冬の幕間『栞猫』
今日は、12月に入って最初の土曜日。来週半ばから試験週間に入ろうとしている、そんな頃合だ。
本格的に冬が到来して、ここのところずっと寒い日が続いている。我が家においては完全に冬仕様、暖房から冬服までの用意がすでに整っている。
そんな中、うちに一匹の猫が住み着いた。いや、住み着くと言うと語弊がある。顔を出すようになったと言うべきか。といっても、顔を出すようになったのは随分と前からだし、かなり入り浸っているわけだけど。
もちろん白猫のぬいぐるみのシオのことじゃない。シオは今、俺の枕元でお行儀よくおすわりをしている。
その猫は朝、よく俺の布団に潜り込んでくる。寒さが苦手なようで、頭まですっぽりと布団に入って、ぴったりと俺に身体をくっつけて眠るのだ。
これがまた暖かくて幸せなんだよ。休日だと余裕で二度寝できるくらい、あまりの心地よさに布団から出られなくなってしまう。
ただ、これが三度寝ともなると、さすがに母さんがうるさい。やれ休みだからってだらだらするなとか、やれ栞ちゃんを見習えだとか。
というわけで、渋々ではあるが布団を跳ね除ける。
「栞、起きるよ?」
「うにゃ……、涼、寒いよぉ……」
布団の中から栞が現れて、ふやけ切った顔で目をこすりながら、ぷるりと身体を震わせた。栞だってこうして俺と一緒に布団にくるまっているのだから同罪だろうに。今の栞を見習うと、ずっと布団の中にいることになる。
さて、言わなくてもわかっているとは思うが、その猫とは栞のことだ。寒さに弱いらしい栞は、冬になるにしたがってその行動が猫に似てきた。
こうして遠慮なく栞を猫に喩えることができるようになったのは、栞がすでに『家猫』と言われたことを気にしていないのがわかったからだ。むしろ、意外にも栞は猫好きらしいので、これからはどんどん猫扱いしていこうと思う。
ほら、こうして顎の下をくすぐってあげると、
「ふわぁ……。涼、それ気持ちぃ……。もっとぉ」
「はいはい」
こんな感じになる。
本物の猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしたりはしないけれど、うっとりと目を細めてくれる。俺に触られるのが大好きな栞なので、顎の下に限らず頭を撫でても同じ反応をするのだが。
ちなみに、この可愛い猫さんが俺の布団に潜り込んできたのは昨夜のことである。相変わらず、栞は金曜日の夜、うちに泊まっていく。
さすがに試験週間はお泊まりが許されなかったので、今日は勉強を放り投げて来週の分までひたすらくっついてお互いを補給する予定になっているわけだ。
こうしてずっとぬくぬくしているのも捨てがたいところではあるけれど、どうせならしっかり起きた状態で栞と過ごしたい。
「部屋、暖房つけるからさ、そろそろ起きようよ」
「んー、やぁっ……。でも、起きるなら、こたつに行くぅ……」
こたつは最近の栞のお気に入り。二週間ほど前に我が家のリビングに設置されて以来、よくそこで溶けている。なんでも栞の家にはこたつがないそうで、たちまちその魅力に取り憑かれてしまったのだ。
毎年使っている俺ですらこたつの魔力には抗いがたく、一度入ってしまったら最後でやすやすとは抜け出せないのだから、全く耐性のない栞がそうなってしまうのも無理はない。
両親のいるリビングでイチャつけるものか、と思っていた時期もあるのだが、どうも慣れてしまったようであまり気にならなくなってしまった。
まぁ、今は母さんしかいないはずだが。
本来の土曜日なら父さんも休みで家にいるのだが、今日は休日出勤で朝から職場に行くと言っていた。年末が近いこともあってか、かなり忙しいらしい。
母さんにおいても、文乃さんと約束をしているようで、昼頃から出かける予定になっている。
つまり、それ以降は完全に栞と二人きりということだ。お節介と思いながらも、せっかくのその時間、目一杯栞を堪能しようと思う。
「とりあえず朝食終わってからね」
「はぁい……。ふぁぁ……」
ようやく起き上がった栞が大きく伸びをする。冬仕様のふわモコパジャマが可愛らしい。これまた冬毛になった猫のようだ。
栞の伸びが終わるのを待って声をかける。
「栞、いつものは?」
「えへへ、してっ?」
四つん這いになった栞がのそのそと近付いてくる。その姿もまた猫っぽい。
「おはよう、栞」
そっと栞の頬に触れる。つい今しがたまで布団に入っていたせいでポカポカだ。
「おはよっ、涼」
栞は膝立ちになり、俺と目線を合わせる。
そして、
──ちゅっ
まずは一回だけ、朝の儀式を済ませる。これでようやく俺達の一日が始まった。時間はすでに9時を回っている。冬以前の俺達からするとだいぶの寝坊だ。
着替えやら身支度、朝食まで済ませたら、栞のリクエスト通りこたつにもぐり込みソファに背を預ける。冬の間はソファは座るものじゃなくなり、背もたれに変わるのが我が家の常である。
栞も俺の隣に座って、
「ふぁ〜。暖かいよぉ……」
さっそく溶けてしまった。下半身はこたつの中、上半身は俺の膝の上にべったり投げ出して。俺はそんな栞の頭をふわふわと撫でている。
「そんなに気に入ったなら、栞の家でもこたつ用意してもらったら?」
「もうお願いしてみたんだけどね……、お母さんがダメだって。これは人を堕落させるからって却下されちゃったの」
「あー……」
それなら仕方ない。現に栞はこうしてふにゃふにゃになってしまっているのだから擁護のしようもない。
「まぁ、その分はうちで楽しんでってちょうだい。たぶん三月くらいまでは出しっぱなしだからね」
「えへへ、お言葉に甘えてますっ」
「で、母さんはもう出かけるの?」
横から栞に話しかけてきた母さんを見れば、すっかり出かける支度を終えていた。聞いていた時間よりもだいぶ早いようだが。
「そうよ。文乃さんと話して、時間早めてもらったの」
「……なんで?」
「だーって、ねぇ? ここからはイチャイチャが始まるでしょうし、私がいたら邪魔でしょ?」
「それは、うん」
慣れたとは言っても、いないに越したことはない。
「ちょっと、涼。そんなにはっきり言っちゃあ……」
「いいのいいの。私は文乃さんと楽しんでくるから。あとこれ、忘れないうちに栞ちゃんにプレゼント」
母さんはそう言うと、栞の頭になにかを取り付けた。
「プレゼントって……、これ、カチューシャですか?」
「ふふー、ただのカチューシャじゃないわよ。ね、涼?」
「……うん」
これはヤバい、可愛いがすぎる。いや、もちろんなくても可愛いけど。
「えっ、なに? どういうこと? あっ……」
自分の頭に手をやって栞も気付いたらしい。そのカチューシャには猫耳が付いている。つまり、母さんも栞のことを猫っぽいと思っていたということのようだ。
栞猫が誕生した瞬間である。
栞の黒髪に生えた黒い猫耳、この破壊力の高さたるや。いやもう、なにかに喩えるとか無理。可愛くてキュートでプリティなんだ。全部可愛いじゃないかというツッコミは要らない。
「いやぁ、栞ちゃんに似合うと思って買ってきたけど、ちょっとハマりすぎじゃない?」
「……否定はしないけど、こんなのどこで買ってきたのさ?」
「百均よ」
「まじかぁ……」
こんなものまで取り扱っているとは、百均もなかなか侮れない。そしてそれを買ってきて、ためらいもなく栞に装着した母さん、GJである。調子に乗るから言わないけども。
母さんに気を取られていると、栞が俺を手でちょいちょいとつつく。
「どうしたの、栞?」
「えっとぉ、似合うかにゃ?」
栞は両手を猫のようにして、コテンと小首を傾げた。
「ぐっ……」
猫耳栞のあざといポーズ、効果は抜群、ダメージは絶大だ。俺の心にクリティカルヒットした。
さらに俺の反応に気を良くした栞は、
「うにゃーん」
俺の胸に頬をスリスリ。これ以上はダメだ。母さんの前では危険すぎる。
名残惜しいが俺は栞の頭から猫耳カチューシャを奪い取った。
「あーんっ、せっかく水希さんがくれたのにぃ……!」
「母さんが出かけるまでこれは預かっておきます!」
じゃないと、俺が自分を抑えられない。このままだと、すぐにでも栞ににゃんにゃんしてもらって、栞をにゃんにゃんしてしまう自信がある。
「ふ〜ん? 私がいない間に一人で楽しむつもりなんだ?」
「……悪いか?」
「べっつにー。栞ちゃんは涼のお嫁さんだものね、好きにしたらいいわ。でも、栞ちゃん」
「はい?」
「一枚だけでいいから写真撮らせてっ。こんなに可愛いんだもの、文乃さんとも共有しなきゃ!」
「それは……、さすがに恥ずかしいんですけど……」
ノリノリだったくせに自分の親に見られるのはダメらしい。
「えーっ、いいじゃな──」
──ピンポーン
母さんがスマホ片手に栞に詰め寄ろうとしたタイミングを見計らったように、我が家のインターホンが鳴った。
「……ほら、文乃さんが迎えに来たんじゃない?」
「あーもう、しょうがないから行ってくるわね。涼、ちゃんと写真撮っておくのよ!」
「……わかった」
俺がそう返事をすると、母さんは出かけていった。
「涼、写真撮るの?」
「ダメ? いつでも見れるようにしておきたいんだけど」
取り上げていた猫耳を栞の頭に戻す。こんな可愛い栞、記録に残しておかないなんてもったいない。頼めばいつでも喜んでつけてくれるだろうけど、それはそれだ。
「ダメじゃないけどね、水希さんに送るとお母さんにまで……」
「送らないよ? ただ俺が見る用にするだけ」
「あれ、そうなの?」
「だって、撮っとけとは言われたけど、送れとは言われてないし」
「あ、そっか。それなら、いくらでもいいよっ。可愛く、撮ってね?」
「栞はいつでも可愛いから大丈夫」
「もう、涼ってばぁ……」
そんなわけで、栞猫の撮影会が開催される運びとなった。
栞に猫っぽいポーズをとってもらって、俺が撮影をしていく。さっきのあざといポーズから始り、両手を床についての伸びのポーズ、顔を洗うような仕草、スマホの中の画像フォルダが栞猫で満たされていく。
栞がいない時はこれで心を潤すのだ。
ただ、少しばかり写真に夢中になりすぎてしまったようだ。栞の可愛いほっぺが膨らんでいた。
「ねぇ、涼……。写真はもういいでしょぉ? そろそろ画面じゃなくって、私を見てほしいなぁ」
「あ、ごめんごめん。つい楽しくなっちゃって。もう撮るのはやめるね。ほら、こっちおいで」
スマホを置いて再びこたつに入って栞を呼ぶ。栞は俺の膝の上に跨って、ぎゅっとくっついてくる。
「にゃーんっ」
「すっかり猫化してるね?」
「にゃっ」
短く猫のように返事をした栞は俺の口元をペロリと舐めた。
これはキスしろってことかな?
よしよしと頭を撫でつつキスをする。どうやら正解だったようで栞も嬉しそうにキスを受け止めてくれた。さらに身体を押し付けてきて、キスの合間にじゃるように俺の唇をペロペロと舐める。
そんなことをしばらく続けていると、
「ぅにゃーん……」
栞はどんどん蕩け顔になっていった。人間の方の耳も赤くなっているし、瞳はうるうる。
「もしかして、我慢できなくなっちゃった?」
「にゃぁ……」
「じゃあ、俺の部屋、行く?」
そう尋ねれば、コクリと頷きが返ってきた。ここで俺の部屋に移動するということは、つまりはそういうことだ。
俺は俺でもうすでに我慢の限界。栞が可愛すぎるのが悪い。栞をひょいとお姫様抱っこしてベッドまで連れて行くことに。俺の腕の中でも、栞はうっとり顔でスリスリしてきた。
暖房をつけていなかった俺の部屋は寒く、ひとまず暖まるまでの間、二人で再び布団にくるまってじゃれ合うことになったのだった。
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