顔をして、狼は振り向く。

 そんな狼の頬を、小早川さんのビンタが打ち抜いた。

 それはさっきの美原を諭すためのビンタとは違う、友を傷つけるものを追い払うためのもので。単純な暴力は、さっきのビンタよりも力強かった。

 この感じなら、きっと狼は小早川さんに任せれば大丈夫だろう。俺がそこに介入する必要はない。むしろ必要そうなのは──。

「……」

「……美原を追いかけてくる」

「わ、私も」

「狼と、それにここの片付けはどうするんだよ。……ここは俺に任せてくれ」

 俺の言葉に、小早川さんは狼狽えながらも、縋るような目で俺を見た。けれど、そんなに不安そうな目をしている女の子を一緒に連れて行けるわけもない。それに──きっと美原は、小早川さんには来てほしくないんじゃないか、そう思うのだ。

 そう考えての拒絶だったがしかし、彼女の神経を逆撫でしてしまったらしい。段々とその表情が変わってきた。

「……はぁ? ふーん? そうか、そうなんだー。じゃ、別にいいよ」

 俺の言葉に、小早川さんは俺を責める時の険しい目になって拗ねるようにそう言うと、それ以降黙りになってしまった。

「……何してんの? 早く行きなよ」

 また拗れそうな状況に俺が追いかけに行くにいけなくなっていると、言い方は悪いが、小早川さんは俺の背中を押してくれた。

 ……この件は後でまた謝ろう。

 俺はそう内心で考えながら、美原が登った階段を駆け上がり、彼女を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る