【彼の総て】前半:狢野宮 雪彦の手記

@kimikagesou

前半:狢野宮 雪彦の手記

前略、文詠出版社の皆様。突然の便りにて失礼致します。

おそらく、この手紙を受け取られた時には、私は新聞の見出しで一躍時の人となっていることでしょう。そんな人物から手紙が届くなんて、最初に差出人の名前を確認された方はさぞかし驚かれただろうと存じます。


この手記は狢野宮かくのみや家の蔵の奥、何代遡れば良いのか分からないほど昔のご先祖様の時代から存在を忘れられてきた書籍たちのなかに紛れ込ませるつもりでした。

しかし、近年名だたる華族の没落を相次いで耳にすることを思うと、存外、狢野宮の名声は蝋燭の炎のようにふっと絶ち消え、近い将来この土地に何の所縁も愛着もない人々の手によって蔵ごと燃やされることもありえない話ではございません。

この手記が誰の目にも触れぬまま灰になるのは忍びないと思い、こうして社会的に強い影響力をお持ちの貴社宛てに一筆したためたのでございます。


名家に生まれた誉れも、今後の一族の行く先も私にはどうでも良いことです。ただ、私がある男を心から愛したという事実をこの世に残したいという強い思いがございました。

丁度いま、時計の針が零時を指したところです。朝の六時には使用人たちが起きて朝餉の支度を始めるでしょう。それまでの僅かな時間で彼のことを余すことなく書き記すことが出来るのか、不安でなりません。

しかしこれは私にしかできないことです。彼のことを誰よりも愛し、誰よりも彼に愛された私にしか出来ないこと。彼の全てを知る私にしか出来ないことなのです。


そろそろ本題に入りましょう。このままでは前置きだけで夜が明けてしまいます。

――――私にはもう、時間が残されていないのですから。   


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家名と財産の全てを投げうってでも手放したくないと思った男との出会いは、今から約三年前、私が十八歳の時でした。

春のうららかな陽気が舞い込む本宅の居間で、私専属の新しい使用人として父から紹介された若い男は桐ケ谷薫きりがやかおると名乗り、そのあまりの美しさに私が受けた衝撃は並大抵のものではありませんでした。

山奥の涼やかな清流のような男、というのが彼の第一印象です。すらりと背が高く、すっとした切れ長の目元に高い鼻梁。使用人という立場でありながらも気品に溢れた身のこなしからは彼の聡明さが伝わってきました。

作り物の様に整った顔が口を開いて一言二言なにか私に挨拶をしたのが分かりましたが、返事はおろか、彼の眼を直視することも出来ずに居間から出て行ってしまった私は、つんけんとした気難しい主人として薫に認識されてしまったに違いありません。

今思うと、きっと私はその時から彼に惹かれていたのでしょう。たった数カ月前に大切な人を亡くしたばかりだというのに他の人に惹かれてしまう自分が恐ろしくて、つい彼にはそっけない態度を取ってしまったのです。


薫が私専属の使用人になって数日が経っても、彼に対する私の愛想のない態度は変わりませんでしたが、私の身支度や勉学の資料集め、来客の対応など、あらゆることを彼はそつなくこなし、その有能ぶりは彼の前に私専属の使用人を務めていた雄一郎ゆういちろうと互角と言えるほどでした。命じたことが期待以上の形で返ってくるに留まらず、その日の私の気分に合わせて夜食の紅茶の種類が変えられていたり、ちょうど気になっていた大衆学文学の新刊が机に用意されていたりと、さりげない気づかいに薫はとても秀でていたのです。

私は紅茶の温度や付け合わせの焼き菓子にとても拘りがありましたから、薫がこの屋敷に来た日の夜から完璧な状態で夜食が用意されていたことには驚かされました。

娯楽用の書物にも同じことが言え、私は数年前からとある若手作家の作品を好んでいたのですが、なかなか日の目を見ない作家で、数件の書店をはしごしてようやく一冊見つかるかどうかという彼の新作を、どうしてか彼は私に指示されずとも用意していたのです。書店で平置きにされていて流行っていそうだから購入した、という類の本では決してないのに、彼の観察眼には感服するしかありません。

私の紅茶や読書の好みを把握していたのは薫の前任の雄一郎だけですから、屋敷の他の使用人から教わったわけでもなく、薫は優れた使用人としての天性の嗅覚で私の好みを一寸の狂いもなく把握したのでしょう。


客観的に見れば一ミリの忠誠心も湧かないような冷たい主人、しかも自分より三歳も年下の若造を相手に薫は嫌な顔一つせず尽くしてくれました。私もにこりと笑って素直にお礼の一つでも言えばよかったのです。今時、女学校に通っている令嬢でももう少しまともな恋愛の駆け引きが出来たでしょう。

私はただ、彼の涼やかな声が「雪彦ゆきひこ様」と私の名を呼ぶたびに胸を震わせ、またその瞬間を毎日のように待ち焦がれている自分を恥じることを繰り返すしか出来ませんでした。


変化が訪れたのは、薫がこの屋敷に来て半年が経とうとした頃です。その日は月明かりが綺麗な夜でした。自室から浴室へと向かう渡り廊下で、私はふと足をとめ、いつもより一回り大きく見える満月を見上げました。

――――ああ、私はこんな美しい景色をも雄一郎から奪ってしまったのか。

秋の冷たい空気が感傷的な気持ちにさせたのか、かつて愛した者への想いと彼への罪悪感がぶわりと湧きあがり、唐突に溢れてきた涙が私の頬を濡らしました。

どのくらい私はそこに立っていたのでしょう。声もあげずにはらはらと涙を流しているだけだったので、がらりと音を立てて廊下の扉が開かれた時は、私以上に相手の方が驚いたに違いありません。

誰もいないはずの薄暗い廊下で人が落涙している、という一瞬ゾッとするような場面に運悪く出くわしてしまったのは薫でした。いつも冷静沈着な彼の顔に「しまった」という色が浮かんだことに、涙を流しながらも少し愉快な気持ちがよぎったことを覚えています。

「申し訳ございません」

薫はいつもの口調で謝罪の言葉を口にしましたが、彼には全く非はないのです。彼はいつものように私の入浴時間を見計らって私の部屋の床の準備に向かうところでした。就寝前の時間に私が薫と顔を合わせなくても済むよう工夫してくれるのも、なかなか使用人に心を許さない私への気遣いでした。

その夜は大学で出された課題が思うように進まず、私が入浴時間を普段よりも遅らせてしまったことが鉢合わせの原因だったのです。

謝らなくていい。そう言いたいのに、止めどなく涙が頬を滴るだけで、口を開いてもひゅうひゅうと空気が漏れ出るだけでした。

薫は軽い過呼吸状態になった私に駆け寄り、細く、けれど青年らしく骨ばった長い指で私の背中をさすってくれました。たとえ邪険にされても主人を放っておくのは使用人としての矜持が許さなかったのでしょう。もしくはこれが彼自身の性分なのかもしれません。

人肌の温もりを感じたことで安心したのか、私は堰が切れたように声を上げて泣きました。今まで頑なな態度を取っていた使用人に弱みを見せることへの恥じらいや躊躇は一切なく、ただ、目の前の背が高く大人の男としての体躯を備えた彼の存在に全てを委ねたいと思いました。

こんな情けない姿をさらして呆れられたかもしれない、侮蔑されたかもしれない、という焦りを思い出したように感じたのは、身体中の水分という水分を目から出し切った後のことです。もとより自分が彼にしてきた態度を思えば好かれているなんて思ってはいませんでしたが、彼から軽蔑の眼差しを向けられるようなことになれば、自分はこの屋敷で生きていくことが出来ないだろうと思いました。

「もう大丈夫ですよ」

私の顔を覗き込んだ薫が小さく微笑みながら囁きました。「大丈夫ですか」ではなく「大丈夫ですよ」。他人事ではなく心から寄り添ってくれた彼の優しさに、今まで素直になれなかった自分を悔やみ、そして、これからはもう彼に対して頑なにならなくて良いのだ、と解放された気分になりました。

その夜、私が泣いていた理由を訊ねなかったのも薫の優しさなのでしょう。いつかきっと彼には事情を説明しよう。私はそう心に強く誓いました。

けれど当時はまだその勇気がありませんでした。自分の犯した罪、自分の最も醜い部分を知られて嫌われることを恐れたのです。



その夜を境に、私たちは実に仲の良い主人と使用人へと変化していきました。

薫が以前仕えていた屋敷の主人は前衛的な考えをお持ちの方だったらしく、薫は使用人の身でありながら高等専門学校に通うことを許されていたそうです。狢野宮家でも使用人には中学卒業後も教育機関に通えるよう費用を負担していますが、使用人に徹底して家の仕事に従事させるのではなく、上流階級の者たちと渡り合うだけの知識や社交を学ばせる必要があるという考え方は、世間では一般的ではないので驚きました。

そのためか、薫の仕事は私の身の回りの世話に留まらず、私が行き詰っている大学の課題への助言や政治経済の最新の動向、果ては社交界の話題になりそうなゴシップの収集にまで及び、私が一言口にすれば十倍になって返ってくる情報に毎度舌を巻かされました。

もちろん私ども華族の子息が通う、大学に直結した官立の高等中学校とは異なりますが、きっと薫は所属していた高等学校において首席ともなり得るような優秀な成績を収めていたに違いありません。卒業後は仕えていた主人にお供する形で二年間欧州を周遊していたらしく、薫は語学にも長けておりました。

たまにこの男の方が自分よりよっぽど狢野宮家の後継ぎとしてふさわしいのではないかと本気で考えることもありましたが、それでも私が妙な劣等感や嫉妬を彼に抱くことがなかったのは、どんな時も彼が最上の敬意と誠意を私に向けて接してくれたからです。もしくは、これは今だからこそ分かるのですが、それこそ彼に惚れた弱みだったのでしょう。


仲が深まるにつれ、私たちはよく冗談を言い合うようになりました。主人に対する使用人の格式ばった忠誠は時と共に丸みを帯びてくるようになり、最低限の礼節は守りつつも時に友人のような空気を醸す薫に私はこれ以上ない喜びを感じたものです。

「雪彦様は本当に可愛らしい反応をなさる」

知識で薫に敵うことが決してなかった私がその中でも特に疎かった男女の情事にまつわる話題があがるたび、薫はこう言って私をからかいました。社交界で交わされる会話の大半がこうした痴話で占められていましたが、私が薫と出会う前に長年想いを寄せていた相手も男性でしたし、その恋も成就することなく悲痛な結末を迎えたものですから、私はこの齢になるまで誰かと床を共にした経験はおろか、手を繋いだことすらなかったのです。

主人が社交の場で恥をかくことが無いよう、薫は私の初心な反応を面白がりながらも必要の範囲内で知識を与えてくれましたが、このような話題を口にする時でさえいつもの余裕を崩さない姿からは、私の知らない世界に身を置く大人としての薫の一面が覗えました。


容姿端麗の薫は社交界でも注目の的でした。センスの良い薫が見立ててくれた礼服のおかげで私もいくらかは見られるようになっていたと思いますが、それでも薫の美しさは群を抜いておりました。きっと薫は主人より目立つことを恥と思いこそすれ嬉しいなどとは微塵も思っていなかったでしょう。けれど私はそんな薫が私の横に立っていることが筆舌に尽くし難いほどに誇らしかったのです。

この男は私のもの。

もっとこ――――の男を見てほしい。私の横で、私のことを何よりも優先してくれるこの美しい男を見てほしい。誰かが薫に対する称賛の言葉を口にするたび、私は自分に向けられた称賛以上の快感をうっとりと味わいました。

社交に集う人々の中には時折私に興味を示す若い女性、まれに男性もおりましたが、いくら相手が私に好意を示してくれても、私はその場で当たり障りのない社交辞令を述べるに留めました。この世に存在する人間の中で薫以上に私を惹きつける者など存在しなかったのです。もったいないほどのお誘いをすげなく断る私に、薫は「試しにお茶ぐらい付き合ってさしあげればよろしいのに」といつも決まった苦言を呈しましたが、その横顔がどこかほっとしたように緩んでいたのは私の都合の良い妄想ではなかったと思います。



私と薫の関係が仲の良い雇主とその従者という形からさらに一歩踏み込んだものになったのは、私が隠し続けてきたおぞましい過去を薫に告白した時でした。

大事な話があるから今夜部屋に来てほしい。そう薫に告げたのは、いつかと同じように美しい月光が部屋の中に優しい明りをもたらす夜でした。その頃には就寝の直前まで他愛のない話に花を咲かせるような間柄になっておりましたから、改めて私から部屋に来るよう命じられたことに薫はいささか驚いたようでしたが、夜になると指定した時刻に私の部屋の戸を叩きました。

「どうしたのですか、そんなに怖い顔をされて。せっかくの可愛らしいお顔が台無しだ」

部屋に入ってきた薫は緊張した面持ちの私にいつものように微笑みましたが、私がその軽口に上手く笑みを返せないでいると、状況の深刻さを感じ取ったのか、私が無言で示すままに椅子に腰かけて私に対座しました。

「どうか、僕のことを嫌いにならないでくれ」

やっとのことで私が口にした言葉は悲痛の呻きのようでした。薫は一瞬刮目した後に私の手に自分の手を重ね、私を促すように強く頷いて見せました。

そうしてその夜、私は薫に全てを話したのです。私が犯した罪の全てを。


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薫が屋敷に来る三カ月前まで、私には藤堂とうどう雄一郎という専属の使用人がおりました。

彼と出会ったとき、私は尋常中学校に進学したばかりで、彼は高等商業学校の一年生。私より三つ年上でしたから、生きていれば薫と同じ年齢になっていたでしょう。


洗練された美しさを身にまとう薫とは違った種類でしたが、雄一郎もまた男前の部類の人間で、鍛え上げられた男らしい体躯を持ちながらも常に穏やかな態度を崩さない彼は私の初恋の相手でした。

彼は仕事ぶりを父から高く評価されていたこともあり、制限付きとはいえ学校の部活動に参加することも許されていました。剣道部の主将に推薦されたほどの彼の武道の腕前を父はたいそう気に入り、「雪彦の身に危険が迫ったら、護衛としての役割も任せられるな」なんて冗談を言って笑っていたほどです。

私が性愛というものに目覚めたのも雄一郎がきっかけでした。


――――雪彦様。薫よりも一段低いバリトンボイスが鼓膜をくすぐるたびに身体に震えが走り、下半身にじんわりとした熱が集まるのを感じました。寒さで目が覚めた冬の早朝、上半身の着物をはだけて中庭で素振りをする雄一郎の姿を偶然見つけてしまって以来、日ごろ雄一郎に接するときも妙に心臓が早鐘を打ってしまって、まともに目を合わせることが出来なかったのは甘酸っぱい思い出です。

あの逞しい腕に抱きしめられたらどんなだろう。最初はそのような可愛い想像に胸を焦がすだけで満足でした。朝、下穿が冷たく濡れた感触で自分の身体が大人へ変わってしまったことを知ったのは、雄一郎が専属の使用人になってから半年が経ったころです。その晩見ていた夢に雄一郎が出てきたことをうっすらと覚えていた私は自分の厭らしさに涙したものでしたが、その日以降、私が自分自身を慰める際に思い出すのはいつも雄一郎の雄々しい身体でした。


私の浅ましい感情を知ってか知らでか、私が雄一郎への気持ちを自覚してからも、私に対する彼の態度は今までと変わらず、雄一郎は常に私のことを一番に考えて行動してくれました。それが使用人の使命だと言われてしまえばそれまでですが、少なくとも雇用関係の上に成り立つ上辺だけの忠誠心ではない、固い絆が間違いなく存在していたのです。

共に社交の場に出かければ、他の出席者から「姫と騎士(ナイト)」のようだと称され、私は冷やかしに恥ずかしそうに頬を染めて見せながらも、内心では歓喜に舞い踊っておりました。私という主人にふさわしい従者は雄一郎しか存在し得ず、雄一郎という魅力的な男の横にふさわしい人間もまた自分しか存在し得なかったのです。

けれど、

――――お互いが一番の存在である――――

揺るぎなかったはずのその関係を不安に思う瞬間が私に訪れました。


発端は雄一郎の首元から覗く麻紐でした。

そのころ雄一郎は既に高等学校を卒業しており、学校行事が理由で普段より早く屋敷に戻った私を、まき割りの途中だったのか、いつもより和服の首元を寛げた格好で出迎えてくれました。彼は私の帰宅を迎える準備が整っていないことを詫びましたが、そんなことよりも私が気になったのは彼の首元です。

緩んだ襟の隙間から麻紐が覗いておりました。雄一郎はいつもきっちりと首元を締めた状態で私の世話をしていたので、私はずっと気づくことがなかったのでしょう。

私は何とも言い表せない焦燥に駆られ、彼に断りもなくその麻紐に手を伸ばしました。乱暴な行為だと分かっていても雄一郎を想う気持ちがそうさせてしまったのです。

雄一郎の襟から抜き出されたのは麻紐のペンダントでした。先端には美しい翡翠の石が結びつけられています。

「誰にもらった」私の声は震えていました。装飾品にこだわりのない彼が限られた給与をこのような物に使うわけがありません。誰かからもらったものだと直感しました。

「・・・親族の形見です」

嘘だと分かりました。私が嘘だと感じ取ったことを雄一郎も気づいたに違いありません。それぐらい私たちは心を通わせられる間柄だったのですから。

私は恐ろしさのあまり震えが止まりませんでした。二年前まで雄一郎が通っていた高等商業学校の生徒はもちろん男子のみでしたが、周辺には女学校も立ち並んだ地域です。若い女学生たちが登下校の際に雄一郎にちょっかいを出していても不思議ではありません。

もとよりそのような可能性を考えたことがなかったわけではないのです。もしろ、男としての魅力にこれ以上ないほど恵まれた彼を若い女性が放っておく方が現実的でないと思っていました。

けれどそこには大きな誤算がありました。彼が女学生に囲まれる環境にいようと私がやきもきすることがなかったのは、何事においても雄一郎は私を優先するという優越感や安心感が前提としてあったからなのです。どんなに美しい女性に言い寄られても雄一郎がなびくことはない。私が彼しか見えていないように、彼には私しか見えていないのだから。

報われない恋に散っていく女性たちを憐れんで笑うほどの余裕が私の中のどこかにありました。雄一郎が私以外の誰かを見るなんて絶対にありえないことだったからです。

「これをお前にくれた人は、僕よりも大切な人か・・・?」

聞いてはいけない。分かっていても訊ねずにはいられませんでした。しつこく言い寄ってくるどこかの令嬢を満足させるために仕方なく身に着けている。そんな理由があるのではないかと救いを求めていました。

その時の雄一郎の悲痛に歪められた表情を、私は忘れることが出来ません。

「・・・使用人にとって、一番大切な存在はご主人様です」

苦しげに紡がれた言葉は私が求めていたものとは違いました。私が彼に答を強要してしまっていることも、彼の心を一番に占める存在が私からその女学生に移ってしまったことも、私は全てを悟ったのです。


家族の恒例行事として箱根の別荘に赴いたのは、それから一週間後のことでした。

山の高台に建てられた洋館は小ぶりでありながらもバルコニーから見下ろす景色は格別で、あたりに民家がないために静寂を邪魔されることもありません。私たち家族はそこで毎年、読書や森林浴をして静かに休息するのが恒例でした。

その年も例年と変わりなく、雄一郎も私たち家族に付いて別荘を訪れました。全ての使用人を同行させるわけにはいかないので、父は毎年優秀な者を二人だけ選抜して休暇中の世話をさせたのです。雄一郎が我が家に来てから選ばれなかった年はありませんでした。

私が翡翠のペンダントを咎めたあの日から、私と雄一郎の間に流れる空気は今までのような気兼ねないものではなくなってしまいましたが、それでも雄一郎の有能ぶりに変わりはなく、忠実な従者としての任務を完璧にこなしてくれておりました。雄一郎と二人きりで同じ空間にいるとどうしても身体が強張ってしまいましたから、母の焼き菓子作りの手伝いや、私の幼い兄弟たちの遊びに彼が忙しく駆り出されるのは、私にとって都合がよかったのかもしれません。


事件が起きたのは滞在三日目の夜のことです。一人部屋のベッドでぐっすりと眠りこんでいた私は緊迫した雄一郎の声に叩き起こされました。目覚めたら想い人が目の前にいるという状況に一瞬の胸の高鳴りを感じましたが、雄一郎のあまりの形相にただ事ではないと察しました。

「火事です。一刻も早く逃げなくては」

原因は定かではありませんが、台所から火が燃え広がったようです。家族はもう一人の使用人の誘導によって既に脱出し、逃げ遅れたのは最上階の部屋で寝ていた私だけでした。

私の部屋を出ると、廊下や階段のあちこちに火が燃え広がっており、私は恐怖のあまり立ち竦みました。すると、別荘での滞在中洋装をしていた雄一郎は、どこかで濡らしてきたらしい彼の背広で私をくるむと、一瞬の迷いもなく私を抱き上げたのです。

彼が階段を駆け下りる中、私は先ほどまでの恐怖を忘れて幸福を感じていました。

私の騎士。私だけの騎士。命がけで私を守ろうとする彼の姿はまさしく姫を救う騎士です。雄一郎が私のもとに帰ってきてくれたのだと嬉し涙すら流れてきました。


――――その時です。目障りな緑のきらめきが私の恍惚とした夢想を邪魔したのは。

私は抱かれた彼の胸の中、ボタンが外されたシャツの中に忌々しい緑の宝石を見つけたのです。――――どうして、

どうしてまだ身に着けているのか。

そこには炎への恐怖も雄一郎への儚く甘い気持ちもありませんでした。そこにあったのは激しい嫉妬と憎悪だけです。どす黒い感情が私の心の中で蜷局を巻きました。

煙が立ち込める中、炎がまわっていない唯一の出口となった正面玄関に辿り着く寸前で、私は雄一郎の首からペンダントを引きちぎりました。唖然とした顔で雄一郎が見下ろしてきます。その顔に恐れが広がる直前に私はペンダントを家の奥へと放り投げました。

「僕とあのペンダント、どっちが大事だ・・・!」

私を胸に抱いた状態で炎の中を引き返せるわけがありません。私をその場に放り出してペンダントを探しに戻るか、諦めるかの二択でした。

「なにを・・・っ」

私を見つめる雄一郎の瞳に嫌悪が浮かんだのは初めてでした。いや、殺意と言っても差し支えなかったかもしれません。一瞬、彼に首を絞められるのではないかと思いました。

それでも良いと思いました。彼に殺されて、この炎の中二人で心中できるならそれも本望だと。しかし彼はそうしませんでした。私を抱え直し、そのまま玄関から脱出したのです。

ああ、僕は勝ったのだ。あの翡翠に。あの翡翠を雄一郎に渡した浅ましい女に。

息子の無事な姿を見て安心したのか、堪えかねたように泣き出した父と母に引き渡されながら、私はほくそ笑みました。僕がもっと良い石を買ってやろう。僕の男だということを証明するような立派な石を。

両親に抱かれながら、ふと目線を上げた先で、私は信じられない光景を目にしました。

それは炎が燃え盛る屋敷に駆けていく雄一郎の背中でした。

雄一郎! 私は煙によって嗄れた、声にならない叫びをあげました。私の他は誰も彼の行動に気づいていません。先ほど私たちが脱出した玄関に雄一郎が飛び込んだ瞬間、ついに主柱までもが炎に侵食されたらしく、大きな音を立てて屋敷全体がひしゃげました。外と通じていた最後の出口が潰れたのです。

雄一郎! 雄一郎!

私は泣きながら何度も彼の名を呼びましたが彼に届いたかは分かりません。

人里から離れ、美しい景色や静寂を楽しむことの出来た立地が仇となりました。道が入り組んだ山奥に消防隊が到達するのには時間がかかり、ついに、赤く燃え上がる屋敷に駆けていく背中が、私が見た雄一郎の最後の姿になりました。


*************************************


薫に告白を終えた時、私の頬は濡れていました。

「僕は・・・愛する人を、殺してしまった」

息も絶え絶えに私が言葉を紡ぐと、薫は静かに抱きしめてくれました。赤子をあやすように優しく背中をさすってくれた手の温もりがどれほど私を安心させてくれたことか。母に抱かれているような気分になったほどです。

「誰が悪かったという話ではないのでしょう。・・・彼は自らその運命を選んだのだと思います」

私の涙に釣られたのか同情か、薫も目の端から一筋の涙を流し、その声は彼らしくもなくくぐもっておりました。

美しい薫。仲の良い主従関係を結ぶようになってもどこか遠い存在のようだった薫が初めて見せた人間らしい顔でした。

両親にも打ち明けられなかった自分の罪。自分の一番汚い部分を最も知られたくなかった相手に打ち明けたにも関わらず、彼の腕の中で感じるのは後悔ではなく安堵でした。

――――ここからようやく、薫を愛することを許されるのだ。

きっとこれから自分は、薫と全ての感情を共有して生きていくのだろう。私の汚らわしい過去を知ってもなお受け入れてくれる薫となら、喜びも哀しみも、全ての瞬間を分かち合って生きていけると私は確信したのです。


薫があまりにも私のために泣いてくれるので、申し訳なくなった私は手を伸ばして彼の頬の涙を拭き、努めて微笑んで見せました。

「でも僕は嬉しかった。僕がいくら恋焦がれても想いに応えてくれなかった雄一郎が、最期の瞬間に僕を優先してくれた。永遠に僕のものになってくれた・・・」

その瞬間、背中に回された薫の手が強張るのを感じました。見る者が吸い込まれてしまいそうに黒く美しい瞳がきつく細められ、私は彼が怒っているのかと思ったほどです。

彼の全身から殺気のようなものを感じ、獣に捕らわれた獲物の本能で身を引いた私を、薫は信じられないような力で抱き寄せました。そして、一寸の迷いもなく私の唇に深く口づけたのです。

何が起こったのか咄嗟に理解することが出来ませんでした。ただ彼の勢いに圧倒され、されるがままに唇を貪られる中で、ようやく先ほどの彼の表情の意味が分かりました。

それは嫉妬に狂う雄の目でした。

「前の男のことなんて、私が忘れさせてあげます」

ほとんど重なった唇でそう囁かれると、甘い熱がジンと腰に広がりました。

薫が雄一郎に嫉妬している。雄一郎から私を奪おうと我を忘れて必死に私を胸に抱き、唇を吸っている。恍惚とした気持ちで彼の首に両腕をまわし、自分の想いを告げるように無我夢中で自分からも舌を絡めました。

熱い。気持ちいい。もっと欲しい。

初めての体験に戸惑いながらも私は確実に欲情していました。薫が自分のことを性愛の対象として見ている。貪欲に求める相手として私の身体を蹂躙している。

やがて私の中心ははっきりとした熱を持ち始め、彼に可愛がってもらうことを求めて首をもたげ始めました。自分で慰めることしかしてこなかった小ぶりなそれが一人前に反応していることに、普段の私なら羞恥を覚えずにはいられなかったでしょう。

けれどその時は違いました。あまりの気持ちよさに、今まで自分が味わったことのない快楽に、全身ごと飲み込まれていたのです。私は発情した雌猫のように腰を振り、彼の腰に自分の中心を擦りつけました。

あの時の自分の姿を想像すると顔から火が出そうです。私のあられもない姿に興奮したのか薫は片目をすがめてふっと笑い、私の寝衣の裾に手を差し込んできました。未知への恐怖はありましたが、彼なら絶対に自分に害をなすことはしないという薫への信頼が私の中で勝ちました。

世界で一番私のことを理解しているのは薫。そして世界で一番薫のことを理解しているのは私。私と彼の間にはそれだけ確固とした絆がありましたから。

彼の冷たい手が太ももを這う感触にすら身体を震わせていると、やがて彼の指は私の足の付け根にまで達しました。すると薫はあろうことか下穿の中をまさぐり始めたのです。

「あァんっ・・・」

鼻にかかった女のような嬌声。口を突いて出た叫びが自分から発せられたものだと到底信じられないほどでした。発情の兆しを見せる私の小ぶりな陰茎は薫の細くて長い指のなかにすっぽりと収まり、敏感な包皮で彼の指の骨の節々を感じるたびに私の身体は活きの良い鮎のように跳ねました。

「あっ・・んんっ、だめぇ・・・っ」

「本当にあなたは期待通りの反応をなさる・・・。本当に、お可愛らしい」

我を忘れそうな快感に身をよじって抵抗しようとするも、彼の指が絶妙な力加減で私の芯を擦り上げるせいで、先端の穴からは蜜が止めどなくとろとろと流れ続けました。

「あぅんんっ・・・だめっ、そんなに強く擦ったら・・・ぁああっ」

背中にまわされた彼の腕の支えがなければ私はとっくに後ろに倒れていたでしょう。快感が全身を駆け巡るたびに私の背中は仰け反り、抱き合う形で彼を跨ぐように大きく開かされた両足がガクガクと震えました。そしてそんな私の痴態に満足したのか、薫は追い打ちをかけるように一層速く私の芯をしごき始めたのです。

「ぁあんっ、でちゃ・・・、でちゃうぅ・・・っ、あっ、あんっ、あぁっ」

「出してください雪彦様。この薫の手で達してください・・・っ」

彼の腕の中で果てることで、自分が彼の物になったという一つの証が生まれるのではないか。そんな倒錯的な考えがよぎり、私は本能に抗うことをやめ、薫の指の摩擦からもたらされる快楽をより強く感じるために自ら腰を振りたくりました。

「イくっ、いくぅうぅ・・・っ、んあぁっ」

腰を痙攣させ、白濁を薫の手に勢いよく吐き出した後もその熱は収まらず、だらしなく下の口から蜜をだらだらとこぼし続けました。

「雪彦様。私の雪彦様・・・厭らしくて、お可愛らしい・・・」

まだ意識が混濁としている私の額に優しく口づけすると、薫はうっとりとした表情で私を見下ろして微笑み、私を幸福で満たしました。これは夢なのではないかと思うほどに。

「僕も・・・お前のを・・・」

顔を赤らめながら薫の帯に手を伸ばしたことで、私の意図を察したのでしょう。薫はひんやりとした美しい手で私の両手を優しく包むと、ゆっくり首を横に振りました。

「なりません、雪彦様。雪彦様はそんなことをなさる必要はないのです」

「でもっ、僕だって・・・僕だってお前を気持ちよくさせたい・・・っ」

懇願するように彼の着物の襟に縋りつきましたが、そんな自分が駄々っ子のようで恥ずかしく思え、ぱっと手を放して私はそっぽを向きました。

「どうせ必死なのは僕だけだよ・・・」

大人で、たくさんの物事を知っていて、いつも余裕を身にまとう薫。先ほどまではあれほど激しく私を求めてくれたのに。

急に虚しくなって涙がこみ上げました。あれほどお互いの気持ちを確かめ合ったのに、あんまりな仕打ちではないかと思ったのです。

「違います。そうではないのです雪彦様」

薫はもう一度私を腕の中に閉じ込めました。彼の声に必死さを感じ、いつも冷静沈着な彼をそうさせているのが自分だということに愉快な気持ちがこみ上げてきて、こんな時だというのに思わず笑みが零れました。

「雪彦様を大事にしたいからこそでございます。あなたを怖がらせたくないのです。あなたへの気持ちを、ゆっくり時間をかけて証明していきたい・・・」

少し震えた薫の声には、私を失いたくないという切実な願いが滲んでいました。

愛されている。大切にされている。

愛おしさのあまり、私は両手を伸ばして彼の唇に接吻しました。

「僕もだよ薫・・・。僕もお前とゆっくり愛し合っていきたい」

なにせ時間はたっぷりあるのだから。主従関係以上の絆で結ばれた私たちは死ぬまで一緒なのだから。

私の言葉に応えるように薫は柔らかく微笑み、優しい手つきで髪を撫でてくれました。



それからは、今思い出してもうっとりするような、幸福に包まれた日々が続きました。

あの夜、衝動に駆られて私への想いを露呈したことで振り切れたのか、薫は私への執着や独占欲を隠さなくなりました。二人きりになると甘美な悪戯をしてくるのはもちろん、社交の場で周囲に人が大勢いるというのにさりげなく私の腰に手を回し、官能を誘う手つきで撫で上げるなんてこともありました。

薫に触れられるようになったからでしょうか。社交界の場では私が艶っぽくなったという人々の囁きをよく耳にするようになりましたし、一杯お付き合い願えないかと人目のない廊下や別室に誘われる機会も増えました。そういう時はきまって薫が間に入り込み、さりげなく私をその場から避難させてくれたのですが、一度だけ、事情が違ったことがありました。私の悪知恵がそうさせたのです。


「雪彦君、隣の部屋で一杯どうかね」

その日声をかけてきたのは父の事業と繋がりのある貿易商の男性でした。中年と呼んで差し支えない年齢の割には引き締まった体躯のハンサムな男性でしたが、その目は舐めまわすように私の全身を見下ろしています。いつもの私なら社交辞令程度の微笑みを浮かべつつも困ったような視線を薫に向けていたでしょう。それだけで薫は瞬時に私のもとに駆け付けてくれましたから。

しかし私はそこで、愛しい恋人の嫉妬心を煽る作戦を思いついたのです。

「ええ、もちろん」

私は相手の男が望む通りの、少し妖艶な含みを持たせた笑みを返しました。その男に何かしらの興味があったわけではありません。ただ、相手の容姿がそこそこ良かったことが、私の酔狂な遊びに薫が燃え上がるためのスパイスになると判断したに過ぎません。

視界の端に薫の姿が映りました。露骨に彼の方を向くわけにはいかないため表情までは窺えませんでしたが、私をまっすぐに見つめていたのは確かです。その目はきっと嫉妬と憎悪で燃え上がっていたことでしょう。私は薫に背を向けて男と会場を後にしながら、期待でにやけるのを堪えるのに精一杯でした。


深く考えずに男の誘いに乗ってしまったことを後悔し始めたのは、別室で男と二人きりになって十分も経たないうちでした。誘いに乗った時点で身体に触れられることを許可したものと男は解釈したらしく、始めは談笑しながら軽く肩を叩く程度だった接触がグラスを煽るたびに大胆になり、ついには私の腰を引き寄せ自分のものと密着させてきたのです。熱を帯び硬く芯をもった男の中心を腰に押し付けられて虫唾が走り、私ははっきりとした恐怖を覚えました。

逃げなくては。しかしさり気なく身体を離すにはタイミングが遅すぎました。突き飛ばして意表を突けば逃げおおせるかもしれませんが、仮にも父の仕事と関係のある者です。私の無礼を理由に契約破棄などされれば、狢野宮の名に傷を負わせかねません。

男は左手で私を抱き寄せたまま、右手で私の臀部を撫で始めました。いつも薫にされる時はとろけるような熱が広がり、立っているのがやっと、というほどの法悦に襲われてしまうのですが、その時は男の芋虫のような指が這った部分から鳥肌が立つのを感じました。想う相手ではない人間から触れられるということがいかにおぞましいか、私はその時に初めて知ったのです。

私が恐怖のあまりに硬直していると、それをいいことに男の行為は激化していきました。

「君は・・・本当に可愛らしいねぇ」

はぁはぁ、と息をあげながら男が私の耳元で囁き、双丘を交互に揉みしだいていた指がズボン越しに私の蕾に到達しようとしたその時です。ガチャリ、と静かに部屋のドアが開かれました。

「雪彦様、岩波商船の代表者の方がご挨拶に伺いたいと・・・っ、これは大変失礼致しました」

薫の声は完璧に偶然を装っていましたが、私を救い出す時機をドアの向こうでずっと伺っていたのだと想像出来ました。予期せぬ主人の情事を目撃して慌てふためく様子も彼の演技でしょう。気まずい姿を見られて動揺したのか、男は薫を咎めることもなく、しどろもどろに言い訳の言葉を呟いて部屋から出て行きました。


「どうしてもっと早く来なかったんだ」

「罰ですよ。迂闊なことをするとどんなに怖い目に合うのか、あなたは身をもって経験しないと分からなかったでしょう?」

薫の声色が予想外に冷ややかで、思わず私はびくりとしました。私が想定していた以上に彼は嫉妬、いや怒っていたのでしょう。あの男以上に私のことを。

「覚悟してください。私がどれだけ心乱されたか、お屋敷に戻ったら教えて差し上げます」

怖い思いをしたことで自分の幼稚な思い付きを悔いた私でしたが、薫の嫉妬心を煽るという意味では、これ以上を望めないほどの成功だったのかもしれません。


屋敷の自室に戻るなり、薫は無言で私を畳の上に押し倒し、着物の袷を両手で乱暴にはだけさせました。露になった私の胸が夜の冷たい空気に粟だったのはほんの一瞬で、私が薫に羞恥を訴えようと口を開きかけたときには、片方の尖りが熱く湿った彼の口の中に含まれておりました。そして薫は何の躊躇もなくそれを激しく吸い上げたのです。

「ぁあんっ」

私は痛みの中にはっきりと甘い疼きを感じました。彼が口を窄めて乳首をしゃぶるたびに腰に熱がジィンと響き、太股がびくびくと痙攣します。

「やっぱり・・・、雪彦様はお乳が敏感でおられる。想像通りだ・・・」

突起を甘噛みしながら薫が陶然とした声色で囁きました。私の反応を楽しむようにもう片方の尖りにも手を伸ばし、親指と中指で摘まんでくにくにと刺激を与え始めました。

「あ―っ、あぁっ、あンっ!」

片方の刺激だけでも気をやってしまいそうなほど気持ちよかったのですから、唇と指の両方で弄られてはいつ意識を飛ばしても不思議ではありませんでした。

「あぁん! だめッ・・・だめぇ!」

口先でいくら拒否しようが、私の身体は乱暴な愛撫に悦んでいました。そしてそれを薫が見逃すはずがありません。あまりの快感に恐ろしくなり、力の抜けた腰を引きずるように這って逃げようとした私を、薫は後ろから抱き留め、自身の長く美しい足で私の腿を抑え込み、私の四肢の自由を封じました。

「駄目ですよ、雪彦様。気持ちいいのでしょう? もっと感じてよろしいのですよ」

耳朶をくすぐる薫のテノールに、私は言葉も忘れて、ただ子供のようにいやいやと首を横に振ることしかできません。作り変えられていく自分の身体が恐ろしく、それでいてこれからもたらされる快感を期待していました。

背中から抱きしめる形で乳首を弄んでいた指の力は次第に強くなり、親指で押し潰すように刺激を与えていたそれはやがて、搾乳のような動きで両の乳首を引っ張り始めました。

「んあぁんっ! それ・・・だめっ、ち・・・くび・・・のびちゃうっ!」

薫の足でがっしりと身体を固定された私は、身をよじって快感を逃がすこともできません。ただただ、与えられた快楽によって熱が体内に溜まっていくのを感じました。自分の中心に触れたい。激しく擦って快楽を外に逃がしたい。下品に広げられた私の股の間で、首をもたげた小ぶりなそれがぷるぷると震えているのが目に入ります。ぱくぱくと必死に息をするように開閉する鈴口からは止めどなく蜜があふれ出ているのが見えました。

「かおるっ、手を放して! 触りたい・・・っ、おかしくなるっ!」

熱で潤んだ瞳で訴えても、薫は無慈悲に乳首をこねくり回すだけ。身体の容量を超えた快感に私は悲鳴のような嬌声をあげ、その口の端から涎を垂らしました。

「あぁっ」弄られすぎて赤く染まった乳首の先端を薫がぴんと指先で強く弾き、一段と強い刺激に私の背中は弓なりに反りました。この快楽はまずい、と私の本能が警報を鳴らしたのも束の間、そんな私の反応を待っていたとばかりに、薫は私の両方の乳首をそれぞれの指先で弾き始めました。

「いやぁあっ! あぁんっ、ぁんっ」

際限なく小刻みに先端に刺激を与えられ、先ほどまでの快楽は子供の戯れだったのではないかと思えるほど、身体が薫の手によって追い詰められていくのを感じました。触れられていないはずの陰茎の内部を熱が昇っていき、腰の痙攣が激しくなります。四肢の自由が利かぬ今、身体に溜まった快楽を逃がすことが出来るのは、乳首と神経が繋がったのでないかと思えるほどに敏感になった筒の穴だけなのです。私は、これから自分の身におきることを予感して恐怖を覚えました。

「かおるっ、おねがいっ、やめて・・・! いっちゃ・・・イっちゃうぅっ」

「イっていいのですよ雪彦様。雪彦様ならお乳だけでイけるはずです」

これが薫の「お仕置き」なのだと分かりました。なんて嗜虐的で、そしてなんて甘美なお仕置きなのでしょう。私を極みへと追いやるように速度が速められた指先によって、私の熟れた果実はついに弾けました。

「あぁああ・・・っ、イく、イくっ、あっ・・・アっ、あぁああ―ッ」

私のそれは、大きさに見合わず、生意気にも大量の腎水を勢いよく吹き出しました。

勢いが一度収まってからも、私の腰はびくびくと痙攣し続け、そのたびにぴゅっぴゅと放出された液体が畳を汚します。

「お可愛らしかったですよ、雪彦さま・・・」

熱っぽい声で呟いた薫が優しく髪を撫でてくれます。私ははっとして薫に向き直りました。先ほどまでは与えられる快楽に夢中で、背中に当たる彼の熱を感じることはありませんでしたが、きっと薫の中心にも興奮の兆しが表れているはずです。

「今日こそ、僕も」

懇願するように薫の襟に縋った私に、薫は首を横に振りました。

「今日はもうお休みになってください。いずれ・・・ね?」

いたずらっぽく微笑んだ薫に私が不服そうな顔をすると、薫は私の顔を引き寄せて、舌を口内にねじ込んできました。そのまま根元から私の舌を吸い上げ、激しくお互いの唾液を混ぜ合わせます。息を吸う間も奪われてぼうっとなった私は、そのまま優しく横に倒されました。

忘れていた身体の疲れが途端にどっと押し寄せ、私はまどろみの中で薫が身体から離れていくのを感じました。彼は優秀な使用人ですから、こんなことがあった後でも、私の床の準備を完璧に行うのでしょう。次に薫に肌を見せるときは、自分も彼の身体の熱を知りたい。そう思いながら私は瞼を閉じました。



薫との出会いで私は様々な経験を得、また様々な驚きをも与えられましたが、最も驚かされたのは、私が贔屓にしていた若手の大衆文学作家と彼が交友関係にあったことでした。

「もっとも、最近は会うこともなく、音沙汰もないのですがね」

屋敷に来たばかりの頃、命じられずともその作家の本を用意していたのは、友人の本を広めてやりたいという思いが成した偶然だったのだ、と種明かしをした薫は、照れ臭そうに笑いました。

その作家は名を米倉よねくら祥吾しょうごと言い、私が薫と仲を深めていくのと時を同じくしてじわりじわりと人気を広げておりました。かつては彼の書籍を取り扱っている書店を見つけるのが難儀だったほどですが、その頃には大きな書店の目立つところに新作が平置きにされるほどの人気作家となっておりました。


「彼は高等学校の級友なのですよ」

そう言った薫は、彼の小説を手に取りながら青春時代に思いを馳せるように優しく目を細めました。懐かしさと共に、一抹の寂しさを覗かせた瞳。その時代になにか大事な思い出があることを窺わせるような表情でした。ふうん、と何の気なしに返事をしたつもりでしたが、薫には心中がばれていたようです。

「雪彦様、違いますよ。彼はただの級友です。本を読んだりノートに何やら書き込んだりと一人で休み時間を過ごしているような男でしたが、不思議と皆から好かれておりましたね」

彼は良い奴でしたが、と前置きをして薫はにやっと笑いました。

「自分の色恋沙汰にはてんで興味がなく、外見にも気を使わないような男でしたから、雪彦様の敵ではございませんよ。嫉妬してヘソを曲げてしまうあなたの可愛い姿を見るのも楽しいから、私はそれでも構いませんが」

ふくれていたはずなのに、いつの間にか彼の調子に飲まれています。恥ずかしいことをさらっと言われて、けれども嬉しくもある私は「もうっ」と薫を小突きながら顔を赤らめることしか出来ませんでした。


「しかし米倉先生が色恋沙汰に縁がないとは意外だな。女心も男心も精巧に描いているから、経験則の賜物とばかり思っていた」

米倉先生の小説は登場人物の心理描写にとても長けています。自分が先生の小説に登場したらどんなに素敵だろうかと思えるほどに。

近年人気を博している推理ものも面白いですが、私が彼の著書で一番好きなものは、彼の処女作の恋愛ものです。とある事情があって一緒になれない男女が人目を忍ぶ恋心を図書館で募らせていく描写が秀逸でした。お互いの想いに気づいていながら世間に許されないがためにもどかしい関係を続けていた二人がようやく口づけを交わし、女性が家の事情で海外に旅立つ場面で物語は終わっています。

この二人の関係がその後どうなるのか。それを読者に委ねる作風も、この世界のどこかで二人の物語がまだ続いているような気持ちにさせてくれて好きでした。

薫と年齢が同じであることと、その小説の初版の発行年を考慮すると、先生は高等学校の在学中にこの物語を構成したことになります。もし登場人物にモデルがいるのなら、その人は薫の級友だったかもしれない。そう思うと自分もほんの少し、物語に入り込むことが出来たような気がして愉快でした。



私達が遂に身体を繋げるに至ったのは、季節が巡って夜空が澄んだ冬のことでした。

胸の尖りから得られる快感を教え込まれたあの夜から、早ければ数日のうちに・・・と思っていたのですが、やはり身分差は容易に乗り越えられる壁ではなかったのか、薫は私を最後まで犯すことをだいぶ躊躇したようです。それでも最終的に私たちの身体が結ばれたのには、その時期、狢野宮の家に舞い込んできたとある事情が関係していました。


「婚約・・・ですか」

ある日、居間へ呼び出された私はいつになく苦い顔をした父に頭を下げられました。お相手は、紡績工場を多く所有する会社の社長令嬢です。我が狢野宮家は名家として世間に名が通っているが近年の資金繰りには行き詰っており、一方、ここ数年で収益を上げてきたお相手側は成金と野次られる立場から脱却したい。双方の利に叶った提案だと思いました。私は長男でしたし、いつかこのような話が来るのではないかと常々思っておりました。

ただ誤算だったのは、私の薫への想いが一方通行なものではなく、恋愛としてこれ以上望めないほどの形で成就していたことです。狢野宮の名を背負うものとして、与えられた運命を享受して生きていく覚悟をしていたはずが、薫と想いが通じ合ったことで、自身の幸せを求める欲求に対して素直になりたいと願うようになってしまったのです。

少し考えさせてくださいと言った私に父は頷いてくれましたが、彼が求めている答は明らかでした。私がその令嬢との結婚を拒否するということは狢野宮の家の没落を意味しておりましたから。


父が居間から出て行き二人きりになると、私は背後に控えていた薫を振り返りました。顔を強張らせていた薫が私を向き、冬の夜空のような美しい黒い瞳が私をとらえた瞬間、私の眦からは涙が溢れました。

「薫・・・どうしよう、薫・・・」

しゃくりあげながら縋りつく私の背中をさする優しい手。当たり前のようにそのぬくもりに包まれていたそれまでの年月がどれほど愛おしく、そして恵まれたものであったのか、私はそこでようやく気付いたのです。

「僕は薫のものだ・・・。他の誰の物にもなりたくない」

「雪彦様、あなた様は私のものです。そして私も・・・あなた様のものです」

こんな時でも薫の声は心地よく耳に響き、私の心を安らげてくれました。

薫が側にいる。それだけで万事が解決してしまうような安心感がありました。


なるべく早く父に了承の返事をしなければならない。そして形だけの結婚生活の中で薫と愛し合うにはどうすればいいのかを考えなければならない。

様々な焦りが胸をかすめましたが、今だけはただ彼のぬくもりに身を委ね、愛情に浸ろうと思いました。どのような形でも薫の側にいられれば、自分は生きる意味を見失わないだろうという強い確信があったのです。

薫は、なにか覚悟を決めたように唇をきつく結んでおりました。


それ以降、薫の顔が陰ることが多くなりました。

薫はプロの使用人ですから、他の人から見れば、彼の身のこなしや装いに変化はなかったでしょう。けれど、誰よりも長い時間を彼と共有し、誰よりも彼のことを理解していた私には、彼が日に日に困憊していく様子が嫌でも目に入ってきました。

彼は表情で巧みに隠そうとしておりましたが、目の下にうっすらと隈ができるようになり、もしかしたら寝付くことが出来ない日々が続いていたのかもしれません。薫は明らかに、私以上に婚約の話に動揺しておりました。

「薫、最近しっかり休めている?」

ある日さりげなく訊ねたところ、薫はびくりと小さく肩を強張らせました。

「申し訳ございません。雪彦様にご心配をおかけしてしまうなんて、使用人失格ですね」

薫は小さく苦笑し、特に身体に支障はないから気にする必要はないと言って私を安心させようとしてくれましたが、それはあまり説得力のあるものではありませんでした。

薫も家の状況を把握しておりましたし、現実から目を背けて楽観的な考え方をするような男ではありませんでしたから、婚約についての私の決断は予想がついていたと思います。

私は上辺だけの婚姻を誰と結ぼうが心は薫だけに捧げると決めておりましたし、妻帯者となっても薫と愛し合うことを自重するつもりなど毛頭ありませんでしたから、この婚約が私と薫にとって大きな障害になるとは思っておりませんでした。

けれど愛する者が形式だけでも誰かのものになるということは、薫にとって到底我慢できるものではなかったのでしょう。薫がこの屋敷に来てから彼の様々な表情を見てきましたが、彼が弱っているところを見るのはこれが初めてでした。


父が痺れを切らしていると母づてに聞いたことで、これ以上引き延ばすことは出来ないと悟りました。

「今晩、大事な話がある」

父に決断を伝える前日、私は薫の眼をまっすぐに見つめてそう告げました。薫に過去の自分の罪を告白し、薫の愛情を初めて知ったあの日と同じように。

それだけで全てを悟ったのか、薫は静かに目を伏せて「はい」と囁きました。



「覚悟をお決めになったのですね」

その晩、私の部屋で向かい合って正座をした薫の声は責めるでもなく、ただ私の決断を労わり、静かにそれを受け入れておりました。

彼は使用人という立場をわきまえている男です。主人の決定に対し自分の感情を露にして取り乱すなんてことは致しません。私が無言で肯定すると、彼は小さく微笑んで何度も頷いておりましたが、それは自分を納得させるもののように見えました。

「結婚しようが、僕は一生お前だけのものだ」

私は結婚をしても薫を直属の使用人として側に置くつもりでおりました。その日は、婚約承認の件よりも、薫を一生愛し通す覚悟を伝えるために彼を自室に呼んだのです。私が続けて口を開こうとした時、一足早く薫が言葉を発しました。

「今晩、あなたを最後まで抱きます」

唐突に告げられたことで、一瞬何を言われたのか理解できませんでした。

私はただ刮目し、ずっと待ち望んでいた言葉が思考を止めた頭の中で何度も響くのを感じました。

「あなた様のお気持ちはこれ以上ないほど嬉しいものです。それでも・・・あなた様が他の誰かのものになるということは耐え難いことなのです。だから――――」

向かい合って座っていたはずの薫の顔がいつの間にか眼前まで迫っていました。

美しい瞳。澄んだ夜空のように見る者を魅了し、引き込む瞳。彼の瞳に一度捕らわれれば、逃げることなど不可能です。

「あなたが誰のものにもならないうちに、あなたを完全に私のものにしてしまいたい」

獰猛な視線にかぁっと熱が広がった私の身体は、気が付けば薫の腕に抱き留められていました。全身から力が抜け、強く求められているという嬉しさが熱を伴った快楽となって四肢を震えさせます。気づいた時には熱い舌を口内の奥深くに咥えさせられておりました。

「かお・・・るっ、んぅ、うぅ・・・んっ」

私は必死になって薫の舌に応えました。手練手管の彼の舌使いと比べれば、私のは子供の戯れに過ぎないでしょう。けれども自分が同じだけ彼を思っていることを伝えたくて、私は唾液が口の端から溢れるのもおかまいなしに舌を絡ませました。

薫は左手で私の後頭部を固定し、貪るように深く口づけながら、器用にも右手だけで私の着物を剥がしてきました。やがて私の素肌が全て露になると、私を安心させるように髪を撫でながら項に唇を落とし、それは鎖骨、胸元、腹部と少しずつ下部に降りていきました。

「あぁんっ・・・」

吸われた箇所は一瞬ピリリとした痛みを感じた後に甘く溶けるような熱を帯び始めます。自分の肌に赤い花が咲くたび、自分が薫の所有物であるという証を刻まれている気がして、私は恍惚と薫の髪をまさぐりました。

薫の息がついに私の屹立にかかり、限界まで高ぶったそれを彼の鼻先に晒していることに気が遠くなるほどの羞恥を覚えましたが、かつて彼の細くて長い指によってもたらされた快感を身体は鮮明に覚えていたのでしょう。私の意志とは関係なく限界まで太股を広げ、腰を揺すって薫に快楽をねだり始めました。

「なんて・・・卑猥な御姿・・・」

薫の上ずった声が聞こえ、私は目を閉じてあの悦楽を与えられる瞬間を待ちました。

「んぁっ、なにして・・・ああぁっ」

指とは比べ物にならない柔らかさと熱に自分の最も弱い部分が包まれ、私は悲鳴のような嬌声をあげました。灼けつくような刺激は、その悦楽を初めて与えられる私の腰を容赦なく攻め立てます。股間に頭を埋める薫を両手で引き剥がそうとするも、指に力が入らず、傍から見ればむしろ薫の顔に己の欲望を擦りつけている痴態に映ったかもしれません。

「やぁっ、あぁんっ、それっ・・・だめぇっ」

薫の舌が先端の割れ目をなぞる感触に肌が粟立ち、先刻からひっきりなしに甘い蜜を零している小さな穴を丸く窄めた舌先でくじられると、恐ろしいほどの快楽に腰ががくがくと痙攣しました。

「気持ちいいのでしょう? もっと素直になってよろしいのですよ、雪彦様」

私のものを口に含んだまま薫が私を言葉で攻め立てます。その舌の動きにすら、泣き喚いてしまいそうなほど私は感じました。

気持ちいい。もっと気持ちよくして。

私の身体は快楽を求めることしか考えられません。しかし口に出してしまっては、あまりのはしたなさに薫に呆れられるかもしれない。私は足の指先を丸めて、快楽をどうにか堪えようと必死でした。

「さあ、雪彦様。ご自身を解放なさるのです」

薫は視覚からも私を追い詰めるように、長い舌を陰茎の根元から絡み付け、ねっとりと舐めまわす様子を私に見せつけました。五感の全てを男に支配されている状況に、身体の芯がじんじんと痺れました。

「ふぁ・・・ンんっ、やぁっ」

痙攣する私の腰を薫は両手で押さえつけ、熱を帯びた舌は私の中心を余すことなく唾液で濡らしながら下へと向かっていきます。口淫さえ予期していなかったのですから、ずっしりと重くなった蜜袋を唇で優しくはまれた瞬間、私は自分の腰が溶けてしまうのではないかと思いました。

なんて柔らかい。彼は唇で陰嚢全体に一定の刺激を与えながら、丸みに沿って舌を動かし、私を更なる極みへと誘います。その舌使いは、私に羞恥の感情を思い出す間を与えることなく、快楽への海へと溺れさせていきました。

「あぁんっ、ああっ、んぁっ・・・あっ・・・」

「達したいですか?」

私のふぐりを舐め転がしながら、意地の悪い笑みを含んだ声で薫が問います。理性を失った私は必死に首を縦に振りました。全身で強請っていたはずの快楽は、今や外に逃がさないと身体が壊れてしまいそうなほど狂暴なものへと育っていたのです。薫がにやりと口の端をあげたのを私は見逃しませんでした。

「んぁああああ・・・っ、あ―っ!」

再び屹立へと唇を戻した薫はそれを容赦なく吸い始めました。薫が強弱をつけてしゃぶる度、耳を覆いたくなるような下品な水音がじゅぽっじゅぽっと響き渡ります。

駄目だ、もう極めてしまう。私がそう観念してぐったりと身体を投げ出した瞬間、その時を待っていたかのように薫は先端をきつく吸い上げました。

「でちゃっ、でちゃう・・っ、イくっ、あァンッ、あぁあ―っ!」

頭の中が真っ白になるなか、私の先端から白濁がほとばしりました。薫はそれを手の平で受け止め、ぼうっとして何も考えられない私をひっくり返して四つん這いにさせました。


「ひぃんっ・・・」

後孔に冷たい感触があって私は我に返りました。慣れない感覚に不安が煽られて薫を見上げると、安心させるように優しく微笑まれます。彼の手にあるどろりとした液体が目に入り、身体に垂らされているものが先ほど自分が放ったばかりの腎水だと気づきました。

「かおる・・・それっ・・・」

「雪彦様の蕾をほぐすために必要なのですよ。私たちは今宵、ここで繋がるのですから」

秘めた窄まりをつうっと冷たい指でなぞられ、私は肢体を震わせました。

ついに薫と身体を繋げる。薫と一つになれる。そう思うだけで涙が出そうでした。

薫が両手で私の双丘を割り開いたことで、秘孔が冷たい外気にさらされます。獣のような立ち姿で痴態を晒していることに私が羞恥を思い出しそうになった瞬間、薫の長い指が内部に這入ってきました。

「んぅう・・・っ」

なんて圧迫感。これが愛する者の指でなければ飲み込むことなんて絶対に出来なかったでしょう。しかし、初めての感覚に怯えていたはずのそこは、薫が根気強く指を奥へと進めるたびに強くうねり、異物感は快楽へと変わっていきました。

「んぅふっ・・・、うぅん・・・んっ」

薫は優しく、それでいて有無を言わさぬような強引さで私の中をまさぐっていきます。彼の指に粘膜が絡みつくたびにクチュクチュと濡れた音が漏れ、私の淫情を煽りました。身体全体がゆっくり炙られるような快楽に酔いしれる中、薫の指がある一点をかすめ、電気が流れるような刺激が身体に走りました。

「あっ、あぁっ!」

下腹部の内側に、胡桃のようにぷっくりした箇所があることを、薫の指になぞられることで初めて知りました。薫が小さく微笑む気配を背中で感じます。

「ここです・・・ねっ!」胡桃を指の腹で押し潰され、私はあられもない嬌声をあげました。強制的に達せられたのではないかと思えるほどの刺激。あまりの快感に手の力が抜けて布団に倒れこみ、腰だけを持ち上げて薫に向かって突き上げている体勢になりました。

「やっ、あんっ、ああぁっ」

薫の指が一点を集中して攻め立て、自分の意志とは無関係に腰を痙攣させていた私は、いつのまにか肉壁をえぐる指が二本に増えていることに気づきました。私の内部で指が左右に押し広げられ、穴を拡張させられているのが分かります。

くぱぁっと広げられた中をじっとりと観察されていることに正気を失いそうなほどの羞恥を覚えましたが、その間にも私の屹立からはだらだらと蜜が零れ、布団の上に恥ずかしいシミを作っていきます。

「あぁァッ、だめぇっ、見ないでぇっ」

「でも感じていらっしゃるのでしょう?」

その通りでした。なけなしの理性で恥じらう姿を見せているものの、腰の疼きはより強い快楽を求めていました。指では届かない場所、自分の身体のもっと深い部分をえぐって欲しい。そこを虐めてもらわないと体内の熱は治まりきらないだろうと身体が分かっていました。休むことなく薫が指の出し入れを繰り返すことで穴を濡らす体液は泡立ち、私一人の身体から発せられているとは思えないほどの大きさで、ぐちゅっ、ぐちゅっという卑猥に湿った音が鳴り響きます。

「あァん・・・」

私はうつ伏せになっていたので薫の顔を窺うことは出来ませんでしたが、薫は私の使用人です。直接顔を見なくとも私の求めるものは全てわかるのでしょう。ずるりと長い指を私の体内から引き抜き、その代わりに別の湿った感触が私の臀部にぴとりと当てられました。

「・・・ッ」

それが何であるのかを察し、これからなされることに突如不安を覚えた私は思わず薫を振り返ろうとしましたが、強い力でそれを阻止されました。

「かおる・・・、怖い、お前の顔を見ながら繋がりたい・・・」

震えた声で懇願する私の背中を薫が優しく撫でます。上から圧し掛かるようにして耳を背後から甘噛みされたことで、「私はここにおりますよ」と安心させられた気がしました。

「雪彦様・・・この体勢が一番雪彦様のお身体に負担がかからないのです。私はあなたを傷つけたくない」

薫の囁きを耳に直接注がれて私の身体はびくんと跳ねました。そのままぴちゃぴちゃと音を立てて耳の中を舌で弄ばれたことで、恐怖はどこかに消え去り、快楽に期待する熱のみが私の身体に残りました。

「それに・・・」薫が声に少しいたずらっぽい含みを持たせました。

「私の愚息は今、欲望にまみれた情けない姿をしております。雌を征服したがってたまらない雄の膨らみほど見苦しいものはございません。雪彦様のような御方が眼にしていいものではないのです」

薫の嗜虐的な言葉に、腹につく程反りかえった自分の先端から再び期待の蜜が零れ落ちるのを感じました。はやく薫に身体の全てを蹂躙して欲しい。奥まで貫いて、揺すって、激しくかき回して、そして快楽の渦に自分を突き落としてほしい。

「薫・・・はやくっ! はやく欲しいっ」

私は羞恥も忘れて腰を突きあげました。その姿はまるで交尾を待ち望む雌の獣です。

次の瞬間、熱くて重量のあるものが体躯を勢いよく貫きました。

「――――う、あ、ぁあぁあ・・・っ」

薫の芯から伝わる熱。どくどくと脈打つ感覚に背中がしなりました。未知の感覚に怯えた肉壁がそれを外に押し出そうとするも、薫は体重をかけて腰を沈めていき、彼の竿が全て私の体内に収まった頃には、媚肉が彼を切なげにきゅうきゅうと締め付け、さらに奥を解してほしいと強請るほどになっていました。

「はぁん、あん、ぁあ・・・っ」

ようやく彼と身体を繋げている。彼と一つになっている。そう思うたびに私の後孔がきゅんと窄まり、その締め付けに薫が苦しそうな息を漏らします。快楽に追い詰められている彼の声も最高に色っぽいと思いました。

「気持ちよいのですか? 雪彦様・・・っ」

「いい・・・っ、いいよぅ・・・あぁっ、あっ、あぁんっ」

腰を掴んで揺すぶられ、中を突き上げられるたびに私の口から嬌声が飛び出しました。甘く、それでいて強烈な快感が背中を走り、快楽を得れば得るほど、自分の中に納まる薫の形が鮮明に伝わってきます。

「あぁあっ、そこはっ・・・あぁんっ」

先ほど指で散々弄られた胡桃を、今度は熱い昂りがえぐります。気が遠くなりそうな快楽に生理的な涙が浮かびますが、そのたびに粘膜が嬉しげに薫を咥えこんでは締めあげました。

「あぁっ、もうだめ・・・っ」

一定の速さで急所の膨らみを突かれると、私は開きっぱなしになった口から涎を垂らして悦びました。息を継ぐ暇もない激しい抽挿に、私の口は酸素を求めてはくはくと震え、薫が我を忘れて腰を振っていることにこれ以上ない幸福を感じました。

薫に求められている。薫に独占されている。私はついに、彼の心だけでなく、彼の身体をも手に入れることが出来たのです。

薫の男根が最も感じる箇所を潰すたびに、どちゅっ、どちゅっと肉同士がぶつかり合う湿った音が響きます。それの他に、なぜかクチュクチュという水音も聴こえたような気がしたのですが、おそらく気のせいでしょう。

「いいっ、気持ちいいっ! そこぉっ、もっと・・・! んぁあんっ」

「んっ・・・、ここですか? 雪彦様・・・あぁっ、あ・・・っ」

興奮しているのか、薫も切羽詰まったような喘ぎ声を漏らします。感じている時の薫の声は意外にも高いのだとそのとき気づきました。

いつもすました表情の彼がどんな顔をしているのか知りたくて、私は揺すぶられながら後ろを振り返りました。もう少しで彼の顔が見える、という時に薫の指が片方の乳首を捕まえて勢いよく押し潰したため、私の身体は大きく仰け反り、それは叶いませんでしたが。

薫の指は執拗な動きで胸の尖りを弄り、私の被虐心を煽っていきます。腰の突起物、薫に突かれる度になすがままに空に揺れていたその場所に熱が充満していることで、私は自分の身体の限界が近いことを悟りました。

「かおる・・・イきたい・・・お願いっ、イかせて・・・っ!」

「もう少し我慢なさってください・・・、雪彦様・・・っ、んっ、ぁあっ」

薫の指は乳首をこねるばかりでなかなか屹立を触ってはくれません。もう片方の手はどうしたのだろうと私はもどかしく思いました。空いている方の手で思い切り昂りを扱いてもらえたらどれほど気持ちいいだろうと快楽を期待した身体が疼きます。

悦楽の縁に追い込まれ、意識が朦朧としていた頃だったので定かではありませんが、やはりその時も、先ほど耳にしたクチュクチュという艶めかしい音がどこかで鳴っているような気がしました。

「雪彦様・・・、私はもう限界です・・・中に出してもよろしいでしょうか・・・」

上擦った薫の声に彼も限界が近いのだと分かりました。薫になら内部を穢されることも本望です。自身が早く達したいということもあり、私は夢中でこくこくと頷きました。

「出してっ・・・僕もイきたい・・・!」

薫が艶っぽい呻き声をあげながら、大きく腰を前後させます。薫の屹立が私の最奥に再び達した瞬間、私は肉壁が熱いしぶきで濡らされる感覚を味わいました。

「あっ、あっ、あっ、出てるっ・・・、なか・・・っ、あついっ・・・!」

腹の中をたっぷりと凌辱される感覚にうっとりしていると、突如前に回された薫の両手が勢いよく私の陰茎を扱きあげました。

「んぁああぁっ―っ」

許容範囲を超えた快楽に頭の中で星が散りました。脚の付け根が激しく痙攣し、背中を大きく仰け反らせながら、私の小さな蜜口からは白濁が弾け飛びます。

「雪彦様・・・っ」

前後から与えられる熱量が怖くなり、無意識に逃げようとした私の身体を薫が背後から強く抱きとめ、結合がより一層強くなりました。

「あぁんっ・・・あぁ・・・ああぁ・・・」

残滓を全て飲み込ませるようにゆらゆらと腰を前後させられ、ようやく拘束を解かれて向き合う形で抱きしめてもらえたのは、薫も私も一滴残らず精を吐き出した後でした。


「薫・・・」

やっと向き合うことのできた愛しい顔に手を伸ばすと、優しく微笑まれたあとで口付けられました。性交時の強引に奪われるような口付けも大好きでしたが、愛されていることを実感できるような優しい感触に、ふわふわと身体が浮く心地がしました。

「雪彦様・・・」

薫の長くて美しい指が私の髪を梳いてくれます。切れ長の眼に高い鼻梁。陶器のように滑らかな肌には長いまつ毛が影を落としていました。

なんて美しい男なのだろうと改めて思いました。この美しい男が私のものであり、私がこの美しい男のものになったことを、私は恍惚と噛みしめました。


「――――あの男」

薫から発せられた声に一抹の陰りが含まれていることに気づいて私は顔をあげました。

「あなたの前の使用人、藤堂雄一郎と仰いましたか・・・。彼のことは今でも忘れることが出来ませんか?」

揺れる薫の瞳に私はハッとさせられました。なんて薄情なのだろうと自分でも思いますが、正直な話、薫に名前を出されるまで雄一郎のことは完全に忘れていたのです。かつてあれほど強く求めた男だというのに。

いつしか私の心から雄一郎の存在は消えていました。それほど薫が私にとって大きな部分を占める存在になっていたのです。

けれど薫はずっと気に病んでいたのでしょう。私を愛し、私に愛されながらも、ずっと心に不安を抱えていたのです。私はたまらなくなって薫の首に両手を回しました。

「薫、薫・・・っ、ずっと不安にさせていてごめん・・・。僕が愛しているのはお前だけだ。もうずっと・・・僕の心を占めているのはお前だけだ・・・」

「もう・・・あの男のことなど、思い出せませんか?」

私を覗き込む薫の眼は真剣でした。もしかしたら、その夜私を抱くと宣言した時よりも強い力がこもった視線だったかもしれません。私は彼の眼を見たまま強く頷きました。

「ああ。もう雄一郎のことなど思い出せない。お前しか見えないんだ」

薫は静かに笑うと、その言葉を噛みしめるようにゆっくりと目を閉じ、その眦からそっと一筋の涙を流しました。私が見た二度目の、そして最後の薫の涙でした。


激しく愛し合ったことで疲れ切った私たちはそのまま同じ布団で抱き合って眠りにつきました。とても温かく、幸せに満ちた瞬間。これで心配ごとは無くなったのです。

心だけでなく身体を交わしたことで薫との愛情が揺るぎないものとなった私は、翌日父に婚約を承諾する意志を伝え、婚礼の準備は着々と進んでいきました。




薫が帰らぬ人となって街中で発見されたのは、それから数週間後、今から一週間前のことです。

薫は焼死体となって発見されました。

あの美しい顔の面影もなく、外見だけでは誰なのか判別が出来ないほどの姿になっていたそうです。朝になっても薫の姿が見えず、不審に思って彼の自室を訪れた他の使用人が遺書を見つけたことで、屋敷中は大騒ぎとなりました。警察に連絡を取ったところ、該当する人物の遺体が報告されていると分かり、解剖医の鑑定結果からその遺体が薫だと明らかになりました。場所は貧民窟の人通りの少ない路地。何故そんな所にいたのかは分かりませんが、夜中に屋敷を抜け出してそこまで向かったのだと考えられます。


薫が残した遺書は今、私の手元にあります。

なぜ彼が自らの命を絶ってしまったのか。何度この遺書を読んでも私には理解が出来ません。彼が私の婚約に対して強い不安を抱いていたのは確かです。けれどそれは身体ごと愛し合った夜にすべて解消したと思っていた私は愚かだったのでしょうか。

ここに一字一句違わず、薫の遺言を書き留めておこうと思います。


*************************************


親愛なる雪彦様


弱い私をお許しください。

結婚しても私を誰よりも愛すると仰った、あなた様を疑う気持ちは一抹もございません。ただ、あなた様が誰か他の人の物になってしまうという事実はどうあがいても変えられないのです。雪彦様の一番側におりながら、雪彦様に触れることが出来ないという現実は、きっと私から正気を奪うでしょう。

雪彦様への想いを断ち切れず、雪彦様の幸せを願うことも諦めきれない私に残された道はこれしかございませんでした。恋をした男としても、主人の幸せを願う使用人としても本分を全う出来なかった私をお許しください。

いつか雪彦様もあちらの世界にいらしたら、きっとそこでなら周囲の目を憚ることもなく、家柄や身分に縛られることもなく愛し合うことが出来るはずです。

優しいあなた様はきっと素敵なご家庭を築かれるでしょう。もしかしたら、気乗りせずに結婚したお相手にもいつか愛情が湧いて、私のことなんて忘れてしまうかもしれません。けれど、一日の内のほんの一瞬でも、私のことを思い出してくだされば、私にとってそれ以上の幸福はございません。


それでは、あなた様に再会できるその日まで、

しばしのお暇をいただきます。

                              桐ケ谷 薫


*************************************


今、薫の遺書を書き写しながら涙が止まりません。

原本を涙で汚してはいけないと思って慌てて懐にしまいました。

私にとっての幸せは、狢野宮の人間として務めを果たすことでもなく、愛してもいない女性と幸せな家庭を築くことでもなく、ただ薫と共に生きていくことでした。

どんな形でもいい。傍に彼がいてくれさえすれば私は幸せだったのです。

飄々としているようで実は心配性の薫。私を愛し、私に愛されながらも雄一郎の存在にずっと不安を抱いていた薫。

そんな彼を一人で何十年も待たせるわけにはいきません。

私にとってはこの手記が遺書代わりです。


薫が亡くなったにも関わらず、私の婚礼は予定通り、本日執り行われます。

たかが使用人一人の訃報で相手方の手を煩わせるわけにはいかないとの父の判断でしょう。私は別段怒りも感じませんでした。ただ、薫の死を知らされてからというもの、空っぽになった胸の内を冷たい風が通り抜けていく感覚を受け止めるだけの日々を過ごしておりました。


現在、朝の五時を数分過ぎたところです。なんとか日が明けるまでに全てを記すことが出来ました。あとは使用人たちが起き出す前にことを実行するのみです。

私の手元には頑丈な縄があります。この手紙を近所の郵便箱に投函してから、その威力は発揮されることでしょう。昨日の夕餉は食欲がないと言って断り、胃の中も綺麗にしてあります。


どうか、この手記の内容を本になさってください。名高い狢野宮家のスキャンダルとなれば読者も喜んで飛びつくでしょう。私は狢野宮の名が穢されようと一向に構わないのです。ただ、私が彼と愛し合ったという事実さえこの世に残すことが出来るのならば。


この書簡が、桐ケ谷薫の全て。

私の愛した男の全てです。

彼と自由に愛し合える世界に行くために、ここでお別れを申し上げなくてはなりません。


それではごきげんよう。さようなら。


                              狢野宮 雪彦


*************************************

【後半:桐ケ谷 薫の手記 に続きます】

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【彼の総て】前半:狢野宮 雪彦の手記 @kimikagesou

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