四
翌朝、私は起き上がると、「失礼します」と声をかけられた。
「どうぞ」
「失礼します。丁香様、お召し物を献上に伺いました」
綺麗な人だけれど、この人が宮女なのか宦官なのか、私にはよくわからなかった。綺麗な長い髪に簡素な着物。そして出された服を見て、私は首を捻ってしまった。
服の布地は高くはないが安くはない厚み。そして装飾の簡素なそれは、宮女の着物に見えた。
「初めまして……あなたはいったい?」
「お初にお目にかけます。こたびは丁香様にお仕えするよう仰せつかっております、
「黄精さんですね。それで、この服は?」
「殿下から言付けを預かってきております。『昨日はお疲れ様。今日から我々のために働いてもらう。まずは宮女のふりをして、
「春妃?」
そういえば、昨日も寝る前に紫珠様は妃に会いに行けと言っていたような。そして妃の格好ではないのは、後宮内を自由に歩き回るためだろう。いくら後宮とはいえども、妃がその辺を歩き回っていたら危険だ。
私はそう納得した。
「わかりました」
「それでは自分は外で待機しますので、着替え終わってからお声をおかけくださいませ。朝餉の準備を致しますから」
「ありがとうございます」
私は一旦黄精に外に出てもらってから、服を着替えはじめた。昨日一瞬着せられた妃の着物よりも動きやすいし、袖がひらひらしていないから動きにも支障を来さない。
私はそう判断してから、「黄精さん、もう大丈夫ですよ」と声をかけた。
昨日は精のつく料理ばかり出されたことを、紫珠様も知っていたんだろうか。出された朝餉はあっさりとした茶粥だった。お茶の味が優しく、胃もたれするほど食べさせられた昨日と比べると体にも優しそうだ。
「ありがとうございます……ところで、春妃様とはどうやったら会えるんですか? 下の妃であったら、ここで宮女に混ざって働いているとは思うんですが……」
「春妃様は屋敷持ちですので、屋敷に行けばお会いできますよ」
「……屋敷持ち、なんですか?」
屋敷持ちだとしたら、普通にどこかのお偉いさんの娘が鳴り物入りで後宮に入ったんだろうに。どうしてそんな人が皇帝陛下の首を狙っている紫珠様の味方をしてくれてるんだろう。
私が訝しがっているのに気付いたのか、黄精さんが解説してくれた。
「春妃様は、後宮内でも有名な占術師なんですよ」
「占術師……ですか」
「はい。彼女は花神の末裔と呼ばれるほどに、占ったことで外れたことがないんです」
「それはすごいですね……」
商売やっていると、案外占術師と関連深くなってくる。お父様もたびたび占術師に占ってもらっていたけれど、そのほとんどは人生経験豊富な相談役といった感じで、本物とは呼びにくい人たちだった。
でも稀にいるのだ。花神の末裔と呼ばれるほどに、神がかった占いを行う本物が。おそらくは春妃様もそのような人なのだろう。
でもそんな百発百中の占術師が紫珠様の味方をなさってるってことは……やっぱり皇帝陛下にいろいろ思うところがあるってことなのかもしれない。
茶粥をありがたくいただいてから、私は黄精さんにいただいた地図を持って出かけていった。既に宦官たちは働きはじめているらしく、もう墨の匂いが漂いはじめていた。
「昨晩の火事で燃えた屋敷の再築費用だが……!」
「予備費は!?」
「皇帝陛下のおかげで既に底を尽きている! どこかに余剰費用が……!」
……すみません、すみません、すみません。
昨日の火事の当事者の私は、思わず聞こえた声の方向にぺこぺこと頭を下げながら、通り過ぎていった。
****
もらった地図によると、後宮内には屋敷は八つある。
昨日火事で燃えてしまった渡り用のもの以外には七つ……つまりは、身分の高い妃の数だ
。槐国では、妃の位は上から順番に、正一品、正二品……と並び、私は一番下の正八品となる。ちなみに別格が皇后であり、皇帝陛下の正妻であり、位は存在しない。でも現皇帝陛下の正妻は、既に流行り病で亡くなられているはずだ。
屋敷をいただけるのは正二品からであり、春妃様もおそらく位はそれになるだろう。私はそう思いながら歩いて行った。
やがて他の宮女や下働きともすれ違うようになっていった。下働きの女性は、屈辱で歪んだ顔をして歩いているのが見え、おそらくは彼女も無理矢理後宮に入れられてしまった妃のひとりなんだろうなと想像できた。
私は体を動かすのが好きだけれど、首都に住んでいた深窓の令嬢たちが皆そうとは限らない。顔だけで後宮に入れられ、飽きられて後宮を動かすために酷使され続けている。それは屈辱と思っても仕方がない。
彼女たちを家に帰すためにも、やっぱり後宮を解体しないと駄目だ。そう気を引き締めて歩みを進めていく中、不思議な光景が広がっていることに気付いた。
「あ、あれ……?」
桜が咲いている。
たしかに春先には桜は咲くけれど、今は季節がずれているはずだ。艶やかな薄紅色の花びらが、ゆったりと吹いているそよ風に流されていく様をポカンと眺めていたら。
「秋の桜なのですよ。これだけ春の桜と変わらぬ色合いの花は珍しいからと、私に占術を頼んだ方が実家から取り寄せてくれたのです。花神の化身の庭にはふさわしいだろうと」
花神の化身。
思わず顔を上げて、私はまたも驚いた。
薄紅色の着物を纏い、幽幻に佇んでいる姿は儚い。なによりも彼女の髪の色は銀色で、瞳の色も青く、この世の者とは思えなかった。
「あなたが……春妃様ですか?」
「ここではそう呼ばれておりますね。あなたのことは占術で見ておりました。こんなところで立ち話していましたら、盗み聞きされるやもしれません。どうぞお入りくださいませ」
「はい……」
彼女は勝手知ったる屋敷に案内してくれた。
屋敷内もまた、不思議な建物だった。硝子には美しい絵が描かれているし、階段や床も、どことなく異国情緒で溢れている。
「これは……」
「西方の文化ですね。私の出身もそちらですから」
「あなたは……」
「元は西方の商家の娘だったのですが、皇帝陛下に見初められてここに閉じ込められました。持ち前の占術で彼が後に娶る妃の顔、彼の今までの病気遍歴を片っ端から言い当てたところ、信を得て、今はこのような生活を送っています……帰りたくとも、私たちの家族は既に西方へと戻ってしまいましたが」
「それは……」
よりによって皇帝は、異国の商家の娘にまで手を出していたらしい。彼女も花神の化身とまで言われるほどの占術がなかったら、他の妃たちと同じく雑に扱われてそのままぽい捨てされていただろう。
春妃は頷いた。
「私を気の毒に思ってくださったのは殿下でした。私の住まう屋敷を訪れて、できる限り祖国のものに近付けてくださいました」
それに私は少しだけ胸がキュンとした。
あの人は綺麗過ぎて、なにを考えているのかさっぱりとわからなかったけれど。虐げられている人を見るのが嫌なんだろうということだけは、間違いない。
「それで。私は今日あなたに会いに行けと伺いました」
「おそらくは、殿下は天命が変わったかどうかを気になさったのでしょうね」
「天命? 紫珠様の天命とは?」
「あの方の天命は不明瞭な点が多く、私はずっと皇帝陛下への反乱を止めていました」
それに言葉を失った。彼女もまた、被害者なはずなのに。それでも止めないといけないほど、紫珠様の天命がまずかったんだろうか。
私が息を飲んだのを見ながら、春妃様は教えてくれた。
「あの方は皇帝陛下の横暴に痺れを切らし、何度も反乱を起こそうとしましたが、そのたびに私が止めていました……天命のない方が国を動かそうとした場合、天が必ず罰を与えるからです」
「そこまで、まずいものだったんですか?」
「殿下の天命は、なぜか雲がかって見えませんでした。これを晴らす星が現れない限り、決して事を起こしてはならないと。私は殿下が尋ねてくるたびに何度も占術で確認しましたが、一向に晴れませんでした。ただ、先日ようやく殿下の天命に動きが見えました」
そう言いながら、春妃様は私に指を差した。
「星主から逃げる者あり。それを火をもって助けることで、玉座を得るだろう」
それに私は目を見開いた。
星主とは、皇帝陛下の別称だ。古過ぎてそんな呼び方をする人なんて、もうおとぎ話くらいでしか見ないけれど。そして皇帝陛下から逃げ出した者なんて……私じゃない。
ああ、だから紫珠さまは、屋敷に火を放って私を連れ出してくれたんだ。私を妻にすると言ったのも。
「……まさか、そんな仰々しい天命が読まれているなんて、思いもしませんでした」
「いいえ。星の巡り合わせは、人事を尽くさなければ噛み合うことはまずありません。なによりもあなたの天命も読まなければ、殿下の天命も補則できませんしね」
そう言いながら、春妃様は占術のための道具を取り出した。
星の見取り図のようにも見えた。
「これは……」
「私の国の見取り図ですので、槐国のものとは多少異なるかもしれませんね。これであなたの天命を占います」
彼女は私の名前と誕生日を尋ねると、黙って見取り図を確認しはじめた。そして、神がかった声で朗々と読み上げる。
「星主をおそるるなかれ。乗り越えた先に、新たな星主ありけり」
「……皇帝陛下をおそれるな、紫珠様と一緒に立ち向かえってことでしょうか?」
「そうなるかもしれませんね。ただ、殿下も既におっしゃっているかと思いますが。敵は別に皇帝陛下だけではございませんから」
「官吏……ですね」
「あと、宦官たちの中にも、現状の維持のために動いている者たちもいらっしゃいますから。くれぐれもお気を付けて」
こうして、私は春妃様にお礼を言って、出て行った。
とんでもないことを聞いてしまったけれど、人事を尽くして天命を待つ。まずは頑張らないと、天命も手助けしてくれない。
なにをどう頑張ればいいのかはまだ不明瞭だけれど、少なくとも春妃様を国に返してあげたいという気持ちは生まれた。
もしかすると、これも紫珠様の狙いだったのかもしれない。
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