第5話


 リズの隣に座り、カモミールティーを飲みながらミオはふと思う。

 

 古来からハーブや生薬は薬として使われていた。それがこの世界に存在しないなら、病気になった時どうしているんだろう。のどかな風景を見ていると、抗生物質やワクチンがあるとは思えない。


「ねえ、リズ。この世界の人達は病気になったらどうするの? お医者さんに行くの?」

「うーん、相当酷い時はね。大抵は町の薬屋に行くかな。頻繁に医者に診てもらうのは貴族ぐらいよ」

「薬屋にはどんな薬を置いているの? やっぱり魔法薬とか?」


 ミオの質問にリズは腕を組み宙を見る。どこから説明すれば良いかと考えているのだ。


「まず魔法にはいろんな種類があって、薬草を育てるにしても魔力が必要なの。それらを煎じ魔力と混ぜ薬にするには魔力と特別な技術が必要となってくるわ。そのあたりのことは学校で学ぶらしいけれど、要は限られた人しか出来ないの。だから薬は高価なもので、私達平民が質のいい薬を手に入れることは殆ど不可能ね」


「でも薬屋には薬があるんでしょう?」

「それなりの質のものが、それなりのお値段でね」


 つまり、辺鄙な田舎の薬屋で売られているのは、最低限の魔力で育てた薬草に、これまた最低限の魔力と技術で作られた二流品、三流品。それでも、それなりに効果はあるから商売として成り立っているとか。


 飲み薬だけじゃなく、塗り薬や湿布も貴族と平民じゃ手に入れることができる薬の質が変わってくる。そのあたりは、ずっとシビアだ。


(怪我や病気には気をつけないと)


 身体は丈夫な方だけれど、今までまったく寝込んだことがない、というほどではない。風邪を引けば熱だって出す。子供の時に破傷風の予防接種はしたけれど、思いもしない傷が命取りになりかねないと、気を引き締めた。


「あー、美味しかった。二杯も頂いちゃたわ」

「沢山お世話になっているもの。いつでも飲み来てね」

「ありがとう! じゃ、私は仕事に行くわ。戸締まりをしっかりして寝るのよ。あと、夜は冷えるからお腹出して寝ちゃダメよ」


 お母さんみたいなことを言うリズに、はいはい、と答え「行ってらっしゃい」見送る。

 店に戻ると流しで食器を洗いながら、ミオは異世界でお店を開くことについて真剣に考えた。


 


 それから一週間。

 

 ミオはオーブンから焼き上がったばかりのパンを取り出す。ほわほわと食欲をそそる香ばしい匂いが広がり、開けた窓から外へと流れていく。もうすぐ沢山の卵を持ったリズも来るはずだ。


 初めてハーブティーを飲んだ次の日の朝、リズは切れ長の瞳を大きくし、勢いよく扉を開け駆け寄ってきた。


「あのハーブティー凄いわ! こんなに清々しい朝は久しぶりよ!!」


 サンドイッチの入ったバスケットをカウンターに置くなり、ミオの手をぶんぶん握って最後にはハグ。逞しい胸板にほっぺをムニっとくっつけながら、ミオは身体の骨が軋む音を初めて聞いた。


 ハーブがリズの体質にあったのか、ハーブを口にしたことがない異世界の人だから効き目が強いのかは分からない。ただ、常に二日酔いに悩まされていたリズにとってそれは画期的なこと。


 さっそくリズは店に来た客に、ミオのハーブティーの凄さを熱く語った。それはもう、こんこんと。客の中には村から辻馬車で町に通う人も多くいる。突然現れた店を不思議に思っていたところに、二日酔いに効くハーブが飲めると聞いてこれは行かなくては、と皆が思った。


 何せ「神のきまぐれ」の店だ。凄いことが起こるのでは、と無駄に期待値が上がる。ミオが聞いたら間違いなく卒倒するだろう。


 そんなわけで、朝、普段より一本速い辻馬車に乗った人達がミオの店の前で降りるように。

 

 突然現れた、むさっとした男達にミオは後退りするも、すぐに持ち前の適応力を発揮した。

 二日酔いに効くハーブティをアーティチョークティーと名付け売り出したのだ。

 初めの数日はハーブティだけだったけれど、客の中に小麦粉を町に卸している人がいると知り、売ってもらえないかと交渉した。


 それからは、朝食セットとして焼き立てパンとゆで卵、ジャム、お好みのハーブティをセットで売りだすことに。卵はリズから買って、ジャムの材料は裏庭の向こうにある森で木の実を摘んで作った。


 これが当たって、一日に三十食ほど売れることに。


「おはよう、産みたて卵持ってきたわよ」


 リズが沢山の卵が入った木箱を軽々と肩に乗せ持ってきてくれた。卵だけでなく野菜も少し入っている。これはお店で出すのではなくミオの食事だ。

 

「ありがとう。これお代金」


 大きな手のひらに小銀貨数枚を手渡す。お客様も来てくれるようになったので、仕入れ代はその都度支払うことに。


「どういたしまして。それから、私の朝食もお願い。ハーブティーはカモミールでね」

「ジャムはどうする? 今日はストロベリーかアプリコットよ」

「じゃ、アプリコットで」


 リズは夕方、出勤前にミオの店に立ち寄りアーティチョークティーを飲むので二日酔はなし。だから、朝はカモミールかミントティーを選ぶことが多い。

 リズの紹介で、砂糖や牛乳も手に入るようになった。村から町へと荷馬車で運ぶついでに、ミオの店にも立ち寄ってくれるのだ。

 

 リズの前に朝食を置くと、ドアベルがカラリとなった。

 「いらっしゃいませ」と言いかけたミオの口が途中で止まる。入って来たのは体躯の良い、騎士のような服装の男が二名。いつも来てくれる客層とは雰囲気が明らかに違う。

 濡れた手をエプロンで拭きながら彼らのもとへ向かい、恐る恐るといった風に要件を伺う。


「あの、どうされました?」

「昨晩大雨が降ったので、困ったことはないかとこの辺りを巡邏しています。貴女はこのお店のオーナーですか?」


 はい、とミオは頷く。確かに昨晩は激しい雨が降っていて、怖くて雨戸を閉めていつもより早く寝た。


 ミオの返事に騎士たちは少し好奇の色を浮かべ顔を見合わせるも、すぐに硬い表情に戻る。その一瞬の表情が「この人が『神のきまぐれ』?」と言っていたことに、ミオは気まずさを覚える。なにせ前回の「神の気まぐれ」の功績が大きすぎて、おいそれとその名を名乗れない、名乗りたくない。


「特に変わりはありませんか? 木が倒れたとか、崖が崩れたとか」

「私が知る限りありません」


 ミオの行動範囲は狭い。店の周辺と森ぐらいで、森には起きてからまだ行っていない。とりあえず分かる範囲で答えれば、騎士たちは「何もなければこれで」とあっさりと返っていった。


「リズ、さっきの人達は騎士?」

「そう。村の向こうが国境になっていて、そこに騎士の詰所があるの。町を治めている領主様の管轄ではなく国に所属しているんだけれど、大雨の後とかはああやって巡邏してくれるのよ」


 ボランティアで管轄外の仕事もしてくれているらしい。

 ミオの存在を知っていたということは、噂が騎士の詰所まで広まっているということ。ミオは知らないが、騎士達は今度の「神のきまぐれ」が何をもたらしてくれるのか、こっそり賭けていた。知らんがな。

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