第193話 プレゼントに嫉妬する
しばらく身体を休めながら温泉と星空を堪能した俺達は、部屋に戻るとすっかり皺の寄ってしまった浴衣を再び羽織った。
「ねぇ、また浴衣着ちゃったけどいいの? 続き、するんじゃ──んんっ……!」
とりあえず栞の口を塞いで黙らせる。
続きをするのはもちろん確定。風呂に浸かりながら、またしても栞の猛攻を受けておさまりがつかなくなってしまったから。そのために俺も栞も浴衣の下には何も身に着けていない。
でも、それはもう少しだけ先だ。
「ふぁっ……。ほらぁ、やっぱりするんでしょぉ……?」
唇を離すと、栞の顔はうっとりと蕩けたようになっていた。
「違うってば。さっきも一旦そこから離れよって言ったばっかりでしょ。もうちょっとだけ休憩時間だよ」
「あぅ……、はぁい……」
そう露骨に残念そうな顔されると俺も反応に困るんだけど。まぁ、それも今のうちだけだ。
「栞、誕生日おめでとう。栞も今日から16歳だね」
「ふぇっ、あれっ? もう、日付変わって……?」
「うん、とっくにね」
時計の針は午前1時半からわずかに進んだところを指している。
栞は時計を見ながら目をパチパチさせて、
「そっかぁ……。なんかあっという間だったから全然気付いてなかったよ」
「俺も栞に夢中だったからさ……。えっと、改めておめでとう。遅くなってごめんね」
「んーん、全然。誰よりも早く涼にお祝いしてもらえたんだもん、少しくらいなんてことないよ」
「そう言ってくれると助かるよ」
本来の計画では日付変更とともに言うつもりだったのだけど、栞とアレコレしてるうちに過ぎてしまっていた。
「あのね、栞。俺、栞に伝えたいことがあるんだ」
「うん、なぁに?」
「あの日、俺に話しかけてくれて、ありがと。俺のことを好きになってくれて、ありがと。栞がいてくれたから、俺は変われたよ。自分でも驚くくらい強くなれたと思うし、友達もできた。ずっとつまらなかった学校も、今はすごく楽しいし。これはね、全部栞がくれたんだよ。だから、ありがと。大好き、愛してるよ」
栞の目を真っ直ぐに見つめて、想いを伝える。俺の誕生日に栞がそうしてくれたように。日頃からなるべく伝えるようにはしているけれど、この特別な日に改めてしっかりと伝えておきたかったんだ。
感謝と、俺がどれほど栞のことを愛おしいって思ってるかってことを。
「涼……。嬉しいよぉ……」
栞の瞳からポロリと涙が溢れる。
「栞……?」
「えへへ。なんか、嬉しすぎて涙出てきちゃった。……ごめんね?」
栞が恥ずかしそうに笑って、笑いながら涙を流して。俺はその涙を指でそっと拭う。
「ううん、いいんだよ。俺の時も泣かされちゃったしさ。それに、泣くほど喜んでくれたなら、俺だって嬉しいよ」
「うんっ……。えっとね、涼。私も涼にお礼、言いたい。聞いてくれる?」
「うん、聞かせて?」
「涼と出会ってからね、ずっといいことばっかり起きてるの。それまでは、こんな時間が待ってるなんて思ってもみなかった。たくさん優しくて、温かくて、幸せで。私もね、涼にいっぱいいろんなものをもらってるんだよ。だから、私からも、ありがと。こんな言葉じゃ全然足りないけど、愛してるよ、涼」
栞の言葉に、気付けば俺も涙を流していた。栞が幸せでいてくれることが嬉しい。俺が栞を幸せにすることができていたのが嬉しい。
「栞……。好きだよ」
「うん、涼……。私も好きっ」
俺は栞をぎゅっと抱きしめる。栞も俺に背中に腕を回してくれて。これも穏やかで幸せな時間だ。
でもさ、俺はさっきもこの先もっともっと栞を幸せにすると、生涯をかけると約束したんだ。これで満足なんてしないし、できるはずもない。
常に栞の幸せを更新し続けること、それが俺が栞にしてあげたいことだから。
ひとまずは、ここでようやく用意していたものの出番だ。
「あのさ、栞にね、誕生日プレゼントがあるんだよ」
「えっ……? プレゼントって、旅行だけじゃなかったの……?」
「俺がそれだけで終わらせるわけないでしょ? 栞だって指輪をくれたじゃない」
初めて祝う栞の誕生日、形に残るものも用意してるに決まってる。
「それは、そうだけど……」
「ちょっと待っててね」
抱きしめていた栞から離れて、部屋の隅に置かれたバッグの中からラッピングされた包みを取り出す。
「なんか、結構大きそうだけど……? わざわざ持ってきてくれてたの……?」
「そりゃね。帰ってからじゃ俺が待ちきれなかったし、なにより早くこの子を栞に会わせてあげたかったからね」
「この、子……?」
「うん。これが俺からの誕生日プレゼントだよ」
包みを両手でしっかりと持って、まだ少しだけ戸惑っている栞へと差し出す。
「ねぇ、中、見てもいいかな?」
「もちろん。喜んでもらえるといいんだけど」
「涼がくれたものならなんでも嬉しいに決まってるよっ」
栞は慎重な手付きでリボンを解いて、袋の口を開ける。そうして中から出てきたのはクマのぬいぐるみ。テディベアという方が正しいのかもしれない。
栞の誕生日である10月27日がテディベアズ・デーだということを、プレゼントを考えている間に知ったんだ。
アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルト(愛称テディ)の誕生日が由来らしいが、まぁそれはどうでもいい。
そこで思い出したのが初デートで行ったショッピングモールでの出来事。あの時の栞の微妙な物言いの意味がようやくわかった瞬間だった。
もう即決だったよ。
「俺なりに考えて選んだんだけど、どうかな?」
「わぁっ……! 可愛いっ……! ねっ、ねっ、涼っ! この子、すっごく可愛いよっ?! 毛並みがふわっふわなのも触り心地がいいし、とっても素敵っ♪ 涼、ありがとっ!」
すっかり涙が引っ込んで、ぬいぐるみを抱きしめてはしゃぐ栞に、俺はホッと息を吐く。高校生にもなってぬいぐるみ? とか言われたら立ち直れないところだった。栞がそんなことを言うわけがないってわかってるんだけどさ。
「どういたしまして。それでその子なんだけどね、俺がいない時に俺の代わりみたいに思ってくれたらいいなって……。栞がよければ、なんだけど……」
栞は寂しがり屋だから。自分の部屋で一人でいる時とかに、少しでも俺を近くに感じてくれたら──って、これはちょっと恥ずかしいかも。
「涼の、代わりかぁ……。あっ、それなら──ねぇ、この子に名前付けてあげてもいいかな?」
「それは栞の好きにしてくれて構わないよ」
その方がより愛着を持ってくれるかもしれないしね。
「本当に好きにしていいんだね? 後で変えてって言っても受け付けないよ?」
「ん? 別に、いいけど?」
でも、そこまで念押ししてまで付けたい名前ってなんだろう?
と思ったところで、栞がニヤッと笑っていることに気が付いた。そこはかとなく嫌な予感がする。でも、気が付いた時にはもう手遅れだった。
栞はテディベアを抱き上げて、向き合って、
「それじゃ、今日からあなたはリョー君だよ。ねっ、リョー君っ?」
すごくいい笑顔をするのだった。
「待って待って! それ、まんま俺の名前じゃん!」
「んー? 違うよ? 私の中ではね、カタカナのイメージなんだもん。それに、涼の代わりにって言ったのは涼でしょ? だからねぇ、これでいいんだよっ」
「いやぁ、それは……」
何も考えずに好きにしていいと言ってしまった俺には返す言葉もない。栞は涼君ではなくリョー君なのだと言う。そんなの口に出してしまえば同じなのにさ。
「私ちゃんと確認したもん。変更も受け付けないって言ったもん。ねー? リョー君っ? ──うんっ、言ってたよー!」
栞は声色を使い分けて、一人二役でテディベア改めリョー君と会話まで始めてしまって。
「あの、栞……?」
「リョー君っ? おうち帰ったら、毎日一緒に寝ようねー? ──わーいっ! 一緒に寝るー!」
いやね、こういう栞も可愛すぎるんだけどさ、それでも思うところはあるわけで。
「リョー君っ、リョー君っ♪ かーわいいなぁ……♪」
リョー君を胸に抱いて、クルクル回ってみたり、顔を眺めてニヤけてみたり。栞はしばらくリョー君ばかりを相手にしていた。
正直少しだけだけ面白くない。自分で渡しておいてこんなことを思うのはおかしいのかもしれないけれど、リョー君に嫉妬してしまっている俺がいた。
俺だって栞と毎日一緒に寝たいのにずるい、とか思ったりしてさ。
たぶん、それが顔に出ていたんだろう。
「あれれ? 涼、拗ねちゃった? 私がリョー君ばっかり構うから?」
すぐに栞に見抜かれた。
「拗ねて、ないよ……?」
「うーそっ。それなら、このむぅってなってるお口はなにかなぁ?」
「なってな──んむっ……」
俺の唇を栞が指でちょんっとつつく。精一杯の強がりも、栞の前では意味をなさない。自分でも気付かないうちに尖らせてしまっていた唇が押し戻された。
「もうっ、涼ってば可愛いんだからぁ。あのねぇ、私がこうなっちゃうのは、涼がリョー君をくれたからなんだよ?」
「わかってる、よ……」
「私、涼だけだよ?」
「じゃあ、今は俺だけ見てほしい……」
あぁもうっ……。せっかく栞がこんなに喜んでくれてるのに、俺はどうしようもないやつだ。こんな醜く独占欲を拗らせてさ。相手はたかがぬいぐるみだっていうのに。
それなのに。
「うん、いいよ」
栞はあっさりとリョー君をテーブルの上に座らせて、俺にぎゅっと抱きついて頭を撫でてくれる。
「ほら涼、よしよーし。いい子だから機嫌直して、ね?」
「うん……。ごめん、我儘言って……。栞の誕生日なのに……」
栞の手が髪を撫でてくれるたびに栞から溢れる母性のようなものを感じて、心がすっと解きほぐされていく。
「いいんだよ。涼の我儘はねぇ、すっごく貴重なんだもん。それにそんな可愛い顔見せられたらね、私いくらでも言うこと聞いちゃうんだから。その代わり、私の我儘も聞いてもらうけどね?」
「栞の我儘って?」
「えっとねぇ……。私ね、もう一つだけ。……ううん、もっと、プレゼントがほしいの」
「俺、そんな準備してきてないけど……?」
栞に贈るプレゼントとして俺が用意したのは旅行の計画とリョー君だけ。他にあげられるものなんて──
「大丈夫、別に用意はいらないからね」
栞は自分の下腹部に手を当てる。そして、
「ねぇ、涼。もっといっぱい、して……? たくさん、ちょうだい……?」
ねだるような目で俺を見る。
本当に栞は俺をその気にさせるのが上手い。こんな誘い方、いったいどこで覚えてくるんだか。
それがプレゼントとして相応しいのかはともかくとして、俺はあっさりと陥落した。俺だけを見てほしいという我儘に対して、これ以上ない返答だったわけだし。
「じゃあ、栞」
栞の手を引こうとして、
「あっ、待って!」
止められた。
栞はテーブルに座らされたリョー君をくるりと反対に向けて語りかける。
「リョー君っ。パパとママねぇ、ちょーっと仲良ししてくるからぁ、あっち向いててね? いい子にしてるんだよー?」
「パパとママって……」
俺の代わりという話だったはずなのに、いつの間にか子供扱いに変わっていた。俺の呟きなんて栞は全く聞いちゃいないみたいだけど。
「これでよしっと……。へへ、お待たせっ」
俺を置いて跳ねるような足取りで先にベッドへ向かった栞は、ポスンと腰を下ろして両手を広げた。
「ほーらっ。おいで、涼?」
やっぱりさ、栞には敵わないんだよね。俺のくだらない嫉妬も、我儘も、全部受け止めて愛してくれるんだから。
俺はもう拗ねていたのも忘れて、優しく微笑む栞の胸へと飛び込んでいくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます