第36話


「カーサス様、ミオさんはサザリンのために薬を……」

「断る。二度とこの屋敷に来るなと言ったはずだ」


 マーガレットを言葉途中で遮り、告げられた拒絶の言葉。向けられた視線に気圧されながら、でも、ミオはカーサスを見上げた。


「カーサス様がハーブを嫌う気持ちは理解致しました。ですが、決してハーブは毒ではありません。実際、私が作った軟膏は騎士団でも使われています」

「それはお前がたぶらかして……」

「いえ、違います」


 言い切ったのはジーク。すっとミオとカーサスの間に割って入った。


「俺は以前、川で溺れ足を負傷した際、ミオのハーブで命を救われました。あのままなにも手当てされなければ、出血多量で死んでいたはず。ミオのお蔭で尋常では考えられぬ速さで傷が塞がり、血が止まりました。あれは紛れもなく『神の気まぐれ』の力です」

「……しかし、過去にあの草が害をなしたのも事実。それを大切な妹に使うわけにはいかない」


 騎士服を纏ったジークの証言を虚言と切り捨てはしなかったものの、ハーブが害をなしたのもまた真実だ。そうそう簡単に考えを覆してくれるとは、ミオも思っていない。いわば想定内の問答。


「分かりました。全てのハーブを信用して欲しいとは申しません。でも、今お持ちした軟膏はサザリン様に害をなすものではありません」


 ミオの立っている場所からは、ベッドに横たわるサザリンの表情は見えない。巻かれた白い包帯だけが痛々しく目に映る。自分が森に誘わなければ、後悔が止まない。


「カーサス様、ではこれをご覧ください」


 ミオは廊下に出るとランタンを手にした。ジークは小さな炎がガラス瓶の中で揺らめくのを見た瞬間、ミオが何をしようとしているか察し「止めろ」と手を伸ばす。


 しかし、僅かにミオの動きが早かった。ランタンの蓋をあけると、剥き出しになった炎に躊躇なく右腕を近づけた。


 ジリジリと肌が焼け焦げる。皮膚はあっと言う間に赤くなり、焦げ付く臭いが立ち昇った。熱いのか痛いのか、それすらよく分からず、しかし脂汗を浮かべながらもミオはランタンを離さない。


「よせ、何をしてるんだ」


 ジークは強引にランタンを奪い取ると、床に投げ捨てブーツで火を踏み消した。すぐにミオの腕をとれば、柔らかい肌に痛々しい火傷の跡が十センチほど残っている。


「無茶をするな!」

「大丈夫、リズの真似をしただけ」


 はぁ? と顔を引き攣らせたジークを無視し、ミオはリュックを下ろすと、左手だけで紐を解き中から瓶を取り出した。それを半ば強引にジークに押し付けると、呆然と立ち尽くすカーサスに駆け寄る。


「ご覧ください。ドラゴンの炎に比べて軽症なのは仕方ないと思ってください。でも、火傷は火傷です」


 カーサスは緑色の瞳をギョッと見開き、焼け爛れた肌を見る。妙齢の女性が自ら自分の腕を焼くなど、正気の沙汰とは思えない。 


「ジーク、その瓶を貸して」

「言われなくても。俺がするから」


 苦虫を潰したような顔。既に蓋は開けられており、ジークは指先でたっぷりと軟膏を掬い取った。


「手を出して」


 腹立たし気なのは咄嗟に防げなかった自分への苛立ちから。だから、ミオの腕を持つて手は限りなく優しい。そっと、まるで触れれば壊れる繊細なガラス細工を手にする様に慎重だ。


 軟膏が触れるだけで火傷の箇所がひりつくように痛んだ。カレンデュラは刺激は少ないけれど、爛れた肌は風が当たるだけでも痛むのだから当然のこと。

 しかし、ミオは表情を崩さない。すぐそばにカーサスがいるのだ、平然と余裕だと見せるかのように口角を少し上げた。もちろんただの痩せ我慢だ。


「どうしてこんなことを」


 必要なら俺がするのに、と小さく呟くジークにミオは首を振る。


(そんなことさせれない。それに、作ったのはいいけれど試すこともせずに人に手渡すことはできないわ)


 もとよりこうするつもりだった。

 ヤロウの時は成り行きで、ミオのあずかり知らないところで話が進んだ。でも、今回は違う。

 意思を持って作ったのだから、効果を確かめる責務があると思っていた。


(ここでカレンデュラ軟膏を使うことを認めさせないと。そのためならこのぐらいの火傷大したことないわ)


 自分のせいで火傷を負ったサザリンは、何があっても助けたい。ただその一心だ。


 ジークの指が腕から離れる。ぺったりとつけられた黄色く透ける液体の向こうで皮膚の爛れが盛り上がりそして平らになっていった。同時に赤かった皮膚が元の色に戻る。


「こ、これは……」


 小さい声、しかしそこには驚愕が滲んでいる。信じられない物を目にしたとカーサスの双眸が大きく見開き、息まで止めているよう。

 しかし驚いているのはミオも同じ。ヒリヒリと焼け付くような痛みが消え皮膚の引きつる感覚もない。


(まさかこんなに即効性があるなんて)


 効くだろうとは思っていた。けれどここまでとは。

 パチクリしながら顔を上げれば、ジークと目があう。ハーブの効果を身をもって知っているジークだけは、当然とばかりにミオの腕を見ていた。しかもちょっと誇らし気に。


「カーサス様、ミオにサザリン様の手当ての許可を」

「い、いや。しかし……」


 ジークに詰め寄られカーサスはミオの腕とベッドを交互に見る。

 火傷が治る様を目の前で見てもなお、先祖の言葉を守るべきではと考えあぐねているようだ。

 すると、ベッドから弱々しい声が聞こえた。


「お兄様……」


 掠れるような声。サザリンが包帯を巻かれた腕を伸ばしている。顔だけだと思っていた火傷は首や腕にまでおよんでいた。


「サザリン、目が覚めたか。何か飲み物でも……」

「……ミオさんの」

「えっ?」

「ミオさんの作ってくれた薬を」

「しかし、あれは……」

「では、代わりに、ドラゴンの炎に焼かれた皮膚……を、再生できる薬を、持って……きて」


 こほこほと咳込み後半は言葉が続かなかったけれど、何を言いたいのかは充分に伝わった。


 カーサスは口籠る。

 ドラゴンの炎でできた火傷を治す薬なんて聞いたことも見たこともない。もしかしたら王都に住んでいるという聖女なら可能かも知れないが、田舎の領主がそう安易に会える相手ではない。しかもここからだと馬で一か月ほどかかる。


「そ、それは……」

「ないのでしたら、私は、ミオさんの薬を使いたい」


 言いあねぐカーサスに対し、サザリンはキッパリと言い放った。 

 

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