第三章 迷宮の入り口
パンガシウスを喰らう者
「やだあ、どうしたのその顔! おっきなばんそうこうなんか貼って」
翌朝、朝飯の最中に遙香が教会にやってきた。で、開口一番がコレだった。
門の柵越しに俺の顔を見て呆れている。
気まずい空気を作る前に、こんな風に切り出されてしまってはどうにもならない。
「昨日、仕事でちょっと」
俺はバツ悪そうに、頬の絆創膏に手を当てた。
化け物に切られた頬の傷が存外深かったので、痛み止めを塗った湿布を貼っている。傷口自体はもう塞がっているのだが。
「そう……」
何かを悟ったのか、彼女はそれ以上追求することはなかった。
「えっと……き、昨日は勝手に帰って、ゴメン」
「あ、あああ、ああ……いいよ、べつに。急にあんなこと言った私が悪いんだし……ごめん、ショウくん」
遙香はそっぽを向きながら、ブレザーのポケットに両手を突っ込んで、肩を左右に振っている。
気まずいとも若干違うような、微妙な空気が流れる。
「あーっと……いま朝飯食ってる最中なんだけど、なに?」
「通学路の途中だし、一緒に学校行こうかなー、とか思って――」
そこまで言うと、ぐきゅるるるる……と遙香の腹の虫が盛大に鳴いた。
「きゃぁっ」
顔を真っ赤にし、腹を押さえて前屈みになる彼女。
「……朝飯まだなのか?」
「うん」うつむきながら、こくりと頷く。
(そっか、こいつんち今、ハルカしかいないから、朝飯抜いてるのか……可愛そうに)
「来いよ。一緒に食おうぜ」
俺は門戸を開けて、遙香を中へと促した。虹色ぐるぐるソーセージをご馳走になったから、そのお返しである。彼女を食堂に通すと、シスターたちは意味深な笑いで出迎えた。教団きっての凄腕ハンター・多島勝利の客人だ。無下に扱われることはないだろう。
◇
シスターベロニカは既に食事を終えて、食堂の隅で連ドラを見ている。あちこちの街に赴任する俺達にとって、全国ネットの国営放送は地味に有り難かった。
俺は、取っておいた昨夜のパンガシウスの切り身を暖めるようシスターに頼むと、自分の向かいの席に遙香を座らせた。
「懐かしいなあ、教会って子供の頃に入ったきりよ」
遙香が言った。
「そうなの?」
「教会のクリスマス会に来たとき」
「ふうん……」
街の教会でクリスマスに子供を招いてパーティを催すのはよくある話だが、この教団でも全ての施設で近隣住民へのサービスを行っている。
一般的には宗教に親しんでもらうことが目的だが、この教団の目的はあくまで地元に溶け込むため。本来武装組織である教団には、教義など最初から存在しない。あくまでも世を忍ぶ仮の姿なのだ。
遙香がクロワッサンとスクランブルエッグに舌鼓を打っていると、厨房からシスターが例のブツを運んできた。
「さあ、これも食えよ」
「なに? お魚? いいの? こんな……」
暖めなおした魚には香草とバターが添えられて、いい薫りが食卓に溢れる。
「本当は、昼休みにお前に食わせてやろうと思ったんだ」
「……ありがと。こんなちゃんとしたもの、食べるの久しぶり」
どんな食生活送ってんだ、と言いそうになって言葉を飲み込んだ。
彼女の生活が困窮していることをうっかり忘れかけていた。
「これな、ベトナムの大ナマズなんだ。シスターが俺たちのために取り寄せてくれたんだよ。うまいぞ!」
「すごーい! いっただっきまーす!」
遙香は大喜びで手を合わせ、さくさくとパンガシウスにナイフを入れた。
「どう?」
「んー! んー!」
満面の笑みで頭をこくこくと上下させている。
「よかった。たくさん食えよ」
「ありがとう、ショウくん」
遥香は美味そうにパンガシウスに舌鼓を打っている。俺はそれをまんじりともせずに眺めていた。
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