小話(フェリス)
フェリス・エルドラードはラタキア領主、エルドラード伯爵の長女である。フェリスの母親は彼女が幼い時に他界しており、そのため父親は一人娘の彼女をたいそう可愛がり大事に育てた。
エルドラード伯爵家といえば、イリアス帝国でも有数の富豪である。領地のラタキアは帝国南部との交易の中継点であり、人、金、物、どれもが集まる。そんな富貴の家柄に加え、フェリスはその容姿が際立って美しかったので、市民――特に年若い女子にとってフェリスは完璧なお姫様で憧れの的だった。
だが、現実はというと。
「また間違えてます!簡単な算数ですよ!」
「ここの文字、つづりが違います!文法もめちゃくちゃ!」
「ワン、ツー、ワン、ツー、ここでターン……はあ、遊んでないで真面目にやってください……」
フェリスは圧倒的なポンコツだった。
彼女は幼い頃から貴族に必要な教養を学んでいたが、基礎の基礎でさえもうまくいかなかった。フェリスは何事にも真面目だし、ガッツもあったが、彼女のあまりのポンコツぶりに教師は次々に匙を投げてしまった。
極めつけは帝都の貴族学校の入試に落ちたこと。どんな素行の悪いドラ息子でも合格するとされているにもかかわらず、だ。生来、楽天家のフェリスもこれには堪えたらしく、父親に直談判して頼み込んだ。父上のお力でどうにか裏口入学させてください、と。
「それは出来ない」
「なぜです!このままでは妾のせいでお家の名声に傷が!」
「フェリスは我が家の家訓を忘れたか?」
「『黄金の歯車を回せ』、です」
「そうだ、エルドラード家は家が豊かになることにしか投資はしない。不正教師に投資したところで家は豊かになるのか?」
「それは……」
「フェリス、他人に無才と侮られようと気にするな。私はお前の才を誰よりも信じているのだから」
父親はそう言って彼女を抱きしめた。
親の愛を感じ取ったフェリスから焦りが消え、そして、ふっきれた。
「ふふふっ、ならば回してやろう!黄金の歯車を!盛大にな!」
フェリスには今まで黙っていたことがあった。彼女は「黄金の匂い」というものを感じることができた。自分に富をもたらす物事を嗅覚で嗅ぎ当てられるのだ。こんなことを言えば知能だけでなく精神まで心配されるだろうから「黄金の匂い」で実際に何かすることはなかったが、学校に行けなくなって時間が出来たフェリスがお小遣いを握って向かった先は――賭場だった。
賭場の男たちは誰もが思った。世間知らずの貴族令嬢の鴨が来た、と。うまく騙して借金に沈めてあわよくばあの美貌を我が物にしよう、と。先を争うようにしてフェリスと勝負した。
フェリスはポンコツだ。ゆえにカードの役や点数なんて覚えられない。ただ「黄金の匂い」のするままにカードを引き、チップを賭けるだけ。なのに、彼女の前にはみるみるうちにチップが積み上がる。男たちは真っ青になり、賭場の胴元も止めに入りたいが、彼女が貴族であるがゆえに実力行使で追い出すわけにもいかない。そして、結局、賭場が一つ潰れた。
その後もフェリスは賭場を渡り歩き、ついにはエルドラード伯爵家に陳情が届くようになったため、彼女は賭場を荒らすのをやめた。
だが、それからもフェリスは「黄金の匂い」を指標に行動する。
賭場で稼いだ元手をもとに商人に投資すれば、戦争や天候の影響による価格変動で儲かり、新店舗に投資すれば、客が押し寄せる人気店になって儲かり、道端の乞食に投資すれば、大人物に大成して儲かった。
ラタキアの公共事業にも投資した。港や街道が整備されたことでラタキアを訪れる商人が増え、ラタキアはさらに栄えた。
フェリスが活動したたった5年ほどの間で、エルドラード伯爵家の財産は数倍にも膨れ上がった。フェリスはこの結果に自画自賛した。
そんなある日のこと。
フェリスが自室で午睡を取っていると、屋敷の外が何やら騒がしい。寝ぼけ眼で窓から見てみれば、ラタキアの街の各所から黒い煙が立ち上っていた。普段から出歩いている彼女には煙が全て大商会から出ていることが分かった。そして、この屋敷の周りをなぜか帝国軍が囲んでいて今にも突入しそうであった。日頃から父親に危険を感じた場合はすぐに隠れろと、口酸っぱく言われていたため、屋敷の図面にない秘密の空間に身を隠した。ここには階段と通路があって、屋敷の外へ脱出できる。
そのすぐ後、兵士の喚声を聞いた。物が壊れる音、割れる音、誰かの悲鳴……それがしばらくして終わり、フェリスが屋敷に戻るか、外に脱出するか迷っていると、秘密の空間の扉が開いた。一瞬、身構えたが、それが自身の父親だと分かって安堵したものの、その腹が血で赤く染まっているのを見て慌てて駆け寄った。そんな彼女を見て彼は痛みに脂汗を浮かべながら苦笑する。
「ああ、やっぱりまだここにいた。早く逃げなさい。私たちの影武者が全てブラインに捕まってしまわないうちに」
「ブライン!父上を害したのはブラインなのですかっ!」
ブラインとはここ、ラタキアの代官だ。政務に優秀な男で、かつ、弓の腕前が本職の武官よりも優れていると近隣でもっぱらの噂だ。
「なぜ、ブラインが!父上はあの男を厚遇していたではありませんか!」
「……黄金に目がくらんだのであろう」
「父上?」
「近年のラタキアには富が集中し過ぎた。どうもブラインは商会などからもっと税を搾り取りたかったようだ。だが、私がそれをさせなかった。代官交代をちらつかせてね。だから、他領の貴族に寝返って我がエルドラード家を始末しようとしている」
「ラタキアに富が集中した、せい……?それは、つまり……」
フェリスが顔を青ざめ、唇を震わせる。
「つまり、ブラインの謀反は、妾のせい……っ」
「それは違う。フェリスはエルドラード家の家訓を実践しただけだろう?まあ、その才を私も過小評価し過ぎていたかもしれないがね。さあ、フェリス、今は逃げなさい。できるだけ遠くへ」
「父上もご一緒にっ!」
「私はこの様だ。ほどなく死ぬだろう。だから、ここにいて、万が一、この秘密の道が見つかった時の障害になろう」
父親の翻意が難しいと悟ったフェリスは最後に彼と抱き合って別れを済ませてから屋敷を脱出した――。
「――あとはそなたらの知っての通りだ。追手に見つかり間一髪のところをそなた達に救われた。改めて礼を言おう」
そうフェリスは頭を下げた。その所作はやはり貴族然としている。
フェリスは偶然出会った帝国軍の青年たち一行に守られて今は紅河から少し離れた森の中に隠れている。一度追手があったらしいが、伏せ兵を用いて撃退したと聞いた。なぜ彼女たちが狐面を被っているのか、なぜ「こーん」と鳴くのかフェリスには聞きたいことは多々あるが、まずは目の前で同じ焚き火を囲んでいる青年に問わなければならない。
「そなたは妾を配下にしたいと申すが、今の話を聞いてもか?」
「……えぇ?『豪運』、『幸運』の『特技』って『災害イベント』の発生確率を下げるだけじゃないのか?こんな招き猫効果があるなんて知らないんだが?いや、たまに落とし物って言って金を拾ってきてた『幸運』持ちの姫ユニットがいたから、その延長と考えれば……」
青年は何やら訳の分からないことをぶつぶつ呟いていたが、考えがまとまったのだろう、フェリスをまっすぐ見つめてくる。
フェリスはやはり、と思う。この青年からは「黄金の匂い」がする。しかも、彼女が人生で感じたことのある中で最大級の。
「俺の考えは変わらない。フェリス、お前がほしい!!」
「んんんっ……破滅するかもしれんぞ?それでも配下にほしいのか?」
「ああ!俺は、フェリスが、ほしい!!」
「んんんっ、そなたわざと言っているであろう?」
「さて、何のことか。俺はただフェリスのことが――あー、ユノさん、お兄さんが悪かったです、悪ふざけすぎました、すみません。だから、頭をぐりぐりしないで、痛いのっ、地味に痛いのっ」
フェリスはじゃれ合い始めた青年と小さな少女に苦笑する。
いまだ父親の死のショックは大きいが、彼らといれば少しだけ心が軽くなる気がした。
彼に請われた彼女は再び黄金の歯車を回す。
彼女のもたらす黄金は敵味方全てを飲み込み、彼の征く覇道を黄金で染め上げるだろう。
――
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