魔月のトロイメライ
蘇芳ぽかり
Prologue
「何!? 手負いの少年を拾った、だって?」
アレキスは、軽く飛び上がりかけたようだった。椅子がガタッと音を立てる。テーブルの上の、二つのティーカップの水面が波紋を描いて揺れた。閉じられたカーテンの隙間から漏れる白々とした光がカップに差し込んでいる。窓の外の出っ張った枠木にカナリアが一羽留まっている、そこだけが鮮やかだ。真冬だ。寒いだろうに小さな声でさえずっている。
「一体どこで!?︎」
「確か
ロジェは真正面からアレキスを見つめた。心配になる、と言っておきながら、どこか高飛車に見下ろすような表情。目から鼻の上辺りまでを隠す白い半仮面の奥で、目が光る。アレキスはそれを見てぐっと顎を引いた。
「ああ。ああ……、問題はないと思う。だがお前はそういうヤツだったっけな、と思ったから」
「そういうやつ、とは?」
「傷を負っている、とか子供だ、とかいう情に流されて行動するヤツ」
ロジェは芝居がかった仕草で肩をすくめた。ふっと笑うと音もなく立ち上がって窓を開ける。冷たい風が吹き込む。寒気と共に例のカナリアが入ってきて、ロジェの白い手袋の指にとまった。彼はそのまま再び窓を閉めると、
「ひどいですね。ワタシは別に冷血人間じゃないのに。むしろこの世の全てに愛を持って接しているんですけどね。怪我をした子供は助けて然るべき、でしょう?」唇の端をくいと持ち上げる。アレキスはため息をついた。
「そういうところだ。お前は尊大なことを平然と言うくせに、だいたいそういうことを言う時はいつも目が笑ってない。時に冷ややかだ」
アレキスはティーカップを取り上げた。中身を一息に飲み込む。ロジェは整った片眉をくいと上げると優雅な手つきで二杯目の紅茶をポットから注いだ。緩やかな沈黙とともに、淡い花のような香りが部屋を満たした。
「そうですか? まあ、それはいい。情に流されたわけではない、というのは事実なので。ねえ、アレキスさん。ワタシはその少年になにか感じるものがあるんです。おそらく……、いやまだいいです」
アレキスは訝しげに目を細めたが何も言わなかった。
「秘密は漏らさないこと。それで〈王の剣〉的にはいいでしょう?」
「ああ。ただ何かあった時はどうする? その少年か任務の遂行、どちらかを選ばなければならない時が来たら」
「そうですね……」ロジェは考えるように首を傾げているが、おそらくちっとも迷っていなかった。ややあって、にこ、と微笑む。「少年を捨てましょう」
「今日一番お前らしい言葉を聞いた気がする」
二人で顔を見合わせて、苦笑いした。再びティーカップの水面が揺れる。
「その少年、名前はあるのか?」
「それはまあ、当然あるでしょうけど。ワタシはまだ知りませんよ」
「そうか」
アレキスはふっと笑った。
「あの日からもう二十年、か。信じられるか? そしてその二十年の間に、重要関係者十五人のうちだけで九人が消えた。死んだのが八人、あの日以来行方不明なのが一人、永遠に眠り続けているのが一人。他にも招かれた客たちの中で多くが死んでいる。俺たちは運良く生き残ったけどよ」
「……姫君の眠りは永遠ではないはずです」
「ああ。だが、永遠に限りなく等しいには違いない。確か眠りにつかれたのは五年前だったか……。何はともあれ、あの〈魔女の起こした悲劇〉からそれだけの年月が経ったのにもかかわらず、俺たちはなんの解決にも至ってないってわけだ」
「そうなりますね」
空気が重苦しくなった。それとは対照的に、レースのついたカーテンがゆったりとはためいた。テーブルの上に乗った陽色のカナリアが鳴いた。
「なんでなんだ?」
不意にアレキスは呟いた。
「え?」
「なんていうか、この話……特に〈呪い〉の犠牲になった奴らの話をすると、お前の雰囲気が変わるんだ。緊張するっていうか、目がきつくなるっていうか。……いや、なんでだかはわかるんだよな。お前、まだ気にしてるのか」
真面目な顔で問いかけるアレキスに、ロジェはフッと笑って見せた。嫌味っぽく首を傾けてアレキスを見上げる。
「なんのことですかーっ? ワタシ個人で気に病むことなんてありましたっけ? それに姫君が呪いにかけられただけでなくその両親、国王と王妃が昇天された。殺られたわけですよ? 眠っただけの姫君とか、他の客たちなんかよりそっちのほうが一大事じゃないですか」
アレキスは顔を顰めた。立ち上がり、窓を少しだけ開く。外気の冷たさに屈しつつテーブルの小鳥を手に乗せて持ち上げた。
「お前のそういうところ、ほんとにわかんない」
パサッ。羽ばたきの音一つ。カナリアが飛び立った。
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