第31話

 

 それは突風だった。


 後方から吹き抜けた風はミオの髪をかき揚げ、浮遊感すら感じさせる。

 前屈みに倒れながら見上げた視線の先には、傷だらけの甲冑をまとった剣士が一人。


 軽々とミオの頭上を飛び越えた剣士はドラゴンに向け西洋長剣ソードを振り切る。その振りから起こった風が炎を霧散させ、ドラゴンの胸部を一撃が襲った。


 剣から繰り出された風に吹きとばされたのか、攻撃を避けるためか、ドラゴンは数十メートル後方に下がるも、すぐに大きな翼を一振り、臨戦態勢に戻った。

 

「……あれは聖剣、もしかして、勇者リーガドイズ?」


 ジークの声に勇者が振り返る。

 頭上の兜が目元を覆い顔は良く見えないが、薄く形の良い唇は、その問いに答えるように軽く弧を描く。勇者は首に巻いたスカーフを鼻の上まで上げると、くぐもった声を出した。


「もう大丈夫だ」


 低い声。しかし、この状況にも揺るがない自信のある落ち着き払った声だ。

 たった一言、それだけ口にすると勇者は茶色い髪を靡かせながら再びドラゴンと対峙する。同時に、国境の方からも咆哮が聞こえた。距離はあるが目の前のドラゴンのそれと同種だ。


「ジーク、もしかして、ドラゴンは二匹いるの?」

「まさかそんなことは。いや、しかしあの声は間違いない」

「そこの騎士、国境警備は?」


 振り返らずに聞こえる勇者のくぐもった声。

 伝説の勇者に話しかけられ、高揚と緊張で震える声でジークはドイルとベテラン騎士がいることを伝えた。


「あいつがいるなら問題ない」


 絶対的な信頼。

 勇者は前動作なく高く跳躍し、聖剣を頭上から振り落ろす。再び巻き起こる突風、それを受けるようにドラゴンも翼をバサっと揺らした。

 風同時がぶつかり合い中、聖剣はそれでも切っ先を真っ直ぐにドラゴンの肩先へと向かう。


 ギギャー


 叫び声とともに右翼がザクッと切り裂かれた。

 硬い鱗、筋肉、骨、全てを一度に切り裂く鈍い音、まっすぐな閃光が走り、ドサリと翼が地面に落ちちる。地響きと同時にその振動でミオの身体は十センチ跳ね上がった。

 バランスを崩しながらも、ドラゴンは大きな鉤爪のついた脚で勇者を攻撃する。しかし、勇者は素早い動きでそれらを交わし、時には剣ではじき飛ばしさえした。


「ミオ、下がった方がいい。ベニーを頼む。俺はサザリンを」 

「分かった、ベニー、私に掴まって」


 ジークは痛みで動けないサザリンを抱き抱え、ミオも首にしがみついてきたベニーを抱え込むとそのまま店の方へと走る。数十メートル走ったところで、背後からゴオォォっという雄叫びとともに熱風を感じ、振り返ればドラゴンが再び青い炎を吐き出していた。

 

 先程までのがお遊びだったのかと思うほどの巨大な青い炎の塊。


 充分距離はあるはずなのに肌がチリチリ焼ける。

 炎は容赦なく勇者に覆いかぶさり、その姿をミオ達の視界から消した。

 悲鳴にならない声がミオの口から漏れ、目の前が燃え盛る青でいっぱいになったその時、一筋の閃光が炎の中から現れた。


 剣が炎を切っ先、風が青い触手を弾き飛ばす。

 光と青炎がぶつかりはじけ飛んだその先。

 足元の草が焼け焦げる中、勇者は泰然と剣を構えその姿を現した。


「嘘だろう。どっちが化け物か分かんね……」


 ジークのぼやきにミオも頷く。到底同じ人間とは思えぬ能力。


 勇者が地面を蹴る。

 それは瞬きよりも早く、ミオは何が起こったのか分からない。

 ジークでさえすべてを目で追うのは無理だった。


 真っ直ぐドラゴンに向かった勇者はそのまま剣を横にし真一文字にドラゴンの腹を切り裂く。

 翼が切り落とされた右側脇腹を駆け抜けて、背後に回り今度は袈裟懸けに剣を振り落とし、高く跳躍すると太い背骨ごとその首を切り落とした。


 ドサッ、バタッと地面に落ちたそれはもはやドラゴンではない。真っ赤な肉片から流れる血が地面に大きな水溜まりを作った。


 その中をブン、と剣を振り、血を振り落としながら勇者がミオ達に向かって歩いてくる。パシャ、と血を踏む音に跳ね返る赤い飛沫。それらを全く気にしない歩みは、血塗られた地面が彼の日常だと感じさせた。


 国境の方角から空気を裂かんばかりの断末魔が聞こえた。どうやらもう一匹のドラゴンも騎士達の手により退治されたようだ。


「サザリン様、大丈夫ですか?」

「う、うぅ……」


 ミオの問いかけに苦しそうにうめくサザリンをジークは地面に置く。

 赤く腫れ爛れた頬は風が触れるだけでも痛むようで、うっと顔を顰めてはその動きがさらに痛みを増し、翠色の瞳から涙が溢れる。

 サザリンの顔に大きな影が落ち、見上げれば勇者がそこに立っていた。勇者はジークの肩に手を置く。その左腕も手首から肘にかけて赤く焼けただれていた、勇者と言えどもドラゴン一匹を無傷で倒すのは無理だったようだ。


「この辺り一体は俺に任せろ。ミオ・・達を頼む。間も無く町の衛兵も来るだろう」

「はい、分かりました」


 ジークの返事に軽く頷くと、勇者は踵を返し疾風がごとく森に向かって走り出した。

 ドラゴンから逃げてきた魔物がどれほどいるか分からない。ただ、ドラゴンが死んだ今、そいつらにとっては人を、町を襲う又とない好機だ。危険は去ったわけではない。


 木々の揺れが全て魔物のように感じる森は、すぐに勇者の姿を飲み込んだ。それと同時に道の方から数馬の蹄の音が近づいてくる。領主の護衛騎士の服にジークの顔に安堵と緊張が走った。

 サザリンの顔には酷いやけど。

 命は守ったけれど、若い女性には辛すぎるあとだ。


 ハーブの庭を馬で突っ切りやってきた護衛騎士達は、馬を降り地面に寝かされたままのサザリンに駆け寄ると、その痛々しさに顔を歪めた。


「俺がいながら申し訳ありません」

「其方は国境の騎士、見習いか?」

「いえ。今年正式に騎士になりました。お二人とも命は無事ですが守り切れなかったのは俺の力不足です」


 ジークの父親ほどの年齢の護衛騎士は小さく首を振るだけで何も言わなかった。

 その代わり、焼け焦げた草むらに投げ捨てられたように散らばる肉片を見て目を大きく見張る。


「あれは、ドラゴン? まさかと思うが……」

「俺ではありません。リーガドイズ様が倒してくださいました」

「何!? リーガドイズ様が現れたのか?」

「はい、あっという間にドラゴンを倒し、今は森に潜む魔獣退治に向かってくださっています」

「ドラゴンを前にし命があるだけでも奇跡だ。しかし、この火傷では……すぐに手当が必要だ。我らはこのまま町へ戻る。加勢できぬが理解してくれ」


 護衛騎士はサザリンを抱え馬に乗り、もう一人の若い護衛騎士はベニーと一緒に馬に乗った。

「じきに別の衛兵がこちらに応援にくる」そう言い残し護衛騎士は蹄の音とともに立ち去っていった。



「ミオ、俺達は店に戻ろう」

「……私が森に誘わなければこんなことにならなかったのに」


 すでに豆粒ほどになった馬を見ながらミオが苦しそうに言葉を落とした。


「ミオのせいじゃない」

「私のせいよ。見たでしょう、あの火傷。あんなの私の世界でも跡が残ってしまう」


 ついさっきまで笑いながらラズベリーを摘んでいたはずなのに、どうしてとひたすら後悔が押し寄せてくる。


(この世界にあの火傷を治す薬はあるのかな)


 そう思ったミオの頭に、オレンジ色の花が浮かんだ。


(いや、でもあの火傷を治癒できるほどの効果があるとは……)


 いつの間にか握りしめていた自分の手を見る。

 願えば金色に輝き答えてくれるハーブ。

 それなら、もしかしたら。


(できるかも知れない)

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