第37話幸せ
結婚して一年が経ちました。
その間、一度も日本には帰っていません。
鈴木家の事で記者が待ち構えている可能性を考えますと、とても帰国する気にはなりませんでした。
あの後、前夫は驚いたことにグループに居残ったそうです。お兄様に聞いた時は心底驚きました。前夫はプライドの高い人です。一族が退陣した以上はそこに留まるとは考えにくい上に、今までのような自由のない職場です。居座る意味が解りません。
『自信があるんだろう』
『自信……ですか?』
『そうだ。例え父親達が失脚しても自分は大丈夫だという自信が』
『社長の地位を失ってまで居る意味があるのですか?こう言ってはあれですが、彼は人の下に立ってまで仕事をしようと言う器量を持ち合わせていない人です。経歴から考えても、扱い難い人材の筈ですし……』
『会社側も持て余しているだろうな。自主退職を望んでいるようだ。現に、一般職だった鈴木家の分家辺りは殆ど自主退職していったようだしな』
『……何を考えているのでしょう?それならばいっその事、別の関連会社に再就職した方がまだ見込みがあるのではありませんか?』
『それが出来ないから居るのではないか?きっと彼の事だ。社長に返り咲くと信じて疑っていないのだろうよ。自分は他者よりも優秀だと高を括っているからな』
お兄様も私も呆れ返りました。
離婚して正解でしたわ。自分の立場がまるで分かっていません。
「難しい顔をしているね」
「シオン」
「どうしたんだい?」
「……少し昔の事を思い出していましたの」
「それは前夫の事かな?」
どうやら、現夫であるシオンには全てお見通しのようです。
「ええ」
「鈴木の
「本当に」
シオンも呆れているようです。
それもそうでしょうね。だって前夫は左遷されても会社を辞めることは無く、左遷先の会社でも腫れ物扱いなんですもの。まぁ、無理もありません。
「あの方達は例の動画で相当会社に迷惑をかけてますのに……新しい経営陣は甘いですわね」
「う~~ん、甘いと言うよりも鈴木家の
「暴走ですか?」
「そう。自暴自棄になって何をやらかすか分からない。もしかすると会社を道連れにしようとするかもしれない。そういって要素が多く含んでいる相手を下手に辞めさせるよりも飼っておいた方が良いと判断したのかもね」
「それは……」
否定できない処が悲しいです。
「だからね、桃子。君が望むなら、あの二人を徹底的に追い詰めるよ?」
「はいっ?」
不意に不穏な言葉を言い出したシオンに私は困惑を隠せません。もしかするとシオンは彼らを嫌っている……?
そういえば、結婚前にも二人に対して仕返しをしないのか、と聞かれた事がありましたわ。あら?やはり嫌っているのかしら?
私にとって二人は過去の人達。
それに、二人はもう罰を受けています。
二人の動画は一時期SNSで炎上していました。本人達と分からないように加工されていましたが見る人が見れば分かるものでした。きっと会社をリストラされた誰かが上げたのでしょう。それか、二人に何らかの恨みを持つ人が上げたのかもしれません。どちらにしたってあの二人は社会的地位を一気に失墜しました。それは確かですわ。グループのサイバー課が総出で動画を削除したようですが、一度ネットに投下されたものを完全に消せるわけではありません。イタチごっこですわね。それを考えますと、あの二人の罰は充分に受けてると言えると思いますわ。ですからあの二人に今更何の価値もないのです。だから、そんな二人をシオンがこれ以上追い込む必要はありません。
「私はもう気にしていませんもの」
そう答えると、少しだけ複雑そうです。何故なのかしら?
「……君が気にしないのならいいのだけれどね……」
「二人はこれからも苦労すると思うわ」
「そうか……。そうだね。彼らはこれからも苦労すればいい」
「……シオン?」
また物騒な言葉が飛び出しましたわね。どうしたのかしら?やはり二人に対する態度は少し冷たい気がするんですけど……?
「ねぇ、桃子」
「……はい?」
シオンは私を膝の上に乗せると頬ずりしながら、ジッと見つめてきました。彼の紺碧の美しい瞳には私が写っています。彼の瞳は私を「愛している」と言っているような熱のある瞳をしているわ。そんな目で見られると否応にも頬に熱が集まってきます。恥ずかしいです。でも幸せを感じる瞬間でもありますわ。
「どうして顔を赤くしてるの?」
「し、知りません!」
本当は知っています。その理由は彼が本当に私のことを心から愛しているのが分かるからですわ!恥ずかしいので絶対に教えてあげませんけど!! 私を強く抱きしめてきた彼は嬉しそうな表情で私の瞼に口づけを落とすと、頬にも口づけしてきた。シオンの行動に私の頭は混乱してしまいました。ですが、これは心地の良い幸せな混乱ですわ。
私は気付きませんでした。
シオンが不穏な言葉を口にした事を。
その声はとても小さく、落ち着いていましたが確かな怒気を含んでいたことを――
幸せの絶頂にいる私にとってそれは取るに足らない問題でした。
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